不死蝶の鱗粉

ザネリ

不死蝶の鱗粉


「おや、」

 蔵の整理をしていると、思わぬお宝に出会うことがある。売れる売れないは別として。


 蔵の格子から青空が見え、少しだけ季節とずれて蝶が飛ぶ。美しい羽を見ながら”彼”がくる頃合だろうか、と思った。茶色い皮の手帳を外に運び出して、日光浴をさせている古本たちと一緒に並べ、店に戻る。

 古びた木枠の引き出しを開けて、商品の在庫を確認する。白い薬包紙に包まれた、薄い紅の粉である。その粉を求めてくるものはとても多い、けれど、これは所謂、諸刃の剣とも言える代物だった。


 薬の名はサクラという。-蝶の鱗粉は、桜の花びらのような形をしているという-近々きっと、薬の生成主がこの質屋に訪れる。




 まだ少し肌寒い、でも日差しは春というのに相応しい日だ。吸い込む空気が柔らかくなったような気がして、店の扉を開けた。そして、彼がヒラヒラと現れる。


「イズク、久しぶり」

「くる頃合だと思っていたよ、お久しぶり。また髪が伸びたね」

「ヨチョウを飛ばしたから分かったんだろう?」

「あぁ、やっぱりあの子達は君の家来かなにかかい。とても綺麗な羽だったよ」

「家来だなんて」


 少しだけ笑って、慣れたように店に入る。長い黒髪を一纏めにして、紫の着物をきっちりと着た美しい彼は、一番初めの人間に作られた生き物だ。


「薬は足りているかい」


 羽織を脱ぎながら問うた彼の声は、春のように柔らかくて、そしてどこか切なげだった。


「一昨日確認したら驚いたよ、あと一つさ」


 持っていた革の鞄を開いて、茶色の小瓶をいくつも取り出して机に並べる。細く白い指は、軽やかだ。その小瓶に入っているのは、劇薬であることを除いては、全てが優雅で暖かなものだ。


「それにしても、本当にこんなものがなぜ売れるんだろうねぇ」

「サイキはいつもそれを言うね」

「だってわからないよ」


 小瓶を見つめながら、なんの気なしに、慣れた様子で言う。私は、サイキもわかっているであろうことを口にする。


「持っていないものに憧れるもんさ。君もそうだろう」


 小瓶を一つ持ち上げて、光に照らす。美しく輝く粉が、茶色の色に透けて見えた。こんなに美しいものが、こんなに見ていて安らぐものが、サイキ、君にとっては、悪魔のように見えるのだろう。


「そうかい」


 柔らかく、切なく笑うサイキは、いつでも春を纏うようだった。芽吹き、散る。そんな春を纏うような君は、いつでも春に憧れている。


 サクラという薬は、「不死蝶」から溢れ剥がれる鱗粉のことだ。今の人間の元になった原初の人間が、楽園の中で作ったとされる「不死蝶」は、美しい紫の羽根から、薄い紅色の鱗を落とす。その鱗は、創造主である人間の寿命も伸ばした。もうすでに人間の世界からは取り上げられてしまった不死の薬、この世界でも手に入れるのは難しい代物。けれども、この薬には大きな副作用がある。


「私の鱗粉を買っていった方たちは何を蝕まれた?」


 彼はいつもそれを私に尋ねた。自分の体から剥がれた毒を求めた者の行く末を案じるのだ。


 薬を飲めば飲むほど、命を伸ばせば伸ばすほど、どこかが蝕まれていく。終焉を組み込まれた者の体には、永遠の命はどう頑張っても宿らず、不死になりたいのなら薬を飲み続けなければならない。侵蝕は壊れるまで続き、飲み続ければ死なずとも元の形を留めるのは難しい。それはもはや、死よりも残酷である、と言われるほどだ。


「画家の方は目、語り部の方は声、うーんとあとは、恋人のために買っていった妖怪もいたな。その方は愛情だった。ちゃんと書き記したさ、その方たちの今の居場所も」


 不死鳥の鱗粉を買う代金の半分は「顧客の情報」だった。教えるのはこの世界では御法度だが、こんなものでは実は半分も払えていない。しかしサイキが構わないというものだから甘えている。書き記した帳簿を渡すと、彼は大事そうに握り締めた。


「あぁ、ありがとう、頂いていくよ」


 何に使うのだ、と聞いたこともあるが、「知りたいだけだ」の一点張りであった。


 けれど、何度も薬を買いに来ていた者から聞いたことがある。最近とても美しい紫の蝶を見た、と。美しくひらひらと自分の周りを舞い、最後に拳へ接吻をして去っていったと。


「サイキ」

「ん?」

「君はあんまりに、だれかのことで心を病んでいやしないか」


 サイキは少しだけ私を見つめて、また春のように笑った。


「それ、そっくりそのまま、君にお返しするよ」


 白い薬包紙に、サラサラと小瓶の中の鱗粉を落とすサイキは、自分の存在は呪いだと教えてくれた。一番初めの人間が、呪いをかけたと。生きる者の掟を破ったと、彼は言った。


 薬の代金のもう半分は、トリカブトという名の仮死状態になれる薬だ。眠るように瞳を閉じ、その四肢は動かなくなるが夢は見る。自分がいなくなったあとの世界の夢だ。そして何日かすると何事もなかったように目覚めるという薬。大抵、トリカブトをくり返し使う者はいない。薬が見せる夢があまりに酷だからだ。


 だが、彼にとってその夢は悪夢などではない。夢にまで見た、夢なのだ。


「何度も言うが、ちゃんと百舌鳥の羽で包んで飲むのだよ、そうでないと脳まで運んでくれないから」


「あぁ、ありがとう、この前間違って稚児百舌鳥の羽で飲んでしまったよ。そのせいで白昼夢のようになったのは驚きだ、トリカブトの取扱書に書いておいたほうがいいぞ」


 ハハ、と冗談めいて笑う。自分への関心があまり見られない彼に、時々不安になる。


「拳への接吻は懇願だというな」


「イズク、今日はしつこいな」


 にこやかに、しつこい私を許すかのように笑う。何もかも知っているようで、何もかもに失望してるようで、けれども、愛情の溢れる顔だ。


「夢はとても美しいよ。私が消えた世界はとても美しい。“死”は綺麗だ。悲しくて切ない、大半は来なければいいのにと思うだろう。けれど、この世で一番綺麗だ。始まっていたことの証拠、存在の在り処が、そこにあるのだから」


 不死蝶には、大きな特徴がある。その名のとおり、死なずの蝶であるということだ。それを、サイキは呪いだという。彼の鱗粉を手にしたものが何かを失ってでも欲しいと願う「永遠の命」、それを、彼は醜い呪いだという。


「願っているよ。どうかこの人に終わりが来るように。自分の存在の証拠を感じることができるように。誰かに見送られるように。悲しみが続かないように。でも悲しいかな、呪われた体から剥がれた鱗は彼らを救いやしないよ」


 徐に彼は私の手を取る。慈しむように、やさしく撫でる。


「歳をとったな、イズク。この店の二代目に君は似ているよ。面白いやつだった、醜い呪いにかかる私を綺麗だといって写真に写すのだ。美しい洋服を着せて、私の念友も連れて」


 私の手と思い出を、慈しむように。その全てと別れ、見送り、一人だけで、歩くサイキの背中が脳裏に浮かぶ。その姿はあまりに朧げで、悲しい色で溢れていた。


「愛しい人たちは、いつも綺麗だった。とても羨ましくて、羨ましくて、悲しくて仕方なかった。不死なんてものは、悲しい、悲しい呪いだ。私の鱗粉は、呪いの欠片さ。私はひどく醜いよ。求めてくる者を突き放せもしない、私は狡く酷い。けれど、どうか気付いて欲しいのだ。終わりある命が、どれだけ、どれだけ、」


 私の拳に小さな接吻を落とし、彼は静かに泣く。その涙さえ、顎を伝う頃には桜の花びらの形をした粉に変わってしまう。顔を覆う手のひらから、光にきらめく鱗粉が溢れる。その姿を、「醜い」と、「呪い」だという。


「一昨日、蔵の書物を日に当てたんだ」


 今度は、私がサイキの皺のない手を握った。


「二代目、曾々……何個だ?まぁとにかく大祖父様の手帳が出てきてね、君の写真も挟んであった。彼の手帳にはしきりに君の名前が出てくるんだ。晩年だったと思う、元々本が大好きな人ではあったけれど、一生懸命に分厚い本を読んでいたそうだ。あれは調べ物をしていたらしい。覚えはあるかい?」


 サイキは戸惑ったような顔で私を見ていたが、確かに、と小さな声で頷いた。


「君のことを、だ。君がどんな経緯で作られたのか、君の存在について、大祖父様は知りたかったんだ。それは、君がいう「呪い」という言葉を信じたくなかったからだと、私は手帳を読んで思ったのだよ。」


 グ、と握る手がどちらからともなく強くなる。この体温は、感触は、存在の証拠にならないかい。


「結局、大祖父様も真実にはたどり着けなかった。でも、結論は出されていたよ」


 用意していた手帳を、サイキに渡す。


「これは君に譲ろう。代金としてではない、友人からの贈り物だ。」


 手帳には、大祖父様が使っていたであろう万年筆も挟んであった。大祖父様とサイキ、その仲間たちと撮っている写真も、旅行先の宣伝紙も、遊園地のような場所の入場券も。楽しそうな笑い声が、しきりに聴こえてくるような手帳だった。サイキは手帳を見つめて、開けずにいる。


「永遠の時を過ごすには、誰かの欲に答えるには、君は少し優しすぎる。けれども、その優しさが、いつだって誰かを救う。君の薬が、誰かにとって、願ってもない幸福になり得ることを、どうか忘れないでくれ。」


「画家は死ぬ目に聞きたい音楽があったそうだ。自分の絵を書くのに助けとなった人のヴァイオリン。語り部は見たい景色があった。自分がいつも話していたが、一度も見たことのなかった山脈だ。妖怪は恋人に飲ませたそうだ。愛情はなくしても、郷愁はあると、大切だと言っていたよ。」


 彼は赤い目で、まだ春のように笑う。長い年月をかけ、誰かを想ったその瞳が、自責の念を込めすぎた背中が、孤独と闘い剥がれた鱗粉が、醜いわけが無いのだ。


「さ、紅茶でも飲もう。新しい葉を仕入れたんだ」


「イズク」


「ん」


「有難う」



 聞こえないふりをして、店の二階に続く階段を登る。あぁ、大祖父様も、手帳がサイキに渡ったことを知ったら、このくらい気恥ずかしいだろう。ついでに、大祖父様との昔話を聞かせてもらおう、と意気込んだ。そういえばさっき何の気なしに念友とも言っていたな、それも根掘り葉掘り聞こう。サイキは少し戸惑いながら、でも最後には惚気てくれるだろう。


二階の窓を開けると、少し強い風が走る。


「イズク、春の匂いだ」





 芽吹きながら、彼が笑った。



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