免罪符

ミウ天

赦しは、全てを赦さない。

謂わばこれは諦観であり、人生を知ったつもりでしかない。

『赦す』ということの意味を履き違えている人が多い。

 人は誰しも罪を犯す。大小関わらず、法を破るようなものやそうでないもの。

 ほんの小さな物事も、罪として背負うことになる。

 一方で、人は罪を赦すことができる。背負ってしまった罪を赦すことが。

 だが、『赦す』とは罪そのものを赦すということではない。

『赦す』というのは、その罪に於ける『罰』を赦すのだ。

 罪には罰を。そんな言葉もあるくらいに、罪を置かせば、人は罰せられる。

 肉体的に、精神的に、環境的に。果てには命さえも、罪を犯した者は虐げられるのだ。

 無論、それは正しい行為だ。間違ってはいない。しかし、その罰を人は赦すのだ。

 まるで罪を犯さなかったかのように、人の罪を赦し、その罰を与えないのだ。

 それはつまり……人の罪そのものは、決して赦されるものではないということだ。

 罰が消されても、罪だけは残る。永遠に。

 僕らが本当の意味で赦されることは、生きている限りは一生ない。

 だから、これから起こることも、決して赦されない。いや、赦されてはいけない。

 もしも誰かが俺を赦しても、俺だけは俺を赦せない。


 ※



 座ったままぼうっとした頭で思考の泥に落ちていく。眠りにつくことのできないときの、俺にとっての羊のようなものだ。

 どんなことでも構わない。まるで意味のない言葉を頭の中で連ねていくだけでも、それは自身の慰めになる。よしんば慰めにならなくとも、自分の書いている小説のネタの足掛かりにでもなれば良き方に転んだと言えるだろう。

 思考していくなかで、俺はふと天を仰いだ。残念なことに、上にあるのは青い空でも眩しい太陽でもなく、白い壁紙と部屋を照らす蛍光灯以外に目に映るものは無かった。

 蛍光灯の光はつまらない。常に一定の光量を周囲に照らし続けるその様は、まるで俺を責め立てているようにも感じた。

 その明るさを常に俺に当て続け、俺自身の醜さだとかそういった負の側面を詳らかにする、そんな印象を感じていた。

 だからといって、暗闇にいれば良いというわけでもない。黒で隠された全ては何もかもを不安にさせる。

 自分の掌でさえ信用ができなくなる感覚を持つであろう闇に、心の安らぎを求めることも間違っているのだろう。

 だから俺は火の光が好きだった。明る過ぎず、暗過ぎず、適度に自分とその周りを薄く照らす火には一種の憧憬を持っていた。

 火はいわば、神格化もされた存在でもある。『聖火』と呼ばれる火が存在することからも、わかりやすく神がもたらした奇蹟のひとつとして後世から伝えられてきた。

 人のミームとして、細胞のひとつひとつに奇蹟の記録が余すことなくインプットされているのだろう。聖火のような、遥か昔から絶やすことなく現存し続けている火だけでなく、ふとした日常の中での火にも多くの人々は影響を受ける。

 例えば料理のフランベを見て、『すごい』とか『格好いい』なんて感想を抱いたことは無いだろうか。俺は子供の頃にふとそんな感想を親に言っていたことを思い出す。

 だが、所詮はただの調理法のひとつでしかないし、火を取り扱っている人も聖人だとかそういったわけでもない。それでもだ。火そのものは畏怖され、火と共にある者は大なり小なり敬慕される。

 火は人の頭、心、身体を形成する細胞のすべてに記録されている。幾重も世代を重ねていっても、永久に朽ちることのないレコードだ。

 だからこそ、俺は火に身を焦がして身体が尽きることを望んでいる。

 神聖な火に自身の罪をも燃やし尽くすことを期待せずにはいられないのだ。

 俺にとって火は、目に見える神と同義なのだ。


 まぶた越しの光に顔をしかめ、身体を起こす。ベッド横のテーブルにあるスマホに手を伸ばして起動すれば、デジタル時計は無機質に六時四十二分を伝えていた。無駄な思考の間に眠りについていたようだ。しかしながら、無駄に早起きをしてしまった。予備校も今日は休みだし、特別やることもない。

(ばっちゃんももう起きてるだろうし、飯でも作ってやろうか……)

 そう思い至ると、未だ重い身体を動かし始める。

「ばっちゃん」

 2階から降りていくと、案の定ばっちゃんが居間でテレビを見ていた。俺に気付くとにっこりと笑いかけてきた。

「おはよう諦慈ていじちゃん。いつもより早起きねぇ」

「ちゃん付けは止めてくれよ、おはよう」

「あらあら。今まで諦慈ちゃんって呼ばれるの嫌がらなかったのに」

 そう言いつつも微笑み続けるばっちゃんに、ただ溜め息を吐く他なかった。

「いつまでの話をしてるんだよ。飯作るけど、何が良い?」

「白いご飯があれば、あとは好きにして良いよ」

「わかった。簡単なもの作ってくる」

 そうして俺はキッチンに向かった。

 これが今の俺の日常だ。

 数少ない料理のレパートリーから卵焼きを作って、昨日の残りの味噌汁と白飯を温めればそれで終わりだ。朝食なんてこんなものでも充分だ。料理を並べてばっちゃんと対面に座ると、二人で手を合わせた。

「いただきます」

 そう言ってばっちゃんは卵焼きを頬張る。良い笑顔で食べるなと、じっと眺めた。

 いただきます。命を。

 そう捻くれた言葉を心中で呟いた。


 ※


 食事を終えて、宛もなく出掛けようと準備を始めているときに、玄関のチャイムが鳴った。

 ピンポーンとどうにも間の抜けたような音に軽く顔をしかめる。

 離れた別の部屋でごそごそとばっちゃんが身動き始めて、俺は慌てて自分が出るからそのままでいいよと伝えた。

 慌てて玄関まで向かっていき、扉を開けた先にはよく見かける制服の配達員が立っている。こんな朝っぱらから届け物のようだ。

 何か言う前にどこに判子を?と聞くと、突然で戸惑ったようにこちらへと配達伝票を見せて指を指す。

 すかさず判子を捺して荷物を受け取った後、最低限の礼だけをしてそのまま扉を閉じた。悪いとは思うがこちらも現状不機嫌なので、そのまま棚に上げることにした。なんだって朝から持ってきたのかがよくわからない。

 送られてきた先の住所を改めて確認してみる。

「ん?」

 思わず声を上げてしまった。

「うちの住所、か?」

 送り先と届け先が一緒になっていたのだ。

 どういうことなのだろうか。俺もばっちゃんも何か送った覚えはないのだが……。気になって受付日を見てみると、

「……!?」

 また声を上げそうになったのを必死に堪えた。

 2015年3月4日。

 俺にとって忘れられない日だ。

 だからこそわからない。

 何故、何があって、何の目的で、何がしたくて、何故今になって。

 あの日のことを思い出す。

 自分の息が荒くなっていくのが、まるで他人事のように感じた。

「どうかしたかい?」

 はっと気が付くとばっちゃんが後ろで立っていた。心配そうな顔でこちらを見つめている辺り、様子がおかしいと勘づかれたのだろう。

 なんでもないと、それだけ告げると足早に2階へと上がった。

 とにかく一刻も早く確認しなければならなかった。

 勢いよく扉を開け閉めして、その音に自分でびくりと身を震わせると、その荷物をテーブルに置いた。


意真いま 詐子さこ


 亡くなった、母の名前……。

 それが今になって何故、母宛の手紙が送られてきたのだろうか。

 そもそもがこの日に合わせて送られたものと考えるならば、その意味はなんなのだろう。

 わざわざ時間をおいて送ってきたんだ。何か意図があってのことに違いはない。

 では、その意図は何なのか?

 いや、それ以上に気になるのはそこではない。

 問題は、中身だ。

 死ぬ直前に自分宛に送った、先の長い贈り物。

 何が入っているのかも気にならない筈はない。

 結果として遺品となってしまったものは、果たして俺にとって、どのような意味を持つものなのだろう。

 開けることに躊躇いを覚える。

 でも、それでも俺は、それから目を離すことはできなかった。

 の記憶が、決して俺を離してくれない。

 結局選んだ選択は、開けることだった。

 息を深く吸って、極力あの記憶を押し入れからはみ出た荷物を押し込むように、思い出さない振りをしながらカッターを探す。

 机の奥底に眠っていたのを叩き起こすように強く握りしめて、丁寧に乱雑に貼られたガムテープを切っていく。

 緩んだ開け口を開き、無駄に多い緩衝用の紙をどかし続けると、それは現れた。

「スマホ?」

 中から出てきたのは、薄めの板状のものだ。大きさと見た目はスマホに似ているが、手に取ってみると違うとわかる。

 全面が真白にコーティングされているような状態に見え、前面、裏面、側面にも何もボタンは設置されていない。なにかしらの機械には到底見えない。

「なんだってこんなものが」

 思わず呟かざるを得なかったが、ここで奇妙なことが起こる。

 ふとした拍子でぐっとその得体のしれない何かを握り締めると、ブウンと音が聞こえた。

 視線をそちらへ向けると、その板の表面上になにかが浮かび上がっていた。

 それは、文字だ。こう書かれている。


意真いま諦慈ていじ


「名前?」

 自分の名前が表示されていた。それだけでも奇妙だが、ふとその文字が薄く消えていくと、次にはこんな言葉が浮かんだ。


『あなたは『騙す』ことが赦される』


『騙す』ことが許される?

 どういう意味なのだろうか。字面通りに判断するのならば、誰かを騙しても赦されるということだろうが、果たしてこの言葉に何の価値があるのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい。なんだってこんな碌でもない悪戯のようなものが送られてきたのだ。振り回された自分の身にもなってほしい。

 しかしよくわからないのは、何故3年も前からこんなものを用意して送る必要があったのか。それも母名義でだ。

 悪質だとか、なにかしらの被害があるのならばまだ悪戯であるとわかるが、この郵便物に関してはまるでそれらの理由が適用しない。

 わざわざ3年後に設定してその後の反応を楽しむような阿呆もいないだろう。そう考えるのならば必然的に自分の母親が送った。そう考える他ない。

 結局何もわからない。一旦思考を打ち切り、今度こそ外へ出ることを決意した。

(これはどうするか……)

 しばらくそれを見つめながら考えて、結局ジーンズのポケットの中に突っ込んだ。外でゆっくりした時に、改めて観察しよう。

 さて、出鼻を挫かれたが、改めて出かけるとしよう。

 意味のない、途方もない、価値もない、無為に過ごすだけの時間を得る為にも。

 俺には残念なことに、生きる価値を未だ見出すことは出来ずにいるのだから。

 心の中の自嘲からできた、苦虫を噛み潰したように顰めた顔をなんとか元に戻して、ばっちゃんに出かけてくることを伝えてから、改めて玄関まで歩みを進めた。



 これから起こる、罪を犯し続ける穢れた戦いがあるとは知らずに。

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