スウィート・ライフ

怜 一

スウィート・ライフ 1/2


 曇天の朝。

 鈍い光が雲間から差し込み、陰鬱とした週末となった。

 街には雪が薄く積もっており、寒さに身を縮こませた人々が群れをなしていた。多くの人々が急ぎ足で行き交う風景は、この街の日常だ。そんな忙しない日常をこの街で一番高い場所から眺める少女がいた。

 白いパーカーを被ったその少女の瞳は深海のような蒼色に染まっており、しかし宝石のように妖しい光を宿している。

 少女の両耳はイヤホンで塞がれおり、そこから流れるホワイトノイズを聴きながら、自身が動くべき時を静かに待っていた。

 一瞬、身を切るような冷たい風が吹き抜ける。


 「さむっ」


 白い吐息とともに愚痴を吐いた。

 その瞬間―――彼女が立っていた鉄塔が大きく歪み、その衝撃で彼女は鉄塔から振り落とされた。彼女は地面にむかって落ちていく最中、いたって冷静に自分を振り落とした正体を観察する。

 彼女を振り落とした存在は噛みちぎった鉄塔を咀嚼していた。鉄を噛み砕いた牙は、その一本いっぽんが二階建ての一軒家ほど大きく、鋭く尖っていた。

 獲物を狙う鋭い眼光と、みるからに頑丈そうな厚い土色の鱗肌。二足歩行の足に長い尻尾を持ったその姿は、まるで古代に絶滅したとされるティラノサウルスそのものだった。

 その暴力的に恐ろしく、ありえない存在を目の当たりにした彼女は、眉ひとつ表情を変えずに呟く。


 「変なカッコ」


 前触れもなく現れた恐竜に人々は混乱し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。

 恐竜はついに噛みついていた鉄塔を真っ二つに折り、それでは飽きたらずに次々と建物を破壊していく。もし、最初からこうなると予想することができていたら、国家の軍隊が列をなして迎え撃ち、ミサイルや戦車を使ってこの傍若無人の怪獣を打ちのめすことができたかもしれない。しかし、この恐竜―――超生命体と呼ばれる存在は二年前に突如として現れ、その構造や行動原理を人類は未だ解明しておらず、そのためこの超生命体がいつどのタイミングで襲ってくるのかさえ解らずにいた。


 しかし、この少女だけは違った。彼女だけはこの超生命体がどこに現れるのかを感知することができた。そして、その暴走を止めることも彼女にしかできなかった。

 鉄塔から振り下ろされたはずの彼女は、怪獣のはるか上空から姿を表した。降下していく彼女は、右手を拳銃のような形にし、暴走している超生命体へと標準を合わせた。そして、少女は退屈そうに―――


 「消えろ」


 その指を弾いた。


         ×


 白いワイシャツを身に纏い、黒のチノを履いた細身の男―――オクス・ロードは鼻唄を歌いながらお気に入りの白いカップにコーヒーを注ぐ。自分で焙煎した豆の芳ばしい香りにオクスは自然と笑みを溢した。コーヒーを注ぎ終わると、ポップアップ式のトースターが二枚のパンを焼き上げたことを知らせる軽快な音が響く。オクスは占めたと言わんばかりに指をならした後、焼き上がった二枚のトーストをつまみ上げ、あらかじめウインナーとスクランブルエッグをよそっておいた二枚の白い皿に一枚ずつのせていく。


 「よし。完成だ。アインス、手伝ってくれ」


 オクスはキッチン越しに居る少女―――アインスの方を見る。テーブルに座っていたアインスはその場で手のひらをつきだし、軽く力を込める。すると、オクスが用意していた二枚の皿は宙を浮き、そのままアインスが座っているテーブルまで引き寄せられた。


 「やっぱりアインスの超能力は便利だね。助かるよ」

 

 爽やかな笑みを浮かべながらオクスがアインスの向かいの席へと座る。


 「それじゃ食べようか」


 それを合図にオクスとアインスは黙々と朝食をとりはじめた。ウインナーとスクランブルエッグには塩と胡椒をまぶし、トーストにはバターを一欠片というかなりシンプルな味付けになっていた。

 しばらく無言で食事をしていると垂れ流していたテレビから、今朝の騒ぎの顛末を語っている声が流れてきた。


 「今朝、突如として街を襲った恐竜らしき怪獣は浮遊した瓦礫に押し潰され―――」


 オクスは、それを聞くとニヤリと笑い、一旦食事の手を止めてアインスへと視線を移す。


 「今回は随分と派手にやったな、アインス。瓦礫とか危なかったんじゃないのか?」

 「派手にしたのはあの超生命体で、私のせいじゃない。私は空にいたから瓦礫は別に問題なかった」

 「なるほど。空に移動したのは中々いいアイディアだね。でも、どうしてそんなことを思いついたんだい?」

 

 アインスは口に入ったトーストを水で流し込み、淡々と食事を続けながら話続けた。


 「私が鉄塔から落ちたから、さらに高い場所に移動すれば地面にぶつからないと思った」

 「なるほど!それは正しいね!」


 オクスは子供の成長を喜ぶように楽しそうに頷く。


 「今まではかなり無茶な戦い方をしていたからね。アインスがそうやって工夫することを覚えてくれて僕は嬉しいよ」

 「ごちそうさま」


 会話を強引に切り上げ、アインスは汚れた食器をシンクへと片付けた。


 「今日はなにをする予定なんだい?」

 「別に」

 「そう。気をつけて行ってらっしゃい」


 アインスは返事もせずに玄関を閉めた。

 オクスも早々に食事を終わらせ、職場へ向かう用意を済ませる。するとタイミングよくチャイムが鳴り、玄関を開けると、そこには軽くウェーブの掛かった金髪に胸元を大きくあけたスーツを身に纏ったグラマラスな女性が立っていた。

 このセクシーな女性―――クレア・ソーパーはオクスの助手兼秘書のような存在であり、オクスを送迎をするのが日課になっている。


 「やぁ、クレア。おはよう。今日もいい天気だね」

 「そうね。息がつまりそうなくらいに清々しい曇り空だわ」

 「そうだっけ?」

 「少しくらい外の景色も見なさいよ。それより、もう準備はできてるの?」

 「あぁ、この通り。もうバッチリ」

 「そう。なら、その胸に貼ってあるものをどうにかしてから研究所に行くわよ」


 クレアはオクスの左胸を人差し指で二回軽く叩く。不思議に思ったオクスは叩かれた場所を見ると、そこには服のサイズが記入されたシールが貼られていた。

 

 街から少し外れた広大な場所に建てられた研究所は、堅牢なセキュリティと武装した警備兵が駐屯しており、この国の重要な拠点の一つとして稼働している。オクスは、その研究所の所長を勤めており、そこで二年前に出現した超生命体の研究をおこなっていた。

 この研究所には超生命体に関するデータが集まるようになっており、今朝、出現した超生命体の残骸もすでにこの施設に回収されている。

 研究所に着いたオクスとクレアは白衣に着替え、真っ先にその残骸を確認しにいった。


 「これはスゴいね!いままでも大きいサイズの超生命体はいたが、ここまで巨大なのは初めてだ!これは面白いデータが取れそうだね」

 「鳥になったり蜘蛛になったり、その次は古代に絶滅している恐竜って…。はぁ。本当に解らない生命体ね」


 クレアは困ったように首を横に振る。それとは対照的にオクスはまるで新しい玩具を与えられた子供のように無邪気に喜んでいた。


 「いいじゃないか。簡単に解明できたらつまらないからね」

 「アナタねぇ…。人が死んでいるのよ。コイツらの正体を一刻も早く解明して、今後生じるかもしれない被害に対して迅速に対処できるようにするべきだとは思わないの?」


 オクスはクレアに叱られたことをものともせず、顔を近づけ囁く。


 「僕だって平和のことを考えているさ。だからアインスを研究対象として僕の側に置いているじゃないか」

 「私はまだ完全に納得しているわけではないわ。確かにアインスは不思議な力を持っているけど、超生命体と関わりがあるとは断言できていない。それに、アインスは意志疎通ができるし、なにより心がある。人間よ。こんな恐竜とは訳が違うわ」

 「違わないよ。僕はアインスもこの恐竜と同じ超生命体であると推測しているし、同じ研究対象だとも思っている」

 「ッ…。こんな男と一緒だなんて、アインスが可哀想ね」


 クレアはオクスを睨むように一瞥し、その場を立ち去る。

 オクスは困った表情でクレアの背中を眺めながら、力なく呟いた。


 「それでも、アインスは僕の娘だと思っているんだけどね」

 

         ×


 先ほどまで混乱していた街はまるで何事もなかったかのような日常を取り戻していた。壊れた建物の周辺には立ち入り禁止のテープが貼られており、警察らしき人達が辺りを囲んでいた。

 アインスはその瓦礫の山を横目に通りすぎ、目的地へと足を進める。

 この街は、囲碁の目のように綺麗に直線が交わるような造りになっていて、そこにはお洒落な百貨店やコーヒーが美味しい喫茶店などが建て並んでいる。


 街の中央にはベンチに座り噴水を眺めることができる大きな公園が設置されている。その美しい街造りから観光客も多く、賑わいをみせていた。

 数分後、アインスは目的地である喫茶店へと辿り着いた。木目調の扉を開くとチリンと来客を告げるベルが鳴り、それに気がついた従業員がアインスを出迎える。


 「いらっしゃい。今日もいつものかい?」


 坊主の男―――ビル・スティールはバリトンボイスでアインスに尋ねる。アインスはコクリと頷き、閑散とした店内の一番奥の席に座った。


 「あいよ」


 数分後、アインスの目の前に差し出されたのはドーム状のアイスクリームが乗ったホットケーキだった。アインスはそれを見てこれでもかと目を輝かせ、興奮のあまり鼻息を荒げた。

 ホットケーキがテーブルに置かれた瞬間、あらかじめ持っていたフォークとナイフで素早く四等分に切り分けて食べはじめた。

 

 「がっつくなっての。たくっ。」


 ビルの言うことには耳を貸さず、アインスは熱々のホットケーキと冷たいアイスクリームが織り成す奇跡の味わいに、その全神経を集中させていた。

 アインスのホットケーキが半分なくなった頃、再び入り口のベルが鳴った。

 店内に入ってきたのは、清潔感のあるショートの黒髪にニットのセーターを着た、いかにも真面目そうな少年だった。


 「いらっしゃい。適当な席に座んな」


 少年はアインスの席の隣に座り、アインスと同じものを注文した。

 アインスは隣に座ってきた得体のしれない少年のことは全く気にせず、どこまでも純粋にホットケーキを頬張り続けた。すると、少年が興味深そうにアインスに話しかけた。


 「とても美味しそうに食べるんですね。お好きなんですか?」

 「…」

 「このお店にはよく来るんですか?」

 「…」

 「あ、あれ?ボクの声聴こえてます?」

 「…」


 アインスは、その少年の質問に対して一切反応せず、少年は困ったように顔を強張らせた。


 「坊主。見かけによらずナンパとは度胸があるな。でも、話を掛けるタイミングがちぃと悪かったな」


 ビルはホットケーキを差し出す。


 「タイミング、ですか?」

 「そうだ。コイツはホットケーキを食べてる間はなんにも聞いちゃいやしねぇ」

 「それじゃあホットケーキを食べ終わったら話しかければいいのでしょうか?」

 「どうかな。食べ終わったら金をおいてすぐに店を出ていくんだ。そんな奴がナンパの話を悠長に聞くとは思えんな」


 少年はさらに困り顔になり、頭を抱えてしまった。それを不憫に思ったビルは、気休め程度に提案する。


 「まぁ、坊主が頼んだそのホットケーキでもあげたら話の一つでも聞いてくれるんじゃねぇか?」

 

 その言葉を耳にしたアインスの視線は、目の前にある食べかけのホットケーキから少年の頼んだ新品のホットケーキへと移った。それに気づいた少年はおそるおそるアインスにホットケーキを差し出す。


 「あ、あの。これあげるので、僕の話を聞いてくれませんか?」


 アインスの瞳はこれでもかと輝きを増し、少年の言葉に何度も頷いた。


 「どんだけ食い意地はってんだ、この娘ッ子は」


 ビルは、呆れたように首を振った。


         ×


 少年はアインスと同じ席に座りなおす。


 「やっと話を聞いてもらえそうだね」

 「…」

 「誤解しないでほしいんだけど、別にナンパしようとかはしてないんだ。ただ、お願いしたいことがあるだけなんだ」

 「…」

 「アインス姉さん―――と呼べば、話を聞いてくれるかな?」


 その言葉を聞いた途端、アインスの身に纏う気配が一気に殺気へと変わる。


 「やっとこっちを見てくれた。まさか姉さんがここまで話を聞いてくれないなんて思ってなかったよ。もしくは既に僕を警戒していたのかとも考えていたが…。どうやらそういうことでもないみたいだね」

 「なんで私の名前を知っている?」

 「姉さんやその周辺のことをことを調べたんだ。あのオクスっていう研究者のこともね」

 「私は、あなたの姉ではない」

 「僕が勝手に呼んでいるだけだからね。気にしないで」

 「あなたは…何者?」

 「僕?僕はね―――」


 少年はビルには聞こえないように囁く。

 アインスは勢いよく立ち上がり、食べかけのホットケーキを残し、そくささと店を出た。


 「おいおい。あの娘っ子を怒らせたのか?」

 「まぁ、そんなところです」


 少年は、右の口角だけ上げ、不気味な笑みを湛えた。


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