望郷か、あるいは記録整理
「所でリーリャさん、もし宜しければ学園を案内しましょうか?」
と、提案する七恵。リーリャとしてはありがたい申し出ではあるのだが…。
「ありがとう、でももう少し確認したい事もあるから今日は遠慮させて頂くわ、後1時間半後にまた会いましょう」
そう言うと2人の邪魔はもうしないとばかりに、そそくさと職員室を後にしたリーリャ。今度は階段を探し再び校内を彷徨い始めた。一先ず面倒な仕事であったアポを取るという物は早々にクリア出来たので、どんどん詰めて次の仕事を行って行きたいのだ。
『人とは難儀な物よな、身分だの格差だのと厄介事ばかりで好きな者を好きと言えぬとは』
先程まで沈黙を守っていた酒呑童子がそんな事をボソリと呟く。確かに何者にも縛られない怪異からすれば、そう感じる事もあるのかもしれない。
「そうね、私も息苦しく感じる時はあるけれど…何故かしらね?少し息苦しいぐらいの方が何故か人って生きやすいのよ」
『不自由を求めると?』
「其処までは言わないけどね、極限まで自由だと今度は何をやれば良いか分からなくなるの。選択肢が多いと絞りきれないのは人間の欲の深さ故なのか、はたまた別の何かなのか…流石に其処までは分からないけれどね」
『手当たり次第になんでもするのは?』
「人生の時間は有限よ、欲望赴くままに使ったら何者にもなれないままに老人になってしまうわ」
『お主ならば、全てに手を出しても何者かになれたかもしれぬがな』
「……いいえ、それだけは無いわ」
そう言って、階段を上がるリーリャ。エレベーターもあるのだが、重量オーバーのブザーが鳴ると怖いので基本的にリーリャは乗らないのである。
「綺麗な建造物ね」
階段の手すりを撫でながら上がると、清掃の男性が居たので軽く会釈をして最上階を目ざすリーリャ。階段の踊り場にはフロストガラスが貼られており、外からは中が見えない仕組みになっていながら、柔らかな光を取り込む事も可能となっている。
『日が高くなってきたな』
「そうね」
5階の屋上入り口に到着すると、掛かっていた南京錠をシレっと素手で引きちぎり外に出た。太陽が遠くから白い大地を照らしてきらめき、人気の無い校舎と合わさり何処かノスタルジックで幻想的に見える。
「うん、良い風ね」
そっと自らの髪を撫でて太陽を見つめるリーリャ、かつて使われていたであろう雪の積もったベンチに自らの座るスペースを作ると、白い息を吐き出した。そしておもむろにバッグの中からヴォートカを取り出してラッパ飲みした。
「…美味しい」
『学生がやる事では無いがな』
リーリャの行動に流石に苦笑する酒呑童子。
「後で口臭は消すから大丈夫よ、貴方もどう?」
そう言ってもう一本の酒瓶をバッグから引き抜くと、ポケットの前で揺らす。
『異国の酒か、是非頂こう』
そう言うと、ポケットから飛び出しリーリャより少し大きめのサイズの少女に化ける酒呑童子。
「あー…ゴホン、おなごに化けるのも久方ぶりよなぁ…こういうのは茨木の方が得意だったが」
「器用な物ね」
「何、年季が違うでな」
ニヤリと笑いゴクリと一口酒を含むとほほうと感嘆の声を上げる酒呑童子。
「うむ、美味い!深みこそ無いが澄み渡る流水の如く、されど僅かな甘みと辛味が舌を焼くかの如き味よ!」
「褒めてるのか貶してるのか分からないわね」
「何、好ましい味よ、それにこの雪景色に美女が隣に居るとなれば風流風流…いやはや、久々に心休まる…」
少々オヤジ臭い発言に思わずクスリと笑うリーリャ。
「その姿で言うような言葉では無いわね?」
「学徒の姿で酒を飲む貴公に言われるとは思わなんだ」
「フフ、風流風流…」
二人の間に沈黙が流れる。雪景色に美女2人で酒盛り、お猪口でもあれば相応に見れた光景なのだろうが…2人ともラッパ飲みでは少々色気に欠けるか。
「……仕事中に飲酒などらしくないな」
「そうね…らしくないわ…」
リーリャは懐かしい寒さと酒の香りにそっと酔う。何かを思い出したいのだが…その何かが分からないのだ。頭の中を思考だけがグルグルと巡りされど何かを得る事も無い。
「感傷…なのかしら」
「あるいは望郷か」
そんな酒呑童子の言葉に首を振る。
「いいえ、それだけは無いわ」
「………そうか」
再び2人を沈黙が包んだ。
「そろそろ行きましょうか、まだまだ出来る事もやる事もあるわ」
「そうさな」
そう言うと、再びスルスルと小さくなり、リーリャの胸ポケットに収まる酒呑童子。リーリャは酒呑童子の酒瓶をバッグへ入れると立ち上がり、手にもった酒の残りを一気に飲み干すと瓶を空き缶の如くにくしゃりと丸めた。
『どういう原理なのだ…?』
「バロールの瞳と原理は同じよ」
1人と1鬼は屋上を後にする。千切られた筈の南京錠はいつの間にか修復されており、リーリャはしっかりと鍵を掛けて階段を降りる。ふと、制服についたウォッカの香りが鼻孔を擽る。
「……ほんと、らしくないわね」
パチンと指を鳴らすと、酔いと香りは消えてシラフに戻るリーリャ。
『便利と褒めるべきか、人の体の脆弱性を憐れむべきか』
「鬼だって酔うでしょう?貴方も酔って切られた筈だしね」
『まさかよ、酔うた程度で首を落とされる程やわでも無し、あれは純粋に彼奴等の腕が勝っただけの事、殺し合いに酔うたのは確かだが…な』
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」
『………博識よな』
「それぐらいしか脳が無いだけよ?」
そう言ってリーリャは再び学校の中を歩き回るのだった。
◆
学校が本来の活気を取り戻した朝8時30分、七恵のクラスのホームルームが始まった。
「はい、それじゃぁ今日は転校生を紹介します」
「アルヴィナ・カシアノフと申します、どうぞよろしく」
先生の簡単な紹介にペコリと頭を下げるリーリャ。外国人の登場に教室がざわめくも流石に上流階級が多いだけはあり、不躾な質問が飛び交うような事は無かった。
ちなみにカシアノフは本当の名前では無い、彼女には本来アルヴィナという名しか無いのだ。
「カシアノフさんはロシアの出身で今回、複雑な事情から此方の学園に…」
「日本政府からの要請で皆様の警護を行う事になりました、既にご存知の方も居るかもしれませんが…現在日本に未曾有の危機が迫りつつあります」
教師の言葉を敢えて遮るように、はっきりと言い切るリーリャ。同時に沈黙が訪れる。
「か、カシアノフさん…?」
「内閣にコネを持つ人は親御さん経由で良いので、今私の言った情報の確認をしっかりと行って下さい。情報は最高の武器であり盾…そして裏付けを行えるのはまだ幼い貴方方が今持てる強い力の一つです」
リーリャは言葉を続けた。
「既にこの学園の警備の方々に実銃の配給が行われています。今日明日に何か起きるという訳ではなくとも、事態はそれ程までに深刻である事を理解して下さい」
ペコリと頭を下げて再び教師に言葉を譲るリーリャ、とはいえ、このような空気で何かを言える雰囲気でもない。
「あ、あーっと、その…ホームルームを終わる、後は……うん、好きにしてくれ」
教師達にはそれらを生徒に言う権限を持ち合わせていないが、リーリャには権限があり…状況によってそれらを伝える義務があった。
もっとも、教師の全員が着任早々に生徒に伝えるとは思っていなかっただろうが。
「空いている席を自由に使っても?」
「…ああ」
教師が力なく頷くと、前髪の長い大人しそうな女子の隣の席に座るリーリャ。
「よろしく、リーリャでいいわ」
「あ、え…その…よろしく…」
こうして、リーリャの学園生活は幕を開けたのだった。
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