ディープ・クローズ
七尾八尾
始まりと終わりは不安に満ちて
プロローグ クロウという男
薄暗い部屋で、1人の男が黙々と布と綿に向かい合い、その人型を作りだす。手に握られた針の動きは凡そ人間の動きとは思えない程に精密で、だからこそ何処までも異常であった。
男が手を動かし始めて10分。最後の糸を通し終えてベルベットの布をその人型へとかけると、男は糸が切れたように腰掛けていたソファーへと倒れ込み、男以外誰も居ない筈のポツリとつぶやく。
「タイムは」
「10分5秒です、マスター」
何処に潜んでいたのか、ヴィクトリア調のメイド服の女性がスゥと物陰から現れ、そう告げられた男は眉をしかめた。
「10分台を切るのは難しいか…」
「名前はどうします?」
「ベティで良いだろ、駄作だしオークションに流してくれ」
「承知しました」
そう言うと、メイドの女性は慣れた手付きで写真を撮り、ノートパソコンを開いて写真を取り込むとMafooオークションにその熊の人形を流す。すると30秒も経過しないうちに15万近い値がついた。
「この勢いであれば200万は行きそうですね」
その言葉に目を瞑り、不機嫌そうにゆっくりと起き上がる男。
「……なぁ、俺の本業言ってみてくれ」
「怪異払いでしょうか…それともついにテディベア職人に転職なさるのですか?」
「違う!たこ焼き屋だ!クレープもたい焼きも作っている!」
ダン、と、机を叩くと、その机が一撃で真っ二つに割れる、常軌を逸した腕力は先の繊細な動きを見せた手と同じとは思えない。
「……テディベアの臨時収入が消えますよ?」
「怪異払いもテディベア作りもあくまで趣味の範疇だ、俺はたこ焼き屋だ」
そう言う男の体は、民間で入手できるとも思えない軍用の強化スーツに包まれており、たこ焼き屋にはとてもでは無いが見えない。むしろたこ焼き屋と一目で看破したら神や仏やエスパーや閻魔の類だ。
殺し屋やヤクザだと言われた方が納得の行く厳しい顔つきに、187センチの身長へとこれでもかと詰め込まれた筋肉は強化スーツを内側から圧迫し、その実用的な筋肉美をより映える物としている。
男の名は濡羽黒…裏社会での通り名はクロウ、テディベア業界ではくろぐろ先生と呼ばれており、海外や国内問わず彼の作品に魅力される女性は多く一部の傑作テディベアは数千万で取引された程である。
だが、本業は売れないたこ焼き屋であり、かつて彼の命を救ってくれた恩人が、死の間際に彼に託した店であった。
「…たこ焼き屋なんだよ」
絞り出した声は何処までも悲痛に満ちている。彼は愚直で…そして多芸かつ繊細だった。だだ、その多芸の中に粉物料理の才能は無かった…それだけの事である。
「ですが、そろそろ手に職つけるべきでは?」
「……うん」
クロウは30歳を迎えて尚、まともな定職についていなかった。一応たこ焼き屋ではあるが…例えばクロウが警察に捕まれば『自称自営業』などと報道されるだろう。つまり世間一般の認識としてはその程度の物であり、やはり社会的な立場と安定した収入を欲するのも老後を考えれば仕方の無い事なのだ。
「副業可能で、比較的ホワイトな企業をピックアップしています、ご覧下さい」
「……ありがとう」
クロウは素直な性格でもあった。少なくともメイドである彼女が彼の事を心配してこのような事を口にするのもクロウは理解しているし、いい加減メイドのアリアに支払う給与の見直しや、長年使い込んだあまりサイズの合っていない装備も更新したいと思っているのだ。そして、それにはやはり、まとまった金や安定した金が必要なのである。
金が無いのは首が回らないのと一緒…などと誰が言ったか知れないが、真理以外の何者でもないのだろう。残酷な世の中である。
「…なぁ、アリア」
クロウは手渡された求人票を見比べながら、ふと気づいた事をメイドに問いかけてみた。
「はい」
「全部ブラック企業なんだけど…」
「労働時間や危険手当などは全て問題ないと認識していますが?」
なるほど、確かに世間一般的に言えば一流企業と呼ばれる所ばかりが羅列されている。だが、その裏にある本当の顔を考えれば…やはりブラックなのだ。
「なら、言い方を変えよう、全社荒事専門組織がバックに付いてるんだが?」
「ですが、ホワイトです。それにマスターも銃刀法や殺人罪で犯罪者ですが?」
「犯罪歴は精々過剰防衛……ぐらい?だっての、銃刀法は異能だからセーフ…ってかトップが怪異連中の企業もあるが?」
「ちなみに其処がダントツでホワイトです、それに表側の企業は普通の会社ですが?」
「……俺が行ったら問答無用でバックの組織に入れられると思うんだが」
「試してみなければ分かりませんが」
「そうかな…そうかも…」
「このテディベアの利益でリクルートスーツを注文しましょう、履歴書の書き方は私が指導しますのでご安心を」
「……職歴の空白とかどうしよう」
「実家のたこ焼き屋を手伝っていた、としておきましょうか」
「……うん」
そうして、クロウは促されるままに履歴書を書いてそっと5社に送付した。無論、ブラックな背後の組織側へとそれは回収されるのであるが、彼にとっては預り知らない話である。
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