あまのじゃく~another story~

遠山李衣

「また来てるよ、あの子。フロア違うのに、毎度毎度よくやるよね」

 聞こえてないと思ってる? 全部ちゃんと聞こえてるよ、ばーか。

 アヤは内心舌を出しながら声のした方を振り返る。みんなサッと顔を背けたけど、その中の一人と目が合った。

 化粧っ気のない子どもっぽい顔、ただ一つに縛っただけで手入れされてない黒髪、校則通りに身にまとった制服……。どれをとってもアヤに劣る。

 急速にその子から興味が失せて、目を逸らせた。今度は男子と目が合う。

「九条さん、今日もかわいいね」

「ありがと~」

 小さい頃から言われ慣れてきた賛辞。アヤだけにふさわしい言葉。

 アヤに声をかけられて、アヤに笑顔を向けられて、振り向かない男なんているはずない。


「綾乃ちゃん、お客さんだよー」

 教室の入口付近にいた女子に呼ばれて席を立つ。廊下で待っていたのは、階の違うクラスの見知らぬ男子だった。

「九条さん、ちょっといいかな」

 相手の全身に目を走らせ、瞬時に判断。顔・中の上、身長・上の上、声・上の中。ムリ。上の上クラスじゃないと、アヤとはつり合わない。

 でも、話ぐらいは聞いてあげなきゃね。アヤは極上のスマイルを浮かべた。

「うん、いいよ~」

 アヤは彼について中庭に出る。導かれたのはアンティーク調の木製ベンチ。校内一の告白スポットだ。

 彼はアヤへと向き直った。アヤは次の言葉に備えて、申し訳なさそうな顔を用意した。

「あのさ……」

「うん」

「これ、キミのだよね」

 彼が見せてきたのは、黒革の手帳。ふわふわ系のアヤにはとても似つかわしくない代物。

「違うよ。アヤ、そんな手帳持ってないもん」

「確かに九条さんのモノのはずだよ。明らかに筆跡がキミのだ」

 アヤは頬がぴくりと引き攣るのを感じた。彼は、手帳の中身を知っている。

 彼の言う通り、間違いなくアヤの手帳だ。先週からなくなって、ずっと探していたモノだった。

 でも、どうして? 校内では鞄に入れて、絶対に出さないようにしてたのに……。

「顔色が悪いよ、大丈夫?」

 彼がアヤの方へと手を伸ばす。アヤは反射的に飛び退いた。彼は苦笑して、手を引っ込めた。

「そんなに警戒しないでよ。でもまあ、仕方ないか。中身を見られたんじゃね」

「何が目的? アヤを脅迫して彼女にでもしようってわけ?」

アヤは声のトーンを下げる。学校では絶対に出さない、素の声だ。彼は、しばらくぽかんと口を開けてたけど、やがてぷふっと吹き出した。心底おかしいという様子で大口を開けて笑う。目尻からは涙が出ていた。

「何がおかしいのよ!」

 ムッときて、再び剣呑な声を出す。笑い声はさらに大きくなった。ひとしきり笑ったあとで、彼は言った。

「それがキミの素か。こっちのキミの方が自然でいい、と俺は思うけどな。

 まあ、俺はキミを脅迫する気はないよ。好みじゃない女子を彼女にする気もね。そもそも俺、好きな子いるし。ただ、手帳の持ち主の字に心当たりがあったから、渡そうと思っただけ」

 彼はほんとに脅迫することもなく、アヤの手に手帳を返した。

「もう落とさないように気をつけなよね」

と、耳元に言い残して。


「なんなのアイツ、腹立つんだけどっ!」

 家に着いてすぐ学校モードから切り替えて、ぬいぐるみに八つ当たり。振り回しすぎて、ウサギの耳が片方取れてしまった。

 楼坂隼。アヤの手帳を拾った男子の名前はすぐに分かった。勉強も運動もそこそこで、家も普通の一般家庭。何の特徴もなさそうな男子。

なのに隼の顔が頭から離れない。

アヤは鞄の二重底になっている部分から、手帳を取り出す。パラパラと捲って自分の成果を見直した。

男子の名前・日付・場所・告白された状況……。小学生の時に初めて告白された日から、ずっとつけ続けてきたモテ録。今まで全部、現実に起こってから書いてきたけど。

アヤは胸ポケットから黒のボールペンを取り出し、真っ新なページを開いた。

B組の楼坂隼を絶対落とす!

隼の名前をぐるぐると丸で囲む。筆圧が強すぎて紙が破けた。

「アヤが好みじゃないですって? 好きな子がいるですって? 上等じゃない! 必ずアイツをメロメロにして、アヤなしじゃ生きられなくしてから、ボロ布のように棄ててやるんだからっ!」


 こうと決めてからのアヤの行動は早い。学校一の情報網を駆使して、B組の時間割やバスケ部のスケジュールを調べ上げていく。

「楼坂くん、アヤね、お弁当を作ってきたの。中庭で一緒に食べよっ!」

「いや、俺は友だちと食うから……」

 当然隼は断ってくる。だけど、アヤは簡単に引くような女じゃない。隼を上目遣いに見て、目を潤ませた。

「おい、隼。九条さんを泣かせんなよな!」

「そうだそうだ、断んなよ。むしろおれが代わってほしいぐらいだわ」

「どうぞ九条さん、コイツを連れてってください」

 女の武器・涙を使えば、周りの男子が思い通りの状況にしてくれる。

「ありがとう! 楼坂くん、借りるね!」

 一番かわいい自信のある笑顔をB組中に振り撒き、隼の腕を引っ張って中庭へと向かった。


 芝生の上にレジャーシートを敷き、四時起きで作った弁当を並べる。

「九条さん、俺、何も求めてないって言ったよね。何企んでるの?」

「何も企んでないよ。手帳を拾ってくれたお礼をすることぐらい当然のことでしょ?」

 小首を傾げて上目遣いに隼を見た。

「とにかく、せっかく作ったんだから食べてよ」

 隼は諦めたように溜息をつくと、シートに腰を下ろした。それから卵焼きを箸でつまむ。

「あ、美味い。九条さん、料理上手いんだね」

 そのままほかの料理にも手を付けていく。冷凍食品〇の弁当は、あっという間に男子高校生の胃袋に収まった。

「ごちそうさまでした」

 隼は礼儀正しく手を合わせる。そのままごろんと横になった。

「九条さんも横になれば? 気持ちいいよ」

 アヤは隼にならってシートに寝転ぶ。風が優しく頬を撫で、雲は緩やかに青空を移動していく。

「ほんとだ、気持ちいい……」

 言葉が素直に口から零れていく。作った声じゃなくて、ありのままのアヤの声。気付いて口を閉じたけど、隼は楽しそうに笑った。

「いつも、今ぐらい素直にいればいいのに」

「そんなことできるわけないでしょ。何年このキャラで過ごしていると思ってんのよ」

「疲れない?」

「もう……慣れた」

「なんでキャラ作ってんの」

 冷かしとかそういうのではなくて、純粋に不思議だと言う声で隼が聞いてくる。

「初めは……見返すためかな」

 自分の顔から表情が消えていく。アヤの心は小学校低学年へと遡っていった。


「うっわ、お前ブスだな。完っ全に名前負けしてんじゃん」

 始まりは一学期の終わり頃。一人のクラスメートが放ったこの一言だった。相手はクラスの人気者。一方アヤはクラスのカースト制度の底辺。何気ない子どもの言葉でも、市長の息子である彼の言葉は、絶対にも等しい力を持っていた。その日からアヤは、大人用の紙マスクと長い髪で、顔を隠さずに登校することはできなくなった。

「だからって黙って耐えたわけじゃないよ。かわいいと言われる女の子を徹底的に研究したの」

 町で見かけたかわいい女の子をつぶさに観察し、ファッション雑誌や美容雑誌をチェックして、良いと思えるものは片っ端から試していった。

 その結果、アヤは急激にかわいくなっていった。磨けば磨くほど輝いていく。夏休みが終わる頃には、マスクは必要なくなっていた。

「アヤをブスって言った男子が、二ヶ月後には告白してきたの。嬉しい気持ちなんて全然湧かなかった。ただ、勝ったんだって思ったの」

 その男子こそが、黒革の手帳に書かれた最初の名前だった。それから落とした男の名を次々と連ねていくことになる。

「これは単なる自慢じゃない。アヤの努力の結晶だよ。例え、他の人にとってはくだらないものであっても、アヤにとっては大切な記録。だから……拾ってくれてありがとう」

 隼は顔をこちらに向けた。くだらなくなんかない、全然くだらなくない。アヤの耳が、それらの音を拾う。

「うまくは言えないけど、九条さんが頑張ってきたこと伝わったよ。話聞くことぐらいしか俺にはできないけど、何かあったら今みたいに全部吐けよ。全部聞くから」

「……ありがとう」

 やっとのことで絞り出した言葉。隣で寝転ぶ隼にはちゃんと聞こえたみたい。フッと微かに笑う声がして、そのまま規則正しい寝息が聞こえてきた。

 初めて他の誰かに過去の話をした。絶対に知られたくなかったはずなのに、隼には話してしまった。それなのに、こんなに穏やかに心が凪いでいるなんて……。

「あーもう、計算外。多めに作ってきたのに、アヤの分まで食べちゃうし、余計な話はしちゃうし。今日一日かけて落とすはずだったのに……」

 これじゃあ、アヤが隼に落ちちゃってるじゃん。

 でもまあ、いいか、と思い直す。隼になら初めての恋をしていいかもしれない。

 昨日とは全然違うことを考えてる自分に気づき。苦笑する。

 身を起こして隼を見下ろす。あ、意外に肌が綺麗。風で顔にかかった髪をそっと払ってやる。

 こういう関係が、ずっと続くなんてあるのだろうか。

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