第51話 わたしの愛する木
地球でいうところの五月の土曜の午後。
和服姿のわたしは縁側で渋いお茶を味わっていました。今日はぽかぽか陽気で過ごしやすい日です。
まだ女学生なのにすこし年寄りっぽいことなのですが、庭を眺めながらお茶を飲むのがささやかな楽しみなのです。
植えたびわの木は、はるか故郷の地球から取り寄せました。こちらの星では比較的珍しい果物なのです。
垣根の向こうには道路があって、たまに通行人が立ち止まり、まじまじと眺めているのを見かけます。そういう時は話のきっかけとしてこの木について説明するのです。
わたしは湯のみを置いて、木に近寄りました。
自然と微笑みが浮かんできます。女学生にとっては高価な買い物でしたが、学校の資料室でこの種の木を知り、お母様に頼んでみたのです。
お母様は始めは反対していました。
なんでも、庭にびわを植えると病人が集まり、うつされるという迷信があるから縁起が良くないと……。そんな言い伝えが日本という国にあるのを、物知りなお母様が教えてくれました。
ですがわたしは庭には植えてはいけないと話されても、わがままを言い、迷信など気にせず意思を通しました。
取り寄せに二ヶ月もかかりましたが、今こうして木は立派に育っています。
おや? 何やら道路のほうで靴底を擦る音がします。またもや見物人が来たのでしょうか? わたしは垣根に近寄って背伸びをしました。
「……」
すこし言い方はあれですが、貧しそうな女の子が落ちた実を拾っていました。たぶんここより二万光年離れたイセカ星から出稼ぎに来た生命体でしょう。
なぜ分かったかと言うと、地域にある冷凍食品工場の作業着を着ていたからです。年端はわたしと同じくらいですが、ぼさぼさ頭を気にもせず、黙々と実を拾っている姿に、なんだか胸が痛くなってきました。
この子はきっと専用寮に住んでいるはずです。同郷の人たちと大人数で暮らし、工場で得た最低賃金の何割かを実家に仕送りしているのかも知れません。
わたしは傍観するのはやめて、なるべく優しい口調で声をかけました。唐突な呼びかけに警戒されるといけません。
「……ねえ。そこのあなた」
「!!」
肩がビクンと跳ねました。叱られると思ったのでしょうか。わたしは安心してもらえるよう口元を引き伸ばします。
「怖がらないで聞いてくれる? あのね」
「……」
「そんな落ちているやつじゃなく、木に実っているきれいなのをあげるよ。取って帰りなよ」
果実に手を差し向け、親切に勧めてみました。
ところがその子は、拾ったびわの実をおなかに抱えるようにしてきびすを返しました。そして半身で木を見上げ、寮がある方向へとそそくさと走っていったのです。
わたしは背中を見送ったあと、こう思いました。
遠慮なんかしなくていいのに、なんて奥ゆかしい子なんだろう……。イセカ人は粗野で自己中なのが多いけれど、ああいう子もいるんだな。今度見かけたらハンカチに包んで渡してあげよう。
わたしは感心して縁側に戻り、湯のみをとりました。
だけど数分後、この想いは見当違いだと知ることになるのです。
……そしてわたしは今、足もとに落ちた湯のみを拾うことを忘れていました。ただただ信じられない光景に呆然と、成り行きを見守るしかなかったのです。
大事なびわの木が、ああ! 大事なびわの実が今、まるで死肉にたかるタカのように荒らされています!
なぜなら女の子が、十数人の同類を引き連れて戻ってきたからです。
身なりの貧しい子が津波のように押し寄せ、我先にと木によじ登りました。わたしは制止できず、情けなくオロオロするばかりです。
「す、すみません。あの……あの……」
涙まじりの声は誰の耳にも届きません。イセカ人は皆、夢中になっており、さながら醜い喧嘩のようでした。
やがて自慢のびわの木は、好き放題にめちゃくちゃにされ、実は全部もぎとられてしまいました。
そして同年代のそれぞれの子が、シャツをカゴにほくほく顔で帰っていきました。お礼の言葉など一言もなく……。
道路や庭には舞い散った葉がたくさん落ちています。連中が口から吹き捨てた種も落ちていました。それらを黙って眺めていると、胸が締めつけられたように苦しくなってきて、目頭が熱くなりました。
「……うぅ」
わたしはぞうりを脱いで、お母様のもとに走りました。
廊下を駆け抜けて、障子を引くと、着物姿のお母様が何事かと目を丸くします。
わたしは膝頭にすがりつき、気恥ずかしさも忘れて嗚咽を上げました。
「うわあああん。びわの木が、丸裸にされたヨォ」
ひどく嘆き、お母様がしてくる質問にしゃくり上げながら答えました。そのあいだ、お母様はわたしの頭を優しい手つきで撫でてくれました。
やがて涙の止まったわたしに、こんなことを仰いました。目がやや厳しく細められているのがわかります。
「それはね。あなたが具体的な言葉で伝えなかったことが原因です」
「わたしが、わたしが悪いのですか?」
お母様は深々とうなずきました。
「『軒を貸して母屋を取られる』ということわざがあります。自分がイセカ人にかけた言葉をよく思い出してごらんなさい」
わたしは鼻をすすって、天井を見上げます。
確かにこう伝えました。……『木に実っているきれいなのをあげるよ。取って帰りなよ』。
脳裏で繰り返し唱えてみました。
わたしはハッと気づき、自分に落ち度があったことを悟りました。もっと当を得た言い方をしなければならなかったのです。
お母様はそっと微笑みます。
「あなたが下手な事を言うから、やりたい放題になって持っていかれたのです」
「……はい。そのとおりです」
「ではこれからは、人に実を差し上げる場合、自分で摘果して渡してあげましょう。そうすれば今回のような言葉の齟齬は防げるはずです」
お母様は、わたしを正面から見て話を続けます。
「私たちとイセカ人には文化の違いがあります。生活形態の差異だってあるのです」
「はい」
「ですから今後は言葉選びにはよく気をつけるのですよ」
わたしはその教えをよくかみ締めました。そして取り乱したことを謝り、部屋をあとにしました。
廊下を歩きながら、ふと思ったことがあります。
あの女の子はきっと、果物の甘みに飢えている仲間を助けたかったのでしょう。
わたしにきょうだいはいません。いつも何でも一人じめにできます。びわの件だってそうです。あげると言っても、大勢で暮らす子とは、受け取る意味合いが違ってくるのは当然のことなのです。
わたしはぞうりを履き、庭に降りたあと、びわの木を撫でました。
まだ心の檻は残っています。けれども大事に育てた木の実をもちいて、ちょっとした奉仕ができたと思えば済むことです。
木は丸裸にされても実はまた育ちます。ですからこれっきりではないのです。そう思うと、わたしは微笑みを浮かべることができました。
お母様は言葉選びには気をつけるように言いましたが、イセカ人と関わってはいけないとは言いませんでした。
以前、地球には軍用兵器という人を殺傷する道具が豊富にあると聞いたことがあります。
この星で平和に暮らす人とはほとんど縁のない野蛮なものですが、裏ルートをたどれば入手できるはずです。
一度お母様にかけ合ってみましょう。木の恨みは晴らさないといけません。
奉仕といえど、道理に外れたことをすれば、悪因悪果というものがあるのをあの人たちに教える必要があります。
そんなことを目論んでいると、微笑んでいた顔が、だんだんと深い笑顔に変わっていくのがわかりました。
よってわたしは工場の寮があるほうを見ます。
たとえば迫撃砲なるものを使用すれば連中に仕返しはできるはずです。その際、砲弾は何発くらい必要なのでしょうか。
今回のことでイセカ人に味を占められてしまいました。果実がみのればまた大勢でやって来るでしょう。
わたしが大切にしている木。それを荒らされるのは確かに、これっきりではないのですから──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます