短編集

ろねっきー

第1話 わたしとスマホ

 

 高校に入学してようやく買ってもらったスマホ。

 しかし喜びも束の間、いたずら電話がかかってきたことにため息をつく。

「だからどうして私の名前を知ってるんですか?」

『奈美でしょ? 奈美。わたしよわたし』

 受話口から女性の声がうっとうしく響く。たぶん成人してる大人の声だ。

『やっと繋がってうれしい。ねえ今どこにいるの。すぐにあいたいの』

「あなたはいったい誰なんですか!」

 つい感情的になってしまい、荒くなった声が夜の閑静な住宅街に響く。

「いい加減にしてください」

『どうしてそんなに冷たくするの。あなたとわたしの仲ってそんなもんじゃないもん! ねえ奈美、聞いてるー?』

「確かにそれはわたしの名前ですけど、あなたのことなんて知らないんです」

『あはははは、またまた。とぼけちゃってえ』

 何度言ったらわかるのだろう。こんなやりとりにうんざりしていた。

 今日は欲しかったスマホを手にして幸せな日だと思っていたのに、ふいに降りた出来事のせいで、浮き上がっていた気分を台無しにされてしまう。

『奈美ー! 奈美ー! やっと見つけたわたしの奈美!』

「電話、切りますからね」

『いやあ! 切らないで。お願い助けて。わたしを見捨てないでぇ!』

 いったい何なのよもう。

 相手はそれまでの嬉々とした話しぶりから、急に悲痛めいた語調に変化した。

 まるで奈落の底にでも落ちるかのような反応。

 聞いているこっちは背筋がぞわっとして、胃袋が重くなる。

「ほんとに切りますから」

『いやあ! やめてぇー! 奈美は大切なの。あなたもわたしが大切なの。助けてくれないのはどうしてなのよ!』

「あのね……」

『こんな暗い場所に閉じ込めたのはあんたでしょ! 責任とってどうにかしなさいよ! 奈美!』

「さようなら」

 スマホを汚いもののように耳から離したあと、わたしは画面を強く押した。

 とてもじゃないが付き合いきれない。どう考えても気が狂ってる。

 ああいう変なのと会話をしていたら、こっちまでおかしくなってしまいそうだ。

 わたしの話し声が聞こえたらしく、通りかかった子連れの主婦がこっちをいぶかしく眺めていた。

 表示された画面を見る。薄気味悪さに耐えられなくなって、すぐに消した。

 心臓が荒っぽく胸を打っていた。口の中に毒が入ったみたいに思えてきて、たまった唾を吐きたくなった。

 夜道は静かに奥へと繋がっている。外灯に集まる虫たちのぶつかる音が、なんだか耳障りだ。

「あれ?」

 ふとここで、疑問が浮かぶ。

 なぜかといえば、このスマホは新調したばかりのもの。

 さっきお店で買って受けとり、まだ誰にも電話番号なんて、教えていなかったのだ。

 わたしの胸に奇妙な感覚が広がった。まさかお店の人があんなイタズラをするわけがない。

 電車の中で誰かに画面を覗かれた覚えもない。

 もしかすると、さっきの女性は適当に番号を打ってかけてきたのだろうか……。

 理由を長々と思い巡らしていると、気分の悪さが増してきて、午後に食べたものを内臓ごと出してしまいたくなった。

 女の声を聞いたこの耳を剥がしたくなり、握ろうとした手をあわてて下ろす。

 いけない。どうかしている……。

 わたしは胸の中でうごめいている黒い澱を押さえつけ、他の楽しいことを考えながら家路を歩いた。


 こんなふうになったのも、あの電話が原因のような気がしてならなかった。

 わたしはあの夜にかけてきた相手に、呪いをかけられてしまったのだろうか。

 と言うのも、最近のわたしはすっかり痩せこけ、学校に行くのが嫌になり、このままだと志望大学を諦めなければならないと、困った顔で家庭訪問に来た担任がこぼした。

 わたしの頭にはいつも、あの女性の声がこびりついて離れなくなっていた。

 何をしていても、どんな気分転換をしても、わたしに馴れ馴れしくしてきた気色の悪い声が、脳裏にリフレインされてしまう。

 もうお風呂は何ヶ月も入っていない。パジャマにはシミがたくさんつき、身体から漂う不潔な匂いなんてどうでもよかった。

 心配して家までやってきた友達なんて、全部縁を切った。

 親が廊下に置く食事がどれも、女の身体を刻んで作った肉料理に見えてくる。

 飲み水なんてすべて深紅の血液だ。

 家族はわたしを病院に連れて行こうとした。しかし医者どころか、外の人間みんながあの女であると思えて仕方がなかった。

 誰かがわたしを変えようとするなら、力づくで抗い、手近なものを必死になって投げつけてやる。外に出れば、またあの女が電話をかけてくる。



 もう何ヵ月経っただろう。

 時間の経過が麻痺しているが、わたしはまだ呼吸をしている。

 部屋から独り言が漏れるという理由で、親に雨戸を全部閉められてしまった。

 でもかえって暗いほうが心地よかった。闇色がこんなわたしを包むようにして守ってくれる。

 そしていつしかわたしは電話魔になった。

 手当たり次第にかけることで、この呪いを解けると信じて疑わなかった。

 親からスマホを取り上げられそうになった日は、ひたすら暴れることで守りとおした。

 

 ある夜、なんとなく聞き覚えのある少女の声に繋がった。

 この人ならわたしを助けてくれる。ようやくここから脱出できる。

 そんな確信に胸が躍りはじめた。

 脳内に強烈な光が広がり、その輝きの向こうから羽ばたく骸骨の天使が、こっちに祝福の抱擁を求めてきた。

 わたしは少女の名を呼び、必死になって訴えた。けれど相手にしてもらえず、あっさりと電話は切られてしまう。

 なぜ……。なぜ……。

 これまでにないほどの強い怒りが頭で爆発し、わたしは近場の物をめったやたらに叩き続けた。

 血がたくさん出て、指や両腕がおかしな方向に曲がってきても、わたしはまわりに集まってきた影どもに暴力で抵抗した。

「もうやめて!」

 誰かが叫んでわたしを止めに入る。知らないおばさん。でもどこかで覚えのあるおばさん。

 走ってきたおじさんの手にバットが握られていた。瞬間、わたしの視界は幾重もの線になって、身体をどこかにぶっつけた。

 朦朧とする意識のなか、画面を目に近づけてみる。

 表示された画面に薄気味悪さを感じ、おぼつかない指で消した。なんだか胸がぽかぽかと温かくなってくる。

 けれどそんな喜びも束の間、わたしの微笑ましい気持ちは、どこかへ飛ばされた。

 そしてわたしの命は、おもちゃのスマホといっしょになって消える。

  

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