第22話 入試問題(宗教と科学の違い)

第22話 入試問題


私は、電車の往き帰りの時間と昼休みを使って、大学入試の現代文の問題に取り組んだ。英語も、訳してしまえば現代文の問題になる。文章の論理を把握する能力を身につければ、両方の科目を解くことができる。一石二鳥だ。

 私は有名な予備校が発刊した、「現代文マスター(完成版)」という仰々しい名前の本を読んだ。その本は、最近のセンター試験や国立や私立の大学が実際に入試で出題した文章を掲載し、その回答を丁寧に解説していた。

その出題された文章を読んで、私は心底驚いた。腰が抜けそうなほどびっくりした。その参考書に掲載された文章は、そのほとんどがポストモダンの思想に色濃く影響を受けた文章だった。

ポストモダンの思想が現れたのは、1960年代からである。私も20才過ぎだった1990年時代前半は、彼らの文章をよく読んだ。しかし20代半ばになると、すっかりその手の本を読まなくなった。

理由は簡単だ。彼らの思想は、「否定」しかなかった。先人の哲学を非難するだけで、有効な新しい原理をひとつも生み出さなかった。

また彼らは、精神や社会の分析に数学の知見を持ち込んだ。人の心に数学の集合論に代表される論理操作を施し、そして人がアッと驚くような結論を得意満面に出した。まるで、答えの意外さを競っているみたいだった。

私はふだん文芸誌を読んだりしないので、こういうポストモダン的文章はもう死に絶えたと考えていた。今は、2018年だ。1960年代から50年も経っている。そんな古臭くて不完全な文章が、今も堂々と大学入試に出題されているとは。私は空いた口が塞がらなかった。

ポストモダンが現れた動機は、おおまかに三つある。まず、二度の悲惨な世界大戦を抑止し得る思想の模索。第二に、人類を救済する唯一の方法だったはずの共産主義が、ことごとく独裁的全体主義国家となったことの分析と克服。第三に、加速度的に貧富の差を拡大する資本主義に対する反省と大幅な刷新の必要性。この三つの悲劇に対する、根本的な疑義と代案の提出。

 ホストモダンは、理性主義、人間中心主義、合理主義に対して疑義を申し立てた。彼ら(主にヨーロッパの思想家)は、ギリシアの時代から20世紀まで、先人たちが築き上げてきた思想の全てを否定した。その原理の根本に疑問を投げかけた。ニーチェやハイデガーといった大哲学者の功績を後ろ盾として、彼らは「人が理性的に思索し、判断を下す」という当たり前の事実を疑った。

 その発想は、独善的な共産主義や国益を優先する資本主義に対抗するという点では理があったと思う。しかし彼らは、それを数学的知見(言語論的思考も含む)を使って、共産主義や資本主義を相対化するという手法を取った。相対化するとは、「違う見方もある」と主張するに過ぎない。そんな主張では、新たな対立を生むだけで問題を解く方法を生み出さない。

 共産主義は、完全な平等を求めた思想だった。競争社会を否定し、人間が人間らしく生きられる世界を作り出すはずだった。しかし、なぜことごとく失敗したのか?ポストモダニストの論者よ、その答えを提示しろ。

答えは簡単である。第一に、共産主義は平等を重んじるがために、人の自由を殺してしまった。彼らは自由主義経済の代わりに、計画経済を持ち込んだ。ある工場に「ボルトを1万本生産せよ」、ある農場に「小麦を一万トン生産せよ」と命じる。それは、国家の最高会議で決定され、全国の全ての産業に命じられる。そこには、「ボルトの生産を千本に減らして、手作りで高品質なボルトを作り、高価値な製品として高く販売する」とか、「小麦の生産量を減らして、その間にジャガイモを植えて混作させ、冬も土地を遊ばせずに二品目を生産する」とかいった個人の自由なアイデアは黙殺される。あくまでも、命令に従わなければならない。下手に逆らえば、刑務所に送られる。

 第二に、共産主義は宗教と変わらなくなってしまった。頂点に、教祖様のような書記長(国家首席など)が君臨し、彼が共産主義をもっとも理解しているとされた。そして彼を頂点に、理解度の順によって巨大な権力のピラミッドが作られた。上位のわずかな人々だけが、特権階級として裕福な生活をした。最下層の国民が食料に飢えているときも、彼らにだけはふんだんに食べ物が提供された。これでは中世の王と貴族の特権階級と、貧乏な国民という構図と変わりない。

 ポストモダニストは、こういう文章を書かない。その代わりに、共産主義を生み出した人間の理性を攻撃する。理性の判断を安直に信ずるから、共産主義のような悲劇が生じたのだと論ずる。対案として、彼らは無意識を強調する。数学的な論証方法を利用して、あなたの行動には理性の後ろに「無意識のある動機」が隠されているのだと、彼らは得意げに語る。

だが、無意識を持ち出したら、はっきりいって何とでも言えるのだ。ちょっと時間をくれれば、私なら100個くらい無意識の動機を考えて披露するよ。でも、そんなことをする自体馬鹿げている。だってそれが正しいのか、間違っているのか、検証の仕様がない。無意識なんだから。「お前の無意識は、実はこう考えているのだ」と言われても、確かめようがない。こんなの、バカである。


 まったく、こんな有害な文章を子供たちに読ませないでくれよ。そう私は思った。だが、これが現代の大学入試なのだ。試験問題が気に食わないと論争をふっかけても、大学に嫌われるだけである。付き合って、折り合っていくしかない。

おまけに入試問題の文章中に、「パラダイム」とか「間主観性」なんて言葉が平気で出てくる。こんな言葉の意味を正確に理解できる人なんて、大人でも少ないんじゃないの?それを、高校三年生に求めるか?

パラダイムは、アメリカの科学史家、トーマス・クーンが自説を展開する中で生み出した概念だ。間主観性は、ドイツの哲学者、エドムント・フッサールが人の意識を徹底的に突き詰めた後、自分の哲学に社会性を導入するために作った概念だ。どちらも私は知っているが、覚えたのは二十代前半だ。高校生のときはもちろん、大学生のときも知らなかった。

考えてみれば、今の大学のトップにいるのは全共闘世代か、空虚な七十年代に大学生だった連中だ。共産主義に幻滅するうちに、否定しかないポストモダン思想に目を眩まされてしまったのだろう。それを後生大事に2018年まで抱き続けて、今の子供たちに試験問題として出しているわけだ。知の退廃としかいいようがない。

まいったなあ。どうしたもんか?

 今、涼ちゃんと真理ちゃんがパラダイムとか間主観性とかが出てくる文章を読んだら、ちんぷんかんぷんでわかるわけがない。出題された文章の論理についていけず、作者の意図を取り違えるに決まっている。どうやったら、最短ルートでこういう問題を解けるようになれるか?


 見方を変えてみよう。ある文章を読む上で、その作者が置かれている時代や状況がわかることは決定的に重要である。例えば、ルソーの「人間不平等起源論」を現代の若者が読んだら、何を言っているのか全然わからないだろう。なぜなら我々は、自由と平等をある程度手に入れているからだ。だから、ルソーが熱心に自由と平等獲得のための理論を力説しても、ピンとこない。

そこで、想像力を働かせる。ルソーの文章は、フランス革命前夜に書かれたものだ。だから、圧倒的で絶対的な身分制社会による差別の下で、ルソーはそれを乗り越える新しい概念を作り出そうとしたのだ。自分が1750年代のパリに行き、ルソーと同じ空気を吸ってみる。それからあたりを見回し、自分ならどう考えるかと自身に問うてみる。これができるか、できないかで文章の理解度は絶大な差がつく。


私は、大学入試を受ける上で最低限押さえておきたい歴史上の出来事や、論理的思考について考えてみた。


(1) 深く理解しておきたい歴史上の出来事

古代ギリシア→ローマ帝国→中世キリスト教世界→ルネッサンス→自然科学、哲学の劇的進歩→フランス革命の成功と挫折→人々の自由と平等を求める戦い→共産主義と植民地政策→二度の世界対戦と冷戦(アメリカの超大国化)→ベトナム戦争→共産主義国家の破綻と冷戦の終結→民族主義の台頭→テロとの戦いと監視社会の誕生


これに日本史を加えるなら、明治維新と太平洋戦争がいい。いくぶん現代史に偏っているが、現代文の試験は、現代の社会問題を出すのである。そこはしっかり教えておかないと。それからこのリストは、明らかに欧米の歴史ばかりである。中国、インド、中東、アフリカ、そして南米大陸の歴史には、まったく触れていない。だが、時間は限られている。そして大学入試に、アメリカ・インディアンの文化が出題される可能性は極小だろう。試験問題が欧米的思考に偏っているのだ。


(2) 論理的思考の重要な概念

宗教と科学の違い

自由と平等、そして民主主義→国民主権、基本的人権の尊重

論理的思考→ギリシア哲学、数学→ルネッサンス→産業革命→カントとヘーゲル→啓蒙主義(無神論の台頭)→人文科学への自然科学の応用→マルクス主義の世界支配と挫折→ポストモダン(脱構築、構造主義、言語分析哲学)


 論理的思考を身につける上で、宗教との別れは必須である。

 宗教は物語を使って、人を苦しみから助け出す力を持っている。だが、違う信仰を持つ人には全く役に立たない。それに対して、科学や数字は宗教を超えて共通理解を形成する力を持っている。また、自由と平等という理念も宗教や人種を超えるという点では同じだ。

だが、宗教と論理的思考とを明確に分ける線を、正確に言える大人がどれだけいるだろうか?論理的思考を倫理と置き換えると、事態はさらにややしこくなる。高学歴の人が、平然と新興宗教に救いを求める。あの夏目漱石ですら、晩年は禅にのめり込んだ。

宗教は、人間の知恵の産物である。どんな社会でも、始まりは自身が編み出した土着の宗教を持っていた。信仰の対象は、太陽だったり月だったり、山だったり海だったりする。

大事なことは、沢山の人が信仰を通して自分の生を意味づけようとすることだ。無意味な人生に疑問を持つ人が、様々な宗教を利用して自分が生きている意味を解こうとする。その動機自体を否定することは正当ではないし、誤ったことだ。個々の人生に、そうせざるを得ない理由がある。誰にとっても、生きていくのは本当につらいことだから。

けれど、自分の信仰から他人を攻撃するならば、私たちはその発想を全力で潰さねばならない。それは他人の自由を侵害する行為だからだ。何を信じても構わない。だが、意見を異にする人の人権を侵害するな。ISなど、論外である。


さて私は、これらのことを涼ちゃんと真理ちゃんに教えなくてはと考えた。時間はほとんどない。自分が莫大な時間をかけて学んだことを、短時間で二人に伝えなくてはならない。そうしないと彼女たちは、入試問題に歯が立たないだろう。

私は土日の午前を論理的思考、午後を歴史に充てることにした。テーマごとにシンプルなスライドを二十枚程度作り、それをモニターで見ながら言葉で補足する。二人に、私の解説をノートに取らせ、それをマインドマップという言葉の図形のようなものに描かせる。

 そこで解説は終わりにし、二人に今度はA4一枚程度に感想や気が付いたこと、思ったことを文章にさせる。それを最後に発表させて、それに私が解説を加え、その文章を修正・加筆する。よし、これで行こう。朝は9時から12時、お昼ご飯と一時間の休憩を挟んで、午後は14時から17時まで。一日、六時間の勉強だ。なかなかハードだろう。

 私はまず、スライド作りから始めた。要するに、パワーポイントを使った紙芝居だ。だがこれは、使い方次第で人の記憶力や想像力を刺激する強力な武器となる。元AppleCEOの、スティーブ・ジョブズが典型的な例だ。彼は、最小限の図柄と言葉だけをスライドに描き、自身のカリスマ的なトークで観客たちのハートを鷲掴みにした。彼の真似を、私もさせてもらおう。もちろん彼には遠く及ばないが。

 私は11月から12月までの土日と祝日をエクセルで表にし、午前と午後に何を教えるか計画を立てた。テーマによっては、三時間で終わりそうもないものもある。表にしてみると、ますます残された時間の少ないことがわかった。私は作曲や小説作りを中断し、テーマごとのスライド作りに時間を費やすことにした。

 世の中で最も誤解されていることだが、スライドに言葉はほとんど要らない。スライドには、「これだ!」という決めセリフしか書かない。大量の文字がスライドに書かれていると、私が何を伝えたいのか相手にわからないからだ。だから、20文字くらい決めセリフとその言葉にあった箇条書き、図柄や表(グラフ)だけスライドに描き、あとは言葉で補足する。この補足する言葉も重要だ。しっかりと準備して、語るべきこと、その順序を練っておく。そうすることで、論理的思考とは、こういうことだと彼女たちに伝える。


 さて、記念すべき第一回の授業は、「宗教と科学の違い」だ。一発目から、重いテーマである。

「さて、俺流の授業を始めるよ」と私は朝食の後に、涼ちゃんと真理ちゃんに言った。元私の部屋から28インチのiMacをダイニングルームに運んで、テーブルの端に置いた。涼ちゃんと真理ちゃんは向かい合って座り、モニターに映し出されたスライドを見つめた。

「なあに?どんな話をするの?」と、涼ちゃんが私に質問した。私は二人に、プリントアウトしたこれから約二か月の予定表を渡した。

「うそー、こんなに勉強するの?」と涼ちゃんが言った。

「すごー、楽しみー!」と真理ちゃんが言った。彼女は相変わらず前向きである。

私は用意したスライドを、モニターに映した。タイトルは、もちろん「宗教と科学の違い」である。文字の下には、仙人みたいなボロ切れを身に纏った老人と、白衣を着て眼鏡をかけた中年男が並んでいる。私は二人に、講義の進め方を説明した。

「まず俺が、用意した資料に沿って説明していくから。俺が言ったことをノートにとってね。わからないところが出てきたら、いつでも質問して。わからないまま、流しちゃダメだよ。

講義が終わったら、ノートに書いたことをマインドマップという特殊な記録法に書き直してもらう」

「マインドマップって、何?」と涼ちゃんが聞いた。

「文章を、図形みたいに並べる勉強法だよ」

私はモニターに、完成したマインドマップの例を映した。マインドマップは、まず中心に短いキーワードを書き、その周辺に関連する言葉をどんどん書き込んで線で繋いでいく。無数の言葉が、自然とカテゴライズされ枝分かれして書きこまれることになる。出来上がったら色を塗り、漫画まで描き込む。これは、言葉だけでなく視覚も刺激して物事を記憶する手法だ。私は三十のときにこれを知ってすっかり気に入り、会社のシステムの操作マニュアルなどに使わせてもらった。

「すっご、綺麗」

「めちゃカラフル」

「マインドマップは、文字だけでなく色や絵も使うんだよ」

私は二人のために、24色の色鉛筆も用意した。私はそれを、向かい合った二人のちょうど真ん中に置いた。

「そして終わりに、この講義についての小論文を書いてもらう」

「ええ-っ!」

「小論文、ヤダ!」

「だめ!」と私は、キッパリ言った。「入試で出るのは小論文なんだから、そのトレーニングしなきゃ意味ないでしょ」

涼ちゃんと真理ちゃんは、渋々という表情を見せた。

「さて、始めよう」


「さて、今日は宗教と科学を分ける線を学んでもらう。そのために、宗教とは何か?科学とは何か?ということを、シンプルに知ってもらう」

 スライドを一枚進める。さっきの仙人と白衣の男の間に、大きな赤い「/(スラッシュ)」が引いてある。前のスライドと敢えて他はほぼ替えてない。だから余計、「/(スラッシュ)」が目立つ。スライドの上には「宗教と科学の違いを、はっきりと分ける線を考えてみよう」

「宗教と科学は、違ってて当たり前じゃないの?」と、涼ちゃんが言った。

「もちろん。それが二十一世紀を生きる俺たちの常識だ。でもね、俺たちは歴史も勉強しないといけない。宗教が人々にとって、とても重要だった時代のことを学ばないといけない。だから、宗教と科学、それぞれを根本から知っておく必要がある」

「なーる(なるほどという意味だろう)」と涼ちゃんは言った。

「すご、すご(すごいという意味だろう)」と真理ちゃんが言った。

「さて、まず宗教からだ」

 私はスライドを進めた。次は「宗教の種類」とだけテキストが左上に書かれ、仏教、キリスト教、イスラム教、・・・とページの真ん中に書く。周りに、お寺、キリスト教会、メッカの写真やイラストを並べてある。

「さて、この世界には山のような数の宗教がある。ここには、三大宗教だけ書いたけど、神道が入ってないし、ユダヤ教も入ってないし、ヒンズー教も入ってない。さらに、世界を探していけば、宗教はそれはそれはたくさんある。このことはわかるよね?」

 涼ちゃんと真理ちゃんは、モニターを覗き込むながら無言でうなずいた。

「俺が話したことを、どんどんメモしなきゃダメだよ。そうしないと、あとで

マインドマップや小論文が書けないからね」

 二人はビクッとして、急いでノートにいろいろメモを取り始めた。一呼吸おいてから私は、次のスライドに移った。

 次のスライドは、左上に「宗教は元は同じでも、細かい分派に分かれてしまう」とだけ書いてある。

 そしてスライドの真ん中に表を置き、

  仏教 大乗仏教、小乗仏教、数々の分派

  キリスト教 ユダヤ教、カトリック、プロテスタント、数々の異端

  イスラム教 スンニ派、シーア派、・・・

 と表の中に書いてある。

「例えば、日本の仏教をとっても、十三も分派がある。華厳宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、・・・といった感じ。涼ちゃんと真理ちゃんは、プロテスタントの学校に通ってるんだから、キリスト教系は大丈夫だよね?」

「いや、実はあんまりわかってない」と涼ちゃんが決まり悪そうに白状した。

「全然、わかんなーい」と真理ちゃんが元気に答えた。ここは、明るくしてる場面じゃないぞ。

「例えばキリスト教は、イエス・キリストが創始したユダヤ教の一分派だ。もしかるすると、彼はユダヤ教と別の宗教を作るつもりはなかったかもしれない。彼がやったのは、エルサレムの寺院に陣取った偉そうな僧侶たちの批判だったからね。そのラジカルさに目をつけられて、彼は処刑されてしまった。

 そうしたらその弟子たちが、死んだ彼を教祖として新しい宗教を作ってしまった。中東からヨーロッパまで、歩くか馬しか移動手段がない時代に、彼らは熱心に布教活動を行なった。その結果キリスト教は、一大宗教に成長した。

 313年に、ローマ帝国のコンスタンティノス1世がキリスト教を公認。392年にテオドシウス帝が、キリスト教を国教化した。かくしてキリスト教は、当時の地中海世界のトップに躍り出た。この辺の経緯は知ってた?」

「うーん、習ったような気がする・・・」

「でも、あんまり思えてない・・・」

 私は頭を抱えた。大学入試をパスするのは、想像以上のいばらの道である。

「俺がここで言いたいのは、世界の三大宗教でもこんだけ分派があるってこと。そして悲しいことに、同じ宗教なのに、この手の分派は大抵仲が悪い。イスラム教のシーア派とスンニ派の仲の悪さは有名だし、キリスト教だってカトリックとプロテスタントの間で約300年くらい戦争をした」

 私は次のスライドに移った。左上のテキストは「宗教は宗教同士、同じ宗教でも分派同士で喧嘩をし、殺し合いまでしてしまう」と書いた。

 スライドの真ん中には、

  ・宗教戦争

  ・テロリズム

 とだけ書き、その下の右にイスラム帝国と戦う中世の騎士の絵、左には自爆テロによって破壊された9.11テロ後のワールドトレードセンターの写真を載せた。

「テロリズムは、今更説明する必要はないよね?」

 二人は大きくうなずいた。二人とも無言だった。それなりに、あらためてショックを受けているのだろう。

「宗教の戦いは、実は宗教対立だけじゃない。それは、権力者の侵略欲や、貧富の差への抵抗や、犯人のナルシズム、ヒロイズムなんかが根っこにある。それを正当化するのに、宗教が使われているのが実態だ。

 だけど、2018年においてISに代表されるテロリズムは、とても大きな問題だ。どうしたら解決できるのか、考えることはとても重要なことだ」

「でも、ISはほとんど全滅したんだよね?」と真理ちゃんが質問した。

「確かに。全盛期のような勢いは失った。でもね、彼らの思想に共感する人々は、おそらく今も世界中にいるだろう。なぜ?なぜ、彼、彼女たちは、ISのような宗教に惹かれるのだろうか?その謎を解く必要がある」

「彼らの気持ちを分かるってこと?」と、涼ちゃんが言った。

「そう」

「ただの人殺しじゃん」

「もちろんそうだ。でもね、彼、彼女が殺人を、しかも無差別なテロを犯す気にまでなる理由を解き明かす必要がある。そしてそれは、難しいことじゃない」

「難しくないの?」と真理ちゃんが聞いた。

「そうだよ。そのためには、まず「宗教の存在理由」から考えてみよう」

 私はスライドを進めた。そこには「宗教の存在理由 A」とタイトルを置き、左上に「 宗教は、「物語」を世界を説明して人々の人生の謎を解き、幸福にさせる力がある」と書いた。真ん中に置いた絵は、長老が村人たちに説教をしているものにした。

「人生の謎って何?」と涼ちゃんがすぐ反応した。

「自分が生きている意味、存在理由、今の自分は正しいのか、正しくないのか?これからどうすればいいのか?あげたら、キリがないね」

「宗教は、それを教えてくれるってこと?」

「その通り。キリスト教は、ご存知の通りアダムとイブの話から始まる。彼らは禁断の実を食べて、楽園から追放されてしまった。それが、人がつらい人生を送る理由だとキリスト教は言う。

 また私たちは、神が遣わした使者「イエス・キリスト」を磔刑にして殺してしまった。キリスト教で強調されるのは、人は生まれたときから罪を背負っているということだ。原罪の観念だね。罪を背負って生きているから、さらに様々な苦しみに出逢う。そこから抜け出すために、イエス・キリストのもとに跪き贖罪の人生を送りなさい、ということになる」

「私たちは罪を背負ってるの?」と涼ちゃんが言った。

「私は、なんか分かる。私は女しか愛せないから。なぜかわからないけど・・・」と真理ちゃんは言った。そして彼女は、今にも泣き出しそうな顔をした。とても珍しいことだ。だが、私は怯まない。

「それだよ、それ。それが人生の苦しみなんだ。その謎を解き、人を苦しみから救うことが宗教の存在意義なんだ。例えば親鸞が興した浄土真宗は、人が求めなくとも仏様は救ってくださる。善人も、悪人もと言う。ただ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えなさい、とだけ教える。それだけで人は天国に行けると説いている。親鸞は、論理的に徹底的に突き詰めた結果、その教えを生み出したんだ」

「それだけでいいの?」と真理ちゃんは聞いた。

「親鸞は、ほんとうにそれだけでいいと言っている。俺は浄土真宗の信者じゃないけど、彼のことはとても好きだ。ねえ、救われた気分になるでしょ?」

 真理ちゃんは、何も言わずに笑顔を見せた。少し照れくさそうだった。

「今ここで俺が言いたいのは、宗教は人を救うためにあるってこと。それは、とても尊い考え方だ。宗教は、決して戦争するために存在してるんじゃない」

 二人が大きくうなずくのを見届けてから、私の次のスライドに進んだ。次は「宗教の存在理由 B 宗教は、戒律などの細かいルール設定を設けることで、人々に聖俗の秩序を教える」である。

「例えば、モーゼの戒律は知ってるよね?」

「ああ、あの長いやつでしょ」と真理ちゃんが答えた。

「そう、モーゼはあれはしてはいけない、これはしてはいけない。あれを食べてはいけないと、事細かくルールを作った。祭りの仕方や、捧げものまで決めてある。

 これはモーゼに限ったことじゃなくて、大抵の宗教はみんな細かい決まりがある。なんでこんな細かいかと言うと、信者たちに美しい聖なる世界と、汚れた忌むべき世界の両方を与えるためなんだ。それには、善悪判断も入る。そして必ず、労働は聖なる世界に含まれる。要は、一生懸命働けってことだ。

 でも信者側にすると、設定されたルールを守り懸命に働くことで心の安らぎを得られる。そのために、宗教ごとに聖俗の秩序が必要になる。ある食べ物、動物が汚れていているならば、それは絶対に触れたり、食べてはいけない。そのルールを守ることで、その人は自分が聖なる世界に含まれていることを実感できる。

 この世のありとあらゆる宗教が、この聖俗の秩序を設定する。ぶっちゃけで言うと、どんなルールでも構わないんだ。世界を聖なる世界と汚れた世界に分けて、信者たちに世界の秩序を教えることに意義がある。信者たちにすれば、人生や世界は理解可能なものになる。そうして不安から解放され、平穏な毎日を送ることができる」

「聖俗の秩序って、そんなに大事なの?そんな話初めて聞いたよ」と涼ちゃんが言った。

「それはね、俺みたいな説明の仕方をする人がいないからさ。でも、実際はみんな分かってる。

 例えば、みんなお墓詣りに行くよね?一年の節目節目で、自分の先祖のお墓に行く。お墓を洗い、お花を飾りお供え物をして線香に火を点けてお祈りをする。これを規則正しくすることで、自分は聖なる世界に入った気分になる。

 もしお墓参りをサボって、たまたま身内に不幸があったとする。すると、お墓詣りに行かなかったせいだ、ということになる。サボったせいで、汚れた世界に落ちてしまったのさ」

「そういえば、おじんちゃんにしょっちゅうお墓詣りに連れてかれた。私はめんどくさかったけど」と涼ちゃんが言った。

「うちは年一回くらいしか、行ってない」と真理ちゃんが言った。

「頻度はあんまり関係ない。宗教によって、ルールは違うしね。イスラム教は、一日五回メッカに向かってお祈りしなければならない。傍目から見ても大変だけど、それで本人が聖なる世界に近づき、汚れた世界から離れることができるのならいいじゃない?そう俺は思う。確かに彼、または彼女の宗教観は理解できない。でもね、それでその彼、または彼女が幸せになれるなら、俺は友人として大歓迎だよ」

 涼ちゃんと真理ちゃんは、モニターを睨みながらそれぞれに考え込んでいた。彼女たちの心に、今何が去来しているのかはわからない。

「さて、宗教の存在意義をつかんだ後で、その致命的欠陥に話を移そう」と私は言った。

「欠陥?」と真理ちゃんが声を上げた。

「そう。残念ながら、宗教には致命的欠陥が二つある」と私は言った。そしてスライドを次に進めた。テキストは「宗教の弱点 ① 宗教の違う人、または同じ宗教の分派と分かりあうことが出来ない」と書いた。そしてスライドの中心には、

 ・「物語」の違い

 ・「聖俗の秩序」の違い

と大きく言葉だけ記した。

「2018年において、キリスト教とイスラム教が妥協し合う余地はほとんどなくなってしまった。9.11テロは、決定的だった。そして、あれから20年近く経つ現在も、解決の糸口が見出せない。欧米諸国は自国内の急進的なイスラム教徒を、犯罪も犯していないのに刑務所にぶち込む。ISの支配地域には、最新の軍事兵器を使って奴らを皆殺しにしようとする。するとISの信者たちは、ヨーロッパのあちこちで大量殺人テロを起こして対抗する。これは負の連鎖としか言いようがない。いくらやっても、これは止まらない」

「テロリストが、この世からいなくなればいいんじゃないの?」と涼ちゃんが私に聞いた。

「もちろんその通り。この世から、テロリストがいなくなればいい。だがそのためにすべきことは、テロリストの彼らを、それからその予備軍を皆殺しにすることじゃない。なぜなら彼らの後を追う人々が、世界中からすぐ現れるからね。宗教は、この問題を解けない。自分の信じる教えに固執して、異なる考えを受け入れることが出来ないんだ。異物を受け入れたら、自分たちが築いてきた「物語」や「聖俗の秩序」を壊しかねない。だから出来ないんだ」

「だったら、どうすればいいの?」と真理ちゃんが聞いた。

「待って、待って。焦らないで。まず宗教の持つ弱点を、はっきりと把握しよう」と私は言った。そして、次のスライドをモニターに写した。

「宗教の弱点 ② 宗教は必ず、教祖を頂点とした権力のピラミッドを作ってしまう」テキストにそう書き、スライドの中心にピラミッドの図柄を置いた。

「どの宗教にも、最高指導者というのが必ずいて、その人の意見は絶対になってしまう。それから必ずNo2、No3、・・・と権力の順序が作られる。すると信者たちは、上へ這い上がるために激しい権力闘争を始める。自分が信ずる「聖俗の秩序」なんか無視して、嘘をついて人を騙し、別の人を脅迫までして上に行こうとする。しまいにゃ、暗殺だってする。なぜなら、宗教のトップに近づくと必ず贅沢な生活がついてくるからね。宗教が巨大化すると、人の苦しみを除去するという目的が薄まり、一部の特権階級だけが得をする身分制社会とあまり変わらなくなる」

「なんで、そうなっちゃうの?」と真理ちゃんが言った

「残念ながら、これは必然的な結果なんだ」と私は言った。

「なんで、なんで?」と、今度は涼ちゃんが言った。

「教祖様になると、誰からも批判されなくなる。だから、自分が絶対正しいんだと思えてくる。そうすると、人は妥協するという発想を失ってしまう。謙虚であることを忘れてしまう。公然と贅沢をするようになり、考え方も独善的になる。キリスト教なら他の宗教、例えばイスラム教やキリスト教の異端派は殺してしまって構わないと考えるようになる。

それで実際、中世のローマ教皇はエルサレムをイスラム教から奪還するために、何度も十字軍を招集した。そして、エルサレムに攻め込んで何十年も戦争をやった」

「批判されないから、そうなるの?」と真理ちゃんが聞いた。

「うん、誰にも反論されないから、自分が絶対正しいと思って譲れなくなっちゃうからかな。No2、 No3は、よほどのことがない限り反対しない。自分の出世を、ふいにしかねないからね。

現代においても、欧米の先進国家は「テロとの戦い」と言って、自分の考えを譲らない。ISの代表と会って話そう、なんて考える政治家は一人もいない。

 でもね、彼らがISの支配地域にミサイルを打ち込んで殺したのは、宗教的良心から行動した若者たちなんだ。確かに、彼らの考えは間違っている。他人の自由を侵害して、自分の信条を押し付けているからね。でも間違っているなら、そして犯罪を犯したのなら彼らを裁判にかけるべきだ。罪に応じて、相当な刑に処するべきだ。だが、欧米諸国はそう考えなかった。裁判無しに、彼らを皆殺しにする手を選んだ」

「アメリカも、宗教と変わりないのかな?」と涼ちゃんが言った。

「うん、そうだね。でも、アメリカの話は別の機会にじっくり話そう」と私は言った。「さて、宗教の弱点はわかった。では、テロリストたちに戻ろう。まず、彼らの正体を見破ろう。車や爆弾を使って無差別テロを起こす人たちは、ほぼ間違いなく人生の悩みを抱えている」

「悩みって何?」と真理ちゃんが言った。

「ごくありふれたことだよ。自分の見かけにコンプレックスを持ってたり、内向的で周囲と上手くコミュニケーションが取れなかったり、仕事に就けなくてひどく貧しい生活をしてたり、いろいろだ。それに移民という差別が加わると、その悩みは解決不可能な苦しみに変わる。そんな人生の苦しみから脱出したくて、彼らは宗教にすがる。それがIS だったり、アルカイダ系だったりすると、彼らは戦うことを求められる。IS やアルカイダ系のような急進的イスラム教に心を救われた人々は、教えに従って武器を取るようになる。イスラム教は、ジハードと言って戦うことを教義で認めているからね」

「テロリストは、本当は弱い人たちだってこと?」と涼ちゃんが言った。

「そうだよ。それからもう一つ。問題は、自己犠牲にある」

「自己犠牲?」と真理ちゃんが言った。

「IS やアルカイダは、信者に自己犠牲を求める。『殺された仲間のために、お前も戦え。信仰を同じくする人たちのために、お前が犠牲となって戦え。何もしないのは卑怯だ』と。IS やアルカイダは、そう信者たちに迫る。そんな呼びかけに納得のいった人々が、世界各地で自爆テロをするのさ」

「ねえ、彼らにテロをやめさせる方法はないの?」と涼ちゃんが聞いた。

「いや実は、それは簡単にできることなんだ」

「簡単?!どうするの、いったい?」と真理ちゃんが聞いた。

「つまりね、宗教ではなく、我々が持つもう一つの強力な原理を使うんだ」

「それ何?」と涼ちゃんが言った。

「自由と平等だよ。世界史において、フランス革命が生み出した金字塔だ。今もこれを上回る発想はない」

「自由と平等はわかるけど、それとテロリストがどうつながるの?」と真理ちゃんが聞いた。

「人は法の下に平等であり、自由に自分の人生を選択できる。これが大原則だ。しかし、今のフランス社会がそれを実現できているだろうか?フランスは景気の悪くなった1990年代から、国民戦線という移民排斥を主張する極右政党が躍進するようになった。2000年以降の大統領選挙では、二度に渡り最終投票にまで残ったほどだ。この事実は、フランス国内の移民に対する考え方がいかに厳しいかを現している。

フランス社会を詳しく調べると、実際は実に様々な考え方が乱立していることがわかる。片方に極右の移民差別の思想があり、対極に移民保護を訴える人々も沢山いる。フランスで暮らすイスラム教徒も大多数は穏健派であり、彼らはテロを起こす急進派を心から嫌っている。とても、複雑なんだ」

「そうなんだあ・・・」と、涼ちゃんがため息でもつくように言った。

「でも、拓ちゃん。解決は簡単なんでしょ?」と真理ちゃんが言った。

「もちろんだよ。この世に、解決できない問題はないんだ。ここで、原点に戻る必要がある。人は法の下に平等で自由だと。移民であってもフランス人と同じ教育機会を得て、それぞれの分野で秀でた者を評価するべきだ。勉強ができる者は、さらに高等教育の機会を開き、運動に優れた者はフランス人と同じフィールドに立たせるべきだ。みんな平等だということだ。金がないなら、奨学金を出せばいい。とにかく、機会を均等に与えることだ。それで勉強しないなら、本人の責任だ。それでいい。

 教育の機会を得ることで、差別された人々に明日へのきっかけが生まれる。未来を選択しようとする意思が生まれる。様々な仕事に就き、収入を得る。自分の家庭を持ち、さらに未来を考えられる。これは、人が自分の人生を自由に選択できるという、当たり前の話だ。人は、自分が自由で平等だと感じられた時、テロリズムを選択しない。目の前の、勉強や仕事に集中する。そして何より、生きていこうと考える。自爆テロをして、人生を終わりにしようとは考えなくなる」

「そんなに、上手くいくの?」と真理ちゃんが聞いた。

「もちろん困難な道だよ。実際フランスの失業率は、イギリスやドイツと比べて飛び抜けて高い。その原因について、いろんな意見がある。だが私は、単にフランス経済が国際競争力を失っただけだと思う」

「他の国に、負けてるってこと?」と涼ちゃんが聞いた。

「そうだね。安くて質もそこそこの商品や労働力が、ユーロ圏内からフランスへ流れ込む。ユーロ圏は、基本的に自由貿易だからね。でもそれは、フランス自身が望んで築き上げた仕組みだ。商品競争力がなければ負ける。当然の結果だ。経済が低迷し失業率が上がるにつれ、フランス人は移民が安い賃金で職を得て自分の雇用機会を奪っていると言い出した。その象徴的存在が、極右の国民戦線という政党だ。こういう考え方は、今のトランプのアメリカも同じだけどとてもありがちで、短絡的な発想だ」

「フランスが、間違ってるの?」と涼ちゃんが言った。

「フランスが、自分の失敗を移民のせいにしてるの?」と真理ちゃんが言った。

「その通り。フランスは他国に比べて圧倒的に悲惨なテロ事件が多い。なぜなのか?それは宗教の違いではない。絶対にない。フランスが、自国内の多くの人を絶望させたからだ。ただ、それだけのことだ」

「だから、テロリストの卵みたいなやつにも、自由と平等を与えなきゃいけないのね」と涼ちゃんが言った。

「そう。大正解だよ」と、私は涼ちゃんに言った。彼女は、得意そうな笑顔を見せた。

「そして大事なことは、フランス人は国内で経済的低迷の犯人探しをするのをやめて、本気で努力することだ。世界市場で勝てる産業を育てることだ。経済が好転し失業率が下がると、みんな手のひらを返したように極右勢力からそっぽを向く。そんなもんなんだよ。みんな日々の生活にまずまず満足し、さらに良くなる兆候が未来に見えれば、移民を攻撃することなどサラッと忘れる。これは、世界中の国々がそれぞれ経験していることなんだよ」

「熱いよ、拓ちゃん。熱い!」と、涼ちゃんが目をキラキラさせながら言った。

「俺は、こんなもんだよ。これが俺の地なんだよ」

「すごいよくわかった・・・」と真理ちゃんが言った。

「宗教の話の終わりにはあまり相応しくないんだけど、イスラム原理主義のテロとは、実は宗教の問題じゃないんだよ。社会が個々人を絶望から救うこと、それが必要なことなんだよ」


「今度は、科学について考えてみよう」私は、二人がメモを書き留めるのを見届けてから、次の大きな問題へ移った。

私は次のスライドを開いた。そこには、「科学は物語を使わず、抽象概念だけを使う」とだけ書いた。中央の図柄は、大昔のギリシア人が三人並び、議論している絵である。その下に。「原理、無限、完全、一、多、同一、など。そして数式を使う」と補足が書かれている。

「歴史上記録に残っている中で、最初に世界の原理を考えたのはギリシア人のタレスだと言われいる。彼は『万物の原理は水である』という説を唱えた。しかし、その弟子アナクシマンドロスは『万物の原理は、無限なるものである』と異説を唱えた。そしてさらに、そのまた弟子のアナクシメネスが『気息(空気)こそ万物の原理だ』と言った。この万物の原理論争は後に、デモクリトスが元素(アトム)の説を打ち出して、現代の常識と同じところまで進んでいる」

「大昔から、元素が物質の元だと分かってたの?」と真理ちゃんが聞いた。

「もちろんデモクリトスは、現代ある様々な観測機器を持ってなかった。彼は、頭の中で抽象概念だけを使って、万物の原理が元素だとたどり着いたのさ。これは、すごいことだ」

「ほんとだ。すごい・・・」

 私は次のスライドを二人に見せた。そこには、「科学は自然現象を観察し、抽象概念を用いて「仮説」を立て、実験を繰り返してその正しさを確かめる」と書いてある。真ん中の絵は、ビーカーを握った白衣の男や、望遠鏡で星空を観測するルネッサンス期の科学者にした。

「もっと、決定的に重要なことがある。それは彼らが宗教のような「物語」を使わなかったことだ。自然を観察し、抽象概念を用いて理論を構築し、実験を何度も何度も行ってその理論の正否を確かめる。これが、科学のやり方だ。まず、それが一つ目」

「まだ、あるの?」と涼ちゃんが聞いた。

「うん、もう一個とても重要なことがある。さっき話したタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスの流れは、さっき宗教で説明した権力のピラミッドが全くなかったことを示している。師匠の説を弟子が否定するんだからね。科学の世界において、どんな説を唱えても構わない。ただその正しさは、同じ分野の科学者たちをたくさん納得させられるかにかかっている。そこには、教祖様の説だから正しいという発想は一切ない」

「そうなんだ・・・。考えたことなかった」と涼ちゃんが言った。

 私はチラッと横目で時計を見た。げっ。もう10時すぎてるじゃないか。このペースじゃ、マインドマップ、小論文まで午前中にたどり着かないぞ。しかし、二人が私の話に入り込んでいるのは、ヒシヒシと感じた。はしょって進めるわけにはいかない。今日はこの話だけで終わりかな。計画の立て直しだ。午後は、古代ギリシアの歴史を解説するつもりだったが、明日に回そう。私は次のスライドへ進んだ。

「科学的思考の一例 天動説と地動説、ニュートン」とタイトルが書かれ、中央部に表がある。その中には、

 天動説と地動説 16世紀まで、人は天動説を信じていた。しかし、若い科学 者たちが観測結果を集め、それを検証して仮説を立て地動説を生み出した。

 ニュートン ニュートンはリンゴから木から落ちるのを見て、「重力」と

いう抽象概念を用い「重力を持つものは引き合う」という重力方程式を作り出した。

と書いてある。

「天動説と地動説という言葉は、意味がわかるかな?」

「地球の周りを太陽や星が回っているのか、それともその逆かって話でしょ?」と涼ちゃんが言った。

「その通り。ルネッサンスで科学が劇的に進歩するまで、人々は天動説を信じて疑わなかった。でも、望遠鏡の性能がどんどん進歩していくと、天動説ではつじつまの合わない観測結果が次々に出てきた。そこで当時の天文学者たちは考えた。PCどころか電卓もない時代に、莫大な量の計算を何度も繰り返した。そしてついに結論にたどり着いた。地動説が正しいとすれば観測結果を矛盾なく説明できると」

「それで世の中は、天動説から地動説に変わったの?」と真理ちゃんが質問した。

「それが、簡単には上手く行かなかった」

「なあに?何があったの?」と今度は涼ちゃんが聞いた。

「キリスト教会が、地動説を認めなかったんだよ。天動説は紀元前の時代からあって、紀元二世紀にエジプトの科学者プトレマイオスが最終的にまとめたと言われている。キリスト教会は、この天動説を公認の科学理論にしていたんだ」

「なんで教会が、科学に口出すの?教会の人が、天文学者の計算なんか理解できるわけないじゃん」と涼ちゃんが、少し怒った様子で言った。

「それはそうなんだよ。でもね、宗教は物語を使って世界を説明する。人の苦しみから救うためには、何でも知ってなきゃいけない。そして天動説は、空の上に神様がいるというイメージとマッチする。だから、地動説は困るんだよ。不快という感じかな。

ガリレオ・ガリレイという人の名は知ってると思うけど、彼は地動説を唱えて譲らなかったために宗教裁判にかけられてしまった。そして晩年は軟禁されて生涯を閉じた」

「ひっどい!」と涼ちゃんが言った。

「可哀想・・・」と真理ちゃんがため息をついた。

「でもね、科学は宗教に負けなかったんだよ。地動説を唱える人は他にも沢山いたけど、みんな教会に気を使ってうかつに自説を公表しなかった。そこへ、意外なところからヒーローが現れた」

「ねえ、誰!?」と真理ちゃんが聞いた。

「それが、ニュートン」と私は答えた。

「リンゴの人!」と涼ちゃんが叫んだ。

「いや、彼がはリンゴから木から落ちるのを見て「万有重力」を思いついたというのは、後年の人の作り話のようなんだけどね」

「そうなの?」

「そうらしい。彼は大学の友人たちと議論しながら、新しい重力の着想を育てていったようだ。そして25歳のときに、世界をひっくり返す万有引力とそれを説明するための微分積分学を作ってしまった。この成果によって、以前の地動説を主張した人々の業績が科学的に証明された」

「すごい。たった25歳だったの?」と真理ちゃんが聞いた。

「そうだよ。科学で革命的な業績を残す人は、若い時のことが多い。アインシュタインも、30歳までで一般相対性理論を完成させた。

 でもね、今俺が話したいのは、限られた特別な才能を持った人の話じゃない。科学とは、「物語」というでっち上げ話で世界を説明するんじゃない。抽象概念を使って、計算も使って誰にでもわかる形で世界を説明するんだ。このことは、ものすごく大きい。なぜなら、さっき宗教の弱点として最初にあげた物語の違う人と分かり合えない、という問題をクリアすることができるんだ。ある人はキリスト教、別の人はイスラム教だったとしよう。でも、一緒にニュートンの万有引力を勉強すれば、疑いの余地なく同じ結論に達することができる。科学は宗教を超える共通理解を生み出す力を持っているんだ」

「拓ちゃんが、すごい大事なことを言ってるのがわかる」と涼ちゃんが言った。「私、勉強をこんな風に考えたことなかった」

「それは仕方ないよ。まだ若いんだから。こんな偉そうに話してるけど、俺もこういうことがわかったのは、大学卒業してからなんだ」と私は言った。

「ええっ!?入試の時はわかってなかったの?」と真理ちゃんは聞いた。

「全然。高校三年生の時の俺は、全然ダメだったよ。大学の時も、難しい本はたくさん読んだけど、さっぱり理解できなかった。分かるようになったのは、二十代だね」

「じゃあ、私たちも分からなくて大丈夫?」と真理ちゃんが言った。

「そうはいかない。ついこの間大学入試の参考書を買ったら、ここまで話したようなことがゴロゴロ出題されてる。だから、一番大事な根っこを今説明しているんだよ」

「ギーッ、ついていけなーい」と涼ちゃんが白旗をあげた。

「でもね、今までの話は理解できたでしょ?」

 涼ちゃんと真理ちゃんは、顔を見合わせた。そして私の方を向き、しっかりうなずいた。

「OK。では、話を続けよう」

 私は次のスライドを二人に見せた。タイトルは「科学の重要な特徴 A」。スライド内のテキストは、「科学はいつでもこれまでの通説を否定し、新しい実験結果から新しい理論を作り出すことができる」と書いた。スライドの中心には、


 ・ニュートンの万有引力と、アインシュタインの相対性理論


と書き、その左下に太陽系の星が連なる絵を載せた。右下には、網の目が描かれた平面の上に重いものが載って、その平面をトランポリンのように真下へ落ちくぼませている絵を載せた。そして、太陽系の絵からトランポリンのへ向く太い矢印を入れた。

「さて、科学の重要な特徴の話を続けよう。さっき話したタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスの学説の受け継がれ方でも説明したけど、科学はいつでも誰でも、従来の説を打ち破る新しい理論を出すことができるんだ。

ここにあげた、ニュートンとアインシュタインがいい例。ニュートンは、太陽と地球やその他の星は、重力で引っ張り合ってると考えた。それに対して、アインシュタインは重力は空間を歪めてしまうと考えた。この絵のように、太陽のような重い星は空間を歪めて大きな穴ぼこを作ってしまう。もしも地球が軽かったら、やがてこの太陽が作った穴ぼこに落ちてしまう。でもそうならないのは、地球自身も相当の重さがあるからなんだ。太陽ほどではないけれど、地球も周りの空間を歪めてそこに落ちくぼんでいるんだよ。だから、太陽に引っ張りだされたりしない。

涼ちゃんと真理ちゃんは、目を白黒させた。私の話についてきていないのは間違いない。

「今の話は、まだ分からなくて大丈夫だよ。大学入試の現代文で、ここまで出題する学校はないから。その代わり、これだけはしっかり覚えておいて。「科学はいつでも、ゼロから理論を作り直すことができる」と」

「ねえ、ニュートンは間違ってたの?アインシュタインが新しい理論を作るまで、誰も気がつかなかったの?」と真理ちゃんが質問した。

「とてもいい質問だよ。真理ちゃん、冴えてるね」

真理ちゃんは、照れくさそうな笑顔を見せた。

「真理ちゃんの質問に対する答えは、次のスライドを見ながら話そう」

私はスライドを次へ進めた。そこには、まずタイトル左上に「科学の重要な特徴 B」とあり、左上に「科学は人が使用するために、便宜的に考えることができる」と書いた。

真ん中の例は、

1.天動説は、16世紀まで信じられても誰も困らなかった。

2.電気のプラスとマイナスは、電位差の高低によって決まるものである。プラスとマイナスが実体としてあるわけではない。

とした。

「では、真理ちゃんの質問に答えよう。ニュートンが間違ってたということはない。私たちが日常生活を過ごしたり、夜空を見上げて太陽系の星を見るくらいならニュートンの考え方で事足りる。ある物理学者も、同じことを言っている。人生で相対性理論が必要になることは、ほとんどないと。

ところが、物体の運動を光速に近づけていくと、ニュートンの理論では太刀打ちできない現象が次々に見つかった。光速まで考えると、新しい理論が必要になったわけ。その期待に応えたのが、アインシュタインだった」

「つまり、光速みたいな特別な条件まで考えたときに、アインシュタインが必要になるってこと?光速まで行かなければ、今もニュートンでいいってこと?」と涼ちゃんが言った。

「100点!パーフェクトだよ」と私は答えた。涼ちゃんは、私の答えに少し恥ずかしそうに笑った。

「光速だったり、宇宙全体まで考えを進めると、相対性理論が必要になる。相対性理論でないと、ブラックホールなんて説明できない。でもね、実は現在の私たちは、相対性理論を頻繁に使ってるんだよ」

「ええっ、どこで?!」と涼ちゃんと真理ちゃんが同時に叫んだ。

「ナビだよ」と私は答えた。「カーナビやiPhoneについてるマップは、複数の人工衛星を掴まえて、自分の現在位置を教えてくれる。でも人工衛星は地球の回りを光速の数分の一のスピードで飛んでるから、相対性理論から導かれる空間の歪みに伴う時間の遅れが少し発生する。これを相対性理論を使って計算に入れておかないと、正しい現在位置が出せないんだ。さっき日常生活はニュートンで事足りると言ったけど、それは二十世紀までの話かもね」

また二人は目を白黒させた。無理もないだろう。私は話をもとに戻した。

「さて私たちは、自分の必要によって科学理論を使い分けてるってことだ。これはね、このスライドで俺が二人に説明しておきたいことなんだけど、人は自分の便利なように科学を考えるってことなんだ」

「便利って、どういう意味?」と涼ちゃんが言った。

「拓ちゃん、わかんないー」と真理ちゃんが、少し甘えた口調で言った。

「まず天動説に戻ろう。これは、2世紀にプトレマイオスが完成させたことは説明したよね。当時の人々の暮らしを、想像してみよう。農民は作物を作るために太陽の動きや、先の天候を予想する手掛かりを近隣の惑星に求めただろう。漁師は、月や星の動きは自分が遠洋まで漁に得る上で不可欠な知識だっただろう。それは、遠方の国へ商売に行く人々も同じだ。つまり、太陽や星の動きを理解することは、たくさんの人から求められていたんだよ。

 そこで、この謎を解かねばという欲求が生まれる。その人たちに役に立ちたい、謎を解いて賞賛を得たいという気持ちが芽生える。だから天動説は、今から考えるとでっち上げもいいところの、屁理屈をこね回した理論になっている。でも、みんなそれで困らなかったんだよ。だからいいじゃないか、ということになる。そして実際、1000年以上生き残った。

 科学はね、これを知りたいという大多数の声に押されて進んでいく。瑣末な例をあげれば、太平洋の深海2,000mにある火山から吹き出る100度近い水温の中だけで生きている細菌がいる。なぜ、そんな過酷な条件で生きているのか不思議になる。でも、そんな生物に興味を持つ人はまずいない。むしろ、目下の別の問題を解いて欲しいと科学者たちに願う。科学者は、それを意気に感じて人々が求めている謎を解くのさ。そうして、科学の歴史は進んでいく」

「需要があって、それに答えるのが科学者ってこと?」と涼ちゃんが言った。

「いいねえ。シンプルにして完璧な答えだよ」と私は言った。

「私はついていけてない。需要があるって、どういうこと?」と真理ちゃんが質問した。

「よっしゃ。質問は大歓迎だよ。わからなくなったら、いつでも言うんだよ。需要と言うのは、大昔の農業や漁業や、航海をして商売をする人たちの要望だ。彼らにとって、太陽や星の動きはどうしても知りたいことだった。気候の変動や、自分の現在地を知るなど、自分の仕事に役立つからね。で、天動説で説明がつくと、もう誰も質問をしなくなった。疑問は晴れたからね。

 地動説が出てくるのは、観測技術が発達したことが大きい。よく観察してみたら、天動説と矛盾する事実がどんどん見つかった。ここでまた、この謎を解いてくれという欲求が人々から生まれる。科学者たちはその疑問に答えたいと、死ぬほど頑張った。ケプラーという人なんか、とんでもない量の計算を全部手書きで、しかも同じ計算を何十回も繰り返したそうだ。彼のような人を突き動かす力は、まず自分が知りたいというのもあるけれど、人々もその答えを知りたい、それを解き明かすことで自分も賞賛を得たい、という欲求が働いていたと思う」

「みんなが知りたいと思ってたことに、応えたってこと?」と真理ちゃんが言った。

「そうです。その通り。また別の日に説明するけど、十六世紀のヨーロッパはルネッサンスの嵐に飲み込まれてた。芸術、哲学も影響を受けたけど、科学の分野での技術革新は凄まじいスピードだった。早く結論を出して公表しないと、ライバルに先を越されてしまうという雰囲気だった」

「何でルネッサンスまでの人たちは、同じことをしなかったの?」と真理ちゃんがまた質問した。

「いいところに気がついたね。俺はさっき、「宗教は必ず、教祖を頂点とした権力のピラミッドを作ってしまう」と説明したよね。ルネッサンス以前の人は、キリスト教の巨大なピラミッドの教えに満足していたんだ。彼らの説明で、納得がいったんだ。だから、わざわざ実験結果を集めて、そこから新しい理論を作ろうという欲求も人々の支援もなかったんだと思う。つまり、涼ちゃんのセリフを借りれば、需要がなかったということさ。

もちろん、キリスト教内部の動揺も始まっていた。ルターが「95ヶ条の論題」を発表したのが、1517年。それから宗教改革が始まるんだけど、逆から言えばそれまで大多数の人は満足してたってことさ」

「必要がないと、科学は進歩しないのね」と涼ちゃんが言った。

「うん、それが科学者を動かすパワーだからね。もちろん目立たない、あまり人が興味を示さない研究を続ける科学者もいる。でも、各分野でメインストリートの問題もある。地動説なんか良い例だ。みんな教会の処罰が怖かったけど、目の前の問題を解きたくてたまらない気持ちになる。そこで、次の科学の特徴に話を進めよう」と私は言った。


2.電気のプラスとマイナスは、電位差の高低によって決まるものである。プラスとマイナスが実体としてあるわけではない。


私は上記のスライドに書かれた文章を指差しながら、話を続けた。

「さて俺は、人は自分の便利なように科学を考えると言った。それは、電気という現象の解明の歴史にもよく現れている。

静電気は、紀元前から知られていたけど、ルネッサンス以降の科学者たちは次々に電気の正体を明らかにしていった。ある国のある人が電気の新発見をすると、すぐに別の国の別の人がさらに突っ込んだ発見をするって感じ。もう競争だった。

そしてね、ついに電流にたどり着いた。電位の高いところから低いところへ電流が流れる。そこまでは、電気専門の科学者全員が納得した。

これは例えば、川が山から流れ出て平地まで下り、やがて海に注ぐようなものだ。とても自然だ。だが、科学者たちはさらに進んだ。上流をプラス、下流をマイナスと二つに分けて考えよう、と。なんでそんなことするかと言えば、ただ一言「便利」だからだよ」

「便利?何で」と涼ちゃんが言った。

「今、川の例えをしたよね。上流と下流があるのはわかる。でも、その境目がどこかは、誰にも言えないでしょ。ある川の川岸に行って、『ここからが、下流だ』なんていうやつはいない。でも、電気を研究した科学者は、もっと先に進みたかったんだよ。電位差の高低をプラスとマイナスと二つに単純化すれば、さらに先に進んで行けると考えたんだよ。かくして、プラスとマイナスという概念は当たり前になった。科学者たちは、この二つの概念を前提として自分の新しい原理へ応用していった。そして俺たちの生活は、電気無しに有り得なくなっている。誰だって、プラスとマイナスの違いは知っている。でもそれが、川の上流と下流を『えいやっ』で分けたものだとは知らない」

「プラスとマイナスって、ほんとはないんだね」と真理ちゃんが言った。

「プラスとマイナスは、実体としてあると俺たちは考えている。でも、電気を真面目に勉強したら、それは差でしかないことがわかる。そして、それを『えいやっ』でプラスとマイナスって割り切ってしまうことの便利さもわかるよ」

「拓ちゃん、難しすぎる。面白いけど、強烈に難しいよ」と、涼ちゃんが言った。

「難しいでしょ?でもね、これを理解することで、他の高校三年生より先に行って欲しいんだよ、俺は。

 天動説と地動説、ニュートンとアインシュタイン、プラスとマイナス。一日でこれだけ聞いたら疲れちゃうと思うんだけど、今日のように考えを進めていけば、どれも誰だって理解できるものなんだ。そして今日の話は原理的な考え方だから、別の分野でも応用可能だ。そのことに、気がついて欲しいな」

「別の分野って何?」と涼ちゃんが聞いた。

「すぐに思い浮かぶのは、遺伝子工学だね。DNAだよ。DNAの配列理論が発見されたのが、1950年代。今は人の遺伝子の中身、塩基配列を解析して病気の治療に利用しようとしている。ここで想像力を働かせてね。俺は、人は科学を自分の便利なように考えるって言った。でもさっきのプラスとマイナスの例のように、ここには割り切りの考え方が働いている。人の造りはATGCの塩基の配列で決まるってね。でも本当にそうなのか?人はそんなに簡単なのか?それ以外の要素はないのか?時間をかけて研究する必要がある。

 遺伝子について話し出したら、また長くなっちゃうんでやめるよ。でも、人は科学を自分の便利なように考えるってことだけは覚えておいてね」

「ふーん」と涼ちゃんがうなった。真理ちゃんは、黙ったまま考え込んでいた。

「ここまでで、わからなかったことはないかな?」と私は二人に聞いた。

「わからないことはないんだけど、常識からぶっ飛んでてびっくり」と涼ちゃんが言った。気がつくと、涼ちゃんのノートはメモで真っ黒になっていた。

「宗教にしろ科学にしろ、一般常識の方が考え詰めてないんだよ。でもそれは、ある程度仕方ない。みんな、子供も大人も毎日の生活で大忙しだからね。

 でも、一生のうち一度だけ、宗教や科学について真剣に考えてみることは重要だ。それからの毎日に大きな影響を与えるからね」

「拓ちゃんが言うようなことは、学校の授業じゃ絶対習わないよ。何で?」

「まず学校の先生はさ、文科省の作ったカリキュラムをこなさないといけないから。そこに、俺みたいな持論を入れるのは許されないから。先生たちも、ロボットみたいなもんなんだよ。

 でもね、涼ちゃんと真理ちゃんと同じ高校三年生でも、今日俺が話したことに気がついてるやつはゴロゴロいる。賭けてもいいよ」

「本当に!?」

「そうなの!?」涼ちゃんと真理ちゃんは、立て続けに驚きの声をあげた。

「間違いなくいる。恐ろしく小生意気な奴が、今日俺が話したようなことをすでに頭にインプットしている。たくさん勉強してるからね。そんな奴らは、たいてい世の中のことをバカにしているよ。知っているのはいいんだけど、世の中の人々を見下すのは間違いだ」と私は言った。


 時計を見ると11時だった。二時間ノンストップで話していることになる。聞いている涼ちゃんと真理ちゃんも、さすがに疲れたろう。

「さて二時間経った。もう頭が回らなくなる頃だ。休憩と昼食にして、この続きは14時からにする?」と私は二人に聞いてみた。

「えーっ。まだ続きがあるの?」と涼ちゃんが言った。

「あるよ。まだ、科学の弱点を話してないから」

「休憩したら、わからなくなっちゃうよ。私は続けてほしい」と真理ちゃんが言った。彼女の意見が採用となり、五分だけ休んで、すぐ再開することになった。


「さて、再開しよう」私はそう言って、スライドを次に進めた。

 次のスライドのタイトルは「科学の重要な弱点 1」。左上のコメントは、

「科学は、人の心の謎を解くことはできない。

 科学は、人の心を数値化できない」

とした。

 スライドの中央には、人間の脳味噌の絵をどんと置き、その周りに『Love」

『怒り』「悲しみ』『嫉妬』『エゴ』と言葉を配置した。それらの言葉がその脳味噌を囲んでいる絵になった。

「宗教の特徴と弱点を話した後、科学の特徴について話した。今度は、科学の弱点について話そう。スライドに書いた通り、科学は人の心の謎を解くことはできない。人の心を数値化もできない」

「できないの?」と涼ちゃんが言った。

「心理学って、科学でしょ?」と真理ちゃんが質問した。

「OK。まず、順を追って話そう。ルネッサンスから産業革命、フランス革命と時代が進むのと並行して、科学はあるゆる分野で猛スピードで進歩していった。そのうちに人々の中で、ある心変わりが生じた」

「何、それは?」と涼ちゃんが聞いた。

「科学進歩の成果を片手に、別の手に民主主義の考え方を携えた人々は、もう宗教を必要としなくなっていったんだ。もちろんキリスト教会は今もある。でも、これまでのように自分の悩みや苦しみや不安を、神の教えに頼らない人々が現れた。彼らは宗教に頼らない代わりに、これまで神の領域だった分野に科学を持ち込み始めた」

「どんなことに?」と今度は真理ちゃんが聞いた。

「医学や生理学、そして心理学、哲学、文学。経済学にも、積極的に科学の方法が持ち込まれた。社会学という、人の社会を科学的に分析する学問も生まれた。天文学や数学や物理学や化学や生物学で上手くいったんだから、今あげたような人文科学でも成果が上げられるだろうと考えたのさ。でも、この考え方は致命的な欠陥がある」

「えーっ、何それ?!」

「早く教えて!」

「科学の大前提は、まず仮説を立てる。次にその仮説が確実か、何度も実験をして確かめる。この実験を行うにあたり、実験の条件はいつも完全一致させる必要がある。化学者ならば、密閉し除菌された実験室の中で、自分も完全防備して不純物を持ち込まないようにする。室温も湿度もいつも同じにして、実験を実施する。そうしないと、自分の仮説以外の要素が影響して実験結果が出ているのかもしれないからね。

 これが、科学的思考の絶対に守らなければいけないルールだ。では、立ち止まって考えてみよう。これを、医学、生理学、心理学、哲学、文学、経済学で実験できるだろうか?」

「要は、人間に条件全く同じで実験できるかってことね?」と涼ちゃんが言った。

「そう。それは無理。医学だって、人の身体は一人一人違う。数学や物理学のような、完全な理論を作って適用はできない」

「でも、心理学だって、経済学だって大学の学部にちゃんとあるじゃん。なんで?」と真理ちゃんが言った。

「心理学も経済学も、科学の始まりの方法である抽象概念を使って自分なりの理論を作ることはできる。だけどね、これは実験で検証ができないから、いくらでも異説が作れるんだ。心理学にも、経済学にもその時代の流行りの理論がある。だけど、でも他の理論とどちらが正しいのか、科学の方法に則る限り決着がつかない。論争が起こり、対立が起こり、下手をすると相手を貶めるようなことをする奴まで出てくる。

 結論から言うと、この対立は科学では解決できない。哲学の思考を必要とするんだ」

「哲学の思考って何?」と真理ちゃんが聞いた。

「それを話し出したら、莫大な時間がかかっちゃうのでまた今度にしよう。今日

、涼ちゃんと真理ちゃんに覚えて欲しいのは、科学は人の心に適用できない、その謎を解くことはできないってこと。

 それからもう一つ。科学は、人の心を数値化できないってことを覚えよう」

「何それ?全然ピンとこないよ」と涼ちゃんがいった。

「私も無理。ギブ」と真理ちゃんも言った。

「ゆっくり考えれば分かることなんだよ。ほら、この絵を見てわかる通り、人は様々な悩みや苦しみを抱えて生きている。それが現実だ」

 私は脳味噌の絵を囲む、煩悩のような言葉を指しながら言った。

「痛み、を例に考えよう。針を5mmくらい手の甲に刺して、これを痛み100としよう。痛みだから、100i という単位にしよう。さあ、針をみんなの手の甲に刺して、同じ100i という同じ痛みを感じるだろうか?」

「感じる・・・?」と涼ちゃんが自信なさそうに答えた。

「残念。正解は、人の感じ方はバラバラなんだ。普通の人は、期待通り「痛いっ!」と言ってくれるだろう。でも、もし涼ちゃんに告白する前の真理ちゃんだったら?多分、涼ちゃんに対する愛情や悩みや絶望やらで、刺されてもそれほど痛みを感じないんじゃないかな。それどころではない、という感じ。痛みレベルは、50i くらいに下がっちゃう」

真理ちゃんは、黙って苦笑した。でも、反対はしなかった。

「さらに考えを推し進めてみよう。どんな宗教にも、過酷な修行を積むことで信仰の高みに昇りたいと望む人がいる。自分の身体を鞭で打ったり、釘を刺したり、あるいは冷たい滝の水を浴びたり、火の上を歩いたり、もう例をあげたらキリがない。さてここで考えよう。果たして彼らは、痛みを感じているのかと。おそらく感じているだろうけど、それを上回る宗教的高揚感が痛みを消し去っているんだろうね。0i だ。

もうひとつ、対極の例を上げよう。それは、自傷癖のある人だ。自傷癖ってわかるかな?」

涼ちゃんと真理ちゃんは、何も言わずに大きく首を振った。

「自傷癖というのは、激しいコンプレックスと自己嫌悪のあまり、自分の身体を傷つけてしまう人だ。彼らは、自分の手首とかを刃物で傷つけてしまう。死なない程度に。自らを傷つけることで、彼らは精神的な平穏を得る。この病気は涼ちゃんと真理ちゃんみたいな、若い女の人に多いんだよ」

「信じられない・・・」と涼ちゃんが言った。

「私はわかるかも・・・」と真理ちゃんが白状した。「私、小学六年生で学校行かなくなった時、たまにお尻とか頬を自分で叩いてた。ぶっといプラスティックの30cmくらいの物差しで。もう、真っ赤になるまで」

「痛かった?」と私は聞いた。

「痛かった記憶はないな。むしろスッキリしたくらい。でも、肌が荒れちゃうからやめた」

真理ちゃんのこんな過去を知らない人は、彼女をお気楽なゴスロリ少女としか見ないだろう。でも、真実は違う。運良く彼女の側に近づけた人だけ、その傷のあまりの深さに驚くことになるのだ。

「さて、もう痛み 100i が通用しないことはわかるよね。やはり人の心は、数字で表せないんだよ」

 二人は、無言で大きくうなずいた。

「さて、次に行こう」

 私は次のスライドを開いた。題名は「科学の重要な弱点 ②」。左上のテキストは、「科学は、人を殺すための手段となる(兵器となる)。人は相手を憎む時、兵器を作ることを躊躇しない」と書いた。真ん中の絵は、原爆が作ったキノコ雲の絵にした。

「ノーベル賞は知ってるよね?」と私は二人に聞いた。

「もちろん!」

「知ってるー」

「スウェーデンの実業家、アルフレッド・ノーベルは十九世紀にダイナマイトの開発で大成功を収めた人だ。彼は、土木事業などの平和的な利用のためにダイナマイトを研究し、より扱いやすいものにした。しかし世間は、彼を死の商人だと考えていた。彼の開発したダイナマイトは、兵器として使用できるものだからね。世間は彼を、戦争で儲けた男と評価していたのさ。

 彼は自分の遺産の90%以上を使って。ノーベル賞を創設した。死の商人という世間の評価を覆したかったんだね。こうしてノーベル賞は、今も残っている」

「へえー、そうなんだ」

「ノーベル賞って、ダイナマイトで稼いだお金だったんだ」

「そうだね。ここで重要なことは、平和な目的で作っても人はそれを兵器に使用するってことだ。ダイナマイトで人を殺すことを、平気で選択するってことなんだ」

「うーん」と涼ちゃんがうなった。

「怖いね・・・」と真理ちゃんが言った。

「科学は、人が便利になる研究をするとともに、人を殺すための研究もすることができる。その一番最悪な例が、核兵器だ」私は、スライドのキノコ雲を指差しながら言った。

「第二次世界大戦中、ドイツも日本も核兵器の研究をしていたことがわかっている。でも、壁にぶち当たって実用化できなかった。唯一完成に成功したのが、アメリカだ。1945年に完成した原爆を、アメリカは日本の攻撃に使うことを躊躇しなかった。八月六日に広島、八月九日に長崎に、原爆が投下された。原爆の悲惨さは知ってるよね?」

二人は、また大きくうなずいた。

「小学校のころは、何度もビデオで見たよ。でも、なんか・・・」と涼ちゃんは言った。「大惨事だとは思うんだけど、なんかピンとこなかったな」

「そう、あまりに遠すぎて他人事みたいな・・・」と真理ちゃんも言った。

「そうか。それが今の若い人の本音かもね。原爆が投下されたのは、1945年。今から73年も前のことだ。あまりに自分から離れていると、想像力が発揮できないことがある。1940年代前半の、アメリカ原爆開発チームもそうだった」

私はスライドの、「人は相手を憎む時、兵器を作ることを躊躇しない」という文章を指差した。

「核分裂や、核融合が持つとんでもないパワーは、第二次世界対戦前にすでに知られていた。だから、各国とも核の力を利用した強力な爆弾を作ろうとした。ここで気をつけてほしいのは、それがどんな恐ろしい兵器になるか科学者たちは深く考えなかったことだ」

「なんで?」と涼ちゃんが言った。

「なんで考えなかったの?」と、真理ちゃんが続いて聞いた。

「戦争に勝ちたかったからだよ。相手の国を憎むあまり、敵国の人も同じ人間だという当たり前の事実を忘れてしまう。核兵器の熱風で沢山の人が焼き殺されるとか、かろうじて生き残った人も放射能汚染で一生苦しむとか、ちょっと考えればわかることに考えがおよばない。これが、科学の持つ第二の弱点だ」

「要は、人は悪魔になって科学を使うこともあるのね」と、涼ちゃんがうなりながら言った。

「マッド・サイエンティスト」と真理ちゃんが言った。

「いや、マッド・サイエンティストじゃないんだ。広島と長崎に落とされた原爆は、ごく普通の科学者が作ったんだよ。それは、マンハッタン計画と命名され、アメリカ、イギリス、カナダが超一流の科学者を片っ端から集めて原爆を作ったんだ」

「どうしてこんな、恐ろしい兵器を作ったの?」と涼ちゃんが聞いた。

「一番大きいのが、ドイツが原爆を開発していると噂が流れたからだ。ドイツには優秀な核物理学者がたくさんいたからね。だから、やられる前にやれ、と莫大な金をつぎ込んで、大急ぎで作ったわけだ。開発中、計画に参加した科学者たちは、自分が間違ってるなんて考えもしなかったろう。

そして、自分が生み出した兵器は使用された。その後で初めて、科学者たちは自分の犯した間違いに気がついた。だから、恐ろしいんだ」

「普通の人だったの?」と、今度は真理ちゃんが聞いた。納得できないという様子だった。

「そう、普通の人がやったんだよ。普通の、超優秀な科学者たちがね。俺はさっき、人は相手を憎む時、兵器を作ることを躊躇しないと言った。核兵器の誕生劇は、この言葉の最も最悪な例だ。アメリカが核兵器を持つと、まず当時のソ連が、続いてイギリス、フランス、中国がそれに続いた。マンハッタン計画が築いたノウハウが、漏れてしまったのかもしれない。

さらにイスラエル、インド、パキスタン、南アフリカが核兵器を開発した。南アフリカは最近、核兵器を放棄したと言っているけどね。そして、現在は北朝鮮やイランが核兵器を持とうとしている。一度開けたパンドラの箱は、元に戻せないということだ」

「馬鹿げてる」と涼ちゃんが言った。

「その通り。核兵器は馬鹿げてるんだよ。広島と長崎に原爆が落とされた後、核兵器は世界で何回使われたか知ってる?」と私は二人に聞いた。

涼ちゃんと真理ちゃんは顔を見合わせて、例の小声で秘密会談を始めた。ちょっとして、二人同時に私を見つめ、「わかんない」と降参したように答えた。

「正解はね、ゼロなんだ。広島と長崎の後も戦争は常に世界中で続いたけど、どの国も核兵器は使わなかった。なんでだと思う?」

立て続けの私の質問に、二人は困り果てた表情を見せた。

「拓ちゃん、わかんない」と涼ちゃんが代表して答えた。

「第一の理由は、核兵器で攻撃したら核兵器で反撃されるという恐怖だ。では、相手が非核武装国だったら?相手が核兵器を持たないなら、核攻撃しても構わないだろう。だが、世界中の核保有国の一つも、その選択肢を取らなかった。なぜなら、その結果引き起こす被害があまりに悲惨で、非人道的だからだ。これが、人が核兵器を使わない第二の理由だ。もしも使用したとして、その国が民主主義国家ならまず間違いなく政権交代が起こるだろう。一党独裁国家でも、国内に政府批判の嵐が吹き荒れて、それを沈静化するのに大変な苦労をするだろう。

さて、ここまで考えて導かれる結論は、実際に核兵器を使用する国は一つもないということさ。将来においてもね」

「そうなんだ・・・」と、真理ちゃんがため息をつくように言った。涼ちゃんは、何も言わずに真剣な表情で物思いに耽っていた。私は二人のために、しばらく黙って時間を作ることにした。


「さて、ちょっと脱線しちゃったけど科学が持つ恐ろしい面に気がついてくれたと思う。それではここで、宗教と科学のまとめに移ろう」

「まだ、あるのー?」と涼ちゃんは、びっくりした様子で言った。

「拓ちゃん、どこまで考えてるの?」と、真理ちゃんが不思議そうに言った。

 私は次のスライドを、二人に見せた。タイトルは「宗教と科学の現在」で、左上のテキストは、一段目に「科学は近世に入り、宗教を追い抜いて世界説明の手段となった。→無神論の増加」と書き、二段目に「科学は人間を、孤独な存在にしてしまった」と書いた。

 スライドの中央には、

 ・競争社会の成立と激化

 ・裕福と名声の追求

 ・虚無感の増大

と箇条書きに書いた。左下に、怒った様子のスーツ姿の男を載せ、右下には「人身事故のため、遅延しています」というコメントと、停車した電車の写真を置いた。

「さて、過去からさかのぼって宗教と科学の正体がわかった。では今度は、現在の俺たちを考えてみよう」

 私はそう言って、まず左上のテキスト、「科学は近世に入り、宗教を追い抜いて世界説明の手段となった。→無神論の増加」を指差した。

「科学は、宗教を超えて世界中の人々と分かり合える土俵を作った。その反面科学は、宗教が教えてくれた人生の苦しみを解く方法を人から奪ってしまった。聖俗の秩序も、うやむやにしてしまった」

「じゃあ今の人は、世界の謎を解く方法を失ったってこと?」と、真理ちゃんが言った。

「その通り。現代の人は、実質ほとんど無神論者だ。儀式には参加するけど、切実な思いで宗教から自分の苦しみを救ってもらう方法を知ろうとはしない。たまにお墓参りはしても、日常生活に聖俗の秩序を持ち込んだりしない。何でも合理的にした方がいいと考える。

 それで独り立ちできるのなら、構わない。だが実際は、世の中の多くの人が心に虚無感を抱えて生きている。そして深刻なピンチにまで陥ったとき、克服する手段を思いつかず、自ら命を絶ったり似非宗教に頼ったりしている」

 私は二段目の、「科学は人間を、孤独な存在にしてしまった」というコメントを指差しながら二人に説明した。

「そして俺たちは、虚無感を脱して自分の生に意味を持たせるために、競争社会で勝とうとしている。たった今、俺たちが大学入試のために勉強しているみたいにね」

「バカバカしいね」と、涼ちゃんが言った。

「ほんとだ。バカげてる」と、真理ちゃんも言った。

「そう。競争は、バカバカしいんだよ。なにせ、勝っても人生の苦しみを解く方法を知ることはない。だから、首都圏では毎日のように朝電車に飛び込んで自殺する人がいる。首を吊る人もいる。部屋を締め切って、一酸化中毒で死ぬ人もいる。手首を切って、睡眠薬を飲んで死ぬ人もいる。

 宗教では、たいてい自殺は最大の罪とされる。許されぬ大罪だ。地獄に落ちると教えられる。だが、現代はそうじゃない」

「拓ちゃん、どうすればいいの?」と、真理ちゃんが少し切迫した様子で聞いた。

「ありふれた答えだけど、勉強することだ。今日、俺が話しているようなことをね。大した学校に進学しなくてもいいよ。でも、頭は良くなりなさい。この世には、様々な建設的考え方がゴロゴロあるんだ。それを理解するためには、勉強して地力をつける必要がある。そうしないと、その有用な考えが理解できないで終わってしまうからね」

「ねえ、そういう考え方も拓ちゃんが教えてくれるの?」と、涼ちゃんが言った。

「最低限はね。でも、今日からたった二ヶ月じゃ、大したことは教えられないと思うよ」

「今日でもう、お腹いっぱい!!」と真理ちゃんが言った。

「こらこら、勉強はそんな甘いもんじゃないんだよ。この世には、とんでもない数の考え方のパターンがあるからね。宗教から離れて生きるならば、その合理的な考え方をかたっぱしから学んでおく必要がある。そうして、ピンチが訪れた時、頭を整理して問題に立ち向かうんだ」


 時計は12時を回ってしまった。ちょっとしゃべりすぎたな、と私は思った。

「さあ、12時過ぎちゃったからお昼にする?マインドマップと小論文は午後にしようか?」と、私は二人に聞いた。

「いや、このまま続けたい」と涼ちゃんが言った。

「私も、同じ」と真理ちゃんも言った。

「では、続けよう」と私は言った。

 私は二人に、A4の用紙を一枚ずつ渡した。それは中央に楕円形が印刷してあるだけで、あとは真っ白の紙だ。

「さて、午前中の授業を通して、一番重要だと思うキーワードをその丸の中に書き込んで。それから、そのキーワードに派生する言葉や、短い文章を周りに書いて中央の丸と線でつないで。そしてさらに、周りに書いた言葉に派生する言葉や短い文章をその隣に書いて。それを、どんどん繰り返すんだ」

「どんな風に作ればいいの?」と涼ちゃんが聞いた。

「例えばさ、中央の丸に『音楽』と書いたとしよう。それは、周りにロックとポップスとクラシックとジャズと書けるよね。ロックはさらに細分化できる。こんな感じ」と私は言った。

 私はモニターに、マインドマップの完成版を映した。その完成したマインドマップは、中央のキーワードを取り囲むようにたくさんの言葉や短い文章が書き込まれていた。そしてたくさんの色で丸や線を塗り、漫画も描かれていた。

「このマインドマップに、正解はないから。自分の感じた通りに書いて見て。制限時間は30分。さあ、やってみよう!」

 涼ちゃんと真理ちゃんは、そのA4の用紙を睨みながらしばらく考え込んだ。やがて涼ちゃんが手を動かした。彼女は真ん中の丸に「宗教と科学の違い」と書き込んだ。そして両脇に、「宗教」と「科学」と書いた。

 少し遅れて、真理ちゃんも書き始めた。彼女は中央に「人生の苦しみ」と書き込んだ。そしてその周りに「宗教」、「無神論」と書いた。そして「無神論」から線を引いて「科学」と書いた。なるほど、そういう整理もあるなと私は思った。

 書き出しに成功した二人は、どんどん言葉を書き込んでいった。15分もすると、A4の紙は文字でいっぱいになった。

「さて、そろそろできたかな?出来上がったら、色鉛筆を使って、丸や線を塗ったり、絵を描き込んだりして。カラフルで綺麗なほど、いいからね」

 真理ちゃんは色鉛筆を取り、空白に花の絵を何個も描き始めた。真理ちゃんは、本当に花が好きなんだなと私は思った。そういえば母が生きていた頃、庭の花壇は花でいっぱいだった。今は11月だか、冬中咲く花もある。それをたくさん買ってきて、遊んでる花壇に植えるのもいいかなと思った。

 涼ちゃんは、絵心がないようだった。色鉛筆を握って固まっていた。

「涼ちゃん。丸や線を色鉛筆でなぞって。何色も使って虹みたいにすればいいから」

 私に促された涼ちゃんは、言われた通りに丸や線を塗り始めた。涼ちゃんのマインドマップも、たちまちゴージャスになった。

 30分経ったところで、私はストップの号令を出した。

「さて、マインドマップはここまでにしよう。これは、頭だけじゃなくて視覚も使って記憶する方法なんだ。難しく言えば、右脳と左脳の両方を使う記憶法だ。さあ、記念すべき一枚目ができたから、大切にとっておいてね」と私は言った。

 二人は出来上がったマインドマップを見て、にっと笑った。それぞれに、出来栄えに満足しているようだ。

「では、一番大事な小論文だ」と私は言った。涼ちゃんと真理ちゃんは、「小論文」という言葉に、露骨に嫌な顔をした。

「こらこら、涼ちゃんと真理ちゃんの頭の中では、もう小論文で書きたいことが出来上がっているんだよ。今作ったマインドマップを見ながら、A4の用紙一枚に、今日の授業で感じたこと、考えたことを簡単に書いて」

 私は二人に、横書きの罫線が入ったA4の用紙を配った。

「さあ、また制限時間は30分だよ。はい、スタート!」

 二人は、少し考えてから小論文を書き出した。二人とも、スラスラと書いていた。これは当たり前なのだ。マインドマップで頭の整理がついているから、それを文章に直すのは難しくない。

 10分しないうちに、まず涼ちゃんが書き上げた。

「出来た!」と彼女は叫んだ。

「どれどれ、見せて」

 私は涼ちゃんの書いた用紙を受け取り、読んでみた。その要旨は、「人類の歴史において、かつて宗教は重要な位置を占めていた。宗教は、物語によって人の苦しみを和らげ、聖俗の秩序によって世界を理解する手段を与えていた。しかし近代に入り、進歩した科学が宗教から世界説明の役割を引き受けた。今やほとんどの人が宗教よりも科学に重きをおいて考えるようになっている。その代償として、人は虚無感に包まれて孤独になってしまった。また、核兵器のような悲惨な武器を作るようになってしまった。宗教の世界から離れた私たちは、科学の力を有効に使って生きて行かなければならない」

 なかなかよく出来ていた。

「いいねえ。短い文章で、伝えたいことがよくまとまっている」と私は涼ちゃんに言った。涼ちゃんは、私の言葉を聞いてニッコリと笑った。

「でもね、ここを直すともっと良くなる」と言って、私は赤ボールペンで修正を入れた。涼ちゃんの文章は、相変わらず一文が長い。私はまた文章の中に線を入れて、「ここで切れ」という印を入れた。それから、涼ちゃんの主張から言って合わない言葉遣いを指摘した。

「涼ちゃん、ここね。『人々は、宗教を使って世界の謎を解いた』と書いてあるんだけど、『解いた』だと昔の人々が、それぞれに独自の解釈をして世界の謎を解いたように読める。実際は違うよね。昔の人は教祖様や教会が与える世界説明を盲目的に信じたんだ。だからここは、『人々は、宗教によって世界の謎を解いてもらった』の方が実態に合っている」

「げー。拓ちゃんこまかいー」と、涼ちゃんは悲鳴を上げて苦笑した。

「たったひとつの言葉なんだけどね、今説明したように意味合いが違っちゃうんだよ。徐々に覚えればいいけれど、言葉は自分の言いたいことと合うように適切に選択しないといけないんだ」と私は言った。

 続いて真理ちゃんが、小論文を書き上げた。読んでみると、例のごとく超悪文だった。「人生の苦しみは、いろいろな宗教がその理由を教えてくれる。しかし一方で宗教は、異なる宗教とわかり合うことができない。だからもう私たちは、宗教で救われるという方法は取れない。しかし、宗教を捨てた私たちは孤独になり善悪の判断も曖昧になってしまった。平気で核兵器を作ったり、過激な宗教に戻って無差別に人を殺したりするようになってしまった」

 おおよそ、こういうことが言いたいんだろうということは理解できた。しかし、恐らくそうだろうとわかるまで、私はかなりの時間を要した。つまり文章が、論理的に書かれていないのだ。ある一文の次の文章が、前の文とほとんど無関係に思える文章になっている。読み手は混乱する。あれ、真理ちゃんは何の話をしてるんだろう、何が言いたいんだろうとなってしまう。私は、どうやって説明したもんかと頭を抱えた。

「真理ちゃん。文章はね、一文、一文繋がっていかないといけないんだよ。まず書き出しからなんだけど、『人生の苦しみは、人それぞれ違う。誰でも、その理由を知りたい』だよね。でもその後突然、『科学は、無神論者を増やしてしまった』になってる。さらに次は、『自分の苦しみから逃れるために、宗教を借りて無差別なテロを起こす人もいる』だよね。この四つの文章のつながりを理解するのは、ほぼ困難だよ」と私は指摘した。

「うーん」とうなって、真理ちゃんはとても悲しそうな顔をした。

「マインドマップを持ってきてごらん」と私は言った。そして、真理ちゃんのマインドマップを見ながら、二人で文章を考えることにした。

「ほら、「人生の苦しみ」から「宗教」、「無神論」と分かれて、「無神論」から「科学」が繋がっているよね。そうすると、『人生の苦しみは、人それぞれ違う。誰でも、その理由を知りたい』という書き出しの文章の次は、宗教と無神論を使った人生の苦しみの解決策について書くべきじゃない?」

 真理ちゃんは、しばらく考え込んだ。私は助け舟を出した。

「この『人生の苦しみは、人それぞれ違う。誰でも、その理由を知りたい』を活かすと、この次は真理ちゃんのマインドマップに従って、『その理由は、まず宗教によって解決することができる。一方で、宗教に頼らず無神論で考えることもできる』だったら、つながるんじゃない?」

 また真理ちゃんは、考え込んだ。だいぶ時間が経ってから、「そうだね」と答えた。

「真理ちゃんの文章を活かして書き直して行くとすると、その次は『宗教による解決は、物語を信じて救われる方法だ。しかし、自分の苦しみから逃れるために過激な宗教の物語を信じ、無差別なテロを起こす人もいる』としたらどうだろう?」

 またまた真理ちゃんは、時間をかけて考えた。そして小さな声で「その方がいいと思う」と答えた。

 真理ちゃんの場合、一文一文代案を出してその理由を説明することになった。これは、骨が折れた。でも真理ちゃんのためだ。頑張らねば。

 真理ちゃんの文章添削が終わったのが、14時だった。ひええ、疲れた。しかし、すぐ昼食の用意をしなくてはならない。私はキッチンに飛び込み、急いで用意していた料理を温めた。


「疲れたでしょ?」と食事をしながら、私は二人に話しかけた。

「超頭使ったあ」と涼ちゃんが言った。

「ヘロヘロ」と真理ちゃんが答えた。

「でも俺が話したことは、理解できたかな?」

「すっごいよくわかった。でも、拓ちゃんの言うことって、意表をついてるよね。普通の人の考え方じゃない」と涼ちゃんが言った。

「確かにそうだね。今日話したようなことは、俺が莫大な時間をかけて辿り着いた答えなんだ。いろんな本を読んで足し合わせた結果だね。俺とおんなじことを言ってる人は、実はこの世にたくさんいる。でもテレビに出てくる似非専門家、評論家は、短絡的な考え方ばかり言う。まあ、テレビだから過激なことを言ったり、面白いことを言ってウケを狙ってるからなんだけど」

「ねえ、拓ちゃんの話を理解している高三の子って、ほんとにたくさんいるの」と真理ちゃんが聞いた。

「いるよ。間違いなく、たくさんいる。でもね、覚え方を間違うと厄介なことになる。そいつらは、自分の周りがバカに見えてしょうがない。超一流の大学に行って、外務省とか財務省とかに入ったり、超一流の会社に入って出世したりするんだろう。でも、あらゆる場面で自分はトップだと考えるだろうね。ほら、宗教の教祖様と一緒さ。誰にも批判されなくて、謙虚さを失ってしまうんだよ」

 ここまで話して、私ははたと気がついた。今の話って、そのまま私の人生に当てはまるじゃないか!私は二十代後半から、会社で暴れまくってた。人のアドバイスなんてろくに耳を傾けなかった。はあ。だから私は人生に失敗したんだ。涼ちゃんと真理ちゃんのおかげで、48歳にしてやっと気がついたんだ。遅すぎたな。

「午前の授業ですっかり遅くなっちゃったから、午後はなしにしよう。軽くドライブにでも出かけようか?」と私は二人を誘った。

「えーっ、やだあ!」と涼ちゃんが言った。

「もっと話が聞きたい。午後も続けて」と真理ちゃんが言った。

「ほんとに?疲れてないの?」

「大丈夫ー」と、涼ちゃんと真理ちゃんは声を揃えて答えた。

 本当は私が、一番疲れていたのだが。仕方がない。一時間休憩して、16時から19時まで、古代ギリシアの歴史を説明することにした。はっきり言って、しんどい。あーあ。


 




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