感想がじゃんじゃんもらえる悪魔の文章術
矢田川怪狸
序
まず最初に、厳しいことを一つだけ言っておこう、感想はもらうものではなく、書かせるものであると。
ならば感想を強要すればいいのか、よく見かけるネット作家たちのようにツイッターで感想クレクレを垂れ流して読者を追い詰めれば書いてもらえるのか、それとも哀れなふりをして感想に飢えていることをアピールして他人の情けにすがればいいのかというと、もちろん、そうではない。
私が言いたいのは、「そんなに感想が欲しいのならば、まずは感想が書きやすい作品を書きなさいよ」ということである。
実は物語というのは、相手に理解させるところまではさほど難しいことではない。そこに何が書かれているのかを読み解くことができるならば、読者はその中から自分好みの題材を選んで楽しむだろう。だからこの世には「誰一人として面白いと思わない駄作」など存在しないというのが私の持論である。
ならば「面白かった」の一言くらい返してくれてもいいではないかと思うのは、まったく作者の身勝手。感想を書くのは読者であるのだから、その能力を勝手に決めつけて「誰でもできる」と断言するのはあまりにも不遜である。感情を言語化する能力には個人差があるのだから。
例えばあなたは、小学校の時、感想文が得意な子供だったのだろうか。テンプレや親の指導に頼ることなく、宿題という義務感さえ感じることなく、スラスラと原稿用紙数枚の文章を書き上げることができたというのだろうか。ならば感想が書けない人の気持ちがわからぬのも無理ないこと、「あなた以外の人は小学校の頃に読書感想文が大の苦手だった」といえば、相手のスキルを勝手に大きく見積もって失礼なことなど言わなくなるのだろうか。
実は感情をきちんと理屈の通るような形で文書化するためには、文章に対する適性というものが必要なのだ。
例えば「面白い」という、これは純然間違いようのない『感情』である。
感情なのだから理由などない。しいて言うならば「面白いと感じたから面白い」だけが理由だろうか。だから、理由さえ問わなければ誰でもが言葉にできるはず。
ところが、これを改まって文章化しろと言われると、途端に「面白かった理由」を探し始めてしまうのが人間というものなのだ。
これは特に文章を書きなれていない人、および、まじめな人に顕著な傾向である。
文章を書きなれていない人間は、どのような言葉で書けば面白かった気持ちが表現できるかというスキルが足りない、それ故に言葉に悩む。まじめな人も同じ、面白かったからには理由があるはずだと考えて言葉を選び始め、自分で自分の感情の中に迷い込む。
はっきりと言っておこう、『感情』には理由などない。だからこそ感情を書面に書き表すような感想は難しいのだ。
ならば逆に、感想を書きなれていない人でも感想を書きやすいものとはなにか、それを追求するのが悪魔の文章術。
感想というものを究極まで突き詰めると、それはつまり、読者から作者へのレスポンスであると考えることができる。レスである以上、話の始まりを受け持つのはこちら側――つまりレスをつけやすい作品を書けばいいだけの話なのだ。
つまり文章スキルの低い読者に書き散らかしたもの何でもかんでもを与えて「感想をかけ」と強要するのではなく、まずは作者が感想を書きやすい作品構造とは何かを考えてみようよと、そういったご提案でもある。
どうしても読者からの感想が欲しいと思うならば、ぜひ一度お試しを。
さて、世の中には感想の書きやすい文章と書きにくい文章がある。感想の書きやすい文章の大まかな条件は以下の通り。
① 読者の感情が同一の方向に振れやすい素材
② 文章の目的が軽量であり、内容が要約できる簡素さである
③ 読者に思考させる要素がある
具体的には小学校の教科書に載っているような作品と考えればよい。物語が子供向けであるかどうかではなく、あくまでも要素の問題。
この要素がどのようにして感想の書きやすさにつながるのか、そして自分の作品に組み込むにはどのようにすればいいのかを、次回より解説していこうと思う。
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