▷横向きトライアングル▷

侘助ヒマリ

▷30歳 口の悪いイケメンやもめ

「おはよー……」


 和室から出てきたあたしは、パジャマ姿のまま寝ぼけ眼をこすり、ゆるゆると食卓につく。


 目の前にあるのは、マーガリンが染みこんだこんがりきつね色のトーストと目玉焼き。


 そして――


 淡褐色ヘーゼルの瞳を不機嫌そうに歪めながらこちらを睨みつける、エプロン姿のが一人。


「まったく寝起きの悪い奴だな。朝のクソ忙しい時に一体何回起こしに行ったと思ってんだよ」


 小さなお弁当箱にタコさんウインナーを詰めながらぼやく彼の甘く低い声は、小鳥のさえずりよりも心地良く。


 目覚めたら朝食とイケメンが出てくる生活ってなんて素敵なんだろうと再び夢の世界へ旅立ったかのごとき幸福を感じつつ、あたしは目の前の目玉焼きにしょうゆを回しかける。


 出会った時はモデルばりのお洒落な雰囲気に一発KOされたけれど、胸当てのついたグリーンのエプロン姿も家庭的な旦那様って感じでニヤけちゃう。


「朝メシの支度をやってやってるんだから、自分で起きる努力くらいしたらどうなんだ」


 見目麗しき彼の口からは刀の切っ先のごとき鋭い言葉が容赦なく突き出てくるけれど、彼に見蕩れるあたしにはそれすらスパイスの効いたご褒美になってしまう。


「せっかく昂輝こうきさんのイケボで目覚められるのに、自分で起きるなんてもったいないこと出来るわけないじゃないですかー。あ、でも、王子様の甘いキスがあれば一度でもシャキッと目覚められそう♡」

「そういう妄想は夢の中で完結しておけ」

「だから、昂輝さんの目覚めのキスで……」

澄晴すばるー! 着替えはすんだのかー? 今日は遠足なんだから早く支度済ませろよ!」

「パパー。今しおりを見たら、チョコは溶けるからダメって書いてあったー」

「そう言うのは買い物行く前に確認しとかなきゃダメだろーが!! 他に持ってけるおやつはないのかー?」


 あたしのおねだりは完全スルーで、昂輝さんは息子澄晴すばる君の身支度の手伝いに子供部屋へと入っていく。


 三十歳のイケメンやもめ、フリープランナー宮原昂輝。

 六歳になる彼の息子、小学一年生の宮原澄晴。

 そして十八歳のあたし、大学一年生の門倉かどくら史桜しお

 三人での期間限定の同居生活が始まったのは、一か月前の自転車事故がきっかけだった。


 ▷


 大学での講義が終わり、駅からの帰り道。

 広い歩道を自転車で走っていた時、すぐ横の公園に向かって突然方向転換した目の前の男の子とぶつかりそうになり、避けようとしたあたしはバランスを崩して大転倒してしまった。

 その時歩道についた右手に激痛が走り、あたしはその場で蹲ってしまったのだ。


 突然の事態に動揺した男の子は泣きながらキッズケータイで自分の父親に連絡を入れた。

 ほどなくして駆けつけた父親に付き添われ近くの整形外科を受診したところ、全治二か月の右手首骨折が判明。

 ギプスで腕を固定され三角巾で腕を吊られたあたしは、一か月以上も利き手が使えなくなることに軽く絶望した。


 けれど──


 診察室を出て、待合室にいた父親と目があった途端、かめはめ波ばりの衝撃波があたしの胸を貫いたのだ。


 子持ち感どころか生活感すら無臭の端麗な容貌。

 切れ長気味のアーモンドアイには碧みを帯びた淡褐色ヘーゼルの瞳が宝石のように嵌め込まれ、すっきりとシャープな頬や顎のラインが硬質な大人の色香を漂わせている。

 座面の低いソファから突き出て鋭角に曲げられた膝は脚の長さを強調していて、サラサラしたチョコレート色の髪は窓から差す夕日をまとって柔らかく跳ねている。


 な……なんというイケメン!!

 妻子持ちの男性にこんな素敵な人がいるなんてっっ!!


 さっきまでは手首の激痛で親子の風貌を見る余裕もなく、てっきりくたびれたオジサンに付き添われているとばかり思っていたのに……。


 絶望から一転、ご褒美のような眼福にほうけていると、ソファから立ち上がったその人が歩み寄ってきて頭を下げた。


「息子が自転車の接近に気づかなかったせいでケガをさせてしまって申し訳ない」

「あ、いえ、不注意だったあたしも悪いんです」

「その右手じゃあ自転車を押して帰るのは無理だな。親御さんには迎えに来てもらえそう?」

「いえ、あたし、アパートに一人暮らしだから」

「え!? 利き手が使えなきゃ身の回りのことも満足にできないだろ。近くに頼れる人間はいないのか?」

「実はこの春上京したばかりで、友達もまだ少なくて……」

「うわー、マジでか……」


 今度は彼も巻き込んでの絶望モードに突入する中、つんつんとカーディガンの裾を引っ張られて振り向くと、いつの間にか傍に来ていた男の子が父親譲りの淡褐色ヘーゼルの瞳であたしをじっと見つめていた。


「おねえちゃんが手をケガしちゃったの、ボクのせいなんでしょ? だったらボクがおねえちゃんのお世話を手伝うから、うちにおいでよ!」


「「へっ!!?」」


 幼い男の子からの突然の申し出に、あたしも彼も素っ頓狂な声を上げた。


「おい、澄晴すばる、このおねえさんがケガをしたのは確かにお前、ひいてはパパにも責任があるわけだが、うちに呼ぶってのはだな……」


「だって、おねえちゃん何にもできなくて困ってるんでしょ? ボクとパパにがあるなら、おねえちゃんを助けてあげなくちゃ」

「う……っ、それは正論だが……」

「でも、あたしがおうちに行ったら、ママがきっと困っちゃうよ」

「だいじょうぶだよ! うち、ママいないから。パパとふたりぐらしだもん」

「え……っ?」


 ドヤ顔で胸を張る澄晴くんの言葉に一瞬固まるあたし。

 そんなやり取りを見た彼は苦笑いして頬をかいた。


「妻は三年前に他界したんだ。頼れる親戚も近くにいないから、小学一年生の澄晴は俺が一人で育てている。言わば “男やもめ” ってやつだな」


 見るからにモテそうな風貌の彼に “やもめ” というワードはピンとこないけれど、見た目よりもずっと大変な思いをしてる人なんだって知って胸がちりちりと熱くなる。


「だからえんりょしないでうちに来てよ! パパの作るお料理はすっごくおいしいし、ボクもいっぱいお手伝いするからさっ!」


 幼くしてママを亡くした澄晴くんの無邪気な笑顔に胸が締めつけられる。


 今日のこの親子との出会い。

 これは神さまがあたしに用意してくれた、人生のビッグウエーブなんじゃないだろうか。


「……じゃあ、おねえちゃん、お手手が治るまで澄晴くんちにお世話になっちゃおうかなっ」


「なっ……!! アンタそれ本気で言ってんのか!?」


「やったー!! じゃあさっそくボクんち行こっ 」


 こうしてあたしは天使のように愛くるしい少年と容姿端麗な男やもめとの期間限定の同居生活を始めたのだった。

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