第17話 騎行戦術 前

 エルキュールがブルガロン王国を経済封鎖してから三年が経過していた。 

 それは着実にブルガロン王国に大きなダメージを与えていた。


 遊牧民は一見、農耕民とは交流することもない孤高の民のようなイメージがあるが……

 実はその生活は農耕民と密接に関係している。

 農耕民が自分たちの世界の中だけで社会を維持できるのに対し、遊牧民は農耕民との交流無しではその社会・生活を維持できないのだ。


 羊の肉や、ヤギの乳だけでは人間は生きていけないし、そもそもそれだけでは食糧が足りない。

 羊毛などを農耕民に売り、穀物や野菜、塩、工芸品などを購入する。

 そのような交易活動があって、初めて遊牧民の生活は成り立つのだ。


 故にレムリア帝国が国境を完全封鎖し、ブルガロン王国との交易を完全停止させたことはブルガロン王国にとって致命的であった。

 

 ブルガロン王国の周囲にはまともに交易ができる国家はレムリア帝国しか存在しないのである。

 レムリア帝国との交易の停止は、穀物や野菜、そして塩などの必需品を得る手段を失うのと同意義であった。


 もっとも……全ての氏族が困窮しているわけではない。 

 例えばコトルミア氏族はその支配領域の中に多くの農耕民の都市を抱えているため、被害は最小限に済んでいた。

 

 クロム氏族はコトルミア氏族ほどではないが、それでもまだ強い経済力を持っていたため追い詰められるほどではなかった。


 そして三番手であるテリテル氏族はというと…… 


 「テリテル氏族長、君が賢明であって助かったよ」

 「勿体無きお言葉です、陛下。……交易と技術支援の件、よろしくお願いいたします」

 「ああ、分かっているさ」

 「ありがとうございます、皇帝陛下」


 テリテル氏族長はエルキュールに対し跪いた。

 ここはノヴァ・レムリア宮殿。


 テリテル氏族長は密かに海路からノヴァ・レムリア宮殿にまで赴き、エルキュールと秘密交渉をしていた。


 実はテリテル氏族はレムリア帝国とは、先帝ハドリアヌス三世の時代から交流があった。

 

 テリテル氏族はコトルミア氏族、クロム氏族に敗北する形でブルガロン王国に吸収されたため……

 実はコトルミア氏族の支配に、内心では不満を憶えていた。


 またテリテル氏族の支配領域はブルガロン王国中部から北方にあり、レムリア帝国と陸路で交易するためにはコトルミア氏族、クロム氏族の領域内を通過しなければならない。

 その際に少なくない手数料を取られていた。


 故にテリテル氏族にとって、海路を使ってレムリアと密貿易をすることは非常に重要なことであった。

 といっても、テリテル氏族領内には巨大な港などなく、あくまで陸路での交易の不足を補う程度のものでしかなかったのだが。


 当初、エルキュールの経済封鎖の対象にはテリテル氏族も入っていた。

 が、しかしテリテル氏族は早い段階からレムリアに対して使者を送り、何とか交易を再開して貰えないか交渉を重ねていた。

 そして三年の交渉の結果……


 ・レムリア帝国はテリテル氏族に対して経済封鎖を解く。

 という条件の代わりに


 ・テリテル氏族はコトルミア氏族とレムリア帝国との戦争にはできるだけ介入しない、したとしてもその数は千以内に止める。

 ・また双方が捕らえた捕虜は海路を通じて、早期に解放する。


 という密約が結ばれた。


 これに加えて


 ・情勢を見てテリテル氏族はレムリア皇帝に臣従する。

 ・見返りにレムリア帝国はテリテル氏族の領域内に港を作る支援をする。


 という密約も結ばれた。

 

 満足気に帰るテリテル氏族長の背中を見送ってから……

 エルキュールは笑みを浮かべた。


 「食えない男だな、あいつは」

 「全くですね、陛下」


 隣にいたトドリスはエルキュールの意見に賛同した。

 レムリア帝国が有利と見ればレムリア帝国に加勢するとは言っているが、逆にブルガロン王国が有利と見ればブルガロン王国に加勢するだろう。

 

 テリテル氏族はこの戦争がどう転んでもある程度の独立を維持できる道を選んだのだ。


 「だがまあ、ああいうやり方ができる辺りやはりある程度の力を持った氏族だな。コトルミア、クロム氏族に次ぐ勢力を持つだけはある。弱小氏族ではそうはいかない」


 中立を維持することができるのは、両勢力に「敵対するわけにはいかない」と思わせる程度の実力が無ければならない。

 実力の伴わない中立はただの蝙蝠だ。


 故に……

 ブルガロン王国の弱小氏族の多くは「レムリア帝国か、ブルガロン王国か」という二択を迫られていた。


 「いくつまで調略できた?」

 「一万人規模の氏族ばかりですが、七つほど」

 「十分だな」


 現状でこれだけ調略することができている、ということは……

 テリテル氏族がレムリアに傾いているという情報が流れれば、さらにレムリアへの裏切りは加速するだろう。


 「さて、そろそろ本腰を入れるか……」


 エルキュールはニヤリと笑みを浮かべ……

 ニアとジェベの二人を呼びつけた。






 ここはクロム氏族に所属する、遊牧民の村の集落の一つである。


 「今度も勝ってもらわないと困るわよね」

 「本当よ。でもあのアリシア様もいるみたいだし、また勝つに決まっているわ。レムリアがブルガロンに勝てるはずがないもの。そうすれば今のこの苦しい生活は終わりよ」


 ブルガロン王国のとある氏族の女性たちは、そんな世間話をしていた。 

 話題は三年間微動だにしなかったレムリア帝国が再び大規模な軍を動かしたことである。


 男たちはみんな、集落を出て戦場に向かった。

 今、この集落には僅かな男手と女性、子供、老人しかいない。


 「それにしても聞いた? コトルミア氏族は贅沢な暮らしをしているそうよ」

 「やっぱり同盟関係とはいえ、コトルミア氏族は気に入らないわね」


 クロム氏族とコトルミア氏族は表面上は仲良くしているが、しかし心の底から仲が良いわけではない。

 特に最近はその関係が悪化していた。


 クロム氏族は確かに他の氏族に比べれば経済力はあるが、それはコトルミア氏族に比べると弱い。

 経済封鎖をされれば、やはり多少は生活も苦しくなるのだ。


 「しかも今年は草の育ちも悪いし……」

 「食糧の備蓄もごく僅かよね」


 今年は例年よりも冷え込んだ影響で、草の育ちが非常に悪かった。

 また去年の冬は非常に冷え込み、多くのヤギや羊が凍え死んでしまった。


 クロム氏族長が蓄えていた穀物を配ってくれたおかげで何とか飢えずにいたが…… 

 それでも生活は苦しく、来年はどうなるか分からない。


 「男共にはやっぱり、頑張って貰わないとね」

 「全くだわ」


 などと言いながらも、女性たちは戦場に送り出した自分の夫を心配していた。

 



 そんな緊張感と牧歌的な雰囲気が入り混じった集落が……

 一気に恐怖のどん底に落とされたのはそれから数時間後であった。



 「れ、レムリア帝国軍が迫っています!! か、数は……千くらいです!」


 羊の放牧をしていた少年がレムリア帝国の接近に気が付いたのである。

 これを聞いた、僅かに集落に残っていた男たちは馬に乗り、そのレムリア軍の撃退に向かった。


 視力に優れる彼らが捕らえたレムリア軍は……

 およそ千ほどの騎兵であった。


 が、彼らは一斉に馬から下りてしまった。

 そして槍を構え、陣形を組み始める。


 「騎兵ではないのか? ……ええい!! 突撃!!」


 男たちは弓を構え、レムリア軍に突撃した。









 「隊長、ブルガロン軍です。数はおよそ二〇〇!」

 「その数でよく挑もうとするなあ……残っている男が二〇〇ということは、まあ精々集落にいるのは二〇〇〇かそれを少し超えるくらいかな」


 ニアは呟いた。

 ニアが率いているのは、エルキュールに与えて貰った遊撃隊一個大隊一二〇〇である。

 兵力差は六倍だ。


 「陣形Dです」

 「「「はい!!」」」


 ニアの命令を受けたニア大隊は訓練通り陣形を組み始めた。


 三個中隊四五〇が下馬して、槍を構えて円陣を組む。

 そして二個中隊がやはり下馬をして、その円陣の内側で弓を構える。

 最後に三個中隊は馬に乗ったまま、突撃の準備をした。


 ニアの大隊の隊員は、騎兵、弓兵、歩兵……

 全ての訓練を受けている。

 普段は馬に乗って移動をする騎兵だが、状況に応じて歩兵や弓兵にもなれるのだ。


 いつ、どんな戦場でも……

 その場や時に有利な兵科を投入できる。

 それがニア大隊の強みであった。


 突撃してきたブルガロン兵に対し、まず弓兵が一斉射を食らわせた。

 ブルガロンの短弓よりもレムリアの長弓の方が射程が長いため、次々とブルガロン兵は矢で射殺される。

 そして何とか接近したブルガロン兵も、円陣を組む槍の壁を阻まれて跳ね返されてしまった。


 「騎兵、突撃! 私に続け!!」


 ニアの命令を受けて、槍部隊と弓部隊が円陣に穴を空けた。

 そこから騎兵四五〇がブルガロン兵目掛けて突撃する。


 「抵抗するならば殺す!!」


 ニアはブルガロン兵を叩き斬りながら宣言した。

 僅かに生き残ったブルガロン兵、八〇だけが捕虜となった。


 「被害を報告しなさい」

 「ゼロです、隊長」

 「宜しい」


 副官から被害報告を受けて、ニアは満足気に頷いた。

 六倍の兵力差ならば、勝って当然。


 せっかく三年以上の時間を掛けてニアが育てた自慢の兵なのだ。

 この程度の戦いで死なれたら困る。


 「隊を二つに分けます。五個中隊は私に続き、集落に向かいます。残りの三個中隊はその捕虜共を連れて後から来なさい」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る