第8話 ローサ島戦記 第六巻『チェルダ王死す!?』

 剣が唸りを上げて、迫ってくる。

 ニアはそれを少し体を捻るだけで交わした。

 続いてくる第二撃は、左手のナイフで受け流すように受け止める。


 そして……

 右手の裾からナイフを取り出し、投げつけた。

 寸前のところで、男はそれを弾き返す。


 「まるで未来が見えているようだな」

 「まさか、そんなことはないですよ。ただ……」


 ニアのナイフと男の剣がぶつかり、高い金属音が響く。


 「コツを掴んだだけです。どこにどれくらいの力で、どういう方向に力を込めれば、どんな風に動くのか……難しくはないですよ」

 

 男とニアでは、男の方が身体能力は上だ。

 魔族ナイトメアとはいえ、まだ十三の小娘であるニアはまだ体ができていないのだ。


 しかし……

 追い詰められていたのは男だった。


 男が全力を込めて剣を振っているのに対し、ニアは殆ど力を込めること無く、その尽くを受け流しているからだ。

 

 「……まさか、あなたのような幼い女性を相手に切り札を切ることになるとは思いませんでしたよ。あなたの勝ちです。……もっとも、死ぬのはあなたですがね」


 男がそう呟くのと同時に……

 男の体が肥大化した。


 筋肉が膨れ上がり、顔の造形が狼のように変わる。

 服は破れ、代わりに分厚い毛皮が男の全身を覆った。


 高位獣人族ワービースト―千人に一人―のみが可能とする技術。

 獣化である。


 「死ね!!!!」

 「っつ!!」

 

 男の剣がニアの体を両断しようと、唸りを上げて迫る。

 ニアはそれをナイフで受け流そうとするが……

 受け流しきれず、体のバランスを崩すことになる。


 男はさらに追撃をしようと、剣を振り上げる。

 ニアはその隙を逃さず、すかさず右手からナイフを投げた。


 しかし男は軽く手を振るうだけで、ナイフを弾き飛ばしてしまう。

 ニアの投げたナイフは男の皮を少し斬り裂き、小さな傷を作るだけで終わった。

 

 「無茶苦茶な……」

 「これが獣人族ワービーストの力であり、我ら獣人族ワービーストが史上最高の種族であることの証明だよ、お嬢さん」


 男が剣を振るうたびに、ニアは追い詰められていく。

 ニアは度々隙を見て反撃するが、ニアの投げたナイフの尽くは男の皮膚を少し斬り裂く程度で大きなダメージを与えられない。


 「これで最後だ!!」

 「ぐぅ!!」


 ついにニアの体力が切れて、左手からナイフが離れる。

 ナイフはクルクルと回転しながら、遠くの甲板に突き刺さった。


 「魔族ナイトメア獣人族ワービーストに勝てない。これが種族の差だ。我ら獣人族ワービーストは世界最強の種族だ」

 「……なるほど、分かりました。確かに魔族ナイトメアは下等種で、獣人族ワービーストは優位種なのかもしれませんね」


 ニアは男の言葉を認めた。

 しかし……


 「ですが、それがイコールで私よりあなたが強いことの証明にはなりませんよ。……そろそろ限界ではないですか」

 「……何のことだか」

 「気が付いてないと思いましたか? 足がふらふらですよ」


 ニアはそう言って……

 一気に肉薄し、軽く男の体を押した。


 男は何の抵抗もできず、倒れた。


 「ナイフに毒が塗られている可能性を考えず、ちゃんと避けなかったのがあなたの敗因です」

 「……見事、あなたの完全勝利だ」


 男は気絶した。

 そんな男を見下ろして、ニアは呟く。


 「獣化は身体能力を一時的に増加させるが、その分血液の回りが良くなって毒に弱くなる。加えて、判断力も低下する。……本で読んだ通り。うーん、天は二物を与えずってことなのかな?」






 一方、そのころ……


 「獣人族ワービースト至上主義、ふん、何の冗談ですかね?」


 カロリナが剣を振るう。

 その度に男は追い込まれていく。


 カロリナと獣人族ワービーストの男の体格差は歴然。

 男の方が遥かに大きく、見た目の上では筋肉量も多い。


 だが……

 現実として男はカロリナに力で敗北していた。

 獣化しているのにも関わらず、である。


 「獣化したところで、あなたたちの力はこの程度ですよ。長耳族エルフには適いません」

 「お、おのれ……」


 冷たいカロリナの言葉に、男は悔しそうに唇を噛みしめる。

 

 獣人族ワービーストは確かにどの種族よりも身体能力で優っている。

 ただ一種族、『最優の種』と言われる長耳族エルフを除いて。


 長耳族エルフはありとあらゆる人間種……いや、霊長類の頂点に君臨する。

 知恵。

 容姿。

 視覚。

 聴覚。

 嗅覚。

 寿命。

 魔力。

 腕力。


 世界最強の狩猟する猿。

 それが長耳族エルフという種族。


 「長耳族エルフの平均握力は百五十。一方、獣人族ワービーストは百。ですが、獣化した獣人族ワービーストの握力は三百を超す。なるほど、ここだけを抜き出せば獣人族ワービースト至上主義を唱えたくなるのも、無理はありません。……ですが」


 カロリナは剣を振り下ろす。

 男はそれを何とか受け止める。


 男の全身の骨と筋肉が軋み、木の甲板が嫌な音を立てる。


 「我々の魔力量はそんな些細な差を十分に覆せる」

 「……あ、悪魔契約などという卑怯な技を使う種族が『最優の種』などとは、笑わせる」

 「自分に出来ないことは全部卑怯扱いとは、獣人族ワービースト至上主義が聞いて呆れますね」

 

 精霊契約魔法は実際のところ、理論上はどんな種族でも可能だ。

 大切なのは精霊と契約することであり、種族など関係ない。

 

 が、しかし現実として精霊契約魔法を行使できるのは長耳族エルフ、それも純潔に近い者だけである。

 

 理由は魔力量だ。

 

 例えばエリゴス。

 対象によって、対する質量の大きさを自由に変更できるという物理法則を鼻で笑い、捻じ曲げるこの精霊を維持するのには、莫大な魔力を必要とする。

 

 長耳族エルフでなくては、七十二柱クラスの精霊を行使することは事実上不可能なのだ。


 「良いですか、あの世にいる獣人族ワービースト共に伝えなさい」


 カロリナは剣を再び振り上げる。

 

 「長耳族エルフこそが、史上最高の種族です。分かりましたか?」


 金属が折れる音が戦場に響き、男から噴出した鮮血がカロリナの体を赤く染めた。


 




 エルキュールの振るう剣と、ラウス一世の振るう剣が激しい金属音を鳴らしながらぶつかり合う。

 現状、押しているのはエルキュールである。

 双方共に身体能力強化の固有魔法を有しているので、種族差が如実に現れているのだ。


 「さすがは長耳族エルフと言ったところか。『最優の種』は伊達ではない」

 「お褒めに預かり、光栄だ。つまり獣人族ワービースト至上主義の看板は下ろすということか?」

 「まさか。あなたは腕力だけで種族の優劣が決まると思っているのかね?」

 「そんなわけあるまい」


 だとするならば。最高の霊長類はゴリラということになってしまう。 

 いや、まあ平和的なゴリラと比べると人間は愚かな生き物なのかもしれないが。


 「悪いが、一気に勝負を決めさせてもらう」

 

 ラウス一世の体が膨れ上がり始める。

 獣化だ。


 「悪いが、素直に待っているほど俺は利口じゃないぞ」


 エルキュールは剣を振るい、ラウス一世が獣化を終えるまでに勝負をつけようとするが……

 弾き返されてしまう。


 「悪いが、獣化しながら戦うことは別段難しいことではない」

 

 ラウス一世が獣化を終えると、今度は一転してラウス一世が有利になる。

 エルキュールはどんどん追い込まれていく。

 

 そして……

 ついにエルキュールの剣が宙を舞った。


 「これでお終いだ!!」

 「いや、悪いが死にたくはないのでね。アスモデウス、シトリー!!」

 

 次の瞬間、ラウス一世が頭を抱えた。

 ラウス一世の頭の中を、何かが蠢く。


 吐き気と痛みが同時にラウス一世を襲った。


 精神的防御力の高い相手に、戦闘中集中できない状況で幻覚を見せることは難しい。

 しかし勝利を確信して気が緩んだところで……

 一時的に攻撃の手を緩めてしまう程度の不快感を与えることは十分に可能。


 「っく、小細工を!! だが、所詮小細工! 悪魔契約魔法なんぞ、その程度だ!!」


 ラウス一世は不快感に耐えながら、剣をエルキュールに振り下ろす。


 「これで!!」

 「ああ、お終いだ。あなたがね」


 ラウス一世は頭に何かが降り落とされたのを感じた。

 それを最後に彼の意識は途切れた。






 「カロリナ、良いタイミングだったよ」

 「全く……一歩間違っていたら死んでいましたよ、陛下。危なくなったら逃げてくださいと言ったじゃないですか」

 「お前のことを信じていたのさ」


 エルキュールはカロリナにウィンクを送る。

 カロリナは呆れ顔だ。


 そしてエルキュールはカロリナに後ろから殴られたラウス一世の頭に手を当てた。


 「取り敢えず、アスモデウスの魔法で眠らせておこう。……これで勝利だな」

 「何とか、勝ちましたね」





 ラウス一世という司令塔を失ったチェルダ海軍は完全に統制を失った。

 元々、練度はさほど高くなかったため完全に総崩れとなり……多くの船をレムリア海軍に拿捕されることになった。


 この日、チェルダ王国は国王と海軍の両方を失うことになったのである。

 そして……

 それはローサ騎士団を助けることができる者が消えたことを意味した。




 『ローサの海戦』


 交戦戦力 レムリア帝国VSチェルダ王国


 レムリア帝国


 主な指揮官……エルキュール一世、クリストス・オーディアス、カロリナ・ユリアノス、(ニア・ルカリオス)


 戦力 大小様々なガレー船 一五〇隻


 損害 三〇隻        残存 一二〇隻



 チェルダ王国


 主な指揮官……ラウス一世


 戦力 大小様々なガレー船 一八〇隻


 損害 一〇〇隻(拿捕)        残存 一〇隻

     七〇隻(沈没)



 結果 レムリア帝国の勝利

 影響 チェルダ王国の国力の大幅な低下 西方世界に於けるエルキュール帝の指導力上昇。ローサ騎士団の救出が絶望的になる。


 歴史的意義 レムリア帝国が数百年振りにアルブム海の制海権を掌握し、覇者に返り咲く。

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