第6話 ローサ島戦記 第四巻『特に副題が思いつかない!!』

 「フォカロル!! 波と風を起こせ!!!!」


 クリストスは自分の契約精霊に命令を送る。

 すると、周囲の海流に逆らうように旗艦とその周囲の船の周りにだけ特殊な海流が生じた。

 同時に自然に吹く風に逆らうように、真逆の方向から不自然な風が吹き始める。


 「帆を張れ!! 全速前進!! 突撃せよ!!!」


 クリストスの命令を聞くや否や、旗艦とその周囲の九隻―合計十隻―が速力を上げ、周囲の船を押しのけるようにして敵陣に突撃を敢行した。

 突如攻勢に転じたレムリア海軍の動きに動揺したのか、チェルダ海軍はレムリア軍を止めることができない。


 そしてチェルダ海軍の陣形に生じた、小さな傷から…… 

 次から次へとレムリア海軍が突入し、傷を広げていく。


 船の上では身体能力に優る獣人族ワービーストが勝つが……

 船の操作では繊細な作業に長ける人族ヒューマンの方が上だ。


 チェルダ海軍の優勢が崩れ、戦況が再びレムリア海軍に傾き始める。

 しかし……それでもチェルダ海軍の包囲は崩れない。


 勝利の女神はどちらに微笑めばいいのか迷い始めた。





 


 「クリストスのやつ、調子が出てきたな」

 「……調子、というのは?」

 「そもそもあいつは自分から先頭を切って戦うタイプの猛将だ。つまりガルフィスと同じタイプ。自分の目で戦場を見て、肌で感じ取り、自分を渦の中心に持って行って勝利をもぎ取る。それがあいつのスタンスなんだよ。それが何を気負ったのか知らんが、旗艦を後方に置いて……」


 もっとも、エルキュールはクリストスが不調であった理由をすでに見抜いていた。

 原因はエルキュールとカロリナである。

 皇帝と皇后が同じ船に乗り合わせているのだから、自ら突撃するわけにはいかない……とクリストスは考えて二人に配慮したのである。


 が、そもそもそんな配慮は二人には不要である。


 カロリナはガルフィスの娘で、常に先陣を駆け抜けて戦ってきた。

 

 またエルキュールも割と前に出たがる、つまり自分を渦の中心に持って行きたがるタイプの将軍であり、自ら突撃して敵兵を討ち取ったのも一度や二度ではない。


 「まあ取り敢えず俺の言葉で火が付いたみたいだし、良かった良かった。……さて、カロリナ。剣の準備はしておけよ?」

 「分かっていますよ、陛下」


 エルキュールは腰から剣を抜き、カロリナは手元にエリゴスを召喚した。


 同時に……

 ドン!!

 と音を立てて、旗艦と敵の船がぶつかる。


 敵の船は慌てて距離を取ろうとするが……

 あっという間にレムリア海兵によって、梯子が渡されてしまう。


 「乗り込め!!!!」


 クリストスの命令でレムリア海兵たちは雪崩れ込むように、チェルダ海軍の船に乗り込んでいった。

 旗艦に乗っているレムリア海兵たちは、漕ぎ手を除けば全員長耳族エルフである。


 長耳族エルフ獣人族ワービーストでは…… 

 長耳族エルフの方が身体能力で優る!!


 あっという間にチェルダ海軍の船はクリストス率いるレムリア海兵によって、拿捕されてしまう。


 「この分だと、私たちの出番は無さそうですね」

 「いや、そんなことはないぞ。……あれを見ろ」


 エルキュールはクリストスたちが暴れているのとは、反対方向を指さした。

 チェルダ海軍の旗艦がこちらに向かって、急接近してきたのである。








 

 「連中め、急に盛り返しおって……」


 ラウス一世は無意識に顎に手を当てた。

 あと少しでレムリア海軍を包囲殲滅できる、というところまではいっていた。


 しかし急に攻勢に転じたレムリア海軍によって、押し返され……

 包囲に亀裂が入り始めたのだ。


 「中央の厚みが足りなかったか……翼に戦力を傾け過ぎたか? いや、翼から少しでも兵力を割けばそもそも包囲そのものが成立しなかった。となると……そもそも数が足りなかったか」


 ラウス一世の目論見では、十分に包囲は可能であった。

 しかしレムリア海軍が使用した新兵器や、想像以上の練度の差により……


 序盤の戦いでチェルダ海軍は船をかなり失っていたのだ。


 レムリア海軍がチェルダ海軍に与えた最初の一撃は、ボディブローのようにじわじわと今になって響いてきたのだ。


 「やはり、どうなるか分からないな。戦争は……」


 ラウス一世は溜息混じりに呟きながら……

 各船に手旗信号を送り、状況の把握に努め始めた。


 陣形は崩れてこそいないものの、かなり歪んでしまっている。

 全体では乱戦にこそなっていないが、前線の方ではレムリア海軍とチェルダ海軍の船が入り乱れており、何がどうなっているのかさえ分からない。


 まずは状況が把握できなければどうにもならない。


 

 「こ、国王陛下!!」

 「どうした?」

 「前方、三時の方角にレムリア海軍の旗艦が!! 友軍と好戦中です!!」

 「何!! 急いで距離を……いや、接近せよ!!」


 ラウス一世の指示のもと、チェルダ海軍の旗艦は三時の方角に進む。

 そして……ハッキリと、ラウス一世の目でも分かる距離にまで近づいた。


 なるほど、確かに旗を見る限りでは旗艦だ。

 しかし偽装である可能性もある。


 と、ここでラウス一世はこの船が旗艦であるという確固たる証拠を見つけた。

 

 ……目があったのだ。

 甲板からこちらを挑発的に見る、その美しい青色の瞳の長耳族エルフ青年は……

 忘れるはずもない。


 レムリア帝国の皇帝、エルキュールであった。


 「なるほど、間違いない!! 旗艦だ。……運がいいぞ。総員!! 攻撃準備に移れ!!」


 ラウス一世は思わず口元が綻ぶのを感じた。

 レムリア海軍の旗艦は別の船と交戦中であり、船の制圧のために多くの長耳族エルフが出払っている。

 今、レムリア海軍の旗艦に残っているのは僅かな数の長耳族エルフと、漕ぎ手の人族ヒューマンだけ。

 そしてレムリア皇帝と、隣にいる赤毛の女性―おそらく皇后―だけである。


 これはチャンスだ。


 「獣化が出来るものは準備しろ!! この戦いで全てを終わらせる!!」


 ラウス一世の言葉と同時に……

 二つの船に橋が架かった。



 


 「俺の認識が正しければ、旗艦ってのは軍の総司令官が乗っている船のこと。つまりあの船には我が親友ラウス一世が乗っているわけだ」

 「親友かどうかはともかくとして、ラウス一世が乗っている可能性は非常に高いですね」


 反対方向から攻めてきたチェルダ海軍の旗艦の出現によって、レムリア海軍の旗艦は一時的に混乱が生じたが……

 さすがは精鋭。

 混乱はすぐに収まり、漕ぎ手や船のコックまで動員して迎撃態勢を整え始めた。


 「いやはや、大将同士の一騎打ちってのは戦争のやり方が分からない蛮族か、それとも変なロマンス戦記の中だけの世界に存在する概念だと思っていたが、案外現実にあり得るものなのだな。事実は小説よりも奇なりと」

 「いや、陛下。そんなことを言っている場合ではありませんよ。今、長耳族エルフの海兵は殆ど出払っています。今、この場にいるのは少数の……あまり戦力としては期待できない人族ヒューマンの海兵と私たちだけです。一方、あちらは……」

 「獣人族ワービーストの中でも、特に精鋭が集まっている。と、いうわけだな。だが、まあ案ずるな。ところで、ニアはどこにいる?」


 エルキュールは先程から姿を見せない、ルーカノスの養子の所在を尋ねた。

 エルキュールの侍従として、旗艦に乗り込んでいたはずだが……

 しばらく、エルキュールはニアの姿を見ていなかった。


 「彼女は船酔いで、ずっと船室で吐いてますよ」

 「ありゃりゃ……じゃあちょっと呼んできてくれないか?」

 「……万全の状態ならともかく、戦力としては期待できないと思いますよ?」


 カロリナはそう言ってから、急いでニアを呼びに行く。

 ほどなくして、青い顔のニアがカロリナに連れられてやって来た。


 「ニア、大丈夫か?」

 「うぅ……大丈夫じゃ……ないです。ううぇ……」


 ニアは口に手を当てながら、答える。

 取り敢えず、自分の主君兼思い人の前で吐瀉物を撒き散らすことだけは耐えきったようだ。


 エルキュールはそんなニアの頭に手を当てた。


 「アスモデウス、できるか?」

 [三半規管がおかしくなっているだけですからね。幻覚でどうにでも出来ますよ。少なくとも、感度を数倍に引き上げるよりは簡単ですよ]


 エルキュールの頭の中で契約精霊の声が響く。

 同時に……


 「あれ?」

 「治ったか。よし、これで戦えるな」

 「あ、ありがとうございます!!」


 船酔いを治癒して貰ったニアは花が咲くような笑顔でエルキュールに礼を言った。

 ……最初から治してやれよ、と突っ込んではいけない。


 「そうこうしているうちに、そろそろ敵が来ますよ。陛下。訓示をお願いします」

 「分かった、分かった。慌てるな」


 エルキュールは平静を保ちながら、船中から集まった海兵たちを見回す。

 彼らの表情に焦りの色はない。

 エルキュールが平静を保っていることが、彼らを安心させているのだ。


 「諸君、クリストスは現在あっちの船で暴れているためすぐには戻ってこれない。援軍が来るまでは、もう少し掛かるだろう。そして……あちらは身体能力に優れる獣人族ワービースト。なかなか厳しい状況だ。狭い船内では、陣形も何も無い。完全な乱戦になれば、獣人族ワービーストが圧倒的に有利」


 そんな風に味方の不利を語るエルキュールの表情には……

 言葉と裏腹に余裕の色が見えていた。


 「だがしかし、私は名将だ。そんな名将である私が諸君らに必勝の秘策を授けよう」


 エルキュールはニヤッと笑う。


 「俺とカロリナがラウス一世を殺すか捕まえる、またはクリストス率いる精鋭部隊が援軍に来る。それまで諸君は全力で戦い、生き残ればいい。諸君らが一人でも立っている限り、この船は制圧されない。少し耐えればいいのだよ。そうすれば必ず勝てる。……神は我らと共にあり!!」

 「「神は我らと共にあり!!」」


 海兵たちは大声で力の限り叫んだ。

 演説は成功したと言っても良いだろう。


 「よし、取り敢えず士気だけは勝てたな」

 「ところで、皇帝陛下。……実際のところ、勝率はどれくらいでしょうか?」


 何となく察しましたという顔のニアの問いにエルキュールは答える。


 「九対一だ」

 「どちらが九ですか?」


 もはや答えは分かり切っているという顔のカロリナの問いにエルキュールはとても余裕のある笑顔で答えた。


 「当然!! ラウス一世だ!!」



 人間は信じたいものだけを信じようとする生き物。

 案外、指揮官が「勝てる!」と言ってれば兵士も信じてくれるのだ。


 指揮官に必要なのは、内心でどんなに慌てていてもそれを表情に表さずポーカーフェイスを保つことである。

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