第18話 西方外交 序 前

 「あぅ……まだヒリヒリします……」

 「本当にお尻ペンペンするんだな……アカイメネス家は」


 レムリアに戻って来たシェヘラザードの訴えに、エルキュールは苦笑いを浮かべた。

 

 「……そんなにおかしいですか?」

 「お尻ペンペンなんて、普通十二歳過ぎたらやらんと思うが……」


 とはいえ、家庭には家庭の事情がある。

 アカイメネス家にユリアノス家の常識を押し付けようとは、エルキュールは考えていなかった。


 「家庭と言えば、ウァレリウス家には行ったか?」

 「あ、はい。お婆様やお爺様にはとても親切にして貰いました。……不味かったですか?」

 「いや、ノヴァ・レムリアに滞在する間は自由にどこに行っても良いさ。法律で行ってはいけないと定められている場所以外はね。それにしてもお爺様とお婆様ね……」


 エルキュールの記憶が正しければファールス王国の先代国王、つまりササン八世の両親は死んでいる。

 つまりシェヘラザードにとっては初めての祖父母ということになる。

 

 まあエルキュールからするとシェヘラザードのレムリア貴族との交流は歓迎する理由はあれども、妨げる理由はない。

 シェヘラザードをレムリアに繋ぎ止める鎖は多いに越したことはないのだ。


 「私、てっきり邪険に扱われると思っていたので」

 「まあ種子が誰のだろうと孫は孫だからな」


 ウァレリウス家からすればルーカノスもササン八世もただの他人である。

 それにルカリオス家よりもアカイメネス家の方が遥かに家格は上なので、むしろ喜んでいる可能性すらある。

 まあどっちにしろ、ウァレリウス家からすれば良くも悪くもヘレーナは家の存続には無関係の娘だ。

 良くも悪くも、「もううちの家とは関係ない」ということになる。

 

 まあルカリオス家からすると愉快な話ではないだろうが。


 「あの……陛下、お一つ質問なのですが良いですか?」

 「何だ?」

 「そのお母様とお父様とルーカノス様の件って、レムリア法だとどうなりますか?」

 「場合によるな」


 エルキュールは少し考えてから答える。


 「争点になるのは口説いてから抱いたか、抱きながら口説いたか、抱いてから口説いたか。口説いてから抱いたならヘレーナ妃とササン八世が死刑。抱いてから口説いたならササン八世が姦淫罪で死刑。抱きながら口説いた場合は……まあ情状酌量の余地ありということでヘレーナ妃の死罪は免れるだろうな」


 早い話、浮気が先かレイプが先かというのが問題になる。

 レイプだったらヘレーナが裁かれることはない。

 メシア教に於いても、罪とされるのは意図的な行為であって、意図しない行為は許される。

 神様もそこまで器は小さくない。


 「ただルーカノスや周囲の人間の証言次第でもある。ルーカノスの奴が死刑は止めてくれというのであれば、その訴えを無視して死刑が強行されることはない。あとルーカノスの奴が日常的に暴力などを振るっていて、関係が既に破綻していたのであれば罪はかなり軽くなるだろうな。後はまあ、裁判官の気分と弁護人の腕次第だな」


 レムリア帝国は裁判制度が非常に発達している。 

 少なくとも法律に従って機械的に刑が下されるということはない。


 「だがそもそもことが起こったのはファールス王国領内だ。レムリア法の範囲外だな。そもそも捕虜は捕らえられた段階で、捕らえた者のモノというのが今までの両国の慣習だな。俺には口を出す権利がない。まさかササン八世を呼び出して裁判なんぞ、やるわけにもいかん」


 加えてレムリア帝国が今までそう言うことをしなかったのかと言えばウソになる。

 レムリア帝国の貴族の中にも、ファールス王国貴族の血を引く者は大勢いるのだ。

 家系図を調べてみなければ分らないが、当事者であるルーカノスにもその血が混じっている可能性は大いにある。


 「レムリアとファールスの間で大規模なお見合いでもできれば良いんだがな」

 「お見合い、ですか?」

 「ああ。やはり数が少ないとどうしても血が濃くなるからな。同じ純潔長耳族ハイ・エルフなわけだし」


 問題になるのは宗教の壁である。

 ヘレーナのようにあっさりと改宗してくれれば楽だが、シェヘラザードみたいに逃げられると面倒なこと、この上ない。


 「ところで陛下。もしかしてどこか、お出かけになられるんですか?」

 「お、よく分かったな」

 「まあ、皆さんそわそわしていたので」


 前よりも宮殿が騒がしい。

 ……気がする。


 と、シェヘラザードはエルキュールに違和感を伝える。


 「エデルナ王国で新王ティウディミルの戴冠式があるんだ。レムリア皇帝として、冠を被せに行く」

 「エデルナ王国……アペリア半島、ですか。……私も一緒に行っても構いませんか?」

 

 エルキュールは少し考えてから、答える。


 「別に俺は構わないが……ファールス王国としては大丈夫なのか?」

 「ええ、大丈夫ですよ。お父様には、ファールス王国としてではなく、一人のメシア教徒として他のメシア教国と友好を深めて来い、と言われました」


 ニコニコと微笑む、シェヘラザード。

 

 (なるほどね、我が国を挟み撃ちできるような同盟国を探したい……と言ったところかな? シェヘラザードはファールス王の意図には気付いてないみたいだが)


 やはり、あの国王は食えない。

 

 「まあ、そう言うならついてこい。メシア教徒なら、一生に一度はレムリア総主教座に行ってみるべきさ。姫巫女メディウムに紹介してやっても良いぞ?」

 「本当ですか!! じゃあ、早速支度をしますね!!」


 シェヘラザードは嬉しそうに駆けていく。

 そんなシェヘラザードの後ろ姿を見ながら、エルキュールは考える。


 (子供を孕ませる云々は別として、あいつの中の『俺』を『ファールス王』よりも上位に持ってくる必要があるな)


 エルキュールは静かに狙いを定めた。








 「あ、あの……陛下。本当に私なんて……良かったんですか?」

 「良いって言ってるじゃないか。心配することはない。もし、何か言われたら俺に言え。守ってやるさ」


 エルキュールはニアの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。

 ピンク色の髪の中から、黒い角がチラチラと頭を覗かせる。


 アペリア半島に同行するのは、以下のメンバーである。

 

 護衛として、ガルフィスとクリストフ、エドモンド。

 婚約者としてカロリナ。

 同じく婚約者として、そして同時にハヤスタン王国からの使者としてルナリエ。

 ノヴァ・レムリア総主教としてルーカノス。

 外務大臣としてトドリス。

 一人のメシア教徒として、シェヘラザード。


 そしてエルキュールの従者として、ニア。


 その他、雑用としてシファニーを含む数人の召使たちや護衛の兵士が同行している。


 エルキュールがニアを連れて行くと言い出した時には、トドリスを中心とした官僚たちが反対意見を言った。

 魔族ナイトメアを連れて行くと、揉め事が起こるかもしれないからだ。


 しかしエルキュールは彼らを説得し、ニアを連れ出したのだ。


 「だいたい、お前は仮にもルーカノスの養子だ。ルーカノスの財産はお前が相続するんだぞ? まあ、ルカリオス家の家督は継げないが……それでも誇り高きレムリアの貴族の子女だ。もっと胸を張れ」

 「は、はい!!」


 ニアは背筋を伸ばして、返事をした。

 まあ、顔は不安そうであったが……



 「……ところで、陛下。本当に大丈夫なのですか?」

 「要らない揉め事を起こすのは良くない」


 カロリナとルナリエが小声でエルキュールに尋ねる。

 ニアは良い娘だというのは、二人は当然知っているが……しかしだからと言って揉め事に種になるのは明確だ。


 「問題無い。ああ、何の問題も無いよ。大丈夫、お前たちが心配することじゃない」


 エルキュールは嗜虐的な笑みを浮かべた。

 それは……

 これから起こることを、とても楽しみにしているようだった。


 カロリナとルナリエの背筋に冷たいモノが走った。

 

 

 


 

 「これはこれは。お出迎え感謝する。ティウディミル陛下……いや、今はまだティウディミル殿下ですね」

 「いえ、同盟国として当然のことをしたまで。……ようこそ、御出で下さいました。皇帝陛下」


 船で王都エデルナに上陸したエルキュールをティウディミルは自ら出迎えた。


 ティウディミルは豹型の獣人族ワービーストである。

 年は七十後半で……見た目は人族ヒューマンで言うところの三十代ほどだ。


 特に目立つところもない平凡な容姿だが……強いて言うなら温和そうな顔が特徴だ。


 エデルナ国王―今はまだ王太子だが―が直々に出迎えるのはレムリア皇帝と、姫巫女メディウムだけであり、そしてエデルナ国王の名前を呼ぶことが出来るのも両者だけである。


 「そうそう……一言伝えておかなければならないことがあった。……私の小間使いの十二歳の女の子だが、彼女は魔族ナイトメアで……まあ、悪さはしません。良い娘だ。どうか、受け入れて頂きたい」

 「魔族ナイトメア……ですか。……皇帝陛下が良い娘と仰るのであれば、それはとても良い娘なのでしょう。無論、我が国は陛下を疑うようなことは致しません」


 ティウディミルは少し顔を顰めたが、すぐに笑顔に戻した。

 大人の対応というやつだ。


 「まあ……別にあなたを不快にさせるために連れてきたわけではない。一応、意味はある。それも含めて、近い内に話合いの席を設けたい。できますか?」

 「……では明日の夜にでも」


 二人は早速、密談の約束を交わす。

 同盟国同士、積もる話がいろいろとあるのだ。


 「まあ、それはともかく……ティウディミル殿下。紹介しましょう。こちらの赤毛の女性がカロリナ・ガレアノス。ガレアノス将軍の娘で……私の婚約者です」

 「初めまして、ティウディミル殿下。以後、お見知りおきを」


 カロリナはドレスの端をつまんであげて、優雅に礼をした。

 普段は短パンなどの動きやすい服装をしているカロリナだが、今日は赤いドレス姿だ。


 「そしてこちらの青髪の女性がルナリエ・アルシャーク。ハヤスタン王国の王女で、彼女も私の婚約者です」

 「初めまして、ティウディミル殿下。ハヤスタン王国王女として、そしてレムリアの妃として……親交を深めさせて頂きたいと思います」


 ルナリエはハヤスタン式に一礼する。

 レムリアの作法とは異なるが……やはりこちらも優雅で美しいものだった。


 ちなみにルナリエは青いドレスを着ている。


 「これはこれは。こちらこそ、よろしくお願いします。このような美しい女性を二人、とは……皇帝陛下が実に羨ましい」

 「欲しいと言っても差し上げられませんよ? 何しろ、自慢の婚約者たちなのでね」

 

 エルキュールとティウディミルは仲良さそうに笑い合った。

 ……まあ、二人とも作り笑いなのだが。







 それからエルキュールたちはエデルナ王国の用意した馬車に揺すられ、エデルナ宮殿の別館に案内された。

 即位式など、国や世界中から客がやって来た時にだけ使われる大きな別館だ。

  

 まあ、大きいと言ってもノヴァ・レムリア大宮殿の半分以下の規模だが……


 エルキュールたちは荷物を置いて、早速挨拶に向かう。

 無論、レムリア皇帝が自ら挨拶に出向く人間は一人だけしかいない。


 「お久しぶりですね、ミレニア猊下」

 「これはこれはエルキュール陛下。また大きくなられました?」

 「さあ? 身長は暫く測ってないので何とも……しかし元気そうで良かった」


 エルキュールは老婆の手を握り、微笑む。

 普通の女ならこれだけで顔を真っ赤にするのだが、とっくに羊水が干ばつしてるのか、それとも長生きしているからか、姫巫女メディウムは静かに微笑み返すだけだった。


 まあ、婆に惚れられてもエルキュールとしては迷惑なのでこの方が都合は良いのだが。


 「いえいえ、最近は体のあちこちが痛くて……もう年ですよ。ええ、本当に」


 姫巫女メディウムは苦笑いを浮かべた。

 長年、メシア教を支え続けてきた彼女も年には敵わないのだ。


 「そうだ、陛下。実はエルキュール陛下にぜひご紹介したい子が居るんですよ。……セシリア、来なさい」

 

 姫巫女メディウムが呼びかけると……

 物陰から銀髪の可愛らしい少女が姿を現した。


 こちらに近づき……エルキュールに対して優雅に一礼した。


 「セシリア・ペテロと申します。皇帝陛下。以後、お見知りおきを」

 「これはこれは……小さいのにしっかりしているお子さんだ。……ところで、彼女は?」

 「私の玄孫です。……私は彼女を後継者に指名しようと考えています」


 姫巫女メディウムの言葉にエルキュールは眉を少し上げる。

 表情には殆ど表れていないが……

 エルキュールはとても驚いていた。


 後継者に指名する……

 とエルキュールに語るということは、意味することは三つだ。


 一つ、姫巫女メディウムの寿命が本当に近いということ。

 二つ、彼女の後見人をエルキュールに暗に頼んでいるということ。

 三つ、レムリア総主教座がエルキュールの支配下に落ちても構わない……ということ。


 老獪な姫巫女メディウムとは思えない行動だ。


 (……何を企んでいる? もしかして本当に衰えてしまったのか? それとも……)


 次期姫巫女メディウムを任せることが出来る人間がいないのか? 

 と、エルキュールは推測する。

 無能な姫巫女メディウムに任せるよりは、エルキュールの支配下に落ちてでも存続を図った方が良いという判断なのかもしれない。


 (あとは……とんでもなくこの娘が優秀……という可能性もあるな)


 「年はいくつか、聞いて良いかな? セシリア」

 「十二歳になります、皇帝陛下」


 十二歳……

 エルキュールはまじまじとセシリアを観察する。


 確かに手足は伸びきっていないし、胸もさほど膨らんでいないところから体型は十二歳相応と言える。

 顔はとても可愛らしく、人族ヒューマンであるのにも関わらず、長耳族エルフにも引けを取らない。

 まだまだ幼い顔つきだが、しかし大人の色気も醸し出していて……成長すれば間違いなくエルキュールが出会った女性の中で、五本の指に入るほどの美女になるだろう。


 髪は銀色に輝き、神秘的だ。

 そして髪と同じ色の銀色の瞳には……非常に強い、知性の色があった。


 なるほど、考えてみればエルキュールが即位したのも十二歳だ。


 もしかしたら一筋縄では、行かないかもしれないとエルキュールは気を引き締める。

 子どもだからと言って油断してはならない。

 仮にも姫巫女メディウムが選んだ後継者なのだから。


 「あの、皇帝陛下。実は……もしよろしければ戦について、お話しを聞かせて頂けませんか?」

 「話? ファールス王国との戦いのことか?」

 「はい、陛下。陛下がどのように異教徒と戦い、勝利したのか……ぜひ武勇伝をお聞かせいただけないでしょうか?」


 エルキュールは少し考えてから、頷いた。


 「分かった。じゃあ、私の部屋に来ると良い。幸い、今は時間も空いている。……猊下、あなたもどうですか?」

 「ぜひ、聞かせて頂きたい……と言いたいところですが、私にはこれから用事があります。ですので、どうぞ私のことは気にせず。セシリア、陛下にご迷惑をお掛けしてはいけませんよ?」

 「はい、分かりました。姫巫女メディウム猊下」


 セシリアは小さく頷いた。

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