第2話 チョロインエルキュール
「絶対に皇帝などなるか!!」
少年は真っ黒い体毛の馬を走らせながら、叫んだ。
髪色は黒の強い灰色。
瞳はサファイヤのような美しい青色。
肌は程よく日に焼けている。
何より、美形が多い長耳族エルフの中でも十分目立つほど整った顔。
あと三年もすれば、素晴らしい美青年に成長するだろう。
と思われる美少年。
彼こそ、十二歳になったエルキュールである。
彼は逃げていた。
それも全力で。
何から?
帝位からである。
というのも、先日エルキュールの父親であるハドリアヌス三世が流行り病で崩御したのだ。
そしてハドリアヌス三世が指名した後継者がエルキュールである。
やっぱり、エルキュール殿下か。
だよな、優秀な方だもの。
幼いけど、上の二人よりはマシだろうし。
素直な方だから、ちゃんと重臣の助言を聞けるはず。
あと数年すれば、きっと名君になるだろう。
と、帝都の貴族や官僚や軍人や民からすると順当な指名であった。
が、エルキュールは驚いた。
上に兄貴が二人もいるのに、何で俺が!!
というわけだ。
これは長耳族エルフという種族の価値観と、ジャパニーズという人種との価値観の齟齬から産まれた一種の認識の違い、カルチャーショックである。
長耳族エルフという種族は長生きで、百歳までは老いない。
そのため、見た目がそっくりの二十歳と百歳が混在する。
故に年齢よりも実力が優先される。
さらに言うのであれば、一度即位した皇帝はそう簡単に引きずり下ろせない。
長耳族エルフは寿命が長いので、後継者選びに失敗すれば最悪二百年間暗君暴君に支配される羽目になる。
故に多少幼くても、優秀な子を選ぶのが当然なのだ。
エルキュールの目から見て、レムリア帝国はどう見てもオワコン国家だ。
もう、滅ぶ一歩手前。
頑張れば滅びを止められるかもしれないが、出来なかったら自分の身も亡ぶ。
おいおい、お前の父ちゃんから受けた愛情を仇で返すのかよ。
と、思うかもしれないが……
そもそもエルキュールにとってハドリアヌス三世なんて偶に話しかけてくるおっさんだ。
もし仮に、日本の一般家庭のようにエルキュールとハドリアヌス三世が毎日顔を合わせて、一緒の食卓を囲み、小さい頃一緒にお風呂なんて入ってたらエルキュールもハドリアヌス三世を父親として見たかもしれない。
しかし実態は偶に廊下をすれ違い、一か月に一回勉強と武術の報告を少しだけして、そして偶に変なところに連れて回られる。
二人の交流はその程度しかなかった。
皇族の親子関係なんて、そんなモノである。
「大体、俺は旅がしたいんだよ。皇帝になったら旅ができないじゃん」
エルキュールはぶつぶつ呟きながら馬を走らせる。
ふと、エルキュールは後ろから何かが近づいてくるのを感じた。
「待ちなさい、皇帝陛下!!」
「皇帝陛下じゃない!!」
後ろから追いかけて来たのは、真っ赤な髪の美しい長耳族エルフの少女だった。
燃えるような赤髪に、ルビーのように美しい宝石。
肩のところで切られた髪が、太陽に照らされて美しく輝く。
気の強そうな目をエルキュールを真っ直ぐ睨みながら、彼女……カロリナ・ガレアノスは赤毛の馬を走らせる。
「何故逃げるんですか!!」
「お前が追うから!」
「あなたが逃げるから追うんです!!」
逃げるエルキュール、追うカロリナ。
二人の鬼ごっこは日が暮れるまで続き……
「捕まえた!!」
「あぐっ!!」
カロリナはエルキュールの襟首を捕まえ、馬から落とす。
速やかに受け身を取り、自分とエルキュールの体を巧みに守ってからエルキュールの上に馬乗りになった。
「皇帝になりなさい」
「嫌だ。俺は旅に出る」
「……そうですか、じゃあ良いです」
そう言ってカロリナはあっさり離した。
そして悲しそうな顔で言った。
「あなたともう会えなくなるなんて……悲しいです」
カロリナは顔を俯かせる。
すると、エルキュールは慌てだした。
「お、おい、カ、カロリナ?」
「あなたとずっと一緒に居たいです……」
カロリナはそう言って泣き始める。
エルキュールは何とか慰めようと右往左往するも、どうしようもない。
そしてついにエルキュールは言った。
「わ、分かった! 国に残るから、泣かないで」
「なら話は早いですね。早く即位を済ませましょう」
カロリナはエルキュールの首を掴み、馬に跨った。
「カ、カロリナ! お前、それはずるいだろ!!」
「お父様から、武人は勝つためなら如何なる武器も使えるようにならなくてはならないと言われていますので」
女の武器は涙である。
そしてエルキュールの弱点は自分の涙である。
エルキュールの幼馴染として、ずっと一緒にいたカロリナはそれを良く分かっていた。
レムリア帝国……正確に言えば東レムリア帝国首都、ノヴァ・レムリア。
その宮殿で一人の少年が溜息をついていた。
「ああ……即位してしまった……ああ、国と心中か……」
新たなレムリア帝国皇帝。
エルキュール一世である。
[ふふ、私の言った通りでしょ? あなたは次期皇帝だと。……せっかく、遠い世界の知識をあなたに与えてあげた、食べさせてあげたのだから、頑張ってね。期待しているわよ、未来の大英雄さん]
エルキュールにしか聞こえない声が、エルキュールに囁きかける。
エルキュールは溜息をついて、小声でその声に答える。
「……貴様は俺がどれだけ、そのせいで頭を悩ませたのか。この俺の前世があんな、冴えない男だと……まあ、確かに役には立っているが」
ブツブツと、エルキュールは声と会話を続ける。
「あーあ、退位したいなあ」
エルキュールが大きな声を上げると、後ろから男が声を掛けた。
「全く……いくらなんでも絶望し過ぎですよ。皇帝陛下」
「……何だ、外戚か」
いきなり外戚呼ばわりされた、男は苦笑いを浮かべた。
男の名前はクリストス・オーギュスト。
レムリア帝国、聖七十七家門、即ち純血の長耳族エルフであるハイエルフの貴族家のオーギュスト家の一人である。
クリストスの姉はハドリアヌス三世に嫁いで、第三王子……つまりエルキュールを産んでいる。
つまりエルキュールにとってクリストスは叔父と言う事になる。
クリストスは現在、エルキュールに最も血筋的に近い家臣であり、エルキュールの後見人の一人だ。
故に、皇帝であるエルキュールを除くとレムリア帝国でナンバー2・の権力を持っている。
容姿は美しい青色の髪に、エルキュールと同じ色の美しいサファイアのような瞳。
日に良く焼けた、褐色の肌。
そしてやはり、長耳族エルフなだけあって美形である。
「どうせ、お前が父上に吹き込んだんだろ?」
「私が何もしなくても、あなた様は皇帝に御即位されることになったと思いますよ、陛下」
クリストス・オーギュストは肩を竦めた。
「あーあ、革命でも起きないかなー」
クリストス・オーギュストを無視しながら、エルキュールは鼻歌混じりに空を眺める。
自分の空を飛ぶ鳥みたいにこの籠から飛び立ちたいよ。
気分は詩人だ。
「皇帝陛下!!!」
エルキュールが少し良い気分になっていたところを、大きな男の声が掻き消した。
エルキュールはイライラしながら、振り返る。
「ガルフィス・ガレアノス……俺は今、空を飛ぶ鳥に思いを馳せてとてもいい気分だったのだが……」
「これは、申し訳ありません。皇帝陛下。しかし、今日は陛下と今後の帝国の統治について一度お話ししなくてはと」
ガルフィス・ガレアノス。
聖七十七家門の一門、ガレアノス家の貴族。
レムリア帝国陸軍大将軍であり、帝国ナンバー3。
そしてカロリナの父でもある。
娘と同様に、真っ赤に燃える髪の毛。
ルビーのような瞳の持ち主だ。
服の上からでも分かるほど、筋肉が盛り上がっている。
そしてやはり、美形である。
「面倒くさいな……」
「ははは、そう仰らないでください。皇帝陛下」
エルキュールの呟きに対して、答えたのは中性的な容姿をした男性……?である。
ルーカノス・ルカリオス。
聖七十七家門のルカリオス家の人間である。
レムリア帝国の国教である、メシア教の最高位聖職者の一人ノヴァ・レムリア総主教を務める。
誰もが認める、帝国ナンバー1であり、そしてエルキュールの第一の後見人である。
尚、ルーカノスは男ではない。
女でもない。
けして叙述トリックではない。
要するに、男性器が無いのである。
これには深い深いわけがあるのだが、長くなるので割愛する。
まあ、コンパクトに説明するのであれば男性器よりも信仰が大切、というところか。
髪の色は美しい金髪。
瞳は翡翠色。
一見、体はヒョロヒョロとしているように見えるが……しかし鍛えられた筋肉がその服の内側にはある。男性器は無いけど。
そしてやはり以下略。
「外戚、軍人、宦官、そして十二歳の皇帝か。この国は滅んだな」
三人を見てエルキュールはとてつもなく失礼なことを投槍気味に言う。
とはいえ、エルキュールとは比較的長い付き合いの三人は苦笑いでそれを受け流した。
尚ルーカノスは宦官ではなく、ただ男性器が無いだけの男(?)である。
宦官は宦官で、別に存在する。
「お前らが勝手にやっててくれ、俺は滅亡まで書庫で楽しい楽しい勉強をしているよ」
エルキュールの趣味は読書だ。
とにかく、本が大好きなのだ。
だからこそ、彼にとって書庫は楽園である。
死ぬ時は本と一緒に燃やされるのがエルキュールの夢だ。
あっという間に書庫に逃げていくエルキュールを見て、三人は肩を竦める。
「カロリナ殿にもう一度頼むしか、ありませんね」
ルーカノスは笑った。
「陛下、出来ないんですか? 政治」
「何言ってるんだ? カロリナ」
カロリナは書庫で本を読んでいるエルキュールに問いかける。
エルキュールは本を読みながら、答える。
「まあ、三人のサポートがあればできるとは思うけど? 面倒くさいし」
「ふーん、出来ないんですね」
エルキュールの手が止まる。
カロリナは続ける。
「残念です。陛下なら、我が国の財政問題をあっと言う間に解決できると、それだけの能力をお持ちだと思っていたのですが……そうですか、いえ、仕方がないことです。陛下はまだ、十二歳ですから」
ちなみにカロリナエルキュールよりほんの少し早く生まれているが、同い年で十二歳。
エルキュールを十二歳だと、偉そうに煽れるほどの年ではない。
「陛下なら、出来ると思ったんですけどね……」
「出来るに決まってるだろ! 問題点が分かれば簡単だ。それを解決するだけ」
「でも、出来ないでしょう?」
「出来るって言ってるだろ!!」
エルキュールという男は、ガキだ。
実年齢ではなく、精神年齢が子供なのだ。
他人に見下されたり、バカにされたりするとすぐにムキになるのだ。
特に、少し気のある女の子にそんなことを言われると鼻を明かしたくなってしまう。
この負けず嫌いはエルキュールという人間の美徳であり、また欠点でもある。
「じゃあ証明してくださいよ」
「良いだろう。帝国の財政を……三年で立て直してやる!!」
例え、それが相手の狙いだとしても。
エルキュールという男は啖呵を切らずにいられない。
牛が赤いマントに突撃してしまうのと、同じである。
「その代わり……本当に立て直したら何か一つ、して貰うからな?」
カロリナはキスで赤ちゃんができると思ってるほど、純情な子である。
そのため、エルキュールの下心丸出しの要求に何の疑念も感じることができなかった。
「……分かりました。良いですよ。何でもします」
「よし、分かった!!」
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