HAKASEとROBO子

永多真澄

その日、ハカセは酒に酔っていた

 現代社会はストレス社会だ、なんてうそぶく有識者は多いけれど、人によってその解消法というのは千差万別だよね。気の置けない友人との他愛もない語らいなんてのもいいし、趣味に没頭するのもいい。スポーツで体を動かしてストレス発散!というのはフィジカルな健康面からみても有効だろうし、たまにはすべてを忘れて一人旅、なんていうのもオツだろう。ハカセ? ハカセもこないだ富士山のふもとまで行って帰ってきたよ。


 さて。二十歳を過ぎた社会人であれば、そのラインナップにお酒が加わることもなんら不思議ではなく。そして日々のストレスをお酒で解決しようとしたとき、人は深酒をしてしまう傾向にあるように思う。ストレスの程度にもよるけどね。

 一人で寂しく宅飲みなら特に問題ないけど、気の置けない男女の組み合わせがサシ飲みで前後不覚になるまで酔っぱらっちゃったりするとこれはいけない。気が付いたら見知らぬベッドの上、隣には寝息を立てる彼女。小鳥のさえずる爽やかな朝の環境音を聞きながら、やっちまった……!と頭を抱えて数か月後に電撃入籍なんてことも起こりえるからね。というかハカセが大学の研究室でスランプに陥っていた時に同僚二人がそれをやらかしてブチ切れそうになった経験あるよ。


 さて、ハカセはどこにでもいる在野のハカセである。特許の収入で日々をしのぎつつ、よろづのことに使っている。名をば……まあ名前はいいや、ハカセで伝わるし。


 そんなハカセも最近ずいぶんストレスまみれ。ここ半年だけでも大学を辞め(させられ)、実家を研究所に改造したらご近所さんから苦情が殺到してあわや裁判寸前まで行ったり、貯金を崩して仕方なく人里離れた山裾に転居したらン十年に一回の大水で床上浸水したり、トルコンなのに交差点でエンストしたり、外歩いてたら突然雷に打たれたりと、もうさんざん。よく生きてるなあ。


 なので必然というべきか。この頃、ハカセはお酒にびっちゃびちゃに浸っていた。


 さて、ハカセには恋人はおろか、近所には友人のひとりもいやしない。唯一の友人は月面観測基地の研究員だから、おいそれと会えないしね。人里離れた山裾だから飲み屋もないし、必然的に一人で宅飲みということになるんだけど、そうなると誰も止めるものがいないので深酒具合も増し、今やアルコール依存症一歩手前という酷い有様になってしまっていた。


 今日も今日とて近所(といっても2キロくらい離れた集落)のクソガキ共が勝手に研究所に侵入してハカセ入魂の発明品を弄り倒していったもんだから、たいそう虫の居所が悪かった。こんな時にはどうするかって?そうだね、お酒だね。よいこは真似しないでね。悪い大人になっちゃうよ。何が悪いって? 健康にだよ。

 ハカセはもう飲みに飲んだよ。ビールの350㎜缶を4本開けて、日本酒を3合飲み、気分が悪くなってきたので缶チューハイで一休みしてから、意識がなくなるまで焼酎の水割りをちびちびやったんだ。ねえハカセ、禁酒しよう? そのままいったらマジで死んじゃうよ?……でも残念、僕の声は博士に届かない。だけどもしかすると、僕の気持ちくらいは届いたのかもしれないね。


 あくる日。外を通り過ぎて行った始発の新幹線の轟音に、ハカセは目を覚ました。起きたというより、辛うじて意識を取り戻したって言ったほうがいいかもしれないね。ひどい顔色だもん。土気色のほうがまだ鮮やかな色してるよ。完全に死相がでちゃってる……。

 ハカセは頭蓋骨を直接すりこぎでゴリゴリやられてるような強烈な不快感と、胃袋を押し上げる耐え難い嘔吐感を我慢して、途中トイレに駆け込んだりしつつ(胃液しか出なかったよ)、台所に水を飲みに行ったよ。そしたらほんわりいい匂いが漂ってきて……


 ここでハカセはおや、おかしいぞと気づいたんだ。だってこれ、明らかにお味噌汁を作ってる匂いだから。

 重ねて言うけどハカセは独身で、この研究所兼住居に一人暮らし。ご両親は早くに亡くされて天涯孤独だから、じゃあ誰が?


 すわ、怪奇現象!


 もしくは不法侵入だね。ふって湧いたアクシデントに思考回路はショート寸前。本当だったら走ってでも行きたいんだろうけど、それすると本当に死んじゃいそうだからゆっくり博士は台所に向かったよ。昔ながらの玉すだれをくぐると、そこには……


「あっハカセ! おはようございます。朝ごはん、簡単なものですけど出来てますよっ」


 歓びに弾む声、みそ汁のかほりに紛れて漂う嗅ぎなれた機械油のにほひ、微かに聞こえるサーボの駆動音……。


 サーボの駆動音?


 そうだね、そこにはフリフリのエプロンをつけた女性型ヒューマノイドがお玉片手に鍋かき混ぜてたね。


「なんだ夢か」


 ハカセはあんまり驚いたのか、崩れ落ちるように倒れたよ。おや、安らかな表情だけど脈がない。つまりハカセは生命活動を停止……死んだのだ。






「いやあ、Yシャツの胸ポケットに除細動器を仕込んでおいて助かった」


 奇跡的にハカセは生き返った。ううっ、液漏れ警告でそう(涙ちょちょぎれそう的なニュアンス)。いけないいけない。ロボ子ちゃん(仮称)もそんな感じだけど彼女は涙が流せないのでダダッダー。


「本当に良かったです……!博士が死んじゃったら私、私……この研究所もろとも自爆してすぐにでも博士のおそばに……!」


「重い重い重い。というか君重量300キログラムくらいある物理的に重いんだからしがみつかないでまた死ぬ」


「あっすいません私ったら乙女としてあるまじき行動を!……でも、助かったのは本当に良かったんですけどなんでYシャツに除細動器が仕込んであるんですか?」


 博士は2秒考え込んで「分からん」と簡潔に科学者らしく答えた。わからんもんはわからんのである。むしろ君のほうがもっとわからんわ。相変わらず生気の無いハカセの顔色は如実に不審感一色に染まったよ。


「で、君は一体何者なの?どっから入ってきたの?どっかの研究所の嫌がらせ?」


「はい!昨日の夜ハカセに作っていただきました!」


 ハカセは考え込んだ。今度はずいぶん考え込んだので5秒もかかった。


「まったまたぁ~」


 でも結局何にも思い当たる節がなかったようだね。でろんでろんに酔っぱらってたもんね。仕方ないね。


「そんな……昨日はあんなに激しく私の中を弄り回して、体中を撫でまわして、いろんな穴に刺したり抜いたり……」


「そういうのやめよう」


 ロボ子(仮)はよよよとしなを作って泣き真似しながら際どいことを言った。これ全年齢対象だかんね。いい年した乙女(自称0歳1日)が言っていいセリフじゃないよ。もっとおしとやかに、穏便に、ね?


「はぁい」


 ロボ子はちょっとすねたように返事をしたよ。可愛いなあ。


「ウン可愛い。しかし全く記憶がない。仕方ないし朝ご飯を食べたら監視カメラ確認しよっか」


「はいハカセ!」


 ロボ子は元気に返事をして飛び跳ねた。可愛い。台所の床が衝撃荷重に負けて砕け散った。かわ……かわいい(鉄の意志)。根太組みごと床やらなかっただけ可愛いものだよね。うん。


「おっシジミの味噌汁。二日酔いにありがたいなあ。でもシジミの備蓄なんてなかったし店も開いてないような……」


 現在時計は午前6時。近所の魚屋さんだってまだ店開けてなくない?


「海でとってきました!」


「あっ……うん」


 ここド内陸で海まで60kmくらいあるんだけど気にしたら負けだよね。そもそもあの辺のシジミの漁業権とかどうなってたっけ……

 うん。いくらアルコールに脳味噌破壊されてるとはいえ聡明なハカセはこの件について一切気にしないことにしたよ。


「うん、おいしい。ちゃんと出汁がきいてる」


「やったあ、ありがとうございますハカセ!」


 ロボ子ちゃんは喜びを全身で表してぴょんこぴょんこ飛び跳ねた。可愛い。断続的な衝撃が加わってついに床が抜けた。かわ……か、かわ……可愛い(鋼の意志)。よいしょって抜け出て足の砂ぱんぱん払ってるところとかとっても可愛い。ここが1階でよかったなあ(現実逃避)。ところでロボ子ちゃん気付いてるのかわかんないけど今ハカセ横で飯食ってるからね。

 ハカセは砂を噛むような顔をしたよ。食べてるのが貝だけに……ね(ドヤ顔。

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