終
「ねえ、今から会える?」
涙を出し尽くして、流れた涙も渇ききった頃。あいかは駅に向かいながら男に電話をかけた。
夜も深まってきた時間の呼び出しだというのに、彼は一言も文句を言わなかった。それどころか、向こうからわざわざこちらの駅まで来てくれるという。
しばらく駅で待っていると、残業帰りのサラリーマンに紛れて彼が現れた。
「よう」
「こんな時間にごめんね」
「いいって。お前から呼び出してくれるなんて初めてだからな」
「そうだっけ?」
「それで、どうかしたのか? 昼のデートでなんか忘れ物でもしたのか?」
「……抱いて」
「は? 急にどうした?」
「……」
「……じゃあ、ホテル行くか」
「うん……」
彼は何も尋ねることもなく、あいかの手を握って歩き出した。道中も何も言わなかった。ただ、痛いほどに手を強く握ってくれた。
手近なラブホテルに入って、特に変哲もない部屋に入る。
「先シャワー浴びてくるぞ」
「待てない」
「シャワーなしでいいのか?」
「いいからキスして」
とにかく愛がほしかった。胸に空いてしまった穴を埋めるために。失恋の記憶を塗りつぶすために。つくしのことを忘れるために。
「……わかった」
彼は文句を言うこともなくあいかのことを抱き寄せた。
腰に回された腕が力強くあいかを引き寄せ、躊躇することなく口付けを交わす。
ああ、これがあたしの求める愛だ。これこそが、愛されている何よりの証明だ。
痛いほどの抱擁。火傷するほどに熱いキス。恥も外聞もなく、互いを求め合う情熱的な行為。あいかがつくしに求めて、そして叶わなかった愛の形。
舌が交わり、唾液が混じり、呼吸が辛くて、それでもキスを止めることはない。つくしとの思い出が隠されていく。体の熱が上がるにつれて、ぼんやりと霞がかかったようにわからなくなっていく。あいかの愛が、男の愛によって塗り替えられていく。
『あいかちゃんっ!』
「っ!」
「うおっ?」
あいかに突き飛ばされた彼がベッドに尻餅をつく。
「ど、どうした?」
つくしの声が聞こえた。別れ際の、あいかを求める悲痛なつくしの声が、あいかの鼓膜を確かに震わせた。しかしつくしがこの場にいるわけがない。見渡しても目に映る人間は彼しかいない。
幻聴だ。最後に見たつくしの姿と声が脳に焼き付いてしまっただけだ。気にすることはない。そのうち、気にも留まらなくなり、つくしの記憶は過去のものとして処理される。だから、今はとにかく愛されなければならない。
「……な、なんでもない」
「なんでもないのに突き飛ばすかよ……」
「ごめん……」
「……なあ、何かあったなら話してくれても――」
「いいから、続きしよう?」
ベッドに座る男に覆いかぶさるようにして体を重ねる。
「……まあ、お前がそういうなら何も聞かないけどさ」
再開されるキス。男の手が胸に回り、あいかの興奮を高めていく。
つくしが一度も触れてくれなかった場所。見ることもなかった場所を男がまさぐっていく。
「……んっ」
泣き声が聞こえる。聞こえるわけのないつくしの泣き声が、脳の中に鳴り響く。耳鳴りのようで、頭が痛い。そのせいで彼の声もよく聞こえない。
「服、脱がすぞ」
「うん」
つくしが額から血を流してこちらを見ている。涙と血が混じりながら顔を流れ、床に零れていく。つくしの瞳の中に、あいかの姿が見えた。泣いているつくしの瞳の中で、あいかもまた泣いていた。
「なあ、今日はどうする?」
「いいよ、舐める」
血を流すつくしの頭を誰かが蹴り飛ばした。それでも、つくしは涙を流しながら、愛していると叫んでいた。捨てないでと、声を張り上げていた。その頭を、また誰かが蹴り飛ばしていた。
「そろそろ入れるぞ」
「うん、来て」
つくしが少女に声をかけている。少女は泣いていて、嗚咽交じりに家出をしてきたとつくしに説明している。少女の頭を撫でながら、つくしは微笑んでいた。いつもと同じように、あいかに向かってつくしは微笑んでいた。
「う、もう出そうだっ」
「……っ」
これはきっと呪いだ。けして罰なんかではない、つくしからあいかへの呪い。
目の前では、つくしが首を吊りながら泣いていた。
「ごめん、別れて」
それがピロートークの第一声だった。
「……わかった」
「え?」
「なんだよ」
「いや、そんなにあっさり……いいの?」
「まあ、そうなんだろうなと思ってたからな。明らかに様子おかしかったし」
「そっか……ごめん」
「元々はこっちが酔ってるところにつけこんだのが悪かったんだ。気にすんな」
「……あれ、確信犯だったんだ」
「おう。強引にでも付き合って、その内惚れさせれば勝ちって思ってたんだけど、だめだったな。次からは遊びのときだけにしとくわ」
「それでも最低だから」
「それもそうか」
「じゃあ、あたし行くね」
「もう少しゆっくりしたらどうだ?」
「そんな余裕ないよ」
「どういうことだ?」
「こっちの話。楽しかったよ。これから先、一生あたしに話しかけないでね」
あいかが出て行ってから数時間。再びあいかはつくしの家に戻ってきた。
玄関には鍵がかかっていない。あいかは静かに扉を開けると、部屋に一直線に向かった。
つくしは、まだ泣いていた。涙をぼろぼろとこぼしながら、床に垂れた涙と血をタオルで何度も拭っている。
「……あいかちゃん……? あいかちゃんっ!」
あいかに気づいたつくしはぱあっと顔を綻ばせた。さっきまで死にそうな顔をしていたのに、あいかが戻ってきたというだけでこれだ。
言葉通り、つくしはあいかがいっしょにいるだけで本当に幸せということなんだろう。あいかがどんな思いを抱いていようと、ここに帰ってくるまでの間にどんな目に遭っていようと、そこにいればつくしは幸せなんだ。それが気に入らなくて、気づけばあいかの足はつくしを蹴り飛ばしていた。
「つっ……あいかちゃん、あいかちゃん……!」
痛みに顔を歪めながらも、つくしはあいかの名前を嬉しそうに呼び続ける。そこにいることを何度も確認するように。幸せを噛み締めるように。
その呼びかけに応えないまま、あいかはつくしに問いかけた。
「つくしちゃん、選んで。一生あたしの命令に逆らわないか。それとも今すぐあたしを抱くか。どっちか選んでくれたら、あたしはつくしちゃんの傍にいてあげる」
それはあいかなりの最大限の譲歩。セックスもキスも強要しない。その代わり、その他の全てを差し出せという、悪魔のような要求。それなのに、つくしは悩む素振りも見せなかった。
「……そんなこと、私はいつだってあいかちゃんのためなら何でもするよ。あいかちゃんが傍で喜んでくれるなら、私はどんなことにも耐えられるから」
あいかの足がつくしを蹴とばす。
「抱いてくれないくせに愛してるふりはやめて」
「ふ、ふりなんかじゃ――」
「まだわからないの? あたしにとっての愛はセックスなの」
「で、でも……」
「あんまりしつこいと出てくよ?」
「ご、ごめんなさい……! 謝るから、それだけは止めて……」
「それじゃあ、あたし今日からここに住むね」
「え?」
「同棲しようって言ってるの。あたしも大学生だし、愛し合うカップルならおかしくもないでしょ?」
「……ほんとう?」
「いやなの?」
「ううん、いやじゃない! すっごく嬉しい! 私、これから毎日あいかちゃんにご飯を作ってあげられるんだね!」
花が咲いたように笑顔を咲かすつくし。それがまた苛立たしくもあったが、口の端から垂れた赤い血があいかを踏み留まらせた。
この先つくしといっしょにいる限り、あいかは絶対に報われない。それでも、あいかはつくしの傍に寄り添うために帰ってきた。
まさに呪いだと思う。
こんなにも辛いのに、あいかはつくしから離れられないのだから。
こんなにも憎らしいというのに、同じくらいに愛おしいのだから。
ああ、あたしはこんなにもつくしちゃんに
「……ねえ、つくしちゃん?」
「なーに?」
「信じてもらえないかもしれないけど、あたしは本当に、本気でつくしちゃんのことが好きだよ」
「私もだよ。私もあいかちゃんのことが大好き」
「……そっか」
「うん!」
多分、この関係は長続きしない。どう転んでも、あたしたちはふたり一緒に幸せにはなれない。
それでも、幸せになりたいと願わずにはいられない。つくしちゃんと笑い合って、手を繋いで、セックスをして、歩いていきたいと思ってしまう。
きっとこれは普通のカップルにとってはささやかな願いで、あたしにとっては手が届かないほど困難な願い。
どうか、つくしちゃんがあたしを愛してくれますように。
えっちがしたいネコ希望のタチとえっちはしたくないお姉さん @papporopueeee
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