「あのね、今日のお昼に駅前であいかちゃんを見かけたんだけど……」

 つくしとの淡い睦み合いの最中、その言葉は放たれた。

「え?」

「あいかちゃん、駅前で何してたの?」

「な、何って……」

 驚きで声が出ない。表情を繕うことも、言葉を紡ぐ事もできず、焦点が定まらないままぼやけたつくしの顔を見つめる。

 今日の昼から夕方までの間、あいかは浮気相手とデートをしていた。つくしはその現場を目撃したと言っているのだろう。

「え、えっと……その……」

「……その反応、やっぱりそうだったんだね」

「あっ……ご、ごめん……なさい」

「いいの、謝らないであいかちゃん」

 優しい声色だが、その声は震え表情は曇っている。

 つくしは同性であるにも関わらず、あいかに告白をした。勇気のいる行為だったはずだ。あいかとつくしの数年間の付き合いを終わらせるかもしれなかったのだから。

 あいかはその告白に応えた。このとき、つくしはいったいどれほど嬉しかったのだろうか。そして今、あいかに裏切られたと知ったつくしの絶望はどれほどだろうか。

「つくしちゃん……」

 何を言えばいいのかわからない。何をすればいいのかもわからない。

 悪いことをしているという自覚はあった。いつか露見するだろうという予見もしていた。バレたときのために、いくつか言い訳も用意していた。だというのに、あいかは何も言えず、何もできないまま口をぱくぱくと動かすことしかできない。

 本当に好きなのはつくしだけだと言ったとして、その言葉にどれほどの説得力があるだろうか。例え行動で示そうと思っても、あいかの愛はつくしには拒絶されるだけだ。

「あいかちゃんは謝る必要なんてないの。だって、悪いのは私なんだから」

「え?」

「謝る必要があるのは私のほう……ごめんね、あいかちゃん。二股なんてさせちゃって……」

 確かに、二股の元々の原因はつくしがあいかを愛してくれなかったことだ。いや、正確にはあいかの求める愛をつくしがくれなかったことだ。しかしだからといって、つくしが悪いというのは飛躍しすぎなように思える。

「そんな、つくしちゃんは悪くないよ。だからつくしちゃんが謝らないで」

「あいかちゃん……。そうだよね、あいかちゃんは優しい子だもんね。だから、なおさら二股なんて辛かったよね」

 辛いという言葉に違和感がある。罪悪感があったのは事実だ。いつバレるかとびくびくしていたのも間違いない。二股をしなければ済むのなら、きっと望んではしなかっただろう。

 それでも、あいかは加害者で、つくしは被害者だ。だというのに、つくしは自分が責められるべきとでも言うように縮こまっている。

「私たちは両思いじゃなかった。この恋愛は私の片思いだった。あいかちゃんは思いやりのある子だから、こんな私と付き合ってくれてたんだよね。家に遊びに来てくれて、お買い物に付き合ってくれて、お話してくれた。あいかちゃんが私なんかといっしょにいてくれるのは夢みたいで、とても幸せだった……。でも、私は楽しくても、あいかちゃんは楽しくなかったんだよね。好きでもない、哀れでかわいそうなだけの女に告白されて……あいかちゃんは優しいから付き合ってくれたけど、そんなの苦しいだけだもんね。それなのに、私があいかちゃんの気持ちも察せないような女だったから、あいかちゃんは別れたいと思っていても言い出せなかった……」

 あいかはつくしのことが好きではなく、つくしといっしょにいても楽しくなく、つくしと別れたかった。

 それがあいかの本音であるとつくしは言った。あいかは哀れなつくしに付き合ってくれていた聖母のような女性であると、つくしは思っているらしい。なんて哀れな勘違いなのか。あいかはつくしが思っているような、出来た人間ではないというのに。

「違うよつくしちゃん。あたし本当につくしちゃんのこと大好きだよ。確かに告白されたときはつくしちゃんのこと愛しているのかわからなかったけど、今なら愛してるって自信を持って言える。だから、つくしちゃんは悪くないの」

「……そうなんだ。やっぱり、付き合ってくれたのは私がかわいそうだったからなんだね」

「そ、そうだけど、でも今は――」

「ごめんね、重い女だったよね……。あいかちゃんは同情で付き合ってくれてたのに、なのに私、まるで相思相愛みたいに振舞って……馬鹿だよね。あいかちゃんの優しさに甘えて、あいかちゃんの時間を奪って、自分だけが幸福で。一方的な愛なんて、迷惑だったよね……。そんなの嫌気が差して当然だよ……」

 ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、つくしは嗚咽を漏らし始めた。初めて見るつくしの泣いている姿。可愛くて、綺麗で、頼りがいのあるつくしが、子供のようにみっともなく泣いている。しかしそれよりも重要なことをつくしは吐露していた。

 つくしの発言はおかしい。あいかの愛が一方的であったというのならわかる。キスやセックスをつくしに何度もせがんでいたのだから。

 けれどつくしの愛が重いというのはおかしい。あいかはつくしと付き合っていて重いと言えるような愛を味わったことはない。あるのは囁くような愛の言葉と、手が触れ合うだけのスキンシップだけだ。

「ごめんね、こんな女うざかったよね。あいかちゃんの善意につけこんで、調子に乗って、本当にごめんね……」

「ち、違うよつくしちゃん! あたしはつくしちゃんのこと重いなんて思ってないし、むしろもっと愛してほしいって思ってたよ!」

「うそだよ、そんなの……そんなわけがない」

「ど、どうしてそんな嘘だなんて言い切れるの?」

「だって、本当に私のことが好きなら、あんなに体を求めたりしないでしょ?」

「ど……どういうこと?」

「本当に好きだったら、傍にいてくれるだけでいいはずだもの。いっしょにお話して、食事をして、笑いあう。私はそれだけで良かった。あいかちゃんのことが好きだから、愛してるから。あいかちゃんが隣で微笑んでくれるだけで幸せだった。私の料理を美味しいって食べてくれるのが至福だった。でも、あいかちゃんは違った。それだけじゃ満足できないから、本当は愛情じゃなくて同情だったから、気晴らしがしたくて私を誘ってたんでしょ?」

「そ、そんなの……違うよ」

 そんなのはおかしい。セックスは、キスは恋愛において重要な要素であるはずだ。好きだからこそ、本気で愛しているからこそ体を求めるのではないか。セックスもキスも、決してただの性欲発散の暇つぶしなんかじゃない。

「つくしちゃん、私は本気でつくしちゃんが好きだよ」

「もう止めて。私をからかわないであいかちゃん……」

「私が浮気をしたのは、つくしちゃんの愛が重かったとか、そんな理由じゃない。つくしちゃんが愛してくれなかったからだよ……?」

「そんなわけない、私はあいかちゃんを愛してる。今だって愛おしくて……なのにどうしてそんなことを……」

 何を言ってもつくしはわかってくれない。今までもずっと繰り返した。何度もあいかはつくしに伝えていた。つくしはいつもそれを拒否した。

 それでも、あたしはつくしに言う。本気で、あたしの全てを伝えてやる。

「じゃあ……あたしのこと抱いてよ」

「ほら、またそうやって! あいかちゃんは私のことなんて―」

「だまってっ!」

「っ!?」

「これがっ! これがあたしにとっての愛なの! つくしちゃんはいっしょにいるだけでいいかもしれないけど、あたしはそれじゃ嫌なの! 微笑んでくれるだけじゃなくてキスしてほしい! お話するだけじゃなくて抱きしめてほしい! 恥ずかしい場所を晒して、痛いくらいに愛してほしいの! あたしはつくしちゃんのことが好きだし、本気でセックスがしたいのっ!」

「あ、あいかちゃん……?」

「……今日も、あたしはセックスしてきた」

 それは言うべきじゃなかったかもしれない。言わなくても結末は変わらなくて、ただふたりの間にしこりを残すだけな気がする。それなのに、あいかは心の全てを漏れるままにさらけ出した。

「少し前に飲み会でお酒をたくさん飲まされて、気づいたらセックスしてて、いつの間にか彼氏ができてた。後悔してた。縁を切りたかった。つくしちゃんを裏切ってるのが心苦しかった。……それなのに、あたしはあいつを拒絶できなかった。キスをされると愛を感じて、セックスをすると恋を感じちゃうの。つくしちゃんのことが好きなのに、あたしはセックスをしてる最中はあいつに夢中になってた……。あたしはそういう女だったの!」

「……」

 つくしは驚いているような、それとも悲しんでいるような。きっとどっちもなのだろう。

「ねえつくしちゃん、今すぐあたしを押し倒して。なりふり構わず、ただあたしのことを求めて。犯すようにキスをして、穢すようにあたしのことを抱いて。そしたら、あたしはきっとあの男のことを忘れられる。きっとつくしちゃんの側に胸を張って居られる。だって、あたしはつくしちゃんのことを愛してるから」

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