雨音の世界

モチヅキ イチ

-

 学校の授業が終わると、突然の雨。傘を持ってきてたのは僕だけで、ほかのみんなは屋根のある離れたアーケード街から帰っていく。

高い家に囲まれた、ちょっと細い路地。いつもならここを同級生のみんなが歩いていくけど、今は僕ひとりだけ。いつもなら賑やかな路地も、今じゃ雨音だけが鳴り響いていた。

僕はぽたぽたと水の滴り落ちるずぶぬれの鞄をぎゅっと握って、鼻をぐずっとすする。

「なんだいあいつら。傘を持ってるだけで、そんなに気に食わないものかね」

 ふと、顔を横に向けた。おもちゃ屋のガラス張りの壁に、僕の姿が映っていた。この街では珍しい、キツネの僕。傘で隠れた茶色い耳っこは濡れてないのに、しっぽはまるで川に落ちたみたいにびっちょり。毛がたたまれちゃって、いつものふかふかのしっぽは力をなくしてしまっていた。

「うぅ……」

 急に寒気が襲ってきて、僕はぶるぶると体をふるわせた。ガラスに映っていた僕の顔をじっと見ると、そのガラスの向こうにあるものと目が合う。僕はじっと見つめて、顔を近づけた。あまりにも目がそれに奪われてしまっていて、傘のフチがこつんとガラスに当たるまで近づいてしまった。

ガラスの向こうで、僕を見つめているそれ。おもちゃの恐竜だ。

そういえば、これと似た恐竜を、昔見たことがあったなぁ。あれは、僕が小学校に入学したての頃だっけ。

同じクラスメイトと馴染めなくて、僕はいつもこの路地を一人で帰ってた。そして今日みたいに、僕以外に誰もいない日があったんだ。あの時も確か、雨だったかな。

どこから来たのか、恐竜は後ろから現れて、僕を飛び越していった。恐竜は、それくらいに大きかったんだ。僕がどこへ行くのかと呼び止めると、恐竜は「さぁね、自分の居場所を探してるのさ」と答えてくれた。

居場所って何? 僕も探したい。そう言うと恐竜は僕を背中に乗っけてもらって、一緒に歩いていった。だけどもすぐに、恐竜はいなくなっちゃったんだ。あれはなんで、いなくなっちゃったんだっけ。

この話を学校ですると、僕とクラスメイトの間には余計に大きな壁ができたように感じた。見えないんだけど、そこにあるって確かに分かるような。

そうやって僕は、僕の居場所がだんだんとなくなっていった。

「……あいつ、また出てくれないかな」

 胸の奥がキーンとした。まるでかき氷を食べた時みたいに。でも痛くない、不思議な感じのキーンだ。

「早く家にかえろ」

 空を見上げても、ため息しか出ない。僕は家の方へ歩いていった。上からぱたぱたと僕の傘を強く打ちつける雨音に、下からばしゃばしゃと水たまりを踏みつける足音。その二つの音が、僕を包み込んでいた。

「……ちょっと、うるさすぎるよ」

 僕はぱたんと耳を閉じた。不規則に雨粒の音が籠って聞こえてくる。

だけどもそんな中で、ひと際大きな水の音が閉じた耳をかき分けてくる。ずしん、ずしん。地面も一緒に揺れている。僕は耳を開いた。音は、後ろの方からする。

音のする方へ、振り返った。僕は口をぽかんと開けた。

そこには、何も見えない。何も見えないんだけど、何かがいるのが分かる。巨大な何かを、雨粒が叩き付けている。それは水たまりをずしんずしんと踏みつけて、その度に大きな水しぶきが上がる。

見えないけど、そこにいる。雨粒が作る輪郭は、恐竜に見えた。

「うそ……」

 僕は直感した。これが昔会ったことのある、恐竜だって僕は一歩、二歩と近づく。僕の目の前で水しぶきが上がって、ぐらりと地面が少し揺れた。

水しぶきのした方に、手を伸ばす。だけどもまるで何もないように、触れた感触も何もなかった。おかしいな、確かにここに足があるはずなのに。そう思っていると、僕の後ろで水しぶきが上がる。水しぶきの連続は、僕を越えていってどんどん遠ざかっていく。

「やだよ……待ってよ!」

 僕は追いかけた。足がもつれそうになりながらも。いる筈なのに、見えない。いる筈なのに、さわれない。雨粒は恐竜の体を叩いているのに、僕だけがまるで別の世界にいるみたいだった。

なんで雨だけが、恐竜にさわれるのさ……。

僕はバランスを崩して、水たまりにダイブするように転んでしまった。持っていた傘が放られる。

「うぅ、なんで……」

 全身びしょぬれで、顔もぐしゃぐしゃになる。雨は容赦なく、僕の体を打ちつけていた。さっきよりもとても強くなっているみたいだ。


僕も、恐竜と同じ世界に行きたいのに。


世界が、籠って聞こえる。僕は顔を上げてぐいと水滴を拭う。腕もびっちょりで全然すっきりしなかった。ぼやけた視界では前がよく見えない。だけども、何かが僕を見ているように見えた。

なんだろう、目の前にいるの。

僕は立ち上がり、顔をごしごし拭った。視界はまだぼやけている。だけどさっきまで透明だった恐竜が、ぼんやりと見える気がした。大きなしっぽをゆらりゆらりさせて、振り返って僕を見ているような。

恐竜は、何か囁いた。なんて言ったのかはっきりとは聞き取れないけど、でも目をつぶってと、こう言いたい気がした。

「うん、分かったよ」

 ぎゅっと目を閉じた。雨の音や僕の体に当たる雨粒の感覚だけが伝わってくる。路地を挟んでいた建物も、全部消えてしまった。あるのはただの黒い空間。その中にどっしりと構える恐竜がはっきりと見えた。

 恐竜はにっこりと笑う。視界が少しだけぼやけた。

僕は目を瞑ったまま顔を拭って、恐竜に駆け寄る。恐竜は頭だけでも僕より大きい。ぎゅっと抱き付くと、ごろごろという大きな音が鳴っていた。

「君のこと、ずっと探していたよ。またこうやって、会うことができた。今度こそ、僕たちだけの居場所を見つけよう」

 僕は恐竜の頭に乗っけてもらい、恐竜はぐいと頭を上げた。恐竜以外何も見えないけども、とっても高いとこにいると、空気で分かった。

もし目を開けてしまったら、どうなっちゃうんだろう。ふとそんな考えがよぎった。そしたらまた、恐竜と離れ離れになっちゃうかもしれない。そんなのは、いやだ。僕はぎゅっと目を瞑って、しっかりと耳を立てていた。

「ねぇ恐竜さん、どこへ行くの?」

「さぁ、それは僕にも分からない。だけども世界はいくらでもある。僕ら二人の居場所が、どこかにあるはずさ」

 ずしん、ずしん。恐竜は水たまりを踏みつけて進んでいく。耳の奥まで伝わってくる、体中を打ちつける雨音や地面の響く足音。それを聞きながら、僕は恐竜とずっと一緒にいられる新しい世界に、新しい僕らの居場所を思い浮かべて、胸を高鳴らせていた。

「さぁ、トンネルをくぐるよ。しっかりかがんでて」

「うん!」

 恐竜はぐいと頭を下げ、ずんずん進んでいく。すると急に雨の感覚がなくなった。それでも、恐竜はそこにいてくれる。消えたりしない、ずっとここにいる。僕は両手いっぱいに恐竜をぎゅっとして、その温もりを感じていた。

「さぁ、君はどんなところへ行きたい?」


 誰もいなくなった路地。雨はコンクリートを打ち付けて、パラパラと力強い雨音を響かせる。そのど真ん中に、一本のちいさな傘が転がっていた。

風に揺られて、くるくると回る。その持ち主は、どこにも見えない。少年を雨から守っていた傘だけが、ここに残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨音の世界 モチヅキ イチ @mochiduki_1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る