泣いた鬼.二
「言っておくが俺はこんなの、やったことがないぞ」
手伝うと言いここまで来てしまった手前、今更断るつもりもないが、正直何から手を着けて良いのやら、全くわからなかった。
「いいよ、この小屋だって元々わたし一人で建てたものだし、キョウはわたしの言う通りに手伝ってくれればいい」
「お前ひとりで……、それは……大したものだな」
人は見かけに依らないものだ。敵と対している時以外は、何処か抜けている女だと思っていたのだが、意外と器用であったらしい。現に今もせっせと慣れた手つきで道具やら何やらを揃えている。自分にないものを他人が持っているというのは、どことなく気に食わないものだが、それでも素直に感心してしまう。
「大したことでもないよ、わたしはキョウのように力持ちじゃないからそれなりに苦労した」
ミに指示をされ、材料となる丸太を担ぐ俺を見て、ミは少し照れたようにはにかんだ。
ミの指示通りに木を切り倒し、ミの指示通りに木材を調達する。
母のもとで刀を習っていた頃、稽古の合間によくこうして自分なりの修行をしたことだ。だが、こうして思い出されるのは、何故だろう、自身の力を高める為の教えよりも、よくわからなかった母の言葉ばかりであった。
俺達はレンさんの家を出ると、またあの川のほとりまでやって来ていた。俺と、あの熊のようなジュソに壊されてしまった小屋を直す為だ。事情を聞いたレンさんからも手伝うように念を押されていたが、そうでなくとも最初からそのつもりだった。ばばあの戯言の所為でこうなったとはいえ、俺に多分の責任があるのだ。いくら打算的とはいえ、最低限の良心くらい俺だって持ち合わせている。
ただ、手伝うのにもっともらしい理由ができて助かってはいた。
「それはそうとお前……その格好……」
ミはこの小屋に着くなり着替えを始めた。
それはこれまでと同様藍色の着物であったが、その裾は異様な程短かった。膝よりも遥かに上である。加えて、上半身は台所に立つ者がするように、紐でたすきがけにしていた。眩いくらいに白い両手足の肌を存分に晒している。
鈍いとはいえ、さすがに俺の言わんとしていることに気がついたらしく、ミは手を止め、くるりとこちらに向き直ると、両腕を開いて自らの格好を示すようにした。
ころりと首を傾げ、心底不思議そうな表情だ。いちいち説明する気も失せる。
「この方が動きやすいのだが……変か?」
俺の言葉に、ミは心許ない表情を見せる。
「変だ。はしたない。お前女ならなぁ、そういうことに少しは気を使え」
昨日の髪のことといい、寝床のことといい、やはりこの女はどこかおかしい。あるいは女に見えるというだけで、実は女ではないということも……、化け物と対峙した時の全くといっていい程気後れしない様を見れば、重重承知できる。
そんな冗談めいた納得を頭に描きづつ、ふと壊れた扉からミの小屋の中を眺める。
思えば、ミの小屋には鏡台が見当たらない。戯言通り、男ならば不思議はないが、女であるならばあの ヒノトやツヅミのような子供でさえ、毎朝鏡の前で髪を整えていることを知っている俺からすれば、それは至極妙なことであった。それにそれだけではない。鏡台が無いそれどころか、ほとんど何も無かった。生活に必要なものだけを最低限揃えたふうでもある。何とも女の色気というものが感じられない。
「はしたないかぁ。キョウは嫌か? 女がこんな格好をしていると」
「いや、嫌ってわけじゃない。嫌ってわけじゃないが――」
そんな格好で膝を付いて作業されると、かなり危ういというか、こちらの目の遣り場に困る。とまではさすがに言うこともできず、
「そもそも何でそんな着物を持ってるんだ?」
と、適当にはぐらかす結果になった。だが、正直気になることであるのには間違いない。昨日の今日で準備が良過ぎる。
「これはな、本来ジュソ退治に行く時に着る着物なんだ」
「ああ、成程な」
訊いたのはこちらだが、案外簡単に納得させられてしまった。確かに、命の係わる戦いに形振りなどかまっていられない。自身の恰好のせいで後れを取り、ジュソにやられるなど、それこそ格好悪いこと極まりない。まあ、この女に関して言えばそのような葛藤があるのか、怪しいものだが。
昼になる頃には、俺が壊してしまった戸は完成し、ジュソに壊された壁の方の修理を進めていた。
戸と比べればこちらは少々骨が折れそうだ。
だが、元々そこまで大きい小屋ではないのだ、作りも簡素だしこの調子でいけば完成までそこまで時間はかからないだろう。
ならば、こんな面倒事は早めに済ませてしまおう。そう思った矢先だった。
「よし、ここらで少し休憩といこうか。キョウも疲れただろう」
「俺は別に、このくらいなんでもない」
別に強がりというわけではなく、正直な意見を述べたまでなのだが、
「わたしは、疲れたのだ。休憩にしよう」
というミの一言に押し切られ、結局休憩することとなった。ミの指示無しには、どうにも作業を進めることができないので仕方がない。
俺は木の真新しい小屋の戸に背を付け腰掛ける。
一息吐いていると、ふと視線に気が付く。
ジュソだ、ミに憑いているジュソがしきりにこちらを気にしている。確か、ヒナという名であったか。 俺が訝しげに視線を返すと、向こうは慌てて視線を逸らす。けれども一瞬、どこか意を決したかのような表情を見せると、こちらへ駈け寄って来た。
「あ、あの……」
「なんだ」
別段意識したつもりはないのだが相手がジュソというだけで自然、声色にどこか敵意のようなものが混ざってしまう。
ヒナの方に半身を向ける時、腰に差している刀が、かしゃりと音を立てた。その音を聞くなりヒナは「ひっ」と短い悲鳴を漏らしたが、それでも、おぼつかない手で何かを差し出してくる。
必死な様子にどう対応するか、判断しかねていると、
「貰ってやってはくれないか」
その様子を傍らで眺めていたミが申し訳なさそうな表情を向ける。
ヒナの手にあるもの、それは小さい握り飯であった。ご丁寧に、笹の葉に乗せてある。
「…………」
ヒナとミの視線の両方を受けている今の状況では断るのも憚られ、俺は「はぁ」と聞こえないくらいの溜息を吐くと、乱暴に握り飯の一つを摘み上げ、ひょいと口の中に放り込んだ。その小さな手で握られた握り飯は、苦もなく一口で食べることができる。
「お、おい…しい……?」
それを見届けたかと思うと、おずおずと尋ねてくる。
「まあ、まずくはないな」
塩だけで握られた質素なものに対して率直な感想を返すが、当の本人はそれで満足したのか、
「ふふふふ」
と、ミの方を向いて儚げに微笑んだ。
本当に儚げだった。触れれば消えてしまいそうな程に。本当にこんな奴にも、ジュソとして人を殺せるだけの力があるのであろうか。純粋にそう思った。
「ヒナはな、嬉しいんだよ。自分を見ることができる人が増えて。昨晩のように大勢でご飯を食べても、レンさんも、おばあさんも、ヒノトも、ツヅミも、ヒナを見ることができないんだ。それはとても寂しいことだと思う。何か……上手く言えないがな」
言いながら、ミはヒナから握り飯を一つ受け取る。
この様子、俺やミ以外のジュソを見ることができない者からしたら、握り飯が宙に浮いているかのような怪奇現象にでも見えるのであろうか。
「こうしてわたし以外の者と食事をとるのは初めてのことなんだ」
まあ、ヒナは何も食べることができないのだがな、と最後に付け加え、苦笑した。
寂しい……か。
何かの間違えで自分がもしジュソだったらなら、そのような感情を味わうのだろうか。そう思うと少し不思議な気分になった。
だが、ジュソが危険な存在だということは良く知っている。身をもって。そんなジュソと親しく接するなど、いざという時に迷いや隙、躊躇いなど、良くないものばかりを生む。
まさに深淵に臨むがごとき愚行である。
そう言ってやりたい気持ちは山々であったが、無邪気に歯を見せる二人を前に、何となく言う気にはなれなかった。
夏の天気の下、しばらく、仲睦まじい姉妹のような二人を眺める。
その様子に〝恨み〟や〝危険〟といった暗い印象は皆無であった。
油断すると本当の姉妹のようにさえ見えてくる。
関係無い。他人事だ。
そういうことに、しておいた。
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