かわのほとりにて.五

「うっそだぁー、遠くの人とお話ができるなんて、うっそだぁー」

 〝デンワ〟の話を聞かせてやると、ヒノトはあからさまに疑いの眼差しを向けてきた。

「うっそだぁー」

 ツヅミが面白がってそれに続く。

「なっ! お前ら! この間までは俺の話を疑い一つせず聞いてたのに」

「だって、お母さんがキョウちゃんは嘘吐きだって」

「レンさんがか? くそっ、余計なことを……」

「ねぇねぇ、キョウちゃんは本当に嘘吐きなの? ってことはこの間のも全部嘘……なの?」

 ヒノトは残念そうに表情を曇らせる。

 それを見てツヅミも同じような表情を見せる。

「ばっ! そんなわけ――」

「嘘吐きだね」

 『ない』と発音するより早く、戸口から両腕いっぱいに茄子やら胡瓜やらを抱えたレンさんが現れた。

「嘘吐きも嘘吐き、大嘘吐きだね。キョウ、午後からは畑を手伝う約束だったろう?」

 レンさんはこのチビ達の母親だ。子を二人も産んでいるとは思えないほど若く、美しい人。

 この人の計らいで寝床があるわけだから、俺がこの島で最も感謝しなければならない人だ。

 しかし、俺より年上とはいえ、よくよく目を留めれば、まだあどけない顔をしている。そんな彼女を見ていると、その男勝りな言動といい、毎日の泥に塗れた働きっぷりといい、ああなんて似つかわしくないのだろう、と感じずにはいられない。まあ、本人にとってはいらぬお世話なのだろうと思うが。

「ああ、悪かったよレンさん、どうしても我慢ならなかった。埋め合わせはするよ」

 俺はレンさんの持つ野菜を受け取りながら言った。

「そうかい、じゃあ早速だが家の掃除でもしてもらおうか。夕飯までもう少し掛かるからね」

 宿代として払うものが無い以上、この人から延々とこき使われるのは、避けようもないことだ。

「キョウありがとね、みーちゃんを連れて帰って来てくれて。正直気が気じゃなかったんだよ。女の子があんな森に籠って、ましてやジュソを退治してくるなんて言うんだからさ」

 廊下へ出たところでレンさんにそう呼び止められた。

「知らん。勝手について来ただけだ」

 疲弊した体を奮い立たせ、床の雑巾掛けをしていると、程なくしてレンさんの声が掛かった。

 急なことだというのに、運ばれてくる料理は足りないどころかやたら多い。ミの分を勘定に入れて、それでもまだ多い。急遽用意したのだろうか。それにしては心なしか、いつもより手の込んだ内容だ。

「さあ! 食べようか。今晩はみーちゃんも帰って来るって言うし、腕に縒りをかけたよ!」

 ん? 何やら妙な言い回しに聞こえた気が……。

「みーちゃんも帰ってきたし、キョウちゃんもいるし、大勢いると楽しーねー。ご飯もおいしーねー」

 ヒノトが口の周りにご飯粒を付けながら満面の笑みを咲かせた。

「そうじゃろう、そうじゃろう。大勢おれば何でも楽しい。わしの作戦勝ちじゃ」

 その言葉に、俺の中のゆらゆらとした疑念が確信に変わる。

「おい、聞き捨てならんなぁ、ばばあ。まさかこんなくだらんことの為に俺に嘘を吐いたのか?」

 やはり、さっきのレンさんの言葉は聞き間違いではなかったようだ。

「でもジュソは出ただろう? キョウ」

 そんなことは関係無い。俺はこのばばあの下らん考えが許せん。お前はすっこんでろ。

「お前さんの言葉こそ聞き捨てならん。こんなことじゃと? 孫の笑顔はわしの生甲斐じゃ」

「ばばあ!」

「キョウ!」

 身を乗り出そうとしたまさにその時、茶碗と箸を持ったレンさんがこちらを見ないまま一喝した。

「行儀よく食べれないなら飯はもう出さないよ!」

 その言葉に俺はぴたりと動きを止めると、未練たらしく緩慢な動作で腰を落ち着かせる。

「怒られたー、キョウちゃんさっきも怒られたばかりなのにまた怒られたー」

「怒られたー怒られたー」

 ヒノトとツヅミが面白がってからかう。

 それを眺めていたミもクスクスと笑みを零した。気に食わない。

「くそっ! チビ共、後で覚えてろよ」

「わーい」

 俺の悪態に心底嬉しそうな表情を見せるチビ共。

 こいつら、この間は泣くまでくすぐり倒してやったことを忘れたか。まあ、勿論そのあとすぐにレンさんに怒られたのだけれど。



 散々暴れたヒノトとツヅミを寝かし付けたところで、あることに気が付く。

 寝床はどうしたらいいだろう。

 ふと何気なく考えたことも、考えているうちにとても重大なことだと思えてきた。

 今まではそんな心配は無用であった。何しろ居候は俺一人であったのだから。しかし、今は俺とミの二人。空いている部屋は二階の広間が一つ。

「いい? キョウ。みーちゃんに変なことしたら承知しないよ」

 レンさんはそれだけ言うと、ヒノトとツヅミのいる寝室へ向かった。

「つまり、なんだ。レンさんはあの部屋で一緒に寝ろと言っているのか」

「そうみたいだな」

 ミは何とも感慨の籠らない声を漏らした。食後に出された西瓜の種を取るのに必死になっている。いつまで食っているんだ、こいつは。

「冗談じゃない。誰がお前なんかと」

「そうか? わたしは構わないぞ」

 その淡々とした口調が腹立たしい。これではこっちが、まるで世間擦れしていない奴みたいではないか。

「別に女と一緒の部屋にいるのが嫌なわけじゃない。お前が気に食わないんだ。お前と同じ部屋で寝るくらいなら野宿した方がましだ」

 思わず心にもないことを言ってしまった。この島で野宿なんて、それこそ御免だ。

「それはいけない!」

 野宿という言葉を聞いて、ミが大きく反応した。西瓜にばかり注がれていた視線も、この時になって初めてこちらを向く。

「いけないよ、キョウ。暗闇からは良くないものばかり湧く。ジュソに限らずな」

「いけない? 何がだ。お前だって似たようなことをしていただろう」

 小屋の中とはいえ、あの森で暮らす奴の言うことではない。

「わたしか? わたしは大丈夫だ。一晩中ヒナが見張りをしてくれる。ジュソは眠らないからな」

 そんな風に言われてしまえば返す言葉が無い。実際俺だって寝込みを襲われればひとたまりもないのだから。

 それに野犬や大きく成長したジュソとは違って、脆弱なジュソはこんな夜中に、音も気配も無くやってくる。寝ている間にそんな雑魚にやられるなど、汗顔ものだ。想像するのも恐ろしい。

「そうか…………、変なことするなよ」

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