第14話
先の奇跡により、鉱山の近くに川が流れると、鉱夫たちの生活が改善されたためか、その鉱山で取れる鉄鉱石の採掘量が上がった。そして採掘量が上がるのと比例して、それを国外に売りさばいていたマイルズの会社も多忙を極めるようになった。
ヘラは連日の残業で疲れ果て、週末にシルベスターの屋敷に足を運ぶことができなくなっていた。
一ヶ月ほど屋敷から足が遠のくと、全てが夢だったんじゃないかと思えてきた。
フローリアという少女が本当にいて、王都郊外の修道院で今この瞬間も祈りを捧げている。そして、神の言葉を耳にして、人々を救っているのだ。ヘラも、そんな神秘的な少女に救いを求める一人で、魔女で人を騙すことなんてしていなかった。そう思えてきた。
しかし、そんな妄想もあっさりと打ち砕かれた。
ある日社長のマイルズに呼び出されると、彼はひどく機嫌が悪かった。もしかしてとんでもない失敗をしでかしてしまったか。たとえば必要な書類を役所に提出し忘れてしまったとか、額を間違えた領収書を出してしまったとか。様々な可能性が頭を過ぎる。
だが、マイルズが怒鳴るように言った言葉は全然違った。
「兄貴からの伝言だ。今週末、必ず学者の屋敷に来い、だとよ」
「は?」
何を言われたか分からなかった。
マイルズはガリガリと頭をかく。
「ったく、あいつは人のことを何だと思ってんだ。俺だけじゃねぇ、俺の大事な社員まで顎で使いやがる! こんな忙しいときによ」
苛立ったマイルズは机に足をぶつけた。苛立つと彼はそういうことをする。何度も蹴るので、蹴られたところは塗装が剥げて、木の素材がむき出しになっていた。
「ヘラ、面倒だろうし、行かなくていいぞ」
「いえ、大丈夫です。ちょっと顔を出せば司教様も満足されるでしょうから」
マイルズは、ヘラが司教のとんでもないことに巻き込まれていると察していて、それから抜け出させようとしていた。しかし、ヘラも司教も無関係なマイルズを巻き込んではまずいと考えていて、計画のことは何も語っていない。何も言わなくても、ヘラがフローリアが奇跡を起こす時に休んでいれば、大体察することができるだろう。
「そうか。何かあったらすぐに俺のところに来いよ? 何だったら兄貴の腹を刺してきたってどうにかしてやるから」
「あ、ありがとうございます……」
さすがにそこまではしないだろうけれど、頼もしい言葉だった。
マイルズは司教のように野心を持っていないが、王族の端くれ。ヘラをかくまうぐらい容易いことだろう。普段仕事の書類をぶちぶち言いながら処理しているマイルズだったが、いざというときには頼りになる人だった。
結局、ヘラはその伝言のことを忘れてしまった。連日の残業と、家と会社を往復する生活は、そんな些細なことを忘れるには十分な忙しさだったのだ。
金曜日の夜、一週間の仕事を無事に終えられたヘラはトボトボと家路に付いていた。
今日はとにかくもう寝よう。溜まった家事は明日やろう。
重い体を引きずって、頭はぼんやりとしていた。
借りている部屋のある通りの前に珍しく馬車が止まっていても、どうでも良かった。ヘラがその馬車を通り過ぎようとして、声がかけられた。
顔を上げたが、空耳だと思って、歩き始めようとした。
「おい、待て待て、ヘラ」
名前を呼んだ声がするほうを見ると、久しぶりに見る顔があった。
「ロナウドおじさん?」
聖堂騎士団の団長がそこにいた。
「あれ、どうしたんですか? こんなところで……」
「いや、ヘラを迎えに来たんだが」
「何で?」
「テレハが今週末お前を呼び出しているって聞いたが……」
ヘラはたっぷり十秒かけて、ようやくそのことを思い出した。
「ああ……。忘れていました」
「大丈夫か? 奉仕活動をしていたときよりひどい顔をしているぞ」
「そうですか?」
「とにかく馬車に乗れ。揺れるだろうけれど、中で横になれるから」
「分かりました」
馬車は夜通し走り続けた。揺れるし跳ねる馬車は寝床としては最悪だった。それでも一週間の激務を終えたヘラの睡魔には敵わなかった。馬車の角に頭を押し付けて揺れに耐える姿勢を見つけ出し、何とか睡眠をとることができた。でも目覚めは最悪で、体は痛いし、頭はずんと重かった。
乗ったときと大差ないヘラの顔色にロナウドは顔が引きつっていた。
そして、ヘラは閉じようとする瞼を押し上げると、見慣れない場所に首を傾げる。
「あれ、ここどこですか? シルベスターさんの屋敷ではないんですか?」
馬車が走っていた時間を考えても、もっと遠いところだろう。
「モルトレール農園だと」
ロナウドが答えたが、知らないところだった。
「王都から大分西にあってな、この王国のある大陸の中心ぐらいにあるんだそうだ」
「とんでもないところに連れて来ましたね」
「文句はテレハに言ってくれ。あそこの屋敷で待っているはずだから」
ロナウドは鉄柵の向こうにある立派な屋敷を指差した。あれが農園の主の屋敷らしい。
「おじさんは行かないんですか?」
ヘラが問うと、ロナウドは首をぶんぶんと振る。
「勘弁してくれ。俺は命が惜しい」
あの屋敷に一体何があるというのだろう。司教が待っているのなら一応安全だろうけれど、なぜロナウドがこんなに恐れているのか。そもそもヘラをあの屋敷に送り届けるなら、鉄柵の向こうまで運んでくれれば良かったのに。屋敷の前には馬車が通りやすいように整備もされていた。
ロナウドはヘラに「頑張れよ」と言い残しすと、さっさと馬車に引っ込んで元来た道を引き返していってしまった。
残されたヘラは、痛くて重い頭を抱えて、仕方なく歩いて鉄柵の向こうにある屋敷に向かった。
「ヘラさん!」
屋敷の玄関ポーチにはすっかり見慣れた私服の司教がいて、歩いてきたヘラに驚いた。
「どうしたんですか。馬車はどうしましたか? ロナウドを使いにやったはずでしょう?」
「え、そこで下ろされましたよ」
ヘラが鉄柵の向こうを示すと、司教はため息を吐いた。
「人選を間違えましたね」
「あの、司教様、ここはどこなんですか? 農場だって聞きましたが……」
「ええ、モルトレール農園です。国王陛下直営の大農園ですよ」
ロナウドが逃げた理由が分かった。
モルトレール農園はロナウドが言った通り、王都の西にある大農園で、大きさといい規模といい、王国一を誇る。大農園として、市場に食料を供給する一方、農産物の改良など研究を行っているところらしい。
しかし、何でまたこんなところに。国王アシュリーとは極秘に会っただけで、公的な繋がりはない。つまり、これも秘密裏の招待というわけだ。それならば、司教が貴族の格好をしているのもおかしくない。
「話したいことはいろいろあるのですが、まずは休みましょうか。今すごい顔をしていますよ。一週間働き詰めで大変でしたね。部屋を用意してありますから、ゆっくり体を休めてください。話は明日からでも問題ありませんから」
司教に半ば強引に休まされ、ヘラは久しぶりにゆっくりと眠ることができた。馬車に夜通し揺られた体の痛みや頭痛もすっかりなくなっていた。
そして、ようやく状況が整理できた。
王国の七割の資産は王侯貴族が保有しているという。そして、そのうち八割は王族が持っていると言われている。イェスウェン王国は極めて独裁的な政治、独占的な経済体制にあった。言われてみれば王国一の農園は国王が、唯一鉱山は司教とマイルズの父が保有し、後々マイルズに譲られるだろうと言われている。司教も何だかんだ言って、投資でそれなりに財を成しているので王族が富を独占しているというのは嘘ではないだろう。そういえば、王国の新聞社も王族の誰かが経営していて、司教が出資していたという話を聞いたことがあった。
朝食を終え、一段落ついたヘラは司教に尋ねた。
「司教様、私はどうしてここに連れてこられたのですか?」
「緑の石を覚えていますか?」
「確か奇跡の後に見つかって、魔法が強化する石でしたよね」
最後に見たのは奇跡の時だ。気を失っている間に回収されたらしい。
あの奇跡が大変だったのは硬い岩盤だけではない。あの石で魔法が制御しにくくなっていたのもある。うまく行ったからよかったものの、下手したら鉱山ごと吹き飛ばしていただろう。それぐらい、あの石はとんでもないものだった。
「あの石に別の使い道が見つかったのです」
「本当ですか!?」
「はい。それも素晴らしいものでした。あの石を砕いて畑に撒くと、それはもう強力な肥料となるそうなのです」
「へぇー」
思っていたより平和的な使い方でホッとする。
「それで、あの石が何か分かったのですか?」
「それはまだ。でもアシュリーは肥料のことを大変気にしていらして、国を挙げて研究することになったのです。ああ、もちろん内密に、ですよ」
「分かりました。私は緑の石を作るために呼ばれたのですね」
「察しが良くて助かります。こればっかりはヘラさんでないといけませんから」
「月曜日には返してもらえますよね?」
「もちろんです。アシュリーにはうるさく言われていますから。でも、マイルズにも何か言っておかないといけませんね」
「それは結構です」
これ以上マイルズの苛々を増長しないで欲しい。
とても簡単な仕事だった。農園の中にある森の中で、ちょっとした魔法を使って、意図的に緑の石を作る。シルベスターも昼前には農園に着いて、この作業に目を輝かせて見守った。彼にとって、緑の石の研究に打ってつけだった。そして、彼の予想通り、森にはたくさんの緑の石が転がった。
「面白いものだ」
「アシュリー」
作り出した緑の石を拾い集めていると、この農園の主が現れた。まさか来るとは思わなかったので、ヘラも驚いた。そして、シルベスターは突然現れた男に首を傾げる。
「初めまして、私はアシュリーだ。この農園の主をやっている」
「こちらこそ初めまして。ご存知でしょうけれどシルベスターと申します」
二人は握手を交わす。シルベスターなら、それだけで目の前の彼が国王だと気付いただろう。
「何でこんなところに?」
司教は責めるような口調だった。アシュリーは肩を竦める。
「私だってたまにはのんびりしたいのさ」
「何も今でなくともいいのでは? その様子だとまた誰にも言わずに抜け出してきたのでしょう?」
国王が黙って消えたのなら、それは大変なことだろう。だがアシュリーは悪びれた様子もなく、おちょくるように大げさに怯えるふりをした。
「そんなことしてるから宰相にも愛想をつかされるのですよ?」
「あー、はいはい。で、そっちの方はどうなんだ」
「順調です。ですからどうぞご心配なく。さっさと王宮にお戻りください」
「やなこった。久しぶりの休暇だ。ゆっくりとさせてもらうよ。それで、噂の緑の石ってどれだ。見せてくれ」
ヘラは丁度そのとき持っていたので、アシュリーに差し出した。
「どうぞ」
ヘラから石を受け取り、アシュリーは日にかざしていろいろな方向から見た。
「色がちょっと珍しいだけで、ただの石にしか見えないな。本当に安全なのか?」
「それには心配に及びません。毒ではないと確認できています」
この石が肥料になると見つけ出した農民の男とその村人たちは今もピンピンとしている。そして、石を砕いて作る肥料だが、これの効果は絶大だった。肥料を撒いた畑は実り豊かになるのは一度きりではないのだ。肥料は一度撒いてしまえば、少なくとも一年は実りを保障されるのだ。
あの農民の男の畑が、いい標本となった。
そして、あの農民の男の村は毎収穫期ごとに麦の収穫高を伸ばし続けていた。
フローリアとは違う、明るい話題で、人々の心を弾ませていた。
緑の石というフローリア計画の副産物に、アシュリーは興味津々の様子だった。
「もう少し調査を続けよう。安全性がきちんと確認できるまで。せめてこの緑の石がなんなのか、突き止めるんだ」
「もちろんです。何か分からない物を広めるわけにはまいりませんから」
緑の石は魔法に関する何かだとは分かっていたが、それ以上のことはまだだった。
魔法そのものも研究の途中で、やらなければならないことは山積みだった。ただはっきりしているのは、緑の石も魔法も、どちらの研究にもヘラの協力が不可欠だった。
「この緑の石、うまくすればお前の計画も要らなくなるな」
アシュリーが司教に言った。
「まだそうとは言い切れませんよ。保険ができたと考えるべきです」
司教は強がるように言った。
すっかり忘れていたけれど、フローリア計画の最終目標は楽園の叡智の開示だ。楽園の叡智で、大地に実りをもたらすのが目的だった。そして計画の難関は今直面していて、それがフローリアを聖女に認定させること。その後もいくつか難関が待ち構えているが、それは奇跡とは異なる方向で難しい。ある種の外交のようなものだった。ヘラはマイルズの会社で交渉事も経験しているが、商談と外交では似ているようで違う。
ヘラは計画が進むことが怖くもあった。
「まだ安全とは確かめたわけではありません」
そう言う司教にアシュリーが呆れたような眼差しを向ける。
「お前な、引き際って大事だぞ」
「まだその時期ではありません」
「そうだが、なぜそんなに計画に固執する? みんなが満腹になればいいって、お前言っていただろう。それとも本当はそっちが目的だったのか? そんなに欲しいのか? 楽園の叡智が」
司教は何も言わず、曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
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