第9話

 シルベスターは魔法の研究と、奇跡の調査のためにこれまで奇跡が起こった地を巡ることにした。


 フローリアが奇跡を起こした地はフローリアが修道院に入ってから、今までの話をまとめ、司教から改めて発表された。そして王都市民の間で、奇跡の地を辿る『巡礼』が流行しており、奇跡の起こった地は人が訪れるようになり、にぎわうようになっていた。


 シルベスターがこの巡礼をしようと思ったのにはいくつか理由があった。確かに魔法の研究のためでも、奇跡の調査のためでもある。でも、最も大きな理由は審問官に会いたかったからだ。


 司教は審問官を警戒して、フローリアと接触させないことにしていた。当人と会えないのなら、審問官はどうするだろうかと考えて、きっとこれまでの奇跡を調査するだろうと思いつく。なら、自分も巡礼をすれば審問官に会えるかもしれない。そう考え、シルベスターは巡礼に出かけたのだ。


 ただ、この本当の理由はヘラにも司教にも黙っておかないと後々何か言われるだろう。それらしい理由があるのがありがたい。


 なぜ審問官に会ってみたいのかというと、海の向こうの話を聞いてみたかったのだ。


 シルベスターの生まれは実に不運なものだった。父は有力な貴族で、母はその貴族の屋敷に勤めていた使用人。父と母の関係が、父の妻にばれると、母は屋敷を追い出され、父は母を捨てたのだった。既婚者と関係を持ち、子どもを身ごもった母は生家からも勘当され、母は一人でシルベスターを生み育てた。しかし、そんな母もシルベスターが十二のときに病で亡くなり、そこから彼は一人で生きてきた。


 しかし、そんな彼であったが、神は見捨てずに慈悲を与えてくれた。


 彼は変わり者として知られる貴族の下で働くことになったのだ。そこで、その変わり者貴族から文字の読み書き、計算を習い、彼自慢の蔵書を自由に読んでいいというありがたい許しを得たのだ。

 本はシルベスターの世界を広げた。

 この国のこと、歴史はもちろん、彼の心をとらえたのは、海の向こうに、この国の何十倍も広い、大蛇のような形の大陸があって、そこにはここよりも多くの人が住んでいる、ということだった。


 いつかこの国を囲う海を越え、外の国々を見て回りたいと思っていた。


 シルベスターは審問官に会いたいのではなく、海の向こうから来た人と会いたいのだ。


 審問官に会うために、シルベスターは信心深い者たちのように、奇跡の起きた地を順に回っていくことにした。


 奇跡の地は全て王都、もしくは王都の近郊にあったが、全てを回るとなるとやはりそれなりに時間がかかる。


 王都より北にあり、王都を遠くに見下ろせる丘にやってきた。この辺りでは羊が飼われており、羊の丘と呼ばれていた。ここでは、病にかかった羊をフローリアが癒したという奇跡が起きている。


 ヘラは生物に干渉する魔法はできないはずだったが、話を聞いてみると、どうやらこの奇跡は羊を癒したのではなく、数日前から具合の悪い羊の餌に薬を混ぜ、ある程度回復させてから、仕上げとしてフローリアが興奮剤を混ぜた水を出し、羊に飲ませて元気にさせたように見せたという。


 話を聞いたとき、とんでもないペテンだと思ったが、その羊をそのまま放っておかずに、きちんと聖堂騎士がこっそりと薬を与え続けて病を治したというので、一応は筋が通っている。


 この奇跡を起こしたのはフローリアではなく、聖堂騎士だと思ったが。


 ともかく、この地でも奇跡が起き、魔法が使われたのは事実だった。


 しかし、羊の丘を訪れても、本当の目的の審問官らしき姿は見つけられなかった。もう何度目か分からない落胆と共に、巡礼者の宿に入る。


 この巡礼者の宿は、奇跡の地を巡る人向けに司教が最近整備したもので、聖堂が管理しているから質素なものだったが、最低限のものは揃っている。そして、未亡人や孤児などの貴重な働き口にもなっていた。こういった社会福祉に繋がる場をも見越して、フローリア計画を発案しなのなら、あの司教はなかなか侮れない。あの人なら、望めば本当にこの国の王に登りつめただろう。


 出された蒸かし芋を食べながら、花が飾られた窓辺を見遣ると、何か鈍く光る物があった。気になって近づいてみると、それは石だった。その辺にあるようなただの石ではなく、緑色をしている。もう少し綺麗な色をしていたのなら、輝石とも呼べただろう。それでもあまり見かけない色をしていたので、興味深く手の平の上で転がしていた。すると、宿で手伝いをしている少年がいつの間にか傍にいた。


「それ、僕が見つけたんだよ」


 顔を向けると、少年は誇らしげな顔をして、シルベスターを見上げていた。


「珍しい石じゃないか。どこで見つけたんだい?」


「牧場だよ。羊が放してあるところ」


「そんなところに?」


 この辺りでは、一箇所に大きな囲いを作り、そこにまとめて羊を放していた。そしてそこがフローリアが奇跡を起こした場所でもある。シルベスターは奇跡、いや魔法の調査のためにそれぞれの奇跡で、どのような魔法を使ったのか、いつ使ったのか。司教がまとめた以上の、ヘラにしか分からないことも事細かに聞き出して、まとめてあった。今はまとめた書類を見なくとも、頭の中に入っている。


「あの辺りでたまに見つかるんだ」


「まだあの辺りにあるかな?」


「どうかな。前はよく見つかったけれど、今はそんなに見つからないんだ。もし良かったら、それあげるよ。」


「いいのか?」


「うん、僕まだ持っているし、探してみるよ。だからそれはおじさんにあげる」


「あ、ありがとう」


 まだ二十代で、若いつもりでいたシルベスターは少年の純粋な言葉に動揺した。


 この物珍しい石はいいお土産になった。何の石かは分からないが、珍しいので持って帰って、鉱物標本と照らし合わせてみよう。もし何でもない石だったとしても、奇跡の地から見つかったのなら、それだけで縁起がいいじゃないか。


 シルベスターは少年からもらった緑の石を丁寧に懐にしまい込む。


 その羊の丘から次の奇跡の地に向かう前に一度屋敷に戻らなければならなかった。新たな奇跡について話し合いがあるのだ。総本山の審問官が訪れてから初めての奇跡。入念に仕込まなければならないだろう。




    ○




「審問官はガルニエという勘の鋭い人物です。これからの奇跡は、今まで以上の注意が必要となるでしょう」


 話し合いは、シルベスターの屋敷で行われていた。私服の司教もいて、計画が重要な段階にあることを示している。


「彼は今までに認定を下していることは?」


「調査に赴くこと十数回、ですが認定はありません。彼は本当に優れた審問官らしく、からくりを見抜いてしまうのです。自分が調査をした件だけでなく、他の審問官の担当の一件でも、過去の認定が下されたものも覆してしまったこともあるそうなのです。彼は全てを暴いてしまう、本当に厄介なお人です」


 これまで散々大丈夫だと言ってきた司教が慌てふためいている。ヘラはとんでもない人が来てしまったんだとようやく実感した。


「なるほど。それは難しいことになりましたね。でも彼も一回奇跡を見ただけでは満足しないでしょう? フローリアはもう何回も奇跡を起こしている。私なら最低三回の奇跡を確かめますね」


「三回ですか。一年以上の付き合いとなるのですね」


 司教は嫌そうに顔を歪める。その審問官なる人がどんな人かは分からないけれど、司教がここまで嫌がる人物にちょっと会ってみたくなる。会うなと言われているから、会うつもりはなかったけど。


 フローリアが修道院に入ってから、奇跡は一年に一、二回という頻度に抑えている。フローリアが奇跡を起こせる、神の言葉を聞けるという宣伝ができればいいのだから。


 しかし、人々はフローリアに救いを求める。年に多くて二回では不安と不満が募るだろう。だから奇跡が少なくなった代わりに、派手に、大規模になっていった。ヘラもシルベスターのおかげで魔法をより自在にできるようになったが、限度があった。そろそろ奇跡が、ヘラの限界に迫っていた。


 しかし、そんなヘラを気遣ってか、司教は奇跡の頻度を増やすつもりはないようだった。


「今度の奇跡についてなのですが、抑え目にしましょう。審問官も一度見ただけでは決断しないでしょう。様子を見るはずです。人々は不満を抱くかもしれませんが、それは審問官の存在が打ち消してくれるでしょう」


 総本山から、フローリアを本物かどうかを見定める審問官が訪れていることはすでに公表されていた。と、いうかこれは公表しないといけないことらしい。市民に審問官の調査への協力を求めるためだ。つまり、調査の邪魔をしてくれるな、ということである。


 いくら国内であろうと司教と総本山の頂点に立つ聖王直属の部下である審問官では、こちらの分が悪い。そして人々は我らのフローリアがついに総本山を動かしたとご機嫌だ。それなら審問官の邪魔をするとは考えにくい。


 奇跡の内容について、司教とシルベスターが話し合う。ヘラはただ、聞いているだけだった。小難しい話は苦手だし、人を騙す手段なんてそう簡単に思いつかない。この二人が考えた筋書きをなぞるのがヘラの役目だった。


 悪巧みは悪い人に任せておけばいい。


 ヘラは悪巧みをする二人の話を聞くのに飽きて、部屋の中を見渡した。


 シルベスターは広い屋敷の中でも、日当たりのいい二階のこの部屋を気に入り、たいていここにいた。肘掛のついた椅子にはひざ掛けが放られ、机の上には本が雑に投げ出されている。散らかっているように見える部屋だったが、埃は積もっていないし、床には家具以外何も置かれていなかった。この屋敷で、シルベスターの世話をする三人の女性が、彼の研究を邪魔しないように、この部屋の掃除をしているらしい。


 ヘラは本が積み上げられた机の上に目が留まる。机の上にはシルベスターが研究のために取り寄せた本、ヘラがちらりと中身を見たことがあるが、難しい言葉が並んでいて、すぐに表紙を閉じてしまった。


 ヘラの目が留まったのは、本ではなくて、その上に栞代わりに置かれている親指大の緑の石だった。


「それはこの前、羊の丘で手に入れたのですよ」


 話がひと段落したのか、シルベスターが言った。


「そういえば巡礼していると言っていましたね」


「ええ。一度に回るのは難しいので、何回かに分けて行っています。司教様が整備してくれた宿、とても助かりました」


「役立っているようで嬉しいですね。私は用意はできますが、使うことはできませんから。評判もいいようですし、作って正解です」


「あそこで働いている人たちも楽しそうでしたよ。その石は、宿を手伝っている少年から貰いました。何でも奇跡の起きた辺りで拾ったそうです」


「見てもいいですか?」


「もちろん」


「変わった色をしていますね。何の石なのですか?」


 緑色の石というと、エメラルドを思い起こすが、その石にはエメラルドのような輝きはなかった。同じ石かもしれないが、宝石とは呼べぬ代物。そもそも、エメラルドの緑とは明らかに色が違った。


「それが何の石か分からないのですよ。鉱石標本と見比べてもどれとも異なるようでして……」


「面白いですね」


 ヘラは立ち上がり、緑の石を手の平に載せる。色以外は特に変わったところのない石だった。


「拾った少年の話ではたくさん見かけたそうですよ。まぁ、今はあまりないようですけど」


「何でしょうね。気になります」


 司教は考え込んだ。


 王国は土地が痩せているだけでなく、資源も乏しかった。領土を取り囲む海はその向こうに広がる大陸が取り囲んでいるように広がっていて、内海と呼ばれていた。そして、大陸が取り囲むようにあるために、海洋資源は大陸の国々と奪い合いとなる。国力で言えば圧倒的にこちらのが弱く、満足に採れるとは言いがたい。


 そもそもなぜこんな厳しい土地に人が住んでいるのかといえば、昔、大陸で大きな戦争があり、その戦争を逃れて人々が海を渡って、この土地に移ってきたのだ。厳しい土地だが、人と争うよりいい、と王国の始祖たちは考えたのだ。しかし、結果は少ない食料を少数が独占し、慢性的な食糧不足に陥っていた。


 司教はその緑の石が何か珍しいものであればいいと考えているようだ。そうすれば病のような食糧危機を少しでも和らげることができるだろう。


 しかし、三人の中で最も詳しいであろうシルベスターでも分からなければどうしようもない。


「それで、次の奇跡ってどうなりましたか?」


「ああ、そうでしたね。聖典にある奇跡をなぞることにしました。その方が審問官様のお気に召すでしょうからね」


 二人から次の奇跡について聞くと、なるほど、それほど難しいものではなさそうだ。


 ヘラは安心して次の奇跡にのぞむことにした。

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