第1話

 ヘラはその部屋の空気に押されるようにきゅっと体を縮めた。


 王都の大聖堂。この国最大の聖堂で、王族とも縁の深い由緒正しい聖堂だった。


 五年前から王都に住むようになったが、こんな荘厳な場所とは無縁だった。遠目で見るのが精々だ。


 そんなところに、なぜかヘラが連れて来られていた。


 そもそもは知り合いのおじさんが突然やってきて、「会わせたい人がいる」とここまで連れて来られたのだ。そして連れて来た当人は今、その会わせたい人とやらを呼びに行っている。




 早く帰ってこないかな。




 大聖堂に呼ばれたのだから、会うのは出入りがしやすい礼拝所とか、祭壇の前とかその辺りだと思っていた。


 しかし、通されたのは奥にあるこの個室。


 個室と言っても、広さだけでヘラの家の一階部分がすっぽりと入ってしまいそうだ。大きなガラス張りの窓に、足を包み込むようなふかふかの絨毯、分厚いカーテンに、調度品はどれも凝った装飾が施され、キラキラと光を照り返す輝石がはめ込まれていた。


 一市民のヘラにとって、身動ぎすらおっかない絢爛豪華な部屋だった。


 しんと静まり返った空気はさらにヘラを圧す。


 ヘラはまるで判決を言い渡されるのを待つ罪人のように椅子に浅く座って固まっていた。




 静寂を重厚な木の扉を叩く音が打ち破る。


 落ち着いた、ささやかな音だったのに、まるで金たらいを落とされたかのように肩が跳ねる。


「失礼します」


 優しそうな声が扉の隙間から滑り込んでくる。


「ああ! ようこそ」


 部屋に入ってくるなり、白い法衣の裾を引きずりながら、駆け寄ってくる柔和に微笑む青年に、ヘラはきょとんとした。


 当然知らない人である。


 しかし、すぐ後に知り合いのおじさんが部屋に入ってきて、ようやく少しだけ気持ちを緩めることができた。


「おい、テレハ。もう少し落ち着け」


 おじさんは青年司祭に呆れながらたしなめる。


「だって、こんなに可愛らしい子だと思わなかったから、つい」


 テレハと呼ばれた青年司祭は一拍間を置き、ヘラに向き直る。ヘラは慌てて立ち上がり、差し出された手を取って、握手をした。


「初めまして、ヘラさん。私はテレハウィル=ソア・イェスウェンと申します」


 ヘラは彼の名前を聞いたとたんに体が固まった。ヘラもその名前を聞いたことがあるのだ。


 その名前はこの国の聖職者の長、司教様のもの。そして司教様は国王陛下の従兄弟だったはず。


 テレハウィルはふわりと口元を緩める。


「どうか固くならないでください。確かに私は司教の身にありますが、ただの人に変わりはありませんし、あなたには友人のように接して頂きたいのです。ああ、そうだ。私のことはテレハとお呼びください」


 王国では、王族貴族など高貴な人は名前が長い。だから略称、愛称というものを使っていた。しかし、はじめから略称で名乗られるのと、正式な名前を名乗られるのではわけが違う。高貴な人がきちんと名乗ったということは、それだけ誠意を示しているということ。


 ただの女学生であるヘラに対して、司教が一体何の誠意を示すというのか。


 これは何か性質の悪いいたずらなんじゃないかと頭を過ぎる。


 司教は紳士的にヘラを再び座るように促し、知り合いのおじさんに言い放つ。


「ロナウド、お茶を淹れてください」


 おじさんは苦笑しつつ、部屋の隅に置かれているティーセットの元へと向かった。


「えっと……。司教様は私の名前をご存知です……よね?」


 名乗る前にすでにヘラの名前を司教は口にしていた。でも一応名乗っておくべきだろうか。


「もちろん。あなたのことはよく知っています。五年前のあの火事のときから」


 心臓がぎゅっとつかまれるようだった。遠い昔のことのように思っていたけど、まだ燻る火のように些細なきっかけさえあればそれはじわりと勢いを増してヘラの心を苛んだ。


「あれは、私の失態でもあります」


 司教は一転声を低め、そして真摯な眼差しを向けた。


「私は司教という信徒を守らねばならない立場にあります。しかし、それなのにあのようなことを許してしまった。本当に申し訳ありませんでした」


「そんな! 司教様が謝られることではありません!」


 ヘラは五年前の火事は司教が悪いとは全く思っていなかった。当時は司教なんて立場があることすら知らなかったのだし。




 五年前まで、ヘラは王都からそう遠くないところにある村で暮らしていた。小さな農村で、村人は五十人もいなかった。ヘラが生まれる前から村の生活は厳しくて、村人たちは自分たちが食べる分だけの作物を育てるがやっとだった。後で知ったが、それは王国中でそうだった。国中が今、飢えていたのだ。ただ、その年は少しだけ天候に恵まれて、前の年より多く麦が採れて、両親もヘラも大喜びしたのを覚えている。そしてそんなとき、村は焼かれた。歩いて一日もかからないところにある近隣の村人たちが、少しだけ実りが良かったヘラの村を妬んで火を放ったのだ。


 小さな村はあっという間に火に飲み込まれて、ヘラだけが生き残った。


 ヘラが目を覚ましたのは火事が起きて四日後。目が覚めたときにはすべて灰と炭になっていて、ヘラは全てを失ったのだ。


 そしてそのときヘラを助けてくれたのが、熱々のお茶を淹れてくれたロナウドおじさんだった。彼が方々を当たり、ヘラの引き取り先を見つけてくれたのだという。彼のおかげで、今ヘラは優しい養父母の下で暮らし、村で暮らしていたときには考えられなかった女学校にまで通わせてもらっている。


 王都で女学生をしていると、五年前の火事が嘘のように感じられることもあった。


「ヘラさんは優しいのですね。今の生活はどうですか?」


「両親にはとても良くしてもらっています。本当にありがとうございます」


「そう、それは良かった」


 司教はふっと再び笑みを零し、ヘラはほっとした。


「ところでヘラさんはあの火事のことをどのように聞いていますか?」


「え?」


「辛いことをお聞きしているとは承知しています。ですが、語れることだけでいいので、教えてもらえませんか?」


「えっと……」


 ヘラの知っていることは実はそれほど多くなかった。


 そもそも火が放たれたのはヘラが寝入ってからのことだし、目覚めたのは火事から四日後のことだったからだ。


 知っていることは、新聞を読んだり、人から聞いたりしたことばかりだ。


「あの火事で、三人の偽物の司祭様が捕まったとお聞きしました」


 司教は小さく頷いた。


 偽物の司祭は捕まると投獄され、もう二度と出ることができないのだという。村に火を放った村人たちは多額の罰金を科されたものの、偽物の司祭たちにそそのかれたから投獄は免れたという。


 これらは新聞から得たもの。


 人から聞いたのは、


「それと、あと……」


 言いかけて、やっぱりやめようかと思った。でも、不確かな話だし、信じられるものではないだろう。


「変な噂も耳にしました」


「それは、どんな?」


「あの村には世界を呪う魔女がいたって」


 さっと声を潜め、冗談だというように肩を竦めた。


「偽の司祭たちは怪しげな噂を流し、人々を煽ったのです。人々は飢えていたし、理由さえあれば何でも良かったのでしょう。あの村から食料を奪ったのも確認されています」


 やっぱり、彼らの目的は魔女だけではなかったんだ。


 むしろ、食料も目的だったことにほっとした。その方が、まだ良かったから。


「その噂の魔女が誰だったか、ご存知ですか?」


 ヘラは黙り込んだ。


 司教はじっとヘラを見つめて、答を待っていた。


 しばらく、部屋には沈黙が下りた。


「ま、まぁ、暗い話はそこまでにしよう!」


 いたたまれない空気に耐えられなかったのは、一人立っていたロナウドだった。わざとらしく声を明るく張り上げた。


「ロナウド」


 司教がキッとロナウドを睨む。が、ロナウドは強く見つめ返した。


「司教様は」


 ヘラは睨み合う二人に恐る恐る声をかけた。


「司教様は、それを知ってどうなさるおつもりですか? 魔女は、殺すべきですか?」


「それは違います」


 即座に断言した。


「魔女だから死ぬべきなんて考えていません。魔女という言い方すら間違っているでしょう。魔女なんて、ただの人なのです。ただ、我々と違って魔法が使えるだけの、ね」


 一気にまくし立てたからか、わずかに息が乱れた。ゆっくりと大きく息を整えてから、落ち着いて話を続ける。


「海の向こうに大きな大陸が広がっているのは知っていますか? いくつもの国があって、数え切れないたくさんの人が住んでいる」


 ヘラは頷いた。


「その大陸の東の果てに魔法を使うことのできる人々が暮らしているそうです。そして彼らの血を引く者は同じく魔法が扱えるらしいのです。とても遠いところですが、彼らの血を引く者がこの王国にいないとは断言できない。魔女と呼ばれていた人物も、そんな一人だったと考えられます」


 司教の落ち着いた声音に、ヘラは胸をなでおろす。彼は、彼らとは違う人だったようだ。彼になら、話してもいいかもしれない。


「あの村に、本当に魔女がいたとしたら、司教様は信じますか?」


「信じられます。私は神ではありませんから、全てを知ることはできません。でも可能性としては、ありえます」


 ヘラは、この人なら大丈夫だと思った。何より、信頼するロナウドが傍にいてくれる。それだけでも、心強かった。


「魔女はいました。でも偽物の司祭様が噂したようなことは、絶対にしていません。これは、本当です」


「当然です。魔女にそんな大それたことはできない。魔女を恐れて、そして人々をたきつけるためにそのような噂を流したのでしょう」


 噂は、魔女が世界に呪いをかけて世界中を飢えさせているというものだった。


 魔女にそんな力はない。できるとしたら、それは悪魔ぐらいだろう。悪魔がいるとは思えないけど。


「待ってくれ、今いましたと言ったか?」


 ロナウドが気付く。ヘラは確かに頷く。


「私のお母さんなんです。魔女だと言われたのは」


 ヘラが耳にした噂を総合すると、母のことに符合する。髪の色、背格好、そして、目の色。ヘラの母は少し周りの人と違う目の色をしていた。でも、目の色以外はありきたりなもので、村の人も特に気にしていなかった。ヘラはそんな母の目の色がうらやましかったけど、ヘラは父と同じ茶色の目をしていた。


「失礼なことを聞くけど、君と村でのご両親とは血縁関係はありましたか?」


「実の両親です」


「それではもしかしてあなたも?」


 司教は期待を言葉に滲ませる。そのせいか、少し早口になった。


「はい、私も魔女です」





    ○





「そう、やはり!」


 司教様はパッと顔を明るくさせた。まるでその答を待っていたかのようだった。


「司教様?」


「辛いことを話させて申し訳ありません。実はあなたが魔女であるかどうかを確かめたかったのです」


「え?」


 部屋の空気は一転、和やかなものとなった。その変化に、ヘラは付いていけない。


「全く……。すまなかった、ヘラ。本当は今日こんなところに連れて来たくなかったんだ」


 ロナウドが謝る。彼は始めからすべて知っていたようだった。


「どういうことですか……?」


「我々は魔女が必要なのです」


「我々?」


 ヘラはロナウドを見遣る。すると、ロナウドは俺は違うと首を横に振った。


「この場にはいませんが、今後紹介するかもしれません。それより、まずはお話をさせてください。我々はあなたがどうしても必要なのです」


「魔女の私が、ですか?」


「その通りです。あ、その前に、もちろんヘラさんも魔法が使えるのですよね? どのようなことができますか?」


 ヘラは戸惑った。


 確かにヘラはあの時魔女だと噂され、村とともに焼かれた母の血を引いていて、魔法が使える。しかし、そのことは誰にも話したことはなかったのだ。今世話になっている養父母はもちろん、女学校の友達にも、司教の後ろに控えるロナウドにだって。それなのに、どうして彼らがヘラが魔女だと知っているのだろう? もしかして他にも知っている人がいるのかもしれない。


 そう思うと、途端に怖くなってしまう。


 でも、もうばれているなら恐れても仕方ないと開き直った。


「えっと……」


 ヘラは部屋中を見渡し、何かないかと探した。


 ふと手元に湯気が細くなって、消えそうになっている手付かずのお茶があった。


 これにしよう。


 ヘラは白いティーカップを両手で包み込むように持ち上げる。


「見ていてください」


 簡単なことをした。


 ヘラにとっては、そのままティーカップを投げ捨てるぐらい簡単なこと。両手の内側に置かれたティーカップの中身はゆったりと揺れていた。しかし、徐々に独りでに回転し始めたのだ。ヘラが腕を動かしてまわしているのではない。息を吹きかけているわけでもない。ただ持っているだけで、茶色いお茶は不自然な速さで回転し、人差し指ほどのお茶の柱が立ち上る。


 ロナウドが息をのむ音が響いた。


 お茶の柱は回転しながら次第に形を変えていく。ただヘラが遊んでいるのかと思わせた。でも違う。やがてそれは回転しながら踊る貴婦人へと変貌したのだ。


 お茶貴婦人は優雅に舞い、そして向かいに座る司教へと手を振ったのだ。


 さらに貴婦人は膨らんだスカートをつまみ上げ、見惚れるような礼までした。


「どうでしょうか?」


 司教とロナウドは顔を見合わせる。


「いえ、実に見事です」


 素晴らしい芸術を見せ付けられ、司教は感嘆の言葉を零す。


「もっといろいろできるのですが、今出来るのはこれぐらいです。あと、花を咲かせたりもできるんですよ」


 ヘラはちょっと得意げに首を傾けた。


「可愛らしいじゃないか」


 魔女だ、魔法だの言うのだから、もっとおどろおどろしいものを見せ付けられると思っていたロナウドは予想を裏切る魔法に頬を緩めた。


「これを見たら、魔女が世界を呪っているとはとても思えないな」


「全くその通りです。魔法と聞くと、どうしても悪いものにとらえてしまいがちですからね」


「さすがに私でも世界を呪うなんてできません。方法も分かりませんし……」


「それは私も同じです。魔法が使えるといっても、結局は普通の人間と大して変わりません。ちょっとした特技と考えて差し障りないでしょう。でも、我々にはそれが必要なのです」


「何でですか?」


 ヘラは尋ねた。先ほどから司教は魔法が必要だと何度も口にした。どうして魔法が必要なのか、全くわからなかった。もしかして、魔法に期待しすぎて誤解を抱いているのかもしれない。


「我々は、ある計画を考えているんです。そして、その計画がうまく行けば、国から飢えを追い払うことができる」


「え……?」


 飢えは世界に蔓延している。人々は常に飢えに苛まれ、影のように付きまとう。


「魔法にそんなことはできませんよ……?」


「魔法で飢えを払うのではなく、魔法は飢えを払う方法を手に入れる手段です」


 ヘラは首を傾げた。話がややこしくなってきて、頭がついていかない。それを察した司教は、話の方向を変えることにした。


「ヘラさんは楽園を知っていますよね?」


 ヘラは頷く。楽園はヘラより司教の方がずっと詳しいだろう。だって、楽園には神様がいて、司教はその神様に仕える人間なんだから。


 そもそも、楽園について聞くなんて愚問だ。誰しも子どものころから神様や楽園について聞いて育つ。


 遥か昔、人間は楽園で神様と共に暮らしていた。しかし、人間は大きな罪を犯して神様の怒りを買い、楽園を追放されてしまう。楽園を追われた人間は星海を何世紀もさまよい、神様へ許しを希い、祈り続けた。やがてその祈りが通じて、神様は新たな大地を人間に与えた。それが今ヘラたちがいる大地である。


 そして人が死ぬと、その魂が楽園に向かって旅立つのだという。生前が善き人であったなら楽園への旅は短く楽なものとなり、悪しき人であったなら旅は長く過酷なものとなるという。


「楽園ではすべての者が満たされているといいます」


 楽園は神様のいるところ。そして楽園は全てがあり、人々は幸せに神様と共にいると。


「そう、楽園では飢える人がいないのです」


「でもそれは楽園だから、でしょう……?」


「そうです。楽園だから、です。でもその楽園をこの大地で再現できるとしたら?」


「できるんですか?」


 司教はもちろん、とニコリと笑う。


「人間が楽園を追放されたとき、楽園の叡智を持ち出しました。そして、叡智は今、総本山の最深で厳重に封印されている。その叡智があれば、大地に実りをもたらすことができるでしょう。楽園そのもの、とまではいかなくても楽園のように人々を満たすことができます。そう、魔法が必要なのは、この楽園の叡智を得るためなんです」


 ヘラは黙っていた。


 話が飛躍しすぎて、目の前の男が一体何を語っているのか分からなくなっていた。でも、頭のどこかでは何とか付いてきていて、その部分だけが辛うじて動いている有様だ。


 司教は聖職者だから神様とか楽園のことを語るのはおかしくない。でも、目の前の男と、彼が話すことはとても神聖な話に聞こえなかった。


 楽園の叡智は人々に噂される伝説の一つだった。ヘラも胡散臭い話を集めた本で目にしたことがある。でもその伝説は、西の大海に財宝と共に沈んだ海賊船と同じくらい眉唾な話だった。


「楽園の叡智なんて、本当にあるんですか?」


「あります」


 司教は自信を持って断言した。


「以前総本山に留学していたときがあって、そのときにあると確信しました。でも、総本山に上層部はそれを開示するつもりはないようです。世界中でどれだけの人が飢えていようと、彼らにとって心を動かすことではないようなのです。彼らは救う手立てを持っておきながら、それを行使しない……!」


 司教の言葉に熱と怒りが滲む。よく見ると、両手に拳を作っていた。


 司教の言いたいこともよく分かった。世界中に広がる飢えは、一年や二年などの耐えて凌げるものではなかった。もう何十年も続き、人類そのものを蝕んでいた。それを放置しているのは良くないし、どうにかできるのに放置しているなら悪いどころではない。


「でも、開示しないのはそれなりの理由があるからではないのですか? だって、人間は楽園を追放されたわけですし」


 その知識を得て、再び大罪を犯さないとは言い切れない。楽園の叡智はそれだけ価値があって、力もあるはずだ。


「だからと言って、みすみす人が亡くなっていくのを見すごしていいわけではないでしょう。それに、叡智すべてを求めているわけではありません。ただ、人々が飢えないように、必要な情報だけを開示させる。そうすれば、危険も薄まりますし、人々は飢えから解放されるでしょう」


「どうやって開示させるのですか? もしかして魔法で脅すなんてことはありませんよね……?」


 あの村を焼いた人々のように魔法に対する恐れを利用するのだ。でも、それは果たしてうまく行くだろうか?


「近いですが、違いますね。叡智を封じている総本山の聖職者たちを従わせるただ一人の方がいるのですが、誰だか分かりますか?」


「聖王様ですか?」


 総本山で聖職者の長を務める者をそう呼ぶ。ヘラにとっては、異国の王様でしかない。


「聖王より偉い方です」


「そんな人、いませんよ」


 一瞬、この国の王様かなと思ったけれど、もしそうならとっくにやっているだろう。それにこの国の王様は正直そこまで強い力を持っておられない。元々このイェスウェン王国が貧国であることに由来していた。


「人ではありませんよ。神様です」


「あっ」


 納得すると同時に疑問が湧きあがる。


 だから、どうするというのだろうか。神様は人間がどうこうできる存在じゃない。神様が人間をどうこうするんだから。


「ヘラさんには預言者になってもらいたいのです」


「は、はぁ」


 なってと言われてなれるものなのだろうか。預言者と言ったら聖典に載っているありがたいお言葉を残した方々なのだし。


「ヘラさんの魔法は見る人にとって、受け取り方が変わります。人に害なすことをすれば、それは悪いものとなるでしょう。しかし、それを人のために使ったなら、どうなりますか? 飢えで苦しんでいる人の目の前に突然パンを出現させたら? それは奇跡と呼ばれることとなるでしょう」


「魔法でパンは出せませんよ?」


「例え、ですよ。でもそれぐらいのことをしたら、ヘラさんは奇跡を起こせると人々は信じるでしょう。そして奇跡は神の御業です。そうやってヘラさんを預言者に仕立て上げるのです」


「人々を騙すのですか?」


「結果的にはそうなります。でも、神に誓いましょう。決して誰も傷つけない、死なせない。必ず豊かになるためにこの計画を遂行するのだと」


 ヘラは体を縮ませた。


「もう、私が協力するのが決まっているのですね……」


「そうではありません」


「でもここまで話を聞いてしまったら、協力せざるを得ないじゃないですか! 司教様が話されていることを遮るわけにもいきません。それってずるいじゃないですか」


 司教は口ごもる。それまでずっと黙って話を見守っていたロナウドも肩を竦めた。


「この計画は、ヘラさんがいなければ成り立ちません。他に奇跡を起こせる、魔法が使える人を知りませんから……。私が酷いやり方であなたに協力を迫ったのも間違いありません。ですから、この計画が始動したら、すべての責任は私が負います。もし何かあって、あなたが捕まったとき、全てを私のせいにしてください。あの村の火事も、あなたを手に入れるために私が秘密裏に手を回してやったのだと言ってくれて構いません。ただ、これだけは信じていただきたい。私は飢えで苦しむ人を救いたいのです」


 司教は一呼吸置いた。


「この国は土地も痩せていて、大陸と比べたら作物も十分に採れません。そのこともあって、この国は貧しく、脆い。ゆえに大陸と比べて餓死者や病人が多い。私は人々を救いたいと司教になりましたが、できることなど何もありませんでした。この現状を変えたいのです。全てを賭けてでも、人々を救いたいのです。


 ヘラさん、どうか力を貸していただけませんか?」


 ヘラの答えは決まっていた。いや、決められていた。自分が権力者の言いなりになることなんてないと思っていた。


 でも、どこかで協力してあげてもいいんじゃないと思う自分もいた。


 自分の魔法が世界を変える様を見てみたかったのかもしれない。

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