6
ニルスはまるで僕が来るのをわかっていたみたいに、いつもの川辺に一人座っていた。隣に座っても特に驚いた様子はなく、ただ黙って僕が話始めるのを待っている。
「話したいことがあるんだ」
そう前置きをして、僕はつらつらと今日のことを彼に話した。レヴィがいなくなってしまったこと。そのことに朝ご飯を食べてからようやく気付いたこと。部屋の片付けをしたこと。それで見つけた『訣別の痕』という絵本のこと。絵本ではニルスの言っていた戦争の話が描かれていたこと。そして。
「その絵本の中で戦争をしていたのは、僕たちの国と、君のお母さんの国だった」
絵本にその名前が出てきて、すぐに聞いたことがある名前だと気付いた。そしてそれがニルスの第二の故郷であることに気付くのに、ほとんど時間はかからなかった。
「知ってたよ」
彼はただ一言、そう言って笑った。その笑顔はあまりに温かく、器用すぎて不気味に見えた。
「知っていて、その上で君はあるはずのない故郷を追い続けていたって言うの?」
母親の思い出を語ってくれたのも、レフの店で楽しそうに本を見ていたのも、いつかその国を見てみたいと笑顔で語っていたのも、すべてを知って、諦めた上でのことだったって言うのか。一体彼はどんな気持ちで、今まで生きてきたんだ。
「君はレヴィとの別れに結論を見つけたのかい?」
自分の番は終わったと言わんばかりに、彼は僕に質問を投げかける。その責めるような鋭い問いかけに対し、何も返すことはできなかった。
「結局、答えを見つけるっていうことは、その問いに妥協するってことと等しいのかもしれない。問い続けることこそが正常な状態で、答えなんていうのは最初から存在しない。妥協はつまりエゴだ。答えを見つけたつもりになることこそ、人間が生の本質だ」
彼の言っていることはおおよそ理解できたけれども、少しだけ違っている気がした。答えを見つけることがエゴなら、たぶん僕がこうして問い続けていることもまたエゴだ。何故なら僕はレヴィとの別れを受け入れたくないがために、今もそのことに真っ直ぐ目を向けずに、目を逸らしながら悩むふりをしているだけなのだから。
「答えを見つけたつもりになって、ニヒリズムを装って、絶望の底で生きているような気になっていた僕は、実に自己中心的で、自意識過剰で、自己愛に取り憑かれた人間だったと思う。母のことも、セルマのことも、挙句は本当の自分さえも見ないまま、自分の内側に作り上げた虚像を祀りたてていたんだ」
「そんな……」
どうしてそんなに自分を責めるんだ。そう言おうとしたところで、僕は彼の真意に気付く。彼はたぶんわざと自分を責めている。自分を糾弾することで罪を拭い、自分を蔑ろにすることで、自意識を保とうとしているのだ。そうしなければならないほどに、彼は傷つき、苦しんでいたのだろう。
僕は彼の悲しみの一片さえも理解できない。自分の悲しみすらできていないのだから、それは当然のことだった。だから何も言わず、彼の話を聞いた。これもきっと、僕のエゴなのだろうと思う。
「ずっと、考えていたことがあるんだ」
まるで隠し続けてきた罪を告白するような声だった。実際彼にとっては、それに近いことだったのかもしれない。僕は少しだけ彼の顔に目を遣る。
「僕は旅に出ようと思う」
「旅?」
「そう。と言っても、当て所ない放浪の旅じゃない。確かな目的のある旅」
その「旅」という言葉は何となく耳馴染みが悪く感じた。旅が別れを想起させるからだろうか。僕は彼までもいなくなってしまうことに、恐怖を抱いていた。
「西へ行こうと思う。すべての始まりである戦争をこの目で見るために」
彼の決意はある種当然の帰結と言える。問いも、答えも、おそらくみんなその場所にある。あの絵本の作者がそれを求めて戦場へ行ったように、彼がそこへ惹かれるのは納得できることだった。むしろ、そう思い至るまでに時間がかかりすぎたと感じるほどだ。
「ずっと考えてはいたんだ。でも君まで「別れ」を経て、実際に戦場へ行った人物の話を聞いて、ようやく決心がついた。僕は行くよ。母とセルマの影を追って、自分が歩く道を見つけるために」
今ここで彼にかけるべき言葉は、激励なのか、畏敬なのか、惜別なのか、悲哀なのか。いずれにしても僕の今の感情を表すには的確で、そして不十分に思えた。
「僕も、一緒に行くよ」
だから僕はできる限りこの心を伝えられる言葉を選んだ。ただそれだけのことで、一体その言葉にどれだけの意味があるか、そしてどれだけ覚悟のいる言葉なのかということは、あまり考えていなかった。
そのときはただ漠然と、笑顔で頷く彼に安堵を覚えただけだった。
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