平成Vamp

めけめけ

昭和Vamp編

第1話 屋上にて男と出会う

 その男と出会ったのは、ビルの屋上だった。


 どんよりと曇った冬の朝、都内では4年ぶりの大雪になるのではないかと騒がれていた。そんなことでもなければ、僕は月曜日の朝から14階建てのビルの屋上に上ることもなく、当然にその男と出会うはずもなかった。


「おかしいな。鍵が開いている」

 だからと言って別に嫌な予感はしなかった。

 誰かが閉め忘れたのか、或いはすでに何かの用事ですでにここへきているのか。その程度にしか考えなかった。

 その意味では、その男と出会うのは"僕でなくても"よかったはずである。


 いや、それでもやはり、僕でなければならなかったのか。


 僕は鍵のかかっていない扉を、音を立てないようにそっと開けた。もし普通に開けていたら、その男は僕の気配に気づいて身を隠したのかもしれない。


 黒のトレンチコート

 背の高い

 やせ形の男


 いや、実際に痩せているかどうかまでは判らないがそう印象づけるのは、肩幅に対して、首が細く、そして長い、頭部のシルエットは丸みがまるでない。

 黒々とした髪はやや長めだが風になびくことなく、固着している。その男を描写するのであればすべて直線で描くことができるのではないかと思うくらいに


 まっすぐで

 硬質で

 黒い


 だから僕は――だから僕は扉を閉めるのも音を立てなかったし、だからと言って気まずくなって、引き返そうともしなかった。


 そんな僕だから――いたずらにその見事なコントラスト、黒くてまっすぐな男、冬の朝、どんよりとした雲、灰色のビルの屋上、冷たい鉄柵の構図に思わずフレームものぞかずに一眼レフのシャッターを押してしまった。

「何をしている?」

 黒い男が太い声を上げる。曇った空を見上げていたその視線は、ゆっくりと僕の方に振り返ろうとしている。全身の印象が黒いがゆえに、酷くその男の顔色は白く見えた。顔をすべて向けることなく、その男の左目のほんのわずかな目じりの先から鋭い視線が僕をさした。声が出ない。僕はふと父の話を思いだした。


 父が幼少の頃、原っぱがあって、そこで虫取りをして遊んでいると、背の高い草花が音を立てて波打ち、こちらに何かが近づいてくる。それは蛇行しながら対に自分の足元にたどり着く。草むらから顔を出したのは、一匹の蛇だった。父は時間にして5秒くらい蛇とにらめっこをしたらしい。


 "動いたら噛まれる"


 う確信して、蛇を睨み続けていると蛇は方向を変え、来た道を戻るように去って行ったそうだ。


 僕はその話を聞くのが嫌だった。

 蛇も昆虫も嫌いだったし、酒を飲みながら自慢げにそんな話をする父を疎ましく思っていた。だが、この時ばかりは、父に感謝しなければならないと思った。


 僕は目を逸らすこともなく、男の鋭い眼光に耐えながらゆっくりと右手に持っているカメラを持ち上げた。


「今日は雪が降ると言うので、屋上から定点観測をしようとカメラを設置しに来たんです。管理人には許可を頂いています」


 僕はコートのポケットからカギを取り出し、男に見せた。


「そうか、しかし盗み撮りは感心しないな。油断した俺も悪いが、君も悪い」


 "君"と呼ばれて、いささかカチンときたが、確かに隠し撮りはよくない。


 これは謝るしかない。


 しかしきっといい絵がとれている。この画像を見せたら、或いは納得をしてくれるなどと言う馬鹿げたことを考えるほどに、僕は拙かった。


「消すことはすぐできますが、いい絵がとれていると思いますよ。良かったら見ていただけませんか?」

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