雨と少女と

霧生白葉

雨と少女と

 雨が降ってきた。今朝の天気予報ではこの時間帯はまだ晴れだったか。予測技術の発達した昨今で、予報が外れるとは珍しい。と降り注ぐ雨粒を見て思っていた。

葉が落ち始め、乾いた風が吹き荒れるこの時期は、天候が変わりやすいがゆえに仕方のないことでもあるけれど。まして山間ともなればなおさらか。

先日の雨の折に入れっぱなしになっていた折り畳み傘があるのは幸運だった。

おかげで濡れずに帰路に着くことができる。

 ちょっとした気まぐれで放課後に一人射場で射込んでいた俺は、少し急ぎつつ片付けを始めた。弓具は湿気に弱いのだ。雨に打たれようものならすぐさまダメになってしまう。

 片付けを終え、道着から制服に着替えた俺は道場の戸締りをして鍵を返却しに職員室へと足を向けた。風も出てきたようで開いていた窓から廊下に雨が吹き込んでいる。足元に気を付けつつ薄暗い廊下をつかつかと歩く。人の気配はない。というのも今日は午前中で授業が終わっている。ほとんどの部活は今日の活動はないらしい。

校舎に残っている生徒は俺みたいなもの好きか、自習している真面目な連中位のものだろう。果たして職員室に着く。何度となく訪れているはずのこの場所にはいつまでたっても慣れない。なぜだろうか。ノックして扉を開ける。瞬間、暖かな空気が迎えてくれる。どうやら暖房がかなり強く入っているらしい。


「おぉ、深山か。雨は大丈夫だったか。」


 声をかけてきたのは弓道部顧問の井上先生だ。言動が男らしいけれど立派な女性教諭。一人暮らしをしている俺の面倒を、よく見てくれている姉のような人。弓道の腕もなかなかで、良く指導してもらっている。


「ひと段落したあたりで降り始めましたね。

 ちょうどよかったので切り上げてきました。」

「そう。調子はどう?」

「ぼちぼちですかね。ちょっと馬手に力がまだ入ってますけど。」

「そうか。見に行けなくて済まないな。また今度見に行くから。」

「よろしくお願いします。」

「できるだけ都合をつけておくよ。

 雨、これから強くなるみたいだから気を付けてな。」

「了解です。失礼します。」


 あたたかい部屋と先生に感謝しつつ鍵を返却し、職員室を後にする。また再び寒い寒い廊下に逆戻りだ。昇降口で靴に履き替え、近くにある自動販売機で暖かい缶コーヒーを買う。と思ったがあいにく売り切れている。珍しいこともあるものだなと思いながら仕方なく紅茶のボタンを押す。ゴトンという鈍い音がして商品が落ちてくる。この寒さの中で何もないよりはマシであるとの考えからである。我ながら安直。

仕方ない。ポケットの中に雑に押し込み、傘を開いて昇降口を出る。

外はもうすっかりと日が落ちて、真っ暗だった。


 通学路である大通りも流石にこうも雨だと道行く人も少ない。温泉街であるこの草都くさのみや町は年中人が訪れる。催し物も豊富で、小さいながらも騒がしい町だ。いつもは観光客でにぎわっているこの通りも人はまばらだった。屋根のあるところで雨宿りをしている人が何人か。コートを傘代わりに走っている人もいた。

 そういえば晩御飯の買い出しができていなかったなと思い出す。大通りから一本隣の商店街は八百屋、肉屋、魚屋、そのほかにもいろいろある。この町の大好きなところだ。立ち寄ったお肉屋のおばちゃんからメンチカツをもらった。なんでも雨で全然人が来なくて売れ残ったらしい。時々こうして帰りに寄るのだが、そのたびにおまけをつけてくれるおばちゃんには頭が上がらない。ほかのお店でも良くしてもらっている。一人暮らしでもそこまで不自由しないのは周りの人のおかげかもしれない。


 そんな感じでいつもの様に通学路を歩いていた。はたと見れば足湯で暖を取る人もいた。雨宿りをしながら談笑にふけっているようだった。温泉街であるのだから町内各所に足湯がある。そのうちの一つ。町民でもあまり知られていないところがある。ちょっと入り組んだところにあり、そこを見つけて以来通学途中に来られることもあって、俺はそこにちょくちょく寄っていた。人気がなく、静かなところである。密かに気に入っていて、たまに考え事をしたり、純粋に足湯を楽しんでいたりしていた。部活の疲れもあるし寒いしちょっと温まってから帰ろうと思い、足をそちらに向けた。普段は誰もいないような場所。こんな雨の日だというのに、そこには思いがけない先客がいた。


 女性だった。雨に降られたのか、身に纏っている制服はぐっしょりと濡れていて、肩まで伸びた黒髪からは水が滴っていた。俺は彼女を知っている。

草都高校二年一組、藤堂燐。俺のクラスメイトだ。成績優秀で、人当たりもいい、クラスでも人気のある人物だ。クラスのバカな男子共がクラス内女子格付けなんかをやっていたが、堂々の一位に輝いていたのを思い出す。

なぜ彼女がここにいるのか、俺には分からなかった。二年間同じクラスだというのに、ただの一度も会話をしたこともなかったが、気づけばなぜか俺は彼女に声をかけていた。


「・・・藤堂?」


 その声に気付いた藤堂は驚いた顔をしてこちらを見た。


「・・・深山君?こんなところで何してるの?」


 まともに会話もしたこともない俺の顔と名前を憶えているのか。クラスでも名前で呼ばれずにねぇ、とかなぁ、とかおい、とかでしか呼ばれないというのに。


「それはこっちの台詞だ。そんな濡れ鼠になって、早く着替えないと風邪ひくぞ。」

「あはは・・・それもそうだねぇ。でもあいにく傘がなくってさ。

 帰る途中で雨に降られちゃったんだ。慌てて走っていたらここを見つけてね、

 雨宿りしてたんだ。」


 なるほど。それでここにいるわけか。

しかしながら俺には一つ気になることがあった。


「今日は午前授業だっただろ。なんでこんな時間に?」

「恥ずかしいんだけど教室で自習してたら寝ちゃってて・・・」


 あははと照れ、笑いながら藤堂はそう答えた。なんとも意外な理由である。

彼女でもそういうことがあるのか。人は見た目によらないもんだな。


「そういう深山君は何してたの?」

「弓を引いていたんだ。」

「部活今日全部休みじゃなかったっけ。」

「自主練だよ自主練。雨降って来たから途中で切り上げてきたんだ。」

「なるほどね。」


 肩を抱いて寒そうにしている彼女をみてはたと思い出す。

そういえば部活で使うつもりだったタオルがカバンの中にあったか。


「たしか・・・あったあった。藤堂、よければこれで拭け。

 少しはマシになるだろう。」

「いいの?じゃあありがたく借りようかな。・・・っくしゅ。」


 タオルを受け取りながら藤堂はくしゃみをした。そりゃあそんな恰好でいればいくら足湯に浸かっているとはいえ体も冷えるだろう。


・・・さっきは遠くで良く見えなかったが藤堂の制服は濡れている。


つまり、その・・・下着が透けて見えてしまっている。

これは非常によろしくない。ついでに部活で着ていたジャージも差し出す。


「あとこれも着ておいた方がその・・・いろいろいいと思う。」

「え?あっ・・・うん・・・その・・・ありがとう。」


 言われてから気づいたのか藤堂も頬を染めて恥ずかしそうに感謝を述べた。

そういう反応はさらに良くないのでやめていただきたい・・・。

何とは言わないけどさ。何とは。


「やっぱり男の子のジャージは大きいねー。ぶかぶかだー。」


 ジャージを羽織った藤堂が楽しそうに言う。漸くまともに見られるようになった藤堂の横に座りながらさっき学校で買った紅茶を差し出し、視線で飲むか?と問う。少々冷めてしまっているがそれでも確かにぬくもりを感じる程度には温かい。

おずおずと受け取って一口煽った藤堂は、ほう、と息を吐いた。両手を温めながら一息つく藤堂を横目に俺は質問を投げかけた。


「それより藤堂、帰りどうするんだ。しばらくこの雨止みそうにないけど。親御さんに迎えに来てもらうとかできないのか?」

「お母さん今日夜勤なんだ・・・。」

「藤堂の家はこの辺なのか?」

「ううん。もうちょっと先。いつもはバスで帰ってるんだけど。」


 バス通学なのか。普段は自転車の俺も流石に雨が降っていたので学校に置いてきた。


「歩いて帰るのは無理そうか・・・。」


 こくりと藤堂はうなずく。となるとだ。まぁ流石に雨に濡れた女の子をこのまま放っておいて一人だけ帰るわけにもいかないわけで。そうすると選択肢は一つしかないわけで。

・・・意を決して俺はその提案を切り出す。


「えっと・・・藤堂さえ良ければ、なんだが。」

「ん?」

「雨、やむまでウチで雨宿りしてくか・・・?」


 言葉の所々でつまり、言葉尻になるにしたがって小声になるのが自分でも分かった。とてつもなく恥ずかしい・・・。それでも言葉は届いていたようで、それを聞いた藤堂はえらくキョトンとした顔でこちらを見ていた。


「・・・藤堂?」

「え、あ、ごめん。その、驚いちゃって。」


 それきり会話が止まる。大変気まずいが俺が話を切り出したほうが良いのだろうか。


「・・・でも深山君は迷惑じゃない?」


 どうやら気持ち悪がられていたわけではないようで安堵する。


「まぁうちには誰もいないからな。特に気にすることはないぞ。あ、誰もいないって言ってもそういうことじゃなくて別に他意はないっていうかその」

「大丈夫だよ。深山君がそんな人じゃないって言うのは良く知ってるから。」


 くすくすと笑いながら藤堂は言う。そういわれるとなんだが照れくさい。というかそんなに藤堂と関わった記憶がないのだが。


「まぁその一人暮らしってだけだからさ。本当に藤堂がよければ、なんだけど。」

「え、深山君一人暮らしなの?」


驚きの余り身を乗り出しながら問うてくる。ちかいちかいちかい。


「まぁちょいと事情があってな。」


出来るだけ距離を取ろうとのけぞりながら答える。藤堂も気づいたらしく恥ずかしそうに身を引いた。


「じゃぁ・・・ちょっとお邪魔しようかな。どうしようかと思ってたし助かるよ。」

「さすがにこのままおいて帰るほど非情じゃねぇよ。んじゃ行くか。」


鞄を背負って立ち、傘を開く。藤堂のほうを見るとぼーっと空を見上げていた。


「藤堂?傘はいれよ。せっかくタオルで拭いたのにまた濡れる気か?」

「あ、うん・・・。失礼します・・・」

「そんな大げさなことじゃないと思うけど・・・。」


 俯いて控えめに傘に入ってくる藤堂。よく考えたらこれ相合傘か。相合傘か。まずい。意識したとたん猛烈に恥ずかしくなってきた。さりげなく俺とんでもないことしてないか?いや善意だから、慈善活動だから。何もやましいことはないです。大丈夫ですはい。ちらと藤堂を見やると彼女も同じ様子らしい。・・・考えるのはやめよう。うん。


 そのまま藤堂の歩く速度に合わせながら家まで帰った。折り畳み傘では二人入るのは窮屈で、少し藤堂のほうに傾けて歩いた。時々触れる肩が嫌に熱く感じられる。

家に着くまでに、俺たちの間には会話はなかった。


雨はまだ止みそうにない。


                          雨と少女と  了

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雨と少女と 霧生白葉 @recorvo

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