短編転生IF

@higrai

第0話『チートギフトチート』

 『画面の前のみんな。異世界転生モノは好きか。私は好きだ』

 モニターに表示された文字。点滅する文字入力バー。

 薄暗い部屋の、ディスプレイモニターの明かりにだけ照らされたエルゴノミクスキーボードが静かにタイプ音を鳴らしていた。

 他の音はない。

 せいぜいが、ずっと遠くから聞こえる自動車の走行音と虫の声だ。

 タイプ音は続く。

 『現実世界で報われない生活をする者が、非業の死を遂げ異世界へ転生する話が特に好きだ。

 中でもチートと呼ばれる特殊技能を与えられ、中世ヨーロッパを捻ったような世界に前世の記憶をもったまま生まれる話が好きだ。死亡する直前の姿のままで送られる異世界召喚モノもいい。

 とりわけ好ましいのは主人公たちの浅慮さだ。

 彼らは自らの煩悩からチート能力を振るい、金や権力、社会的立場、見目麗しい美女たちの好意や恋慕、そして時にはほどほどのスリルと冒険を獲得し、充実した生活を送るようになる。

 まるでそれが神の計らいであるかのごとく、浅慮さが好転し、愚かな人々は主人公を敬愛するようになるのだ。

 ゆえに――』

 得意げに中指で押したエンターキーの音が、暗い部屋によく響いた。

 点滅する文字入力バー。

 キーボードのタイプ音は止まり、重いため息があった。

 タイプ音が二つか三つ。書き込まれた文章は消去された。

 椅子を引き、立ち上がる。

「お腹すいた」

 誰が聞くでもない独り言が、夜闇に吸われて消えていく。

 扉の閉じる音。鍵の閉まる音。

 住宅街を歩く。

 明滅を繰り返す街灯と照らされる電信柱。

 コンクリート塀の通り。

 行儀悪く取り出したスマートホンの画面が下あごを照らす。

 表示したのはインターネットSNSの呟き記事だ。

 先程書き込もうとしたばかりの、自分のアカウントである。

 アカウント名は『きょーや』。プロフィールテキストは短い。

 『私は日暮 今日屋。39歳独身。定職に就く気はない。つまりニートだ。

 だが世のニートたちと一緒にして貰っては困る。親の稼ぎを食いつぶしたり、実家に寄生するような連中とは違うのだ。

 私は卓越した文章技能で仕事をして、自らの収入で生活をしている。厳密にはニートではないとも言える』

 居丈高な文面が揺れている。

 下に連なるは深夜アニメやテレビゲームを評論家ヅラして語るコメントの列だ。

 重いため息が画面を曇らせた。

 コンビニエンスストアはいつでも明るい。

 自動ドアはいつも自分を迎え入れてくれる。

 ろくに喋らない店員。暖めた弁当。

 いい加減な『ありがとうございました』を背に、店を出る。

 また暗い帰り道だ。

 スマートホンを取り出す。

 画面の明かりが、くたびれた男性の顔を夜闇に現わした。

 立ち止まる。

 星の見えぬ空が広い。

 アカウントの書き込みフォームを開いて、文字を打ち込んでいく。

 『私は気づいた。気づいてしまった。

 異世界に転生する主人公たちを、私はうらやんでいたのだ。

 転生できるチャンスにではない。チートな能力にではない。

 彼らがセカンドライフの中に見つけた大切なあれこれと、それを守ろうと必死になるさまをうらやんだのだ。

 彼らは青春をしていた。

 彼らは青春のなかにあった。

 私には、青春なんてなかった』

 書き込みボタンをタップしようとする親指が止まる。

 プライドの塊になったアカウントに弱音を書き込んでよいものか。

 笑い声が漏れた。

 自嘲するような、嫌な、乾いた笑いだ。

 だからだろうか、通りかかる車に気づきもしなかった。

「あ」

 乾いた喉から出た『あ』が、今生最後の言葉になろうとは。

 何とも情けない話である。

 最後に思ったことはといえば、スマートホンの画面を見られたくないな、であった。


 椅子に腰掛けている。

 広さも温度も分からぬような暗闇の中、頭上から照らされたスポットライトが自分のまわりだけを明るくしていた。

 ガタンという音と共に、眼前にもうひとつのライトが落ちる。

 足を組み、頬杖をついた女性だ。

 髪は冗談のように青く、テレビで見た南国の海に似ていた。

 長く、美しい髪だった。

「日暮 今日屋さん。あなたは死にました」

 美しい声だった。

 なのに、なんとも無味乾燥な言であろうか。

 だが、なぜだろう。私の心には少年のようなときめきがあった。

 女性の美しさにでも、死した筈の自分がこうして椅子に座っていることにでもない。

 夢にまで見た。

 いや、アニメや漫画や小説で幾度となく見た、あのシチュエーションに、自らがあったがゆえである。

「つきましては、あなたをよみがえらせ、チート能力を授け、異世界へ送り出して差し上げましょう」

 異世界転生。いや、召喚モノか。

 是が非でも無い。

 今すぐそうしてくれ。

 私は歓喜に打ち震えるように身を乗り出した。

 だが、なぜだろう。女性はなんとも気だるそうな顔で、手をひらりと振った。

「まあ、あとはよろしく」

 女神は消え、スポットライトに照らされた椅子だけが残った。

 光と共に舞い降りたスクロールシート。

 シートが開き、淡く輝く文字が並んでいる。

 身を乗り出して読んでみれば、それは。


 あなたに以下の能力を授けます。

 【神御手代行(チートギフトチート)】

 あなたは能力をデザインできます。

 デザインした能力は他人に与えることで行使できます。

 能力は二つ与えることはできません。

 同じ能力を二つデザインすることはできません。


 文字にあった淡い光が胸に吸い込まれ、残ったのは乾いた文字のインクとスクロールシートのみ。

 レバーを上げるような音と共に、スポットライトが消え、同時に蛍光灯の明かりが周囲を広く照らした。

 よく見れば、灰色の部屋だ。

 それまで暮らしていたような四畳半の広さ。

 女性がそれまで座っていた椅子の後ろには、半開きになった襖があった。

 開けば日本住宅さながらの押入収納。

 古くなったスクロールシートが乱雑に詰め込まれている。

 曰く『何でも斬れる剣』『空を飛ぶ』『時間を遡る』『ネコと会話する』エトセトラ……。

 チート能力を記したスクロールだ。誰かに付与した後なのだろう。光は無い。

 そして新しいものになればなるほど。

「しょぼい……」

 と呟くようなものばかりになっていった。

 逆に古いものはアイデアに満ちあふれ、読む者をわくわくさせるような文体で書かれていた。

 これを手にした異世界召喚者がどれだけ未来の期待に胸を膨らませたことか、手に取るようにわかった。

 だが最も古いスクロールだけは、恐ろしく無味乾燥なことが書かれていた。

 いわく、こうだ。


 あなたに以下の能力を授けます。

 【神御手代行(チートギフトチート)】

 あなたは能力をデザインできます。

 デザインした能力は他人に与えることで行使できます。

 能力は二つ与えることはできません。

 同じ能力を二つデザインすることはできません。


 部屋がぽつんと暗くなる。

 レバーの音と共に、椅子がスポットライトに照らされた。

 椅子には高校生を卒業する前程度の少年が座っている。

「あれっ、ここは? 俺は女の子を庇ってトラックにはねられ死んだ筈じゃあ……!?」

「…………」

 手元のスクロールを見る。

 自分に配られたスクロールを、見る。

 椅子に座り、古い方のスクロールに手を翳し、ほとんどなぞるように光をともしていった。

 さあ、スポットライトよ下りてこい。

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