岬への坂道の家

小乃木慶紀

再会

 鎌倉極楽寺ごくらくじの深い緑に包まれ、私の家はある。

 この別荘に住んで、まだ、ひと月も経っていない。

 千葉県の市川いちかわという街にある本宅から、父、母、妹と離れ、男ひとり、生活の拠点を、この鎌倉の家に移した。初めてのひとり暮らし。私個人は、かれこれ二十年近く、この家を訪れていない。家族はやはりの心配を隠さなかったが、豊かな自然の手を借りたい想いが、父が建てたセカンドハウスへの転居を、現実のものにした。

 三十代半ば、独身の私。邸内の疎らな空気が、少年時代の想い出と連れ立ち、悉くを宥めていた。常に淡々としているそれは、たとえ窓を開け放っても、壁を引っ掻くように雪崩れ込む、強かな風は稀で、あまり動こうとしない。仄かに揺られる感触が、尚も私を落ち着かせている。安心という言葉が、主張せずとも、懐へ入って来た。ならば、速やかに許す事に、異論はなかった。外を眺めれば、自然に頷いてしまう、懐かしい私がいた。そんな日常に、馴染んでいった。

 静かに読書をしている時でも、深緑のうねりは、私のうちなる静謐を見逃すかのようであった。私の目に触れずとも、その豊溢ぶりを察せられる関係性が、日ごとに熟れてゆき、誇らしかった。満ちる潮に、平明に均される心地に酔っていた。私の認識のかたわらには、いつでも、緑の分身が控えていた。

 山腹の中ほどに建つこの家は、さして立派な造りではない。急峻な坂道をくねり登る、一時の辛抱から、解放されたように展がる遠望は、予断を与えなかった。訪れるすべての人は、何もかも奪われてしまう。しばし歩を止め、遥かな眼差しを憚らず、その濃潤な相形を湛えたまま、降参の意思表示のインターホンをようやく押す。この家への坂道は、岬の海へのアプローチ。私の家には、岬という仮想世界があった。話題を惜しまない、自然にいだかれた空間識が漂う。

 滴り落ちるばかりの濃緑の圧搾が、家の背中に回り込み、延々と横たわっていたが、すぐ向かいの山容もまた、等しく彩られぬはずもなく、本来、山とは呼び難い、それでも山ほどの丘陵がついを成し、谷を作っている。その狭隘な、傾斜が見られない鍋底に、細長く連なる街の家々の屋根が競い、岬方向へ伸びゆく。そして、途切れた先、双子の山に挟まれ、息を吹き返すように澄明な青色、海に、ゆき着く。

 やっと届いた岬の海は、ここからは、あまりにも小さい。岬の佇まいは見えない。限られた、山と空の額縁に納まりを付けてはいた。が、少年期からの私の知り得るその海は、制約からはみ出し、岬へ向かう一本道をゆけば、私の中で自然に、玲瓏な歌唱を伴う旋律が流れる。春はつつくように、夏は煽るように、秋なら裏返すように、冬には招くように、それぞれの趣きが、脳裏をひとり占めして離さないのであった。緩やかに鷲掴んだ私の芯の、時に、何を隠し、あるいは奪い、そして時に、芯へ何を埋めるのだろうかと、かなり以前から考えていた。海の代謝という生命活動は、非情なグローバルイデオロギーを支持し、不眠不休の生産行動を約束するものであるかのように。

 今もこうして、その海を眺めている。

 窮屈な鉛のヘルメットをかぶったような、後頭部が筋張るような頭重ずじゅうは、近頃とみに、出現する習慣を軽減していた。鈍い頭痛が体中に伝播した、暗々あんあんたる疲労感をも、ちっぽけな、そんなその海が、癒しを与えてくれたとしか想えなかった。数年前からの、全身的な、全身を追い込む悩みに、会社まで辞めてしまった私の不全、無力な感覚に、五月の救済の温風は、窓を叩くまでもなく、励ますべくもなく、ただ自らのこだわりをぐように、陽だまりを、部屋中隈なく誘い入れていた。明るむ視程に、私の眼前に透けて現れているその海は、記憶を手繰たぐり、あの時代の、美しい砂浜の風景画を、私という硝子のスクリーンに映し出し、それをオートマチックにうべなうだけで、私は、満たされてゆく気がした。その海は、あの日のままの、あの海であった。

 私は、疲れていたのだ。この心と体で、時計の針を規則正しく進行させる作業に、疲れてしまった。もっと早く、策を講じるべきだった。それが無念を膨らませている、そんな自分に気づかせてくれた、上司のその言葉が、私の抵抗を収めた。しかし、現在も専門医の診療には至っていない。そして考えあぐね、寄るを求める一葉いちようの私は、転地療養の目的で、この海沿いの街の葉陰に、ようやくたどり着いたのだった。限りない、葉身のかすかなさやぎに、ゆくりなくも私に眠る森の中の瞑想の調べが、海という傀儡神かいらいしんの繰り展げる、饗応接待きょうおうせったいを促すかの、夢のように鳴り響いて来る……。

 私のその海は、私の命じるままに、それでも私を欺くように、その源流を想像する私を拒んでいた。人間の束縛を呑み込み、孤立を怖れぬ自由の思想潮流は、果たして、どこからやって来て、そして、どこへゆくのだろうか……。渺茫びょうぼうたる所以ゆえんは、必ずや、そこにあると拝察する私がいる。更に、なぎとどめる海のおもてより、定めし澎湃ほうはいたる海の懐の幻想に、かれてしまっている私という存在は、とある錯覚であったかも知れない。海を想う時、私は自由だった。海は、私を語る至高のツールであった。忘れていた充足の再生が始まっていたのだろう。再会が、待っているのだ。ただ……あの、岬の海へは、まだ、実際に脚を運んではいない。太陽の直線光流雪崩れ落ち、斬れまくる感性で哲学理論を紡ぐ、あの、岬へは……。

 風の噂に、海岸は、近年すなの流出夥しく、海水浴場もその役目を終えて久しいと聞く。きっと、違う風景がある。よくわからないが、そうではない現実がある。ともすれば、その私の真実に、触れるべきではないかも知れない、私も知らなかった真実が、あるのではないか。そういう想いが、私の行動に語りかけ、躊躇を説いていた。それでも海は、私に何を埋めるだろうか。私をどうするだろうか。海岸線をどうするのだろうか。私は不安を準備してしまっていた。今は、眺めているだけでよかった。自由であるだけに。

 海辺の街には、湿った重たい風が流れ込み、緑は燃え、プラチナの屏風を建てたような陽光に尚、地上は光と熱を蓄えていた。今はまだ、黙って大人しくしているだけに過ぎない、反射光の渦流の目が、私を眺めている。潤みゆくばかりの世界が、私を抱擁する。ふと、耳の奥でこだまする、今やプライドたる、自然との関係性がすり替わった言葉が、私の納得を待っていた。答えを示せず、待たせるだけの悪い癖の頻回が、私を蝕んだのだ。このまま、その言葉をやり過ごせないだろう。海が微笑むうちに、あの日の海を忘れてしまわぬうちに、誘われるまま、揺蕩たゆたうように、ただ、歩いてゆけばいいのだ。あの、岬へ。あの、海へ。


 翌日の午前、私は、九十九つづら折りの山道のような、自宅の坂の舗装路を駆け降りていた。アスファルトではない、コンクリートの硬さが、一歩ずつの足蹠そくしょに響くリズムにも、最早習熟の観があった。それは、急勾配故の、風景流覧厳禁をも。くだり切った丁字路を左へ曲がったのだが、この生活道路が極楽寺のメインストリートで、ほぼ直線の一歩道であった。脚を緩められた安堵を、アスファルトが届けて来る。が、普通車がすれ違えない箇所が点在する為、待避せざるを得ない光景もまた、散見する。一方通行ではなく、海沿いを走る国道百三十四号線、さかした付近の混雑を回避する車両の、抜け道でもある事は、地域住民周知の所であった。海岸通りの渋滞は相変わらずで、古都という観光地を物語るよすがであろうか。私は、道の左端をゆっくり歩いていた。と、既に、背後から、シャツを孕ませるように知らせるものを感じ取っていた。

 その……今さっき、左へ折れてこの道へ出た時の逆、右へ曲がった先、江ノ電極楽寺駅前を経た果てに佇む、極楽寺坂切通きりどおしを、私の充足という器は、忘れてはいなかった。

 その、鎌倉らしさをとどめた、緑しげきまっすぐな坂道の影が、私の背中を撫で、そして、押すかのようであった。それは、週に何度か、鎌倉駅西口(通称、裏駅うらえき。東口は表駅おもてえき)にあるスーパーへ、マイカーで買い物に出る度、必ず通るコースに含まれ、既に再会を果たした、ここでもやはりの小さな賛成だろうか。

 ひたすら南へゆくだけであった。すぐ右側で南北に走る、江ノ電極楽寺車庫のレールの縦列帯にも、ライントレーサーのような、私の目線は導かれ、その思考回路は、早々に海岸志向にシフトし始めたようだ。駅とは反対方向に、目的を置いた事はあまりなく、極楽寺以西の江ノ電利用もそれに等しい。私は、海をけていたのだ。時の流れと共に、打ち萎れてゆく私にとり、この目で真近から、あの、岬の海を見るのが怖かった。壊れてしまいそうで……私の心と、あの、海が……。

 何事も、眺めているだけで、よかった。たとえ、あの海岸が変わってしまっても、変わり果ててしまっても、私は、何が出来よう。私には、この手をさしのべる、この手で変えられる、この手で出来る、何があるのだろう、何が、あるのだろうか……何が、あの日の海と、今の海に……。何かが、きっと何かが、ある。私の中で、眠っている。しかし、もし、それに希望が見えなかったとしたら、私は、どうするだろう。でも、こうして鎌倉に来た以上、今まで、私は、何を、何を……。

 私の右頬を、後方から江ノ電500形の二両編成がかすめてゆく。隣人のライフワークのような、善意の低音走行の軋みが、藤沢ふじさわ方面へ逃れて、五月の照り映えの街に消えた。線路ぎわに至っていたのだ。そして、踏切を渡るその脚にかかる、にじるような圧が、上体へ巡り兆すもはぐれ、また群がるも抑えられず、私は、既に佳境の域にある自分を、もうひとりの自分が、見失ってゆく感覚に震えた。私の内部には、最早、放出したての、火成岩塊のような心しかなかったのだろう。

 不意に……あの、懐かしい旋律が、私という扉を叩いた。

 それは、あの時と同じ……つつくような、煽るような、千波万波せんぱばんぱんの打ちし引き消え、果てなき止むなき懐深く、されど今は、裏返り叩くが如き清濁併せ呑み、微妙な響きを伴って私を包み込んだ。岩塊は、その鳴りめの歌唱が、謦咳けいがいに接するような心得を、求めているようにも聞こえて来る……。

 Y字分岐を左へ折れ、と共にふたつ目の踏切を通り越した。鳴り止まぬだろう誰とも付かぬ、語るような歌唱に、触れた。

 私は……逃れるまでもなく、逃れるべくもなく、何かを追い駆けるべくもなく、いうまでもなく、今、ここへ来たのだ。私の中の過去と現在が、それぞれに沸騰し、手を延ばし、岩塊を掴もうとしている。私は、どうすればいいのだろう。このまま、あるがまま、誘われるまま、揺蕩たゆたう……。

 歩を踏み出すほどに、潮はざわめき辺りを閉ざし、その粒子匂い蒸れ立つ、一団の微熱風となって圧するも、私という存在は、その空気の壁にのめり込むように、丸ごと吸い込まれた。両の通り沿いの家並みが、押し退き末広がり、私の視界は、扇状のパースペクティヴの翼が、限りなく、どこまでもどこまでも、紺に藍に煌めきさざめく時を、飛翔させてゆく……。

 たがが外れたように、立ち止まった。信号は、青、いや、よく見えない……波の音しか、届いて来ない……眩しい……。今、今こそ、ここに立っている。

 国道百三十四号海岸通り、稲村ヶ崎駅入口信号、一本道の南端、終着であった。

 尚も、

 私の目は、相模さがみ湾の、青き燦爛さんらんたるに溢れ返った。

 あの日の海と、そして、今の海が、出逢った。

 涙のプリズムに、世界のすべてが、映っている。

 海上西方せいほうの、江ノ島が、揺れた。

 箱根連山の稜線を透し彫り、富士山が西空を駆ける。

 そして、東方、稲村ヶ崎の浜辺は……

 私の中で、悉くを巻き込みながら、何かが、壊れてゆく。されど、光は、逆らうようにこぼれて、それでも、消えつつあった。

 風は、濡れて、止まりつつある。

 潮の香が、途切れない。

 私は、ひとり立ち尽くし、潮騒を聞いていた。心ゆくまで、今の私を味わい、これからの私を、読もうとしていた。正に今、微睡まどろみ出した時間軸は、如何いかにやり過ごしても、ひとりなら、夜の不安の用意がある事を、否めない。

 今は、誰もいない。

 私は、護岸を降り、砂浜へ出た。忘れかけていた、稲村の浜の黒い砂の、ざらついた感触が、靴底を透過して、全身に仄めいてゆく。楽しいばかりのかつての夢が、仕事に疲れ、悩み、翳りを止められなかった、苦い記憶にくずおれ、多忙による無沙汰の間に、この黒い砂、稲村に顕著に見られる、輝石きせきと砂鉄の含有量の多い黒砂が、私自身の心象を映す黒い背景のように、姿を変え、私の脚を遠ざけた。昔から、小さな浜辺ではあったが、やがて、どこからとはなしに、海水浴場閉鎖を風聞した私は、子供時代の美しい想い出までもが、私の歴史が消えてゆくような感傷に、激しく駆られ、怖れてしまった。砂浜の規模は、既に、砂の流出が夥しかったのだ。

 そして今……私の足下は波打ち際にある。黒い鏡面への浸潤を連鎖する、波の一線の最高到達点が、護岸をも洗わん、更に隠さんばかりの余勢に尚、滑らかに黒く潤んでいる。その、意志的な黒い瞳が涙ぐむような、営みの前に、私の足下も、体も、体の芯も、悉くの想いまでも、今は差し出すように、過ぎゆくまま、呑まれつつあった。

 稲村ヶ崎の、跪座きざの前傾を保つような屹立が、陽を享けた矜持の威の眼差しで、私を見ている。それは、裁ち切った者の、輝きに満ちた目であった。今、私が存在している、この海岸という世界の時間軸は、最早、滅びゆく前提の上に、次の時代へ旅をしているのだ。知らぬ者はいないとする、その自らの懊悩をも韜晦とうかいする、惜別の寂然たる光さえ湛え、いにしえの新田義貞伝説が、彷彿とするような異彩を、私に放っていた。私は、異次元の錯覚を怖れていたのだ。こんなはずではない、自分の銷魂しょうこんに、我慢がならなかった。私は、飢えていた。自分の中の自分を、委ねられる何かを、本能的に探し続けていた。そして、それが満たされた時、私という存在は、真にひとつたり得る予感がある。五月の陽光は、そんな私を知るように、ゆく先を照らすように、降っている。それを丸呑みした黒い砂は、砂鉄故に熱を溜め込み、私の足蹠そくしょから、招きの何かを伝えようとしていたのか……そう感じた。

 ただ、悔しかった……悔しかった。どうして私は頑張れないんだ! 頑張りたいんだ!……心の中で叫んでいた。無邪気に笑っている少年の私が、もうひとりの私に問いかける。

『どうして泣いているの?……』

 もう、涙を止められない、どうする事も出来ない、彼の笑顔が……笑顔が……ただ……。私は、自分のこだわりという、一点からしか、自分を見る事が出来なかった。試験の答案用紙は、名前を書き落としたり、提出リミットを超過すれば、たとえ合格点の出来でも、それは無効となる。私は、その幻の合格点という罠に嵌まり、失敗を怖れる無難な道ゆきに偏り過ぎ、畢竟ひっきょう、答えを出せない空回りに、私の中の私は、れるように、逃れるように、拡散するように、自分を見失った。様々な地点から、自分を絞り込むようにふるいをかける、経験をあまり求めず、私の中のもうひとりの私という存在は、現実に怯え、内向を深めたのだ……。小々波さざなみという沈黙を、みぎわはひたすら守っている。風も、光も、海の香も、同んなじ顔で、私の体をすり抜けてゆく。とどまる者はいない。黒い砂と共に、ただ、流れ過ぎるままに、うしおの計らいに、身を任せるままに……私の吐息さえ、飛んでゆく……私は、空っぽになってしまった。ひとりぼっちになってしまった。誰も、いない。


 そして私は、ようやく涙を収めた、その時の長さを知る事もなく、家路に就いた。多少の空腹感があった。一本道をゆっくり戻っていると、今日は人影がない。駅の利用客も、一日で最も空疎な時間帯ではある。しかしながら、辺りを流覧しつつ逍遥しょうようする、観光客の姿さえ見られない。山のほとりの静寧がなずむ、薄ら寂しい日中であった。江ノ電の走行音が、つかえるように佗しげな声で呟いている。やがて、自宅の坂の上がり口が見えて来た。すると、駅方向から、初めて現れた人影を、私の目は認めた。その女性は、どこか、見た事があるような、街なかで見かける、古都を懐古しつつそぞろ歩く、行客の親しみとは似て非なる、安らぎを私に灯した。

「誰だっけ……」

 私は、小さく回想をうべなった。

 その女性の後ろの果てには、禅の街、鎌倉たる、一期一会の気が満ち、翠緑すいりょくの微光しぐれる、極楽寺坂切通ごくらくじざかきりどおしの静謐が仄見えていた。

 私は、坂に消えた。

 質実剛健の、鎌倉である。


 ……今日という日は、梅雨時つゆどき前と、明け直後に時折見られる、鮮烈な、怖ろしいまでの深緋こきあげの夕照にほだされ、暮れていった。それだけに、巡り来た夜のとばりが、尚も、あの濡れた黒砂のように、私の中に沁み展がる心地が、体を縛った。やはり、この夜は訪れた。私は、蒙昧な不安に悲しむよろいを、脱げない。半ば隷従然とした態度に、自分を投じるしかなかった。もうひとりの自分は、今はただ、静観している。

 そして、このよろいには、沈黙が伴っていた。それが、私に社会性を与え、私という、一個のアイデンティティを成立させる、一助たり得る事もわかっている。私は、悲しみを語らぬ事で、しばしば社会へ参加し、許される存在である自分に、無力だったのだ。いつの間にか、想像以上に、寡黙な自分を作り上げていた。しかし、現実という不安は、膨らむ。今日……あの海を見た、見たのだ。海は、泣いていた。微笑んでは、いなかった、くれなかった。私と、同じだった……。

 きっと、私を語ったのだろう。それでも、風は微温ぬるく、光は融け、潮の香は散り、小々波さざなみほどけて、瑠璃るりおもてになずさうままに、私の感覚という感覚、記憶という記憶へ侵入し、あの、黒砂の一握のような、瓦全たる私の精神に向け、新たなる何ものかへ、委ねられもしよう祈りを、確かに、私へ届けていた。またいつか、きっといつか、海は微笑むのだ。そう想うと、私は、私は……涙がぶり返して……。今は夜闇やいんに遮られて見えない、窓の外の暗い海に向かって、私のような、あの海に向かって、問わず語りに、ただ、心の中で訴えかけた……。海は、私。私という悲しみ。見渡す限り、そんなに溢れんばかりに、泣かないでくれ。私を押し潰さないでくれ。いつか、いつか……海は微笑むんだ……。

 私の中のもうひとりの私。私という、少年との再会は、ただ、切ない。

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