村木 諸洋

 何の気なしに窓の外を眺めると、ひとしきりに雨が落ちていた。ほんの数分前に洗濯機のスイッチを押したことを後悔しつつ、書斎の椅子に深く腰かけてみる。雨が降っていることに気がついてしまったが故に、水の落ちる音、それが至る所にぶつかる音が耳に入る。が、反対側からは、ただ無心に回り続ける機械の音がする。その二つの音が混ざり合い、一種の不協和音を奏でているようで、わたしにとってはたいそう耳障りなものであった。クラシックの音楽でも聴いて、心を落ち着かせようかと思った。が、一度外の音に意識をやってしまったわたしには、どうやら意味がないとみえた。そこで、台所へと出向き、ポットに幾らかの湯があることを確認した上で、一杯の珈琲を入れた。昔は自分で豆を選ぶ所からやっていたものであったが、今はもうそのこだわりを捨てた。正しくは、こだわりを持つ気を失せてしまったというべきであろうか。静かに湯気を立てるそれをもって、再び書斎へ戻る。珈琲の入ったカップをゆっくりと机の上に置き、先ほどより少し浅めに腰かけてみた。一口ゆっくりとすする。味は悪くない。なんせインスタントである。カップを再びゆっくりと置いた後、机に肘をかけ、そこかしこに散らばる消しゴムのかすと向き合いながら、静かに物思いに耽ってみた。

 私は、雨が嫌いである。彼らが、何を考えているのか私には到底理解できない。彼らを支配するものが、というべきだろうか。かつて、このように考えてみたことがある。こいつらは、自らの意思で、ここ地上へと降り立ち、小さな集落を作ってみたり、大きな流れをさらに大きくして、自らの存在を他に知らしめたりしているのだ、と。他の反応に味を占め、そこに一種の快楽を覚え、時に他を弄びながら、また自らの存在を知らしめる。なんと自由で魅力的な存在であろうか。やり過ぎが故に、時に鬱陶しがられ、しかし、時に恵みとして崇め奉られる。譬え一時に過ちで、どこかに迷惑をかけようとも、その存在無しには他の存在があり得ないとわかっているため、何も責められることはない。いつも通り振舞えばそれで良い。わたしにとってそれはまさに、理想的存在であった。わたしの目指すべきところであったのである。しかし、本当にそうなのであろうか。広く様々な見聞を附けてしまった今、そのような確信を持てなくなってしまった。こいつらは、自由に振舞っているように見せかけて、落ちるという働きをさせられているのではなかろうか。もっと言うならば、表向きには自由という選択肢が与えられてはいるものの、そうする他選ぶ道はなく、半ば強制的に落ち続けているのではないだろうか。きっとそうせざるを得ない環境には、何らかの支配者と言えるモノがいるのであろう。彼らはそれを恐れているのである。いや、もう恐れすら感じていないのかもしれない。意思を奪われ、意欲を失くし、ただ無心に身を流れに任せ、辿り着いた場所で余生を過ごす。わたしには、そのようにしか感じられなくなってしまったのだ。彼らのアイデンティティは、一見、失われてしまっているように思える。しかし、落ち続けるべきであるという彼らの内在的意識があるとするならば、もうすでに、そのような強固なアイデンティティで縛り付けられているのだろう。が、ひょっとすると、無数に落ちてくる彼らの中に、その流れに歯向かおうと逆行を図る者がいるかもしれない。本来あるべき姿に戻ろうとし、呪縛から逃れようと必死で足掻くのである。立派なものだ。しかしそれは、客観的事実として捉えるならば、ただの異端児で厄介者なのである。そのようなものは、排除されなければならない。そう誰しもが思っている。誰しもが思ってしまった以上、それが正義となり、正義の剣がふりかざされる。そうして、あいつは馬鹿だと罵られ、益々皆の共同意識及びアイデンティティが、より強固なものへと進化を遂げる。自らの存在を示そうとしたその者は、他の波にのまれ無き者とされるか、一生の孤独を突き付けられるか、存在を抹消されるかの孰れかである。

 もう彼らは救えぬ存在となっている。どうしようもないのである。それが定めというものなのだろう。諦めである。しかし、こういうことではどうであろう。彼らが恐れているのは、支配者ではなく、自らが異端児となることなのだ。心の奥底には、逃れたいという気持ちを抱えながらも、それをただひた隠し、偽りの自分を演じ様子を伺っている。もしそうだとするならば、たいそう立派で、賢なる者どもである。しかし、どうやらわたしには、そのように思えない。いや、思いたくないのである。わたしは傲慢でひねくれ者である。しかし、だからこそ感じ得ることもあるのである。それが役に立ったことなどは一度もないし、役に立たそうとしたこともない。ただ一つ言えるとするならば、唯孤独に生きた余生の、暇つぶしなのである。

 洗濯機の終了を告げる、甲高い機械音が耳に飛び込んでくる。この音が最も耳障りであることは間違いない。物思いに耽るあまり、すっかり珈琲がここに置いてあったことを忘れてしまっていた。最初に手を付けて以来そのままにしていたそれは、先ほどのような威勢が消え、物静かにそこに佇んでいる。窓の外は、相も変わらず煩わしい。衣服どもを取り出し、干す場所を確保せねばと椅子から立ち上がる時、わたしはふと思った。こうした所以で、わたしは人間が嫌いになったのである、と。

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