3章 その4

 街の中は多くの人でごった返していた。この地区はクラーブルで一番賑わう繁華街で、楽しそうに会話しながら歩く人や、商売の呼び込みをする人、昼間から酔っ払っている人など様々な人たちが各々思い思いの日曜日を楽しんでいる。

 リュミエールと父も、自分たちの休日を楽しむために街へやってきた。リュミエールがこの地区まで来たのは初めてのことなので、この場所にある全てが新鮮に見えた。


「ここ、すごく人が多いね、お父さん! 村で一番人の多い場所と比べると何倍くらいいるんだろう!」


 リュミエールは人混みを眺めて珍しそうに言った。


「今日は日曜日だしね、お休みの人も多いんだよ。だからすごく混む。それにしても、父さんが昔いたときよりも更に賑やかになった。ここまで多いとはびっくりだ。これは頭痛に響いてしまいそうだ」


 父は額に手を当ててからハハハとおどけて笑って見せた。でも、本当に少しだけ辛そうではあった。二日酔いだからというだけではなく、この人の密集具合とギラギラ照り付ける太陽の熱が合わさって、屋外であるにもかかわらずムワッと蒸した空気だったというのもあった。これだけ蒸し暑いと、たとえ健康な人であっても倒れてしまうかもしれない。


「お父さん、どこか休める場所はないかな。あたしもちょっとくらくらしてきた」


 リュミエールは額から流れる汗を拭った。


「そうだね、それは僕も同感。じゃあ、どこか喫茶店でも寄って休憩しようか」


 父がリュミエールを見て言った。


「喫茶店?」


 リュミエールはその名前に聞き覚えがなかった。少なくとも、彼女が住んでいた田舎にはないものだったためだ。


「飲み物とか軽食ができるお店さ。都会っぽいだろう。昔僕が住んでた頃に通っていたところがまだやっていればいいのだけれど」


 父は遠くを見やった。その方向は大通りが続くばかりで、人と電灯と街路樹が並ぶばかりだ。きっと父の視線の先に「喫茶店」とやらがあるのだろう。この街は広くてごちゃごちゃしているので、すぐに道がわからなくなりそうだ。もはやその点は森の中と大差ない。


「まあ、とりあえずそこまで行ってみよう。ちょっと歩くと思うけど」


 父はリュミエールに優しく話しかけた。


「それくらいどうってことないよ。お父さんこそ、本当に大丈夫かなー?」


「ハハハ、大人を馬鹿にしちゃいけないよ。大丈夫なところを見せる、って言ったじゃないか。それじゃ、行ってみようか。さあこっちだ」


 父は人混みではぐれないようにリュミエールの手を引いて通りを抜けていった。



 喫茶店は外とは打って変わって涼しかった。店の中も少し混みあっていたが、電気の力でプロペラを回転させて風を巻き起こす「扇風機」という機械が常に風を送り続けているため、空気が常に流れ、気温が暑くならないように調整されているのだ。そのため、この炎天下でも居心地がいい。扇風機の風に乗って、コーヒーの香ばしいにおいが店内にフワッと広がっていた。


「電気の力ってすごいね。暑いところを涼しくすることもできるんだ」


 コーヒーを啜りつつリュミエールは言った。


「そうだね。こう暑い日だと、僕らの家にも一台欲しいね。……この機械、結構高いから難しいんだけど」


 父が苦笑しながら言った。そこへエプロンをかけた店員がやってきて、父が注文していたコーヒーを机の上にトンと置いた。店員はそれと同時に父に話かけてきた。


「よう、久々だな、バジルの旦那。風の噂でこの街に戻ってるって聞いてたが、本当にいるとはな。十年ぶりくらいか?」


「やあ、マスター。まだこの店を続けているなんて、頑張ってるみたいだね」


 父は置かれたコーヒーカップを口元に持っていきながら気さくに言い返した。この店員は、店長のようだ。額に何本かシワが刻まれており、父より少し年を取っているように見えた。この様子を見る限り、父とは知り合いらしい。


「まあな。最近また人が増えて、繁盛してらぁ。おかげさまでいつもてんてこ舞いだがなぁ」


「たしかにこれだけ混雑すると大変だね。昔はこんなにいなかったし、この店もガラガラだった」


 父はしみじみとした様子で、ゆっくりとコーヒーを一口啜った。


「そんだけ成長したってことさ。この店も、この街もな」


 マスターはそう言ったあと、リュミエールの方を見やった。


「ところで、そこのお嬢ちゃんは?」


 マスターの視線を受けてリュミエールは条件反射のようにピクッと動き、姿勢を正そうとした。


「僕の娘さ。リュミエールという」


 リュミエールが答えるより先に父が答えた。


「あっ、あたしが答えたかったのに」


 リュミエールは不満げに言った。


「ハハ、いつも先に言われちゃうからたまには僕から紹介させてくれ」


「もー」


 二人の和やかなやり取りを見たマスターはガハハと笑った。


「親子仲は良さそうだな、バジルさん。リュシールさんのときとは大違いだ。最初はあんなにとげとげしい関係だと思ったのにな」


「えっ、お父さん、お母さんと仲悪かったの?」


 マスターが言った言葉に、リュミエールは反応した。


「あ、いや、ね……」


 父は少し気まずそうに言って、余計なことを、と言わんばかりの少々憎々しげな目をマスターに向けた。マスターはニヤニヤしながら追い打ちをかけるように補足した。


「こいつ、付き合いはじめて最初のうちは一緒に店に来るくせに、喧嘩でもしてるのかってくらいそっぽ向いて口利かなかったからな。あの絵面はなかなか奇妙だったぜ。きっと意識しすぎてお喋りできなかったんだぜ。純情な奴だからな」


「おいっ、やめないか。娘の前で威厳を失わせるようなことを言わないでくれよ」


 父は珍しく狼狽していた。その様子がおかしくて、リュミエールもニヤニヤしていた。


「へー、意外。最初からラブラブなのかと思ってたよ」


「れ、恋愛はね、複雑なんだよ、リュミエール。最初から仲良しなんてそうそうないよ。君もそのうちわかるさ」


「そっかー。ねえ、お父さん。お母さんとの馴れ初めの話、聞きたいな!」


 リュミエールは目を輝かせた。その視線に困惑したように父は目を逸らした。


「まいったな……」


「俺も聞きてえな」


 マスターも言った。


「君は知っているだろう!」


 父はおどけるマスターに鋭くツッコミを入れた。マスターとリュミエールはどっと笑った。


「マスター、ちょっと来てください」


 カウンターの従業員からマスターを呼ぶ声があった。その声にマスターは一言返事をした。


「っと、色々聞きたかったが、俺は仕事があるからな。また今度にしよう。後でな。わかった、今行くからちょっと待ってろ」


 そう言うと、カウンターの方へ小走りで向かって行った。


「……ふう、なんだか街中を歩いているときより疲れた気がするよ」


 父がため息交じりに言った。


「でもさ、あたしのためにもうちょっと疲れてくれないかなー? ここまで聞いてあたしは引き下がれないよ」


 リュミエールがニヤニヤして父を見つめた。


「やれやれ……こうなるとしつこいのはよく知っているよ。わかった、マスターが戻ってくる前に話そう。話し終わったら店を出ようか。あのマスターも結構しつこいからね……」


 父は観念した様子で話し始めた。

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