2章 その7

 細い道は森の奥まで続いており、まだ先がある。道の幅は入り口とほとんど変わらず一定で、やや坂道になっている。三人ははぐれないように会話をしながら進んでいた。


「そういえば、さっき言ってた『白蝋はくろうの魔女』って何なの?」


 草と土ででこぼこした道を進みながらリュミエールはアランに向かって言った。アランは少し顔をしかめて答えた。


「ああ、まだ言ってなかったね。これは僕らが小さいころからある噂話さ。この街の外れにある森には、『魔女』がいるっていう話があるんだ」


 アランはその噂の詳細をゆっくり、淡々と語り始めた——。



 魔女はこの街の中流階級の家に生まれた。そこそこ恵まれた環境で、普通の親同士の間に生まれ、何不自由ない平凡な人生を約束されたはずの女だった。だが、そうはならなかった。彼女には一点、他の人と違うところがあった。それは肌の色だった。

 彼女の肌の色はとても白かった。両親とも肌の色は白い方だが、それよりも数段白かった。目の色は蒼白く、両親の茶色い目とは異なっていた。毛髪までもが白く、産毛から生え変わり髪の毛が頭を覆う頃になっても、それは変わらなかった。そこもまた両親と違う部分だった。その差を両親は「異常」だと捉え、不気味に感じていた。


 彼女のことで、二人はたびたび喧嘩した。なぜこんな変な子供を産んだのだ、本当は他の男との子供なのではないのかと母をなじる父。いくら不気味な見た目であろうと自分が腹を痛めて産んだ子だから、と彼女を庇う母。二人は何度も衝突を繰り返した。彼女を重荷に感じながらも、棄てることなく彼女を隠しながら六年の歳月が過ぎ、彼女を学校に通わせるか否かという時分になった。

 二人はこのときも激しく対立した。父は人の目につかぬよう学校に行かせるべきではないと言い張り、母は彼女の将来を思うなら学校へ行かせるべきだと主張する。お互いに一歩も譲らず、ついには掴み合いの喧嘩になった。

 口論では母に分があったが、掴み合いでは父に分があった。父は母に言い負かされそうになるたび、暴力を用いてそれをねじ伏せた。そのため、彼女の家では、毎夜激しい口喧嘩の後に殴る音と物が壊れる音が鳴り響く、というのが日常となった。


 彼女はそのような環境の中で育ち、荒んでいったという。夜中両親が寝静まったときだけが彼女唯一の自由時間で、夜な夜なこっそり抜け出してはたびたび目撃され、「幽霊騒ぎ」のようなものを近所に振り撒いたという。

 結局、両親は離婚した。彼女は母親が引き取り、父は家を捨てて出て行った。父は去り際に「そのまま野垂れ死ね、この魔女め! 呪われるがいい!」と吐いたという。


 父が去ったあと、瞬く間に白い子供の噂は広がった。ちょうど幽霊騒ぎと重なり、いつも喧嘩の音が絶えない家であったのは周知されていたため、噂は真実味を帯び、近隣住民によってすぐに彼女らの居場所は特定された。

 母親は家を捨て、学校に通わせるのも諦め、子供を抱えて貧民街まで逃れた。たとえ地獄に堕ちようとも彼女を守り抜くつもりだった。


 しかし、貧民街でも彼女の異様な姿は受け入れられず、徐々に孤立していった。

 彼女と母親は人目から逃れるため、貧民街のさらに奥にある森に身を隠すようになった。

 母親はこのような境遇に追いやった父を、世間を、そして最期には我が子である彼女を恨み、病にかかり死んでいった。彼女を「愛情」という名の両の腕で抱きかかえるつもりが、いつの間にか絞め殺さんばかりに強い「恨み」という魔手に変化していた。ついぞ世間にも父親にも彼女自体にも手にかけることはなかったが、恨みは強大な魔力を生み、遺された彼女の魂に宿った。


 彼女はその後一人で森の中に棲み、その蝋のように白い肌と髪からいつしか『白蝋の魔女』と噂されるようになっていった。『魔女』は森の中に迷い込んだ人を呪術によって呪い殺すのだという。彼女は自分を捨てた世間を恨み、父を恨み、母を恨み、自分自身を恨んだ。その恨みのエネルギーが魔力の源となり、この世の全てを呪おうと考えている。そのための呪いの研究を森の奥深くで行い、その実験台として迷い人を殺す……そのようなことを今も続けているのだという。



「——というのが、俺が聞いた『白蝋の魔女』の話だ。この街の人ならたぶん皆知ってる」


 アランはそう言って話を締めくくった。リュミエールとヨアンはそれを静かに聞いていた。


「僕が聞いたのも、大体同じかも……。森の奥まで行くと恨みを持って死んだ魔女に取り殺されるって……」


 ヨアンは恐ろしげな様子で口を開いた。彼の横でダッシュが大きな口を開けてあくびをしていた。


「でも、きっと迷信だ。父上たち親の世代の人は信じてる人が多いみたいだけど、呪いとか魔法とか、そんなものがあるはずない。俺は信じてないよ」


 アランも少し声を震わせていた。信じていないと口では言っていても、やはり怖いらしい。


「そうなんだ……でも、もしかしたらもっと別の怖いものがあって、それを子供にもわかりやすく説明するために呪いの話にすり替えたのかもしれない。あたしも小さい頃、村のおじさんに「森の中には悪魔がいるから夜に行くのはやめなさい」って説明されたことがあるわ。結局その悪魔の正体は夜行性の危険な獣だったのだけれど。でも、そのおかげで夜に森に出るのは止めるようになった。ときにはそういう架空の存在を本当の危険に被せて言い伝える、ってこともあるんじゃないかしら」


 リュミエールは自分の考えを二人の前で話した。二人は彼女の様子をまじまじと見ていた。


「そう……だよな。気味の言う通り、子供だましなんだよ、きっと」


 と、アラン。


「いや……でも、リュミエールの言う通りだと、子供だましというより先に何か危険なものがあるってことだよね……」


 ヨアンは冷静に分析する。


「もしかしたらあたしが教えられたように、単に森は怖いところ、と教えるためかもしれない。でも、もしかしたら本当に危険なものが隠されてる可能性はあると思う」


 リュミエールは右手の人差し指を鉤状に曲げて額に当て、考え込むように言った。


「なあ、やっぱり行くのやめようぜ、リュミエール。引き返そう。これ以上危険だ」


 アランは半べそをかいて言った。


「あら、危なくなったらあなたが引っ張っていってくれるんじゃないの? それに、あたしだって本当に危険なところへは行かない。ここはまだ大丈夫よ。一本道だし、迷う要素もないわ。危ない動物がいたら、あたしがなんとか対処する」


「そんな、無茶だ」


「正体を掴むって言ったでしょ! さあ進むわよ!」


「うぅ……」


 アランは生気を失ったような顔をしている。まるで会ってもいない魔女に既に魂を抜かれたような感じだ。ヨアンも同様に絶望的な顔をしていた。二人は今すぐにでも帰りたそうにしていたが、ここまで来て彼女なしで帰るのもそれはそれで心細いため黙って彼女についていくしかない。ダッシュだけが呑気に地面に生えている草のにおいを嗅いでいた。


 

「だいぶ暗くなってきたね……」


 さらに奥に歩を進める中、ヨアンが不安げな声を出した。たしかに森は深くなり、曇っているとはいえ日も沈んできた頃合いで、木々の間からわずかに覗く空もより暗さが増していた。


「こういうときこそ、これの出番ね」


 リュミエールは一旦足を止め、懐から筒状のものを取り出した。


「じゃーん、『懐中電灯』! 使って見たかったんだ、これ!」


 彼女が懐中電灯の電源を入れると、明るい光がパッと前面を照らした。


「この街の最新鋭の技術だもんな、電気は。ランタンより明るくて持ち運びやすいしな」


 アランも自分の懐中電灯を取り出して森の中を照らす。


「これでちょっとは怖さが和らぐといいな……」


 ヨアンはボソっと呟いて、自分の懐中電灯をつける。


「……なんだか見えなくてもいいものまで見えそうで、逆に怖いね」

 ヨアンは光を色々な場所に向けて照らしながら言った。


「見えなきゃ困るものまで見えないよりはいいでしょ」

 リュミエールはそう言って光の先に向かって歩き始めた。

 

 少し歩いたところで、また音がするのが聞こえた。トン、トンという音だ。


「なに……この音」


 ヨアンがまた不安そうに言う。


「静かに」


 リュミエールは声を潜めてゆっくりと音がする方向に忍び寄っていく。二人も同じようにして彼女の後についていく。


「誰かいる」


 彼女は小声でそう言って、後ろにいる二人を片手で制した。


 彼女の視線の先にはオレンジ色の明かりがあり、その右隣りには真っ黒なローブをまとう人と思しき後ろ姿があった。頭には深々とフードを被っている。明かりはどうやらランタンのようで、光がそれを照らし、反対側に長い人影が伸びていた。それは、何か棒のようなものを上から下に真っ直ぐ振り下ろし、そのたびにトン、トン、と音が鳴っているようだ。


「ちょっと、見てくる」


 リュミエールは二人に言う。


「おい、本当に大丈夫か?」


 アランが彼女を呼び止める。


「まだ大丈夫よ。もし危なかったら走って逃げる。こう見えても足の速さには自信があるのよ。あなたたちも逃げる準備はしておいて」


「要するに危ないかもってことじゃないか」


「はい、わかったから黙って木陰にでも隠れて見てなさい」


 リュミエールはゆっくりと黒いローブににじり寄る。


 そのローブの人から五メートルほどの距離まで近づいたとき、リュミエールはそれに向かって声を発した。


「あのー!」


「あ、あの馬鹿っ」


 わざわざ取り殺されるかもしれない相手にこっちから話かけるなんて、とアランは木の陰で心臓が止まりそうになっていた。


 彼女の声が聞こえると、そのローブの人は左側からゆっくりとこちらに顔を向けてきた。フードの間から、顔の下部分がちらりと見えた。その肌は、明かりが反射してオレンジ色に見えた。身体が完全にこちらを向いたとき左手に斧を持っているのが分かった。さっきまで聞こえていた音は、斧を打ち下ろす音だったのだ。斧を持つ手は、骨のように白かった。リュミエールが向けている懐中電灯の光が反射し、その目が銀色に輝いた。


「うわーーーっ!! 『白蝋の魔女』だ!!」


 後ろに隠れていたアランは、斧と目が見えたときにたまらず絶叫し、回れ右をして全速力で逃げ出した。ヨアンもそれにつられて叫び、駆け出した。リュミエールは茫然とその姿を見ていた。ローブは斧を持ったままゆらりと彼女に近づいた。逃げずに残っていたダッシュが、ワンワンと吠えた。

 そのローブの魔女は息を吸い、口を動かした。

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