光の街のリュミエール
亀虫
プロローグ
その中に一本の道がある。土がむき出しでろくに整備されていない道だが、馬車一台が通れる程度の横幅がある。そこに一台の馬車が通りかかった。御者台にはランタンが一つ吊るされており、箱型四輪の馬車を四頭の馬が蹄で土や草を踏みつける音を鳴らしながら引いていた。馬車はガタゴトと大きな音を立て、森の合奏団の一員として飛び入りで参加し、交響曲はたちまち馬車を中心とした協奏曲に変化した。
馬車の中にいるのは、娘とその父の親子二人。いずれも月光の反射でわかるくらいの明るい赤毛だ。悪路で大きく揺れているにも関わらず、娘はこれまでの旅でよほど疲れていたためか、目を瞑ってぐっすりと眠っていた。スゥスゥという寝息が、森のざわめきと馬車の音にかき消される。父は窓から外をぼうっと眺めていた。その視線は、月の光とランタンの光を越えた先にある闇を見つめているかのようだった。二人を乗せた馬車は、わずかな光で闇を払い除けながらゆっくりと進んでいく。
しばらくの間、そのまま馬車が進むに身を任せていたが、Y字に道が分岐した地点に差し掛かったとき、父は御者台に向かって一言発した。
「すみません、ここで一旦止めていただけますか」
「リュミエール、ほら、起きてごらん」
父は娘のリュミエールの身体を揺さぶった。リュミエールはううんと唸り声をあげて目を覚ました。
「なあに、お父さん……もう街に着いたの?」
リュミエールは寝ぼけまなこでそう訊ねた。
「おやおや、もう忘れたのかい、リュミエール? 街はもうすぐだけど、君が「夜景」を見てみたいって言ったから、一旦馬車を止めてもらったんだよ」
リュミエールは目を擦りながら「そんなこと言ったっけ……」と小さく呟いたが、ハッと思い出して飛び起きた。
「あっ、そうだ、『やけい』!」
「そうだ、夜景だ。ちゃんと覚えていたようだね。忘れっぽいリュミエールにしては上出来だ」
「お父さん、それ、褒めてるの? それともけなしてるの?」
リュミエールは少し頬を膨らませた。父は娘のその様子を見て短く笑った。
「ハハハ、ごめんごめん。でもね、リュミエール。ここの夜景は忘れっぽい人でもきっと忘れられなくなるくらい素晴らしい景色だよ」
「お父さん、この話になるとそればっかりね。何度も聞いてるよ。同じことを何回も言うお父さんこそ、忘れっぽいんじゃないの?」
「そうかもしれないね。きっと、親子で似てしまったんだ。まあ、そんな父さんでも忘れられなかった。言葉で説明するよりも、実際に見た方がきっとわかりやすいと思う。さあ、この先だ」
父はそう言うと、馬車の扉を開けた。
「うん!」
二人は馬車を降り、リュミエールは父の後についていく形で森を進んだ。Y字路の右側の坂道を行き、少し歩くと、獣道のような細い道が彼女らから見て右側に現れ、そこに入っていった。二人は森の中を歩くのには慣れているので、道の脇からはみ出す草木を跳ね除けながらぐいぐいと難なく進んでいった。すると、開けた丘に出た。
「ここなら邪魔な木もないし、景色がよく見えるよ。さあ、足元に気を付けて登っておいで」
父は丘の上にある大きな岩の上に登った。そして、岩の上からその下にいるリュミエールに手を差し伸べ、引っ張り上げた。
「ここがこの丘で一番高いところだ」
父は言った。リュミエールが、よいしょ、と声を出して登りきると、眼前に素晴らしい景色が広がっていた。
「わぁ……綺麗……!」
リュミエールは感嘆の声を上げた。この丘の先には崖になっており、その下には広大な街々がある。夜も更け本当なら暗くて何も見えないはずが、実際にはそこに無数の光が散らばっていて、白い光だけではなく、赤、青、黄、緑……と様々な色の光が点々と輝いていた。光はひとつひとつが命を燃やしているかのように強く輝き続け、それらが一か所に集合し、街はひとつの虹色の魂を作り上げていた。
手を伸ばせばその魂に手が届きそうで、リュミエールは実際に手を伸ばしてみた。もちろん光は遠く離れていて触れることはできなかった。だが、その幻想的な風景はまるで別世界のもののようで、触れられないという事実が「自分はまだこの世界に生きているんだ」という証であるように感じさせ、かえって彼女は安心した。
父が夜景に見とれているリュミエールの様子を満足そうに一目見て、それから視線を夜景に向けて呟いた。
「父さんはね、昔ここで同じようにして夜景を見ていたんだ。母さんと一緒にね。リュミエール、まだ君が生まれてない頃の話だ。僕は母さんの手を握り、この岩の上に引っ張り上げて、並び座って眺めたよ。前来たときはここまですごくはなかった。もう十二、三年前だからね。それでも、当時の僕らは一生の思い出に残るくらい、感動した」
「お母さんも、見たんだ……」
リュミエールの母、リュシールは六年前、流行り病によって亡くなった。リュミエールがまだ五歳のときだった。十一歳の子供にとっての六年間は、自分が生きてきた時間の約半分もの長い時間で、遠い昔のことだ。そのため、細やかな記憶が薄れつつあるものだが、母との思い出は未だ鮮明に彼女の頭の中に存在している。母の魂は、あの街の光のように半分はリュミエールの、もう半分は父の一部として今なお輝き続けている、とリュミエールはそう信じていた。
リュミエールは夜景から目を離し、父の方を向いて訊ねた。
「ねえ、お父さん。この街は、何でこんなに明るいの? 私たちがこの間までいた村は、夜はこんなに明るくなかったのに」
父はフフフ、といたずらっぽい笑顔を投げかけながら言った。
「それはね……魔法さ」
「魔法? 本当にそんなものがあるの?」
「あるさ、きっとね。リュミエールはこの風景を見て感動しただろう? だから、この強い光には魔法がかかっているのさ。人を感動させられる魔法がね」
リュミエールはこの言葉を聞いて、父に話をすり替えられていることに気付いた。
「あっ、お父さん、本当はわからないから適当なこと言ってはぐらかそうとしてるでしょ!」
「ハハハ、どうだろうね」
「やっぱりはぐらかしてる!」
ひとしきり夜景を眺めた後、父がリュミエールの肩を叩いて言った。
「さ、そろそろ馬車に戻ろうか」
「えー、あたしはまだ眺めていたいなあ」
リュミエールはそうやってわがままを言っていると、ヘクシッ、と小さくくしゃみをした。
「今は夏だけど、夜の丘の上は寒い。ずっといると風邪を引いてしまうよ、リュミエール。それに馬車も待たせっぱなしだしね。御者さんには無理を言ってわざわざ危険な夜に馬車を出してもらったのだから、これ以上待たせるのは彼に悪いよ」
父はそう言って岩を降り、両手で彼女を抱えて岩から降ろした。
二人は再び獣道を通って馬車に戻った。その道中で、リュミエールは父に訊ねた。
「ねえ、お父さん」
「なんだい? 蛇でも出たかい?」
「違うよ。大した事じゃないんだけど……この世界にはまだあたしの知らないことがいっぱいあるんだなって、あの景色を見て思ったの。それだけ」
「随分と君らしくないこと言うじゃないか、リュミエール。毒グモにでも噛まれたかい?」
「もう、お父さんったら!」
リュミエールは父のからかいに顔を真っ赤にしていた。
馬車に戻り席につくと、リュミエールはすぐにまた眠ってしまった。父は彼女のサラサラした頭を撫でながら、独り
「リュシール、しばらくは僕もリュミエールもこの街で暮らすことになるんだ。君が愛した光の街『クラーブル』でね。彼女にとって辛いことが多いかもしれない。でもきっと大丈夫だ。誰よりも強く輝く君の魂を受け継いでいるのだから」
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