第36話 買い物 上
「兄さん、まだですか? 私は準備万端です」
「……うん、律。お出かけが嬉しいのは分かるけど、ちょっと落ち着こうか。まだ、朝の8時だよ? ほら、座って。朝ごはん食べて」
「はーい」
本日は土曜日。
律は昨日の晩からこの調子で、ずっと浮かれている。珍しい。余程、楽しみにしていたらしい。それにしたって、早く着替えすぎだけれども。
僕の隣にちょこんと座り、きょろきょろ。
「お母さんとお父さんは?」
「昨日、母さん、はしゃいでたじゃないか。『土日は、父さんと温泉旅行行ってくるからね♪』って」
「…………ああ、そうでしたね。そうでした。では、兄さん、今日明日は私達だけだと?」
「そうだなー。夕飯はどうする?」
「考えます」
「ん。ああ、遊園地じゃなくなってごめんな」
「いえ、別に構いません。兄さんと一緒なのが重要なんです。それと」
「それと?」
「――有原さつき、さんでしたっけ? 今日、御一緒する方。一度、お会いしておきたかったんです。ええ!」
「?」
律が、大きな口でハムを噛み千切る。
そうなのだ――さつきさんに頼まれていた、弟さんの誕生日プレゼントを選ぶお手伝いの行先は、何と近場のアウトレット。
なら一緒に行けばいいんじゃ? とまずは今、目の前で雄々しく? 朝食を食べている妹に話してみたところ、最初は案の定、不満表明。
気持ちは分かる。見ず知らずの女の人相手だと、気を遣うだろうし。僕の妹はそういうことがきちんと出来る子なので、疲れてしまうのだ。
なので、「なら、土曜日は律な。日曜日はさつきさんで調整」「一緒でいいです」……だけど、最近、何を考えてるのかお兄ちゃん、分からない時があるんだ。
まーこれが倉相手だったら、こんなことはしなかった。あいつに、律を会わせて変な影響が出たら泣く。間違いなく、泣く。
で、さつきさんに相談したところ、「直さんの妹さん……いいですよ。楽しみにしてますね」と即決。いや、本当にいい人だ。先輩相手にいい人、だなんて失礼かもしれないけど。
時計を見る。
待ち合わせの時間は午前10時に、アウトレット入り口。まだまだ時間あり。
午後からでもいいんじゃ? と聞いたら、二人からは『開く10時で』と一致した見解。まぁ、冷房効いてるし、いいけどさ。
朝食を食べ終え、食器を洗っていると携帯が鳴った。はて? こんな時間に?
手を拭き、出る。非通知とな。
「はい。もしもし。どなた様ですか?」
「直さん、今日の天候は台風なので、お家から一歩も外へ出てはいけません。さつきは、直さんをその毒牙に」
容赦なく切る。
さて、と。
「律、洗っとくから支度しろー」
「はい。ありがとうございます」
「帽子は忘れずに」
「分かってます」
「それから――遊園地も、涼しくなったら行こうな」
「! ……はい。兄さん」
「んー?」
「ありがとうございます」
そう言うと、少しはにかみながら律は洗面台へ。女の子は大変だよなぁ。男は適当でもなんとかなるし。
さて、と。
携帯を手に取り、かけなおす。
『…………はぃ』
「雨倉先輩、非通知でかけるのは止めてください」
『! 雨倉先輩って言ったぁぁ……。だ、だってぇ……うぅ……直さんの意地悪っ! いいですよーだっ!! 私達は、私達で楽しみますからっ!!!』
切れた。私達?
……そもそも何で、今日出かけるのを知ってるんだろうか。さつきさんは話す筈ないし。
相変わらず謎だ。
「兄さーん、リボン結んでくださーい」
おっと、可愛い妹が呼んでいる。
急がねば。
※※※
地元のアウトレット入り口には、多くの人が集まっていた。
時間は、丁度10時。さて、さつきさんは――
「直さん、こっちです」
涼やかな声。
見れば、帽子を被り、日傘を持った清楚な薄青のワンピース姿の美少女。私服姿は初かも? 綺麗、可愛いという、語彙に乏しい感想しか出て来ない。
近付いて行き、頭を下げる。
「すいません、お待たせしました」
「いえ、私もたった今、来たところです。そちらの可愛らしい方が、話されていた?」
「……中ノ瀬律です。兄がお世話になってます」
「有原さつきです。お兄さんには、仲良くしていただいています。律さん、と呼んでも?」
「はい、有原先輩」
……おかしいな、律の背景に威嚇する子狐が見える。
さつきさんは、さつきさんだけど。
空いている左手を優しく握られた。へっ?
「では、行きましょう♪ 私、普段、こういう所に来ないので、楽しみにしていたんですよ」
何時もと変わらぬ御様子。
……僕が気にし過ぎなだけ? これくらい、普通……なのか?
こういうの慣れてない――いや、白状する。経験したことないから、勝手が全然分からないんだよなぁ。まぁ、さつきさんの様子を見る限り、所謂『デート』じゃないんだろう、うん。
律が、右手を引っ張って来る。
「兄さん、行きましょう」
「あ、うん」
連れだって歩き出す。
あ、その前に。
「さつきさん」
「はい♪ 何ですか?」
「今日の服装、とても似合ってます。お綺麗です」
「――——」
さつきさんは、口に手をやり、目を大きく見開いた。
あ、あれ?? 間違ったか??
「……来て大正解でした。兄さんはこういう無自覚な一撃するので……」
「? 律、何か言った??」
「いえ、何も。有原先輩、御気持ちは大変よく分かりますが――先へ進みましょう。今日一日、油断していると、こういう感じですので……御覚悟を」
「…………そう、なのね。ありがとう、律さん」
「いえ。私、別に味方じゃありませんので。むしろ、敵です」
こーら、折角、可愛い恰好なのに威嚇しない。あと、敵・味方ってなにさ。
とりあえず――さつきさんのお役に立てて、律が楽しんでくれるといいんだけどな。
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