相棒

@manseibien

相棒

【速報】

 ○○県警は十七日午後、△△市内において十六日の夕方より少女が行方不明になっていることを発表した。少女の身長は百三十センチ程度、出かける際には白いシャツと青いリュックサックを着用していた。少女が近所の友人と別れてすぐに行方不明になったことから、警察は事件性が高いものとして情報の公開に踏み切った。警察は地元消防と協力して捜査に当たるほか、少女に関する情報を広く求めていく方針。


 相棒、相棒、もしかしたらこの世界を地獄に例えるのは、地獄に失礼なのかも知れないね。奇妙な味の思い出が未だ目蓋の裏に焼き付いている。傍から見れば他愛の無い一ページに過ぎないのだろうけれど、何故か、僕にとっては最上級のトラウマなんだ。今でもなお思い出す度に奇声を上げてしまいそうになるぐらいに。まったくつまらない話だ。高校の頃、好きだった人の靴箱に恋文を忍ばせたことがある。その人のラインなんて当然知っていたのに、僕は無駄に何度も書き直し、清書したアナログの恋文を靴箱へ投函したんだ。どこかへ呼び出すような無粋な真似はしなかった。ただただ、その人への想いだけをひたすらに綴った。後になって自分の名前を書き忘れたことを思い出したぐらいに、僕はその人へ一直線に魂を向けていたんだ。


 結果はすぐに届いた。僕の靴箱にその恋文がそのまま返ってきていたのだ。それも、細かく破られた状態で。その人は自分に宛てて恋文を出した相手を知っていたんだ。そして、その上で手紙を破り捨てて僕の靴箱をゴミ箱にするという方法を選んだ。ショックというか……なんというか、僕には何も考えられなかった。きっとその時点で、僕の心が考えることをシャットアウトしたのだろう。僕自身をこれ以上傷つけないように……。以来、その人とはラインのやり取りもせず、教室で目を合わせることすらなくなった。必要な時を除いて……そう、つまり用事があれば向こうは平然と話しかけてくるし、僕も何事も無かったかのように振る舞った。どちらかというと、その人の返事の方法より、そちらの方がトラウマとして残っているような気さえする……。


 さて、無駄な昔話は置いておいて、そろそろ安っぽい言葉を並べることにしよう。誰かが満足するまで、或いは許してくれるまで、僕は舌を回し続ける。それが億劫だとか、悪いことだとはちっとも思わない。自分自身の本心を一所懸命にさらけ出す場なんて、生涯を通じてもそんなにあることじゃないんだから。それは起承転結や喜怒哀楽を含むものではないのかも知れない。けれど一つだけ、確実に組み込まれているものが存在していて、それこそが僕らの魂、というわけさ。

 

 用意はいいかい、相棒?


 よっぽどの馬鹿ではないかぎりモラルと法律の狭間に描かれるものが何であるかを理解している。よっぽどの馬鹿でないかぎり踏み越えてはならない一線というものを知っている。そして、僕らは多少の馬鹿ではあってもよっぽどの馬鹿ではなかった。だから、今から目の前にいる硬い顔の男に向かって、盛大な自分語りをしなければならないことも重々承知している。けれどどういうわけかな、自分語りと言うだけで僕らは些か躊躇ってしまうし、もっと言うと何かこう……怖じ気づいてしまうところがあるんだ。


 所詮、僕らは高速道路に転がされた死体だ。最初から使い道などないし遊びで轢いていくのもあんた次第だ。やってられない思いを抱きながら仰向けで流星を眺めている。血を吐きすぎて痩せ細った身体で宇宙の神を崇めている。生きているだけでつらいと言わせてくれ。死ぬつもりなどないからこそ言わせてくれ。そして、生きていくために必要な何某かは、人によってまちまちであるということも言い残させてくれ。


 相棒、相棒、僕らは知らぬ間に通り過ぎていた。それでも血と汗水が混ざり合って柔肌とはらわたが絡み合うまで殴り続けていたとき、僕らは確かに生きていたはずさ。トンカチを選んだのはベストアイデアだった。だって包丁だったならあんなに綺麗に割れなかっただろう? 刃物には美学も思索もないのさ。結局、僕らは鈍器に行きつくし、それは必然的な結果だった。生命を噛み締めながら生命を奪うとき、刃物や銃器じゃ脈動が足りないんだ。なんて、知った風な口をきいてみるよ。でも何故だか、今の僕らには理解出来てしまっているような気がするんだよね。きっと前世でお母さんから教えてもらったんだ。


 それは確かに滑稽な手段だったかもしれない。冷笑系蔓延るタイムラインを眺めながら名前も知らない男に跨がっていた方がよっぽど生産的だったかも知れないな。けどさ、それじゃ満足できなかったから、僕らはヴィレヴァンとは違う道を探し求めたんだ。あらゆる世俗のよしなしごとが僕らを通り過ぎていった後、いったい僕らの手元に何が残っていただろう? アフターピルや中也の詩集? 貰ったスタンプに隠語めいたシール? じゃああんたに一つ訊くよ。いったい何が楽しいんだ? 真夏日の四畳半に体育座りをカマしても、安酒を求め歓楽街を彷徨っても、ついぞ僕らの魂は煮えたぎらなかった。生きて息してるその味わいときたら、水道水よりも無味無臭なのさ。もう一度訊くよ。何が楽しいんだ? この巨大すぎる宇宙で、まさに天文学的な確率を引き当てて生物として誕生し、それよりも更に些細な確率で相棒とも出会えたって言うのに、それでもなお僕らの心情は鬱屈に曇ったままだった。今は少し晴れ晴れとした気分だよ。けれどいつまた灰色に染まるか分からない。憂鬱というやつは入道雲よりも厄介だからね。


 アルバート・フィッシュが手紙に書いた。『彼女は処女のまま召されました』。同じ言葉を繰り返す必要が僕らにはあるかもしれない。だって僕らはロリータ・コンプレックスでもレズビアンでもないもの。相棒という言葉にも一切性的な意味合いは含まれていないのさ。まあ、そんなことは心底どうでもいいんだけどね。ただ最近は、やたらとその手の関係性を勘ぐる奴がいるものだからさ……。まあとにかく、確かに僕らは潰れていく彼女の愛くるしい表情と臓腑の鼓動に興奮こそ覚えたけれど、それは性的衝動とは遠い場所にある何かだったというわけ。その焦燥を『神聖』だなんて安っぽい比喩で表現すれば、僕もたちまちサイコパスの仲間入りだろうさ。それって嬉しいことかな? 少なくとも僕はそう思わない。あらゆる言葉の値段が下がっているこの社会において、未だに『サイコパス』に値札を貼る人間がいると思うかい? せいぜいインターネットの片隅で、広告料稼ぎに使われるだけだろうさ。


 真実の意味を定義できる? 言葉の一切が暴落している時代に、口から吐き出される、或いはしたためられる言葉に優劣を、上下関係を、ジョックとナードのようにあからさまな関係性を持ち込むことは可能? 偉人の言葉と『死人に口なし』、どちらを信じればいいだろう? 真実と嘘の狭間にあるものは? 夢と現実の間で彷徨っているものは? 僕らの言葉とは? 僕らにとっての真実を、明白に示す言葉を記述する手段とは?


 手筈は簡単だった。あまりにもスムーズすぎて『手筈なんて無かった』と胸を張りたいぐらいに。少女のこと? 最初は何も知らなかったよ。けれど今じゃあ誰よりも彼女のことを知っていると言えるんじゃないかな。だってそうだろう。あの子の母親でさえ、彼女の血にまみれた脳味噌がひび割れた頭蓋骨の隙間から噴き出す場面なんて見たことないはずさ。感情や歴史なんてつまらない勘ぐりだよ。誰だって自分の履歴書には饒舌に嘘を書き並べるじゃないか。過去なんてものは嘘を付くための踏み台、理由付けでしかない。恥の多い生涯を送っていない人間など一人だっていないのだから。だからこそ『人生』という言葉にはどうしても『不純』や『干渉』という前提がついて回る。そう考えてみれば、彼女が家族や友達と過ごしていたであろう数年間よりも、僕らが交互に鈍器を振るっていたあの数分間の方がよっぽど濃密で純粋で……充実していたと断言できるね。あの時僕らの指に残った生々しい感触、そこらじゅうに撒き散らされる生温い血液と終わりの無いねばついた不協和音。それこそまさに、『不純』や『干渉』から最も遠い場所にある『人生』なんだ。疑うならあんた

もやってみればいいよ。


 相棒、相棒、どうやら僕らは間違っていたみたいだ。僕らの人生は自分たちが抱いた正解を否定されるためだけにあったようだ。生まれ出た時に持ち合わせていたものの強さなんて誰一人変わらないはずなのに、嗚呼、僕たちの持ち物だけは完膚なきまでにシャットアウトされてしまった! 叫ぼうか? 罵ろうか? 魂の慟哭とやらは二人だけの王国を築けるだろうか? いやいや、残念ながら恐らく……僕らの行き着く先は世俗と事情で溢れかえった牢獄でしか無いのだろうね……。ダンサー・イン・ザ・ダークのセルマみたいに、最期はバタン! と地の底が抜けるのさ。


 まだ太陽の残渣でほの明るい住宅街の狭い道は、恐らく少女にとってお母さんのご飯を食べるための帰り道だった。数十歩前に友達と別れ、両脇に垂れたナップサックの紐をギュッと握りしめてやや足早に歩いている。ナップサックの中身は筆記用具と塾の宿題でパンパンだった。不愉快な人生だと思うよ、けれど当人が愉快のなんたるかも分かっていないのだからどうしようもない。他方、僕らはと言えば黒髪を肩まで伸ばして顔を誤魔化している、片手にスマホでちょっと猫背の若い女。その中身は冷笑系ビッチ、まあつまりはごく普通の女学生というわけさ。だから誰も僕らを怪しまなかった。話しかけられた少女自身でさえ、最後の最期まで僕らを悪者だとは思えなかったみたいだ。きっとまだ、見た目以上の何かで判断する境地にまで彼女の賢しさは届いていなかったんだろうな。


 それでもね、間違ってもらっては困るんだ。僕らはその時もまだ楽しいだなんて一ミリも感じちゃいなかったんだ。テンションも上がらなかったし、相変わらずうだるようなアスファルトの熱を心の中で罵倒していたぐらいだ。いや、むしろ自分たちの行動の突飛さに愕然としていたかも知れない。つまりそれは……未成年が酒や煙草で大人を気取るのとはワケが違うんだ。もっと取り返しのつかない……ある意味究極的な犯罪に手を染めていたんだから。所詮凡百の人間である僕らなのだから、恐れおののくのも当然だろう? けれどもね、もう既に目の前には引き留めてしまった少女がいるわけだ。この期に及んで後戻りなんて出来るはずも無い。大学生が突き飛ばされるようにブラック企業へ就職するのと同じように、事態はいよいよ僕らを退っ引きならない重罪へと押し込めていったという具合さ。


 遺書を書いたこともあった。遺言状に手を出したこともあった。わざわざこの時代に恋文を書き綴るのもそれほど億劫だとは思わなかった。所謂、面倒な手書きの文章に関しては、思いつく限りのものに手を染めていた。無論、それぞれを書き上げるとき、僕らはいつにも増して真剣だったはずさ。それでも分からないんだ。果たして僕が文字で描いている景色は現実のものなのだろうか。僕はただ午睡の夢を丁寧に書き連ねているだけでは無いのだろうか。分からない。今更言葉なんてものに正しさを見出すことが出来るのだろうか。明らかにペンは剣よりも弱いのに。共産主義者が理想を語るとき、必ずその手にゲバ棒が握られているように、僕らは恋文を書く他方の手でナイフを握りしめておくべきなのかも知れない。本気かどうか。その一文字ずつに魂が込められているか。そんなものは結局、物理的手段を用いなければ、乃至は金の力で分からせなければ、無為のままに雲散霧消する霞のようなものでしかないのかも知れない。今更絶望しようか? 実はずっと前から悟っていたことなんじゃ無いのか? 何物でもない人の綴る文字は、同様に何者でもないのではないか。


 少女は現代人らしく小賢しかった。いざとなればスマホや防犯ブザーが自分を守ると思っていて、ほんの少し気丈に振る舞いすぎているきらいがあった。しかしその手の小道具が通用するのは所詮、発覚を怖れる犯罪者だけなんだ。少女を潰した後にその手の小道具に気付いたけれど、処分するつもりにもなれなかったね。つまり僕らにとっては、マジシャンのタネよりも、ちんけで、驚くに値しなかったということだよ。そして何より、少女はそれらを使うタイミングを致命的に逃し続けていたんだ。何度も、何度もね。


 世の中に飛び交うのはおよそ滑稽な言葉の威嚇射撃だ。本当に刺すつもりなどないくせに、やたらと尖っていて容易に触れることもできない。それはポケットの中の戦争におけるちっぽけで憂鬱な軍事的手段でしかないと言うのに、それを掻い潜ってまで、本当の言葉を撃ち込むだけの余地はあるのだろうか。いや、そもそも僕らは本当の言葉を用意できるのだろうか。それはもしかしたら、某国の軍事パレードのようにただひたすら自意識を肥大化させるためだけに並べ立てられているのではないだろうか。存在をか細く鳴き立てるためだけに、僕らは頭の中へ辞書をインプットしているだけなのではないだろうか。


 僕らの言葉に関する疑問が尽きることはない。けれど心配は要らないよ。疑問も言葉であることに変わりはないのだから。言葉の一切合切が無意味なものなのだとすれば、こうやって抱いている全ての蟠りだって無意味に決まっている。火葬場で焼かれたとしても、誰もそいつを気にすることはないだろう。意味を持たないままにこの世の中を闊歩することは出来ない。いや、もしかしたら別の時代だったら可能だったかもしれないね。でも今の時代じゃあ、無意味なものに目を向けるだけの余裕なんて誰も持ち合わせていないのさ。


 そう、だから、僕らは鈍器を握ったんだから。


 部屋に上げた少女を背中から殴りつけた。無理矢理吐く時に出るような奇妙な音を口から吐き出しながら少女は不自然によろめいた。そこへもう一度鈍器で――スパナだったか、金属バットだったか――殴りつけようとしたが、よろめいているせいで狙いを外し、思わず右の肩甲骨あたりを砕いてしまった。その瞬間、なんだか酷く腹が立って、何も持っていない左手で思い切り少女を突き飛ばした。彼女はいとも容易く突き飛ばされ顔面から地面に倒れ落ちて、そのあとは、そのあとは。


 結果が全てを示すのさ。僕らがどれだけ意図を垂らしても、現実の光景が全てを引き裂いてしまうだろう。実際のところ、これまでの生涯はとても味気ないものだったはずだ。勿論、同じような人生を送っていても満足できる人間もいるだろうし、むしろそっちの方が普通であるような気がする。少なくとも、世の中はそれが正しいとして回転しているだろう。しかし、もしも誰かから頭ごなしにそのような正論をぶちまけられた場合、僕らはもうどうしたらいいか分からなくなってしまう。ただでさえ安っぽい言葉の軍団は、僕らにとって最期のミサイルだった。それさえ封じられた僕らはさながら四肢を奪われて床に転がされているようなものだ。冷笑系の嘲笑ばかりが耳の中でこだまする。こんな惨めな姿こそ、何よりも素晴らしくインスタ映えするのだろうな。誰かの手のひらで転がっている人間を対岸で眺めているほど面白いことはないんだからな。当事者の気持ちなんて誰一人拾おうとはしないんだからな。だから一人きりで藻掻くんだ。僕らは何かを掴みたくてただ独り藻掻き続けるんだ。それが人道に背くものであったとしてもなお、現状よりはマシだと思ってしがみつこうとするんだ。四肢を奪われたならば歯で食らいつくしかない。盲滅法噛み合わせたところで犬歯が折れるような衝撃に出くわした。それが鈍器だった……つまり、スパナや金属バットといった、そういう類いの。


 少女は未だに呻き声を上げながら生きていた。肩の肉は抉れ、頭蓋骨とて無事ではないはずなのに、彼女は未だに正常な鼓動を保ち、そしてそのために苦しみ抜いていたのだ。小学生の想像力などもう僕らには思い返すこともできない。しかし、眼前に広がる死を想像することぐらいは出来ていたような気がする。もう助かる手段なんてものはどこにもない。このまま放置されたとて遠からず召されることになるだろう。あまつさえ相手はまだ殺意に満ち満ちている。走馬灯の概念を知らない少女に走馬灯が流れるのか定かでは無いが、時間がゆっくりと流れていくように思えていたのはおおよそ間違いないだろう。僕らは少女がどの段階で命を諦めたのか分からない。少々下品な例えを用いるならば僕らは餅つきの容量でひたすら少女を潰し続けていたのだから。途中から音は何も聞こえなくなった。血肉から湧き上がる熱とにおいが鼓膜にすら絡みついているようだった。しかしその感覚も次第次第に衰えていき、やがて僕らは何も無い真っ白な空間でただ少女らしき物体と向き合っているような錯覚を覚え始めていた。それは、僕らが我に返ってしまうことを防ぐためには最上の錯乱だったのかもしれない。


 相棒、相棒、結局のところ僕らにとっての正解とは何だったのだろう。白日の下に晒されたのは間違いだらけで、未だに正解は日陰の虫みたいに石の裏で蠢いているみたいだ。人生が楽しいという妄言を、充実した暮らしというスローガンを、鈍器で殴り潰して血と骨以外に何が残った? 何をやらかしたところで畢竟社会と命は巡り巡るだけなんだ。後悔などは一つも無いけれど、だからといって満たされたわけでもない。刹那的な欲望の消費は、所詮、終わりへと向かうためのただの浪費。後に残るのは狂気に駆られた人間が人を一人、惨たらしく殺したという結果が一つだけ。一つのためにその他全てを擲ったと表現すれば聞こえはいいか? 相棒、相棒、僕らは未だに、この狭い部屋の中でさえ、答えを求めて彷徨い歩いているんだ。現実の中に答えが見つからないならば、垣根を越えて白昼夢へ。それすら叶わないならば虚構へ。そして。


 警察の人間が僕らを見遣ったとき、その目の色に明らかな恐怖の眼差しが宿っていた。恐らく当然と言えば当然なのだろう。けれど、正直に言うと、少し寂しさを覚えたんだ。矢張り彼らは僕らを人非人として見ている。きっとニュース番組のアナウンサーも、ワイドショーの司会者も、それを観賞している茶の間の人々も、僕らを異常者として糾弾するだろう。矢鱈滅多に暴力的な言葉で僕らを問い詰めるだろう。そうなればもう誰も僕らを人間として扱わない。人非人のレッテルを貼られた僕らは死ぬまでそのシールを自分で剥がす権利すら与えられないんだ。それが怖かった? 怖かったとも。ならばこんなことをしなければよかったんじゃないか?……そうだろうとも。でも誰にだって分かるはずだ。朝起きる度に感じる死の足音を。予測の範囲を出ない日常の絶望を。酩酊の果てにのぞむ朝焼けを。そんな日常を、生活を、世界を、自分自身を変えてみたいという渇望を……。例えそのために割の合わないリスクを支払うのだと分かっていても、ヤミ金に手を出してさえそれを手に入れたいと思うものだ。


 ……つまり、僕らは、何かを手に入れたかったんだ。不足しているのは明らかだ。物理的にも心理的にも、僕らは何もかも不足している。では、彼女を潰したことによって得られたものとは何だったのだろう? それは物理的なアイテムか、もしくは心理的な充足だったか。いずれにせよ他人から見れば異常だと侮蔑されることには間違いない。それは、あくまでも僕らにとってのプラスであればそれで構わないんだ。相棒、僕らは何を手に入れたのだと思う? どうも、まだその答えを見つけあぐねているんだ。妙に気が急いているようだ。少女を一人終わらせて、ついでに自分の人生さえも終わらせて、それで得たものが何も無いだなんて、とんだお笑い種だ。いいや、まったく笑えやしない! 僕らは血眼で得たものを探し出さなければならないんだ。焦燥で頭が真っ暗になりそうだ。こうなると一番悲観的な考え方が脳裏を支配しそうになる……そう、つまり僕らが得たものは『年端もいかない少女を殺した』ことを語る権利のみ……だなんて……。


 少女のナップサックには他にもカラフルにデコレーションされた手帳のようなものが入っていた。僕らの時代にもあった、所謂『交換日記』というやつだ。教室で一定の存在感を発揮していればいつの間にか手元に回ってくるし、虐げられていれば永遠に手にすることはない。僕は何の気もなしにそれを開いていた。その気まぐれとしか思えない行為に関しては本当に後悔している。そこに広がっていたのは、無数のプリクラと、カラーペンでしたためられたアナログの文字群だった。まるで脳味噌がひび割れたかのような音が僕の中でこだました。内容自体はさしたるものではない。いたって差し障りの無い日常の些事が殆どを占めていた。クラスの大勢に回されるためか、誰かの陰口が書かれている風にも見受けられなかった。そしてその事実こそが、僕らの心を決定的に蝕んだんだ。あどけない少年少女の、日々の記録にさえも、遠慮や建前というような不気味な偽りに塗れているような気がしてならなかった。それは同時に、目蓋の裏に焼き付いていた僕らのトラウマをも惹起した。あの時、僕らは最も真実だけを伝えるべき相手に、愚かにも自意識を防衛するためだけに、虚構の言葉を飾り付けてしまっていたのでは無いだろうか。つまり僕らの言葉は、あろうことか物心が付いたときにはもう既に堕落してしまっていたのではないだろうか。どこかの誰かが放つ未知の言語に耳を傾け、脳内で咀嚼している時点で、言葉は、そこに宿った魂は、呆気なく散逸してしまったのだ。


 相棒、相棒、まだ僕の言葉を聞いてくれるか。結局のところ僕らは最期まで一蓮托生なんだろうね。相棒、僕らは遂に分からないままだった。物理的手段を講じたところで、僕らはそれを合理化することも正当化することもできない。それが僕らにとってどれだけ必要だったかなんて、どうやったって説得できる気がしないんだ。けれど逆手に取れば少女の人生も股正当に、合理的に説明をつけることなんて出来やしない。おそらく彼女はまだ僕らほどにはねじ曲がっていなかっただろう。この世の人間には押し並べて役割があって、この世で起きる全てのものには意味がある。そんな都合のいい大人の言葉を心の底から信じていたとしてもおかしくはない。そんな子どもがある日唐突に、何の接点もない大学生に殺されるなんて想定できるわけもない。そもそもそんなことをいちいち想定していたら自分のネガティブに押し潰されて頭がおかしくなってしまうだろう。


 そう、つまりそれが世の中なんだ。僕らの言葉なんて誰の心にも爆心地を作らず、命でさえ消すことは容易い。こんな平和な国じゃ命の価値が吊り上げられているようにさえ思えるけれど、どうせ壊れるときは一瞬なんだ。その後は、他人の『不純な人生』に『干渉』し、食い込むだけ。誰も元に戻せやしない。誰も核心を突けやしない。宣伝文句や定型文は不愉快なほどに溢れかえっているが、どの言葉を手に取ってさえ少しも鼓動を感じない。命の価値と同様に、言葉の価値も吊り上がっていなければおかしいのに……普段のコミュニケーションの価値が地に落ちているならば、それを発している人間にプレミアが付くわけないじゃないか……。


 もしかしたら僕らは、少女をやや神聖視しすぎていたのかもしれない。それは何らかの衝動的な欲望に準ずるものではなく、ただ真っ直ぐな、未だ何も持たざる者への尊敬と憧憬だ。だからこそ僕らは、無意識のうちに老女や同世代の女ではなく、美しき少女を選び取っていたんだ。そうすることで僕が持っていない、或いはとうの昔に失ってしまった何かに手が届くような気がしたから。まるで、貴重なアイテムのために何度も何度も同じ敵を倒し続けるゲームの主人公のように……。


 その結果が芳しいものではないという事実は、既に交換日記が予見していたのかもしれない。でも僕らが取った行動はと言えば、見て見ぬ振りをしたも同然だ。取り返しの付かない事態に、予想を覆す絶望が重なったとき、僕らが取るべき最善の行動のことなんて、誰も教えちゃくれなかった。唐突な死神の死刑宣告に、有効に抗う方法があると思うかい……?何もないのさ。絶対的な事実ほど僕らを苛んで、深淵に叩き落とす悲劇などないんだ。だからこそ僕に出来たのは……少女を潰す利き手に、より多くの熱を込めることだけだったんだ……。何もかも忘れてしまいたいとさえ思っていた。今日という日が日付ごとどこか暗い闇の中へ消え入ってしまえばいいとさえ思っていた。けれどもう、どうにも止める手段なんて無かったんだ……。


 相棒、相棒、僕らは失いたくなかった。自分たちの言葉を、価値を。僕らは捨て去ってしまいたかった。惨めで、究極的に退屈な日常を。僕らは自分の人生を壊してしまって、そこから生まれ出る何かに期待していたんだ。だから殺したんだよ、少女を……。まだ幼く、純粋さの失われていない少女だ。見返りは十分に期待できるはずだった。そして実際に、僕らはその見返りを手に入れた筈なんだ。でもね、相棒。僕らにはそれが何なのかどうしても分からない。もしかしたら僕らはどこかで、致命的なミスを犯してしまっていたのだろうか?


 僕らでさえ気付かないような巧妙な落とし穴に、いつの間にか嵌まり込んでいたとでもいうのだろうか? 僕にはもう分からないよ。そろそろ考えることにも、それを口に出すことにも疲れてきた。もういっぱいいっぱいなんだ。だってそうだろう、僕らがこんなにも言葉を涸らしているって言うのに、この部屋は相変わらず狭いまま開かれず、目の前の男は無表情のままで……なんだか涙すらこみ上げてきているんだ。この涙はいったい何なんだろうね。後悔や反省の涙では無いのは明らかだけど、それでも、何故かそういう類いに最も近い涙のような気がしてならないんだ。そろそろバトンタッチしてもいいかい、相棒。僕らにはもっと、効率的で、優れた手段があったのかな、相棒……。

なあ、相棒。

……相棒?

……え?



【速報】

 ○○県警は十七日深夜、行方不明になっていた十歳の少女に対する殺人の容疑で近くに住む大学生、岸本夕紀容疑者を緊急逮捕した。岸本容疑者の部屋からは少女と思われる遺体が見つかっており、警察が身元の確認を急いでいる。岸本容疑者は警察の取り調べに対し、意味の分からない言動を繰り返しているという。また、同容疑者は共犯者の存在を窺わせているが、警察はあくまでも単独犯の線で捜査を進める見通し――。


【続報】

 ○○県警は二十日、少女に対する殺人の容疑で逮捕されている岸本夕紀容疑者に関して、監禁、暴行、及び死体損壊の罪で再逮捕すると発表した。捜査当局によると、岸本容疑者は少女を言葉巧みに自宅へ連れ込み監禁し、性的暴行を加えたのちに殺害、遺体をバラバラに解体したとされている。岸本容疑者は現在もなお、意味不明な供述を続けているという――




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