赤い嵐・2
ムテの祈り所に、今はアルヴィラントとサリサしかいなかった。
祈りを捧げるためにしては、じめじめと暗い建物だった。だいたい窓というものがないうえに、半地下になっている。土の香がかすかにしている。
サリサは長い髪を引きずりながら歩き、そっと蝋燭に火をつけた。居心地悪そうに、アルヴィラントは椅子に座って足を組んだ。
「ムテは自然の力を信仰する魔族です。太陽や月や星に祈りを捧げる。面白いでしょう? それらを想いこがれるために、この祈り所は太陽や月や星を断つように作られているのです」
「胸クソの悪い趣味だな」
「アルヴィ……君は本当に変わっていないね?」
クスクスと笑うサリサは昔ながらだが、みかけはまったく面影はなかった。
ムテ人に流れる時間は、他の人々とは少し違う。サリサ・メルは、百十六歳。この十年ほどは順調に歳を重ねたが、それまでは十歳くらいの少年の姿だった。
二人がともに旅したのは、そのような頃。アルヴィラントが、サリサだと気がつかなくても仕方がないことである。むしろ、今のサリサは、先の最高神官マサ・メルにそっくりだった。
「ジュエルは俺の子供だろう?」
アルヴィラントはサリサが入れたお茶に手をつけることなく、腕を組んでいた。サリサの方は涼しい顔でお茶をすすった。
「そうです。産まれたばかりのジュエルを、あなたの策士殿が預けにきました」
サリサは、神官風の口調でよどみなく答えた。
ムテの人だかりの中、その黒髪の策士が自分を追ってきたことを、アルヴィラントは面白く感じない。
長い間、常に、妻・リラを左に、宰相であり軍師でもあるデューンを右に置いてきた。
「デューンも、リラも……。俺をはめやがった!」
苦々しくアルヴィはつぶやいた。
信頼を置いていた部下、そして妻に騙されていたのだ。
「方法はもうふたつしかありませんでした。殺すか、手放すか……。王妃は殺すことを選んだ。あなたのためにですよ? アルヴィ。でも、温情に篤い宰相は、私にたくすことを選んだ。あなたには責められますまい」
アルヴィの口元が何か言いたげに動いたが、声にはならなかった。
「私が現われなければ、あなたは自分の身分を名乗って、ジュエルの父親を名乗って、魔族を滅ぼす元を作るところだった。本当に困った人ですね」
耐えきれずにアルヴィラントの口から言葉が漏れた。
「自分の子供を大事に思わない親がどこにいる? 俺は、ジュエルを連れて帰る! 誰が何と言っても、あれは俺の子だ!」
「あなたが命を奪ってきた人間の子供たちの親も……同じことを言ったでしょうよ」
その言葉を聞いて、アルヴィラント・ウーレンは言葉を失った。
蝋燭の炎で揺れる最高神官の表情は、真実を伝える非情さをたたえていたが、瞳には友人に対する同情が浮かんでいた。哀れみをもって、サリサは握りしめられたアルヴィの手に手を重ねた。
「あなたは、ウーレンの王として血塗られた道を歩むことを選んだ。今更引き返せない道なのです。それは、あなたが一番よく知っているはず」
アルヴィラント・ウーレンはうつむいた。
冷酷極まりないウーレン王の赤い髪は、蝋燭の火にさらされてさらに赤く燃え立つようだったが、その髪先までもが震えていた。
心の中で、王としての使命と父としての愛が、激しく葛藤を続けていた。
しかし、自分のためにも、子供のためにも、そして魔族のためにも、どうするべきなのかは迷う余地もないほど明らかだった。
「無念だ……」
たった一言、非道のウーレン王はつぶやいた。
アルヴィラント・ウーレンは、かつてサリサと旅をした時のアルヴィのままだった。
情に深い優しい男であり、子供を思う単なる親バカの一人でしかない。
だが、魔族の地位を保持しようと決めたときから、彼の運命は大きく変わった。
その一歩が、血を分けた最愛の双子の兄を抹殺すること、そして、次が、人間の子供を狩ること。
その汚名の中で、これからも生きていく運命なのだ。
「あ、そうそう。アルヴィ、お願いがあるんだけど」
祈り所を出ようとした時、サリサは急に夢見を思い出して言った。
「何だ?」
「実は……あの。ウーレンにリューマ族のある商人がとらえられているけれど、王妃様に殺さないで! って言って欲しいんだ」
鋭い瞳がじっとサリサを見つめた。
一年ほど前から、ウーレン皇子が生きているという噂が流れ、ウーレン王族の誰かが、ジュエルを暗殺して、噂をもみ消そうとした。ジュエルを守りきれないと思ったサリサは、リューマの商人を利用して、子供が生きていることをウーレン王に密告した。
もしかしたら、これで密告の手紙の犯人がばれてしまったかも知れない。だが、ウーレン王は、ややあきれたようにうつむいた。
「サリサ……。おまえは変わらないな」
「すぐにわからなかったくせに、よく言うね?」
サリサはくすっと笑った。だが、アルヴィラントは笑わなかった。
「俺は……変わった。もう昔の俺じゃない」
たしかに、そこにかつての太陽のような少年の笑顔はなかった。ただ、疲れ果てた男の顔があった。
サリサは、すっかり言葉を失ってしまった。
切ないことだ。
与えられた運命を歩むのは過酷だ。
――たとえ、それが自分で選んだ運命だとしても。
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