空は火を愛で、火は空を請う

港瀬つかさ

序:旅の日常

 人の悲鳴が響いた。苦痛に呻くその声は、聞くだけで痛みを連想させる。それが一つではなく、複数聞こえるのだから、不気味さは募る。

 しかし、その声を間近で聞いていた男は、顔色一つ変えずにその光景を見ていた。簡素な旅装に身を包んだ男は、小さな風呂敷包みを棒に通して肩に担ぎつつ、目の前の凄惨な光景を眺めている。やはりその表情は淡々としており、まるで日常風景を眺めるようですらあった。

 男の目の前に広がる光景は、控えめに表現して地獄絵図である。悲鳴を上げて逃げ惑う夜盗達が、炎に巻かれているのだ。まるで意思を持つかのように踊る炎に焼かれる男達の悲鳴も、肉を焼く不愉快な匂いも、男は気にしたようには見えない。ただ、どこか退屈そうに欠伸をかみ殺すだけである。

 しばらくそうやって眺めていた男は、炎が夜盗の最後の一人を追い回す段階になって、始めて口を開いた。


火華かか、そこまでにしておけ」

「……何じゃ、空彦そらひこ?このような奴らに温情はいらんじゃろうが」

「別に温情をかけるつもりはないが、一人は証拠として連れて行く必要がある」

「……面倒じゃのぉ」


 男の呼びかけに答えたのは、炎を操っていた人物だ。赤みがかった茶色の髪はゆるやかな曲線を描いて背の中頃まで無造作に伸ばされており、男を振り返って不服そうに細められた瞳は、色素が薄く金色のようにも見える茶色だった。雪のように白い肌の、それはそれは美しい女子おなごである。しかし、炎を楽しげに操る存在が、ただの女子であるわけがなかった。

 空彦と呼ばれた男は、面倒そうにぺしりと相棒の頭を叩いた。人間の女の姿をしているだけの存在は、ふてくされたような顔したが、それでも男に逆らうつもりは無いのか、ぽいとなぶり殺す寸前であった夜盗を放り投げた。

 寸でのところで命を拾った夜盗は、まるで紙切れのように燃やされ死んでいった仲間達の遺骸を見つめて、がたがたと震えている。夜盗として様々な悪事を働いてきた男でも、恐れるものはある。人間ならば、切れば殺せる。しかし、眼前でからりと笑う茶髪の女は、明らかにそうではない存在だと解ってしまうのだから。


「お前も不運だったな。通りがかったのが俺達で」

「ぉ、おま、おまえ、は……!」

「生憎、俺は人間だ。こっちは違うがな」

「うん?教えるのか?」

「ここまで派手に暴れておいて、今更人間の術者で通るわけが無いだろう、火華」

「それもそうか」


 からからと楽しそうに笑った女は、次の瞬間ぶわりと炎を纏って姿を消した。いや、違う。そこにいたのは、炎の塊だった。火が人型を取っているだけで、手足と目鼻はあっても、ただの炎の塊だ。突如現れたそれに、夜盗は声にならない悲鳴を上げた。……人ならざるイキモノを恐れるのは、人の常である。

 火華と呼ばれた女は、女の姿をしていただけの、異形である。火の性を宿したというよりは、炎のそのものを我が身としている妖だ。何の因果か空彦と共に旅をしているこの妖は、炎そのものゆえにか、気性が荒い。


「何、ちゃんと突き出してやる。その後の処罰については、知らんがな」

「殺してしまえば良いだろうに」

「それでは懸賞金が貰えんだろうが。路銀は必要だぞ」

「お主はがめついのぉ」


 がめついと言われた空彦は、ちらりと火華を見た。既に炎の姿である本性ではなく、普段仮初めとして使っている女の姿だ。……何故火華があえて女性の姿をしているのかと言えば、空彦が男なので、その隣にいるなら女の方が良かろうという安直な考えだった。空彦としては、そこはむしろ男女の二人連れより男の二人連れの方が面倒が無くて良いのにと思っているが、言っても無駄なので黙っている。


「がめついわけではない。……金子が無ければ、お前の好きな食事も食えないぞ」

「それは困るな!さっさと突き出さねば!」

「……それが解っているなら、俺の制止も聞かずに焼き尽くそうとしないでもらいたい」

「ははは、すまぬすまぬ」


 微塵も悪いと思っていない火華の謝罪に、空彦は肩を竦めた。こういったやりとりもいつものことであった。二人で旅を続けていれば、こういったことは日常なのだ。

 すっと、空彦は懐から一枚の札を取り出した。ぺたりと男の額に貼り付けると、意味が解らずに固まっている男に向けて、一言告げた。


「縛」


 そのたった一言で、男は身動き一つ出来なくなった。意識はある。眼球が、驚愕したように二人を見ている。だがしかし、指先一つ動かせずにいた。

 空彦の視線を受けた火華が、心得たように男をひょいと担ぎ上げる。ほっそりとした、それでいて豊満な体つきをした女に見えても、中身は妖である。人間一人担ぐぐらいわけはなかった。男を担いだまま火華が歩き出す。その背を追いながら、空彦はすいっと周辺に指を滑らせた。

 風が、ふわりと踊った。炎に無残に焼き尽くされた痕跡が全て、風によってかき消される。朽ちた遺骸も塵と消えて、もうそこはごくありふれた山道に戻っていた。……所々、焼け焦げた跡が残る木々のみが、何があったのかを伝えているようだった。

 空彦は、術者だった。生まれながらに異形を見る目を宿し、水を吸うかのようにあらゆる術を覚えた。その能力は高く、本来ならばどこかに召し抱えられていてもおかしくはなかった。けれど彼は堅苦しい生活を望まず、ふらりふらりと旅をしている。この島国を、北へ南へ、西へ東へ。深い意味など無く、ただ、雲が空を流れるように生きていた。

 火華は、楽しいことを探していた。人に興味があったわけではない。人はいつも火華を恐れる。火華は弱いものは嫌いだった。ひょんなことから知り合った空彦は、人間でありながら火華と対峙することの出来る能力を有していた。それを気に入り、短い人間の一生など妖にとっては瞬きであるがゆえに、旅の道連れとして共にある。




 彼らの向かう先が何であるのかは、まだ、誰も、知らない。




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