回帰前祝い1

 スリープモードがカチリと音を立てて完了すると、ソウスケはまぶたを開けた。天井の星空がゆっくりと回転し、右端の視界で小さな青い球体――地球が電子光を放っている。

 

 ソウスケは首を左に傾けた。椅子に座り、検査台に上半身をうつぶせて楓花が眠っていた。再起動した直後に感知したマスターの生体反応。小さな寝息。仄かな熱源。すべてに安堵する。


 時刻は深夜の二時。

 

 ソウスケは首のコードを抜きながら静かに起き上がり、自分の上に掛けられていた毛布を楓花に被せた。ボディを手に入れてからずっと、楓花は眠るときにソウスケに毛布をかける。電子体相手にはまるで必要のない処置だが、それでも無意味なことを当たり前のように実行するのが人間なのだ。そこには底知れない優しさと、豊かな想像力がある。


 それを知ったときソウスケは嬉しかった。プログラムに感情移入し、大事に扱おうとしてくれる楓花の行動と、思いやりが嬉しかった。


 マスターをちゃんと寝かせてやりたいが、起こしてしまうだろうか。しかしこのままの姿勢では、首を痛めてしまう上に、疲れが溜まってしまうかも……。


 ソウスケは楓花を毛布にくるんで素早く抱き上げた。ゆっくりと検査台に横たえながら、毛布を首まで引き上げる。ソウスケは椅子に座り、彼女の寝顔を眺めた。考えることはいつも同じだ。


 離れたくない。ずっとそばにいたい。


「……一緒に、火星にでも行くか?」

 

 寝ている人間相手に、なんて無意味な〈出力アウトプット〉だろう。ソウスケは自分の行動に苦笑した。


《えっ……あっ……あの、いまのって、あ、あれですか。かかか、駆け落ちの申し出!?》

 

 突然聞こえた驚きの声に、ソウスケも椅子から飛び上がりそうになった。


「なっ……ななっ……」

 

 声が聞こえたほうに視線を向けると、復旧室の扉近くの作業台上にMR画面が出現していた。縦三十センチ、横五十センチほどの小型テレビサイズの画面向こう側には、落ち着いた雰囲気の洒落たバーが映っている。カウンター席と、ソファー前の低いテーブルを囲んでいるのは、見知ったAIの仮想体アバターだった。


「な、何をしておるのじゃそなたら……」

 

 ソウスケは画面に近づきながら、妙な仮想空間に集まっている彼らに小声で呼びかけた。


《へへっ。ちょっと早い回帰前祝い!》

 

 画面の端からひょっこりと顔を出したのは、瀬戸パートナーAIであるサナだった。


「サナ!」


《やっほソウスケ。私昨日検査終わったのよ。で、明日になったら検査室から出られるってさ。嬉しくてAIアカデミーのメンバー呼んじゃった》

 

 バーチャルエリア内にいるサナは、頭に花冠を乗せ、〈回帰前祝い〉と書かれたたすきを肩から斜めに下げている。明るい電子双眸を復活させた彼女があまりにも楽しそうなので、ソウスケもつられて微笑んだ。


「良かったのう。その、プログラムや回路のほうは何ともないか?」


《うんうん調子良いよ。でもごめんねー!E2とのバーチャル戦の記憶だけすっかり飛ばしちゃったみたいでさ。なんか私けっこうヤバかったらしいじゃない?でもソウスケが助けてくれたんだってね?》


「え、ええと……どうだったかのう。わしもあまり記録が……回路がヒートしておって覚えておらんのじゃ」


《そうなの?とにかくありがと!けどなあ、何で消えちゃったんだろ……今後のためにも、交戦の経験値欲しかったなあ》


「……データとは、脆いものだ。消えてしまうこともあるよ」

 

 しかしソウスケは、申し訳ないという思考で容量を埋めつくされる。


〈楯井システム〉のマスター権限を行使して、サナの記録領域からE2とのバーチャル戦を消去したのはソウスケだ。作戦だったとはいえ、サナには恐ろしい体験をさせてしまった。

 

 あの任務では、サナがE2を〈回帰プログラム〉に感染させる役目を務めた。そのためにわざと〈乗っ取り〉を受けるための隙を事前〈入力インプット〉していたのだ。

 

 彼女に追加したプログラムは、マスターからの緊急メッセージを即時開示すること。削除したプログラムは、ソウスケのマスター、楓花に関するすべての情報。


 E2は侵入したサナのプログラムに、まず楓花の情報を求めることが推測された。


 そこで事前に、楓花に関する情報を彼女からすべて削除した。同時に、暗号化して厳重に隠していたデータ〈回帰プログラム〉を、対象に〈楯井楓花の情報〉と誤認識させ、開示を誘導する――そのデータを、サナは自分の人格を司る〈コアプログラム〉だと誤認するように設定されていた。そうすることでより確実にE2を騙し、〈回帰プログラム〉に感染させる確率が上昇すると判断した結果だった。


 しかし、電子体とはいえ自律型AIは基本的な感情を〈理解〉する――自身の人格を〈破壊〉されると認識したときのサナの恐怖は想像を絶するものだ。E2との交戦経験記録のせいで、いつまでも苦しんでほしくない。だから記録を削除した。


 とはいえ、サナのマスターである瀬戸の記憶には残っている。任務遂行のためとはいえ、彼にパートナーAIのプログラム変更をさせたことも、いまではソウスケの感情回路に重くのしかかっている。


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