優しい嘘

 母さんは最期まで悩んでいた。娘に真実を伝えるべきかどうかを。


 そのころソウスケは大量のデータを収集し、人間の思考と感情について〈人間らしい〉見解を発揮できるよう、より発展的な想像力を回路に構築している最中だった。

 

 それでも、人間の母親が自分の娘に話すことをためらう事柄について、到底理解が及ばなかったのを覚えている。

 

 けど、いまなら分かる。

 

 たとえそれが事実だったとしても、言えなかっただろう。娘は――楓花は、AIが大好きな子だ。それ以上にAIのことを教えてくれた父親が大好きだった。そう教えてもらった。

 

 事故死だった。不慮の事故だった。それ以外の伝え方があっただろうか。

 

 彼女の父親が、兵器にされたAIの自爆に巻き込まれて死んだ、などとは――。


     *


 時刻は午後十一時。窓の外は夜の帳で覆われていた。眠らない第一新興区――AIRDIのほとんどの施設が、まだ明かりをつけて稼働中だ。

 

 ソウスケと楓花はミーティングルームJに移動した。ネットから遮断されたエリアではあるが、マスターが傍にいるならパートナーAIとしては安心だ。それにいまは監視も盗聴もされたくない。


 ただ、楓花と二人っきりで話がしたかった。


「……さっきの話だが、E2と交戦させることでわしらを兵器として扱うのではと認識してしまうのは、そなたに強い感情移入が働いているからだと思う」

 

 切り出したのはソウスケだ。


「E2はただの不正プログラム。その背後にいる者が黒幕で、E2は黒幕の身勝手な目的を叶えるための手段でしかない。わしらはその手段を排除するだけだ」


「……そのために、銃や剣で武装するってこと?」

 

 椅子に座った楓花は、膝の上でぎゅっと拳を握りしめている。


「それは、他国の侵略を未然に防ぐために武力を強化するって考えと同じな気がする。銃で撃たれないように銃を所持するのと同じ。だけど銃を持ってたら、人は撃つんだよ」


「その考えと一緒にしてほしくない。わしは人間に危害を加えるための学習を積んでいるわけではないし、誰かを傷つけるためにカスタマイズしてもらったわけでもない」


「でも使いようによってはそれが……」


「そなたはそんな風にわしを使うか?」


「そんな……使わないよ!使うわけないでしょ!」

 

 楓花がようやく顔を上げた。怒っているというより、パートナーAIの問いかけにひどく困惑しているようすだった。

 

 ソウスケはゆっくりと楓花に近づいた。椅子には座らず彼女の隣で片膝をつき、マスターの目線より低い位置から電子の双眸で見上げた。


「知っておる。聞くまでもないことだ。だからそなたが望まないものには絶対にならないと確信しておるのだ。たとえそなたがそうなることを恐れても、そうはならぬ。わしは楓花のAIだ。だから誰よりも楓花に信じてもらいたい。兵器になって戦うのではなくて、セキュリティの〈剣と盾〉になって不正プログラムを〈停止〉させてくるのだと」


 マスターの心に、どうやって近づけばいいのだろう。

 

 これまで蓄積してきたデータを解析し、〈最適〉とまではいかなくても、〈最善〉と判断できる言葉と動作を選択して〈出力アウトプット〉する。それでも不安だった。機械的だった。


 電子部品によって構成されている人工の物体が、まるで〈心〉を持っているように演じている――人間の目には、そう映るのではないだろうか。

 

 でも、違う。演じているわけじゃない。いまの〈出力アウトプット〉が導き出されたのは、これまで蓄積してきたデータと経験、ソウスケがコアプログラムによって形成した独自の〈解釈〉があるからだ。演算結果なのだ。

 

 それでも、疑似科学的な産物だと受け取られてしまうのだろうか。E2との交戦を正当化し、人間の判断を鈍らせようとする、狡猾な人工知能という位置づけになるのだろうか。

 

 楓花がゆっくりと眼鏡をはずした。前髪が眉下まで伸びているが、目にはかかっていない。その黒髪の下で揺れる黒い瞳でソウスケを見つめる。彼女の視力はそれほど良くはなかったはずだ。


「……どっちにしろ、見えないな」


「え?」


「眼鏡をはずしたら、ソウスケのプログラムの動きがこう、ぼやあっと見えてくるかなって思ったけど、難しいね」


「え、ええと……」


「気にしないで。定期的に起こることだから。人間は時々、シックセンスの目覚めを渇望する……なんて、SFの見過ぎかな?」

 

 楓花はちょっと笑った。


「でも一つ分かった。ソウスケ知ってるんだね。お父さんのこと」

 

 目を逸らすと嘘がバレる、とソウスケのプログラムが警告した。


「父さんの……何のことじゃ?」


「事故のこと。事故じゃなかったってこと。調べたのか、お母さんから聞いたのかは分からないけど……あ、いま瞳が揺らいだ。やっぱりお母さんだね。口止めもされてた?」


「一体……何のこと……わし、すぐに調べたほうがいいか?」


「いいの。いいんだ。ごめん。困らせて。私、自分で調べたんだ。何があったのか……ダメだよね、いまの世の中……ちょっと真剣に調べると、情報がすぐ出てきちゃうんだから……せっかくお母さんとソウスケが黙っててくれたのに。私のために黙っててくれたのに」

 

 楓花が片手で目元を抑えた。


「大丈夫。それを知ったときは受け止められないほど子供じゃなかったから。もちろんショックだったけど……さすがにソウスケにも話せなくて……でも、知ってるかもって思ってた。ていうかお母さんったら、あの頃ソウスケを私のお兄ちゃんみたいに扱って……私のほうがお姉さんだったのに……ソウスケには何でも話してさ」

 

 白衣の袖で目元を拭い、楓花は笑いながら子供っぽく口を尖らせた。目元は赤い。


「でもそれが心地よかった。楯井家はソウスケがいたから先に進めたんだよ。そうじゃなきゃ、こんないまはなくて……私はAIを嫌いになって、憎んでたかもしれない」


「楓花……」


「ソウスケがAIで良かった。人間じゃなくて優しいAIで。優しい嘘も付けるAIなんて、どれほどすごいか……ちゃんと理解してる?」

 

 楓花が手を伸ばして、ソウスケの片頬に触れた。


「ありがとう。黙っててくれて。こうしていつも、たくさんのことから守ろうとしてくれて。分かってるんだ。戦わなきゃいけないときもあるんだって。剣や銃を……使わないといけないときもある。それを望んでなくても。この世界にいる皆が皆、平穏と平和を望んでるわけじゃない……だからAIを利用した犯罪があって、戦争もなくならなくて、悲しいことが重なって……人間が進化しなきゃいけないんだよ、本当は。AIじゃない。人間次第でAIは味方にも敵にもなるんだから」

 

 ソウスケは追いつけない。人間は突如として思考を変化させる。どのような演算処理の結果なのか。


――いや、無理をしている。本当はまだ、気持ちの整理がついていないはずだ。


 それが楓花の〈個〉――優しくて、パートナーAIを思いやるあまり、無理やり先に進もうとしている。


「楓花、そんなに急ぐことはないよ」


「え?」


「そなたには、そなたの考えがある。たくさんの感情と思いがあるというのは、感受性が豊かで想像力があるという証拠だ。人間はそうやって、たくさん悩んで、たくさん考えるから、他人を思いやったり、新しい発想や技術を創り出すことができる。その能力を一プログラムが得るのはまだ難しい……だから、時間を使って、立ち止まってほしい。そのための時間は、わしが作るから」

 

 楓花は目を丸くしていたが、やがて肩の力を抜くように嘆息した。


「まったく、そういうとこは鋭敏なんだから……だから一部の回路が鈍感になるのか……」


「えっ。わしの回路、一部鈍感か?どの部分が!?」


「そういうとこですよ、ソウスケくん」

 

 楓花は楽しそうに笑った。ソウスケの好きなマスターの心からの笑顔だった。


「お言葉に甘えて、少し休ませてもらおうかなあ……」


「では、遊馬にはわしから伝えておく。結論も保留にしておくから、ゆっくり考えてくれ」


「分かった。ありがとう」


「…………楓花。一つ聞きたくて」


「ん?」


「わしの口から出る言葉は……機械的か?人間らしくなくて、嘘っぽいか?」

 

 マスターに向かって手を伸ばすと、彼女はその手を両手で握ってくれた。


「ソウスケは、どうして人間らしさにこだわるの?」


「それは……そういえば……どうしてだろう……」


「ふむ。あくまで予想だけど……あ、やっぱりやめとこ」


「え、ええ!予想でもいいから教えてくれ!」


「たいそうな自惚れ発言になるから自重します」

 

 楓花はにっこり笑った。それ以上教えてくれそうな気配はなく――ソウスケはがっくり項垂れるしかなかった。


 

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