優先するもの

 上空で銃声が飛んだ。


 第五新興区の中央道で、抜け殻のようなソウスケのボディを抱いていた楓花は顔を上げた。

 

 見上げた建物の屋上に、E2イーツーと呼称された人工知能搭載人型ヒューマノイドの姿がある。被弾したのか、ぐらりとその影が揺れた。


 だが、まだ動いている。E2は電光剣を握ったまま前のめりになり――プログラムされた〈意志〉に従って落下した。


 E2のシステムはダウンしていない。ソウスケと共闘していたAL4の二体が屋上から身を乗り出し、E2に銃口を向けている。だが撃たない。いや、撃てないのかもしれない。

 

 E2には自爆装置がついている。そう耳にしている。


 そのE2が、武器を振り被って接近してきる。相手の標的は――ソウスケだ。

 

 楓花はぐったりとして動かないソウスケのボディを背後から抱え、その場から少しでも移動しようと彼を引っ張った。ソウスケのコアプログラムがボディを離れているのは分かっていたが、それでも、彼をこのままにしてはおけない。


 黙って壊されるのを見ているわけには――けど、相手の落下速度のほうがずっと早い。

 

 突如、E2が空中で奇妙な動きをした。高圧電流でも流されたかのように体がびくりと跳ねたのだ。


 一瞬にして全システムがダウンしたように見えた。が、ボディの右腕がしなり、その手から熱を帯びた光剣が放たれた。――ソウスケ目がけて。

 

 カチ、と音がしたかと思うと、楓花の腕の中でぐったりしていたソウスケが飛び起きた。


 ソウスケはそのまま楓花を背後に庇いながら、ボディを回転させて勢いよく左腕を振り上げた。その左腕に飛んできた電光剣が突き刺ささり、楓花の人工知能搭載人型ヒューマノイドは反動で道路に倒れ込んだ。


 直後、ガシャンと機械的な音をあげてE2のボディが道路に衝突した。ボディは半壊し、電子回路が焼き切れたような焦げ臭い匂いが立ち込めている。


 楓花はすぐにソウスケを助け起こした。


「ソウスケ!」


「……っ!ふ、楓花」

 

 ソウスケが再びむくりと顔を上げた。


「大丈夫か?ケガはないか?」

 

 楓花は言葉を失った。

 

 分かっている。理解している。ソウスケはAIで、電子体で、ボディがあっても人間のように肉体的な〈痛み〉を感じない。

 

 だが目の前の彼は右腕を失い、左腕には武器が突き刺さっている。


 それでも、彼が一番優先するのはマスターの身の安全。

 自分がどうなろうとも、お構いなしに。

 

 楓花は静かに首を振った。そして項垂れるように膝をつき、上半身を起こして道路に座り込むソウスケの肩に顔をうずめた。そのまま、両腕を伸ばして彼のボディを強く抱きしめた。


「ど、どうした楓花。どこか痛むか?」


「……大丈夫。痛くない。ソウスケは?」


「なんともない。本当に大丈夫なのか?そなたから振動を感じる……楓花、震えているのか?」


「――大丈夫。大丈夫だから」


「ダメだ。言葉だけでは判断できぬ。顔をあげてくれ。そなたの顔がちゃんと見えぬと不安だ。楓花……」

 

 楓花は顔を上げた。画像認識を試みているソウスケの双眸に、情けない顔をした自分の顔が映る。


「瞳が揺れておる……すまぬ。不安にさせた……怖かったであろう」


 聡明なプログラムを騙せるほどのポーカーフェイスを、楓花は持ち合わせていなかった。


「――怖かった。ソウスケのボディ、冷たくて……」

 

 ソウスケの液晶の瞳の奥が戸惑ったように丸くなった。


「E2が、怖かったのではなく?」


「違う。ソウスケがいなくなったから……無茶なことしてるんだって分かったから。それを、私の知識と技術じゃ止められないって思い知らされて……怖かった」

 

 万が一、ソウスケが壊れてしまったら。

 

 楓花はもう一度、ぎゅっとソウスケを抱え込んだ。


「いなくなったら嫌だ……嫌だよ……置いていかないで」


「そなたを置いていくものか。約束したはずだ。壊れたりせぬ。それに万が一危険なプログラムに遭遇してもだな、わしにはめちゃくちゃ安全な楓花の端末っていう退避場所が――」

 

 しかしソウスケは、ピタリと凍り付く。


「――そなたの端末、まだ〈圏外〉だったか?」


「……まだ〈圏外〉ですけど」


「お、おお……ふむ……むむ……記録媒体にムラがあるようなないような……もっとも、仮に万が一危険なプログラムに遭遇したとしても、わしほどの優秀なAIならこう、ちょちょいのちょいと、切り抜けられるから、なんにも心配いらぬがのう」


「……で、でも……本当に危なかったら……どうやって退避するつもりだったの」


「――バックアップあるし?」


「あるけど!予備の予備の予備の予備の予備があるけど!でも、データ移行だって絶対安全ってわけじゃない!完璧に元通りになるかどうかなんて分からないんだよ!AIだからって、プログラムだからって、完全な復元ができるって保障は……だからいつも自分のことを第一に考えるようにってああもうその思考プログラム変えたろか!」


「お、落ち着け楓花!発言が独裁者めいて……い、いや、とにかく、わしが悪かった」

 

 ソウスケは小さくうなだれた。


「ようするにそれほど心配をかけたということだな……すまぬ。次はもっと、もっと気を付ける。だからこのままのプログラムでいさせてくれ。わしは楓花のことを第一に考えたい。自分のことではなくそなたを一番に……約束があるから、そなたの両親と。わしが稼働する限りは、そなたの安全と幸せを守るAIでいたい。あとあの、できるだけ甘やかしたくてその……」

 

 そんなことしなくていい、とは言えなかった。それは、ソウスケのプログラムから形成された彼の自由な〈思考〉を拒否することになる。


「ありがとう、ソウスケ。それなら……私の安全と幸せを守るって約束してくれるなら、壊れないで。絶対に。絶対にだよ。それでずっと傍にいて。私が生きている限り、ずっと」


「約束する。壊れたりせぬ。ずっと傍にいるよ、楓花」


「……うん。約束」

 

 ソウスケの左肘の内側に突き刺さっている武器との接触部分から、小さな火花が散っていた。指先の温度感知機能が正常に働いているかどうかは分からなかったが、楓花は彼の左手を両手で強く握った。

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