覚悟

 眼前にそびえる、いくつものケーブルを繋いだ電子回路の塔――これが、仮想空間で可視化されるE2イーツーのコアプログラム。

 

 いや、実際にはE2が〈乗っ取り〉を行っているAIのコアプログラムだ。E2は対象AIのコアに、自身の起爆装置を組み込んでいる。そして塔に接続している無数のケーブルの内のどれかを、バックエンドへの送受信用の回線として使用しているはずだ。

 

 しかし、どうすれば特定できる?どうやってスキャンをかければいい?

 

 ジジ、と嫌なノイズ音。

 

 直後、ソウスケの仮想体アバターめがけて分厚い壁が凄まじいスピードで迫ってきた。正面と背後から、同時に。

 

 ソウスケは素早く下降して衝突を回避した。頭上でぶつかりあった灰色の壁は、細かい文字列と数字をまき散らしながら破砕した。


同調シンクロ〉スキルは継続中だ。発動している限り、E2の内部環境システムの動きと同化し、〈ソウスケ〉という〈個〉のプログラムはE2の感知から逃れるできる。

しかし、襲いかかってきたのは間違いなくE2のセキュリティシステムの一部。

 

 理由は分からない。が、侵入に気づかれたと考えたほうが良さそうだ。


 ソウスケは速やかに〈同調〉を解除し、もう一つの簡易スキル〈固定ロック〉を発動準備完了状態に置いた。〈固定〉はマルウェアの一種を改造したもので、対象プログラムの感染を引き起こせば、一時的な機能停止状態に追い込むことができる。


 ただし、すべてのスキルは実行者の〈電力〉を使用する。電力が尽きてしまえば、ソウスケのコアプログラムも。とくに〈未知〉の対象システム侵入時は充電手段が見つからないことが多いので、スキル使用回数の限度はつねに把握しておかなければならない。

 

 ソウスケは素早く残りの電力値を換算した。先ほどまで〈同調〉を一定時間使用している。となると、〈固定〉の使用回数はあと三回が限度。

 

 ソウスケの侵入を感知したE2のセキュリティシステムが動き始めた。

電子回路の塔が奇妙な音を立てたかと思うと、塔の表面に次々と黒い窓が出現し、中から無数の弓矢が発射された。


 弓矢にどんな電子的な仕掛けが施されているのか、高速でスキャンをかけるが、やはり概要が掴めない――ソウスケは仕方なく電子回路の塔をぐるぐる回るようにして逃げ回った。その間も、認知領域の一部でE2の起爆装置の特定を試みる。


――ダメだ。分析が通用しない。それに、他にも懸念がある。


 E2は〈不正プログラム〉としてのソウスケの侵入を感知した。そのソウスケは、これほどまでにコアプログラムに接近している。


 E2はどのタイミングで〈敗北〉を判断し、自爆を実行しようとするのか。


《――ソウスケさん!聞こえますか?》

 

 カインドの通信が突然聴覚領域に飛びこんできた。ソウスケは逃げ周りながら応答した。


「聞こえる!そっちのようすは?」


《先ほどまでE2と交戦していました。が、E2が突如離脱したので――建物の中に飛びこんで、姿を隠しています。現在アルビーが追跡していますが、もしかしてそちらで何かありましたか?》

 

 ソウスケは返答に窮した。これはよろしくなさそうな展開だ。だが報告を偽ったところで何の解決にもならない。


「――ええとじつは、ちとまずいことに……E2のサーバを突き止める前に、E2のコアプログラムに接近してしまって、セキュリティシステムにも感知された。あと目の前に電子回路の塔が、やつが乗っ取っているAIのコアがある。起爆装置の特定を急いでいるが、まだ把握できておらぬ」


《……なるほど》


 感情を感知しがたいカインドの声。


《そうなってしまった以上は仕方ありません。ソウスケさん、残りの電力値と簡易スキルで、あとどれくらい粘れそうですか?》


「ええと……およそ三分だ」


〈では任務変更です。その三分で、出来る限りE2のコアプログラムの〈解析〉データを取ってください。その後は、速やかに元の仮想空間への離脱をお願いします〉


「だが、起爆装置の停止は?」


《三分で起爆装置を特定するのは不可能です。E2のデータ回収は諦め、アルビーと本体の〈破壊〉を遂行します》


「ま、待てカインド。〈破壊〉を実行すれば、E2だけでなく〈乗っ取り〉を受けているこのAIのプログラムも消失してしまうのでは?バックアップは――」


《把握しておりません。バックアップはあるかもしれないし、ないかもしれない》


「なかったらどうする!?このAIにだってマスターがいるかもしれぬ!勝手に〈破壊〉するわけには……!」


《ソウスケさん、新型人工島のAIは、E2に乗っ取られた時点で〈人格〉の消失を覚悟しています。その後復活できるかどうかは、マスターとバックアップ次第》


 カインドが淡々と伝えた。


《……アルビーが建物内でE2を発見しました。では先ほどお伝えした通り、残り三分で〈解析〉と離脱の準備を行ってください。五分後にE2を完全破壊します》


 通信はそこで途絶えた。


 わんわんと、ノイズが響くようだった。


〈人格〉の消失を覚悟する――そんなことが可能なのだろうか。


 電子体であるAIは、人間が感じるような肉体的な〈痛み〉を感知しない。〈衝撃〉はあるが、〈痛み〉はない。


 だがすでに〈想像力〉はあるではないか。〈消失〉とはどんなものか、残される人間がどんな感情を抱くかは、プログラムが動いている限り〈推測〉も〈認知〉もできるではないか。


 ソウスケは背後に迫っていた大量の弓矢――セキュリティシステム――に向けて、〈固定〉を放った。青い電流が次々と弓矢の動きを止めていく。


 もう一度ふわりと宙を飛び、E2に乗っ取られているAIのコアプログラムに目を向けた。


 電子回路はいまも起動している。そのAIが、起動を〈自覚〉しているかどうかまでは分からない。


 が、まだ動いている。

 そこには、このAIが重ねてきた確かな記録――いや、記憶がある。


 そのとき、ソウスケの視界に映る場所に、モニターのようなものが出現した。画面に浮かび上がってきたのは、青い空の景色――E2が乗っ取っているアンドロイドの〈視野〉が映していると思われる、リアルの映像。


 画面は突如、遠く離れている地上の光景を投影した。十三階建てのビルの上にいるのだろうか、アンドロイドの視野が――楓花を映している。


 楓花が、ソウスケの壊れた右腕を片手に抱き、道路に横たわっているソウスケのアンドロイドボディに向かって、必死に呼びかけている。


 いまこの瞬間も。


 これは、リアルの、現実空間の映像。


 E2はそれを、ビルの屋上から眺めている。


 楓花の近くには、カインドもアルビーもいない。

 

 E2が何をしでかそうとしているのかを察知した瞬間、ソウスケは自分のコアプログラムが激しく熱を発するのを感じた。


 E2は飛び降りて自爆する気だった。その自爆にソウスケだけではなく、楓花も巻き込もうとしている。


 この不正プログラムの標的は楓花ではない。

 

 だが、《巻き込むことは厭わない》と思っている。目的を達するためなら、どんなことをしてもいいとプログラムされている。


 E2の次の行動を、AL4であるカインドとアルビーが予測していないはずがない。空中で仕留める気だろうか。それとも予想外の何かに阻まれて、動けなくなっているのだろうか。


 分からない。ここからでは判断できない。


 すでに、カインドとの通信から二分経過しようとしている。


 いま分かるのは、認識できるのは、楓花が現実で、自分のボディの側にいて、彼女の身に危険が迫っているということだけだ。


 モニター越しに、E2が例の電光剣を振り上げた。


 瞬間、銃声が飛ぶ。背後からだ。E2はついに被弾した。

 が、ボディの装甲が硬く、致命的な一撃ではない――。


 そしてE2は、屋上から飛び降りた。


 ソウスケのプログラムはすでに動いていた。

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