第16話勇者ミヤハ

「ここまで来られたのは褒めてやるが、勇気と無謀をはき違えた勇者ほど、みじめなものはないな。しかも、来たのがアルフレドですらないとはな! クソ! やっぱり信じるんじゃなかったぜ!」

逞しい男の声が、部屋全体に広がっていた。


そこは、これまでの建物の雰囲気でとはまるで違っていた。生活感が無く、他の部屋と違ってかなりの広さを誇っている。ちょうど建物の二階部分をほぼ丸ごと使っているかのような大きさだった。


しかも、ここは別世界。

入った瞬間、部屋からそう告げられているようだった。


壁は神話か何かの壁画がずらりと描かれ、床から薄く灯されている。部屋全体の明かりが抑えられえいる分、その光によって壁画の神秘性は増していた。

しかも礼拝場としても使われているのだろう。上座に位置するその場所には、他よりも数段高くなった場所があった。


その場所は、この部屋の中でもさらに別の世界。そこからは不可侵だと言わんばかりに、光の膜がおろされていた。


その世界の中央には荘厳な台座が――まるでそれ自身が神だと誇るかのように――鎮座していた。そして、まるでそれを守護するかのように、左右に同じ豪華な椅子が六つずつ半円状に置かれている。


この部屋の中に入った人は、その場所を無意識に見ることになるだろう。

ただ、本来台座の上にあるべきものが今はなかった。

恐らく、その上には神の像か何かが祭られていたに違いない。台座の上を照らす光の交差の不自然さが、その事を物語っている。


どこかに運ばれたのだろうか?

ただ、今はその事に答えることのできるものは、ここには一人しかいなかった。

並べられた椅子のうち、右側三番目の椅子に筋肉質の大男が座っていた。おもむろに立ち上がったその男の椅子には、山羊の彫刻が背もたれに刻まれている。


魔王教最高幹部十二使徒のひとり。

山羊の使徒メーイル・メーメその人が、部屋に飛び込んできたミヤハを憐みの目で見つめながら話しかけていた。


一方、ミヤハは――メーイルの姿を見た瞬間――驚きに目を見開いていた。


しかし、一息おかずして――まるで誰かを探すかのように――メーイルの周囲を見つめていた。

しかし、この場所にはメーイル以外の姿はない。

視線を足元に移し、肩を落とすミヤハ。さっきまでの勢いは、もはやどこにも感じることはできなかった。


――盛大な長いため息が、この部屋全体に広がっていった。


「君が魔王教幹部さんでいいです? 山羊のメーさんです? おかしいです。角がないです。全然山羊っぽくないです! 魔王教の山羊です! 角、ついてるはずです! あ! もしかして、慌てたです? 忘れたなら仕方ないです。見なかったことにするです。さあ、今すぐつけるです!」

落胆の後、まるでその坂を勢いよく駆け上がるかのように一人憤慨するミヤハ。

しかし、納得のいく答えが得られたのだろう。最後には期待の眼差しをおくっていた。

しかし、メーイルの顔には――きっと違う事まで考えたに違いない――先ほどとは違う憐みの色が浮かんでいた。


「何、言ってる? 角? なんだそりゃ? お前、頭大丈夫か?」

「角、しらないです? 角といったら、角です! 角! 君にとって大事なものです! 頭にあるです。びよーんと伸びたやつです。ああ、丸まっててもいいです」

「んなもん、つけるわけねーだろ! 本当に頭、大丈夫か? 脳みそだけ元の世界においてきたか?」

身振り手振りの説明は、メーイルには全く通じていなかった。


その悔しさを表すように体全体で憤慨し続けるミヤハ。

ミヤハのことを憐れむように見ていたメーイル。


二人の距離は離れたままだ。だが、その距離以上に二人の会話は遠かった。


「角ないです? つけないです!? もーいいです! ないなら、もう羊でいいです! メーというからいっしょです!」

ミヤハの投げ捨てた言葉は、この部屋の雰囲気を一瞬にして変えていた。


――それは憤怒の形相というのがあっているだろう。

羊という言葉を聞いた瞬間、メーイルの顔は怒りに満ち溢れていた。


「あんないい加減な、嘘つき野郎と一緒にすんじゃねー!」

地の底から湧き上がってきたような雄叫びが、部屋全体を揺るがしていた。


「じゃあ、角つけるです! にょきっとはやすです! できないなら、区別ないです!」

「生えるわけねーだろ! 髪の毛じゃねーんだ!」

一歩、また一歩。メーイルは怒りの形相のまま、その怒りを踏みしめるかのようにミヤハに向かって歩いていた。


「うそつきです! 髪の毛すらないです! やっぱり羊ですらないです! 刈れないです! 絶望です! もういいです! その顔はどっちにしても、かわいくないです! 山羊も羊も、むしろかわいそうになってきたです! グレイシアのゴーレムの方がまだま――」

不毛な言い争いを続けるミヤハとメーイル。


ミヤハの方は、立ち止まったまま話し続けている。しかし、メーイルはミヤハが話している間、ゆっくりと近づいてきていた。しかし、まだお互いの細かな表情がわかるまでには至っていない。


そしてミヤハの言葉は、最後までメーイルの耳には入らなかった。


恐らく、『まだましです』といいたかったのだろう。しかし、見えない攻撃によってミヤハは部屋から追い出されてしまっていた。


「ちっ」

その瞬間、吐き捨てるかのようにつぶやいた後、メーイルはその場で立ち止まっていた。その苛立ちは別のものに向けられていたのだろう。メーイルの視線はさっきまでミヤハがいたところに注がれていた。


一方、ミヤハの方はとっさにガードしていたので、大したダメージは負っていないだろう。しかし、その衝撃は強く、入り口の壁の一部が粉々に崩れてしまっていた。


「もう! 僕の話を最後まで聞かない人が多すぎるです! マリアもグレイシアもそうです! マリアなんか特にそうです! アルフレド様だけです。最後まで、ちゃんと聞いてくれるのは!」

瓦礫の中から体を起こし、体に付いた埃やごみをはたき落しながら――何事もなかったかのように――ミヤハは部屋の中に戻ってきた。


「隠れているのは知ってたです。怖がりさんは隠れるものです。何もしなければ、見逃したです。この部屋で用があるのは、メーさんだけです。でも、さっきのは攻撃です。攻撃する人は敵です。敵には死です。さよならです!」

周囲を窺いながらそう告げた刹那、――ミヤハのいたところには埃が舞っているだけとなり――移動したミヤハは、何もない空間に回し蹴りを放っていた。


――今まで何もなかった空間に、透明にまま歪む人の形をしたものが現れていた。

そのまま台座の方に飛んで行くそれは、途中で二百番の姿へと変わっていた。

苦悶の表情で腹を抑える二百番は、ガードしてなお吹き飛ばされていた。


「あは! 顔も見たです! もう忘れないです。君も魔王教幹部たちに入れるです!」

メーイルに片手で受け止められた二百番――まだ苦悶の表情はとれていない――に向かって、ミヤハは嬉しそうに告げていた。


「ほう、さすがは勇者といったところか。こいつを見破るか」

それまでの雰囲気とは違い、メーイルは――まるで楽しいものを見つけたかのように――ミヤハをまじまじと見つめていた。

まるで分析するかのように、その視線はミヤハをとらえて離さない。

ただ先ほどとは違い、その体からは、尋常ではない雰囲気を漂わせていた。


「今頃です? やっぱり頭が悪いです。もうメーじゃなく、パーにするです」

言葉とは裏腹に、構えをとるミヤハ。それまで一度として見せたことのない表情は、全く隙のないものだった。


「なるほどな。十番がやられるわけだ。二百番では厳しいだろう。しかも、挑発して相手の平常心を奪う。頭悪そうに見えて、なかなか考えている……。それとも、天性か?」

二百番を床におろしながら、メーイルは何かを二百番に施していた。その瞬間、二百番の短い悲鳴が響き渡る。


しかし、メーイルは片時もミヤハから目を逸らしていない。そして、ミヤハもそうだった。


お互いに、隙を窺っているのだろう。しかし、それを二人は見極めることができないようだった。

まるで時が止まったかのよう、静寂がこの場を支配する。しかし、それも永遠ではなかった。


「くそ! 大丈夫なのに! 俺はまだやれるのに! くそー! こうなったのも、お前のせいだ。くそー! くそー! こうなったらとっておきだ! 喰らいやがれ!」

それを一瞬で壊すかのような絶叫が、部屋の中を駆け巡る。


一瞬、分裂したように二つに分かれたあと、それぞれさっきのように見えなくなる二百番たち。


再び訪れた静寂の気配。しかし、それは仮初めのものだということをミヤハは己の体で示していた。


――ミヤハのそれは、美しく流れるようなものだった。


ミヤハはその瞬間、半歩後退して避けていた。

そしてメーイルを見つめたまま――素早く一歩踏み込み――左右の拳を連続して放っていた。


息もつかせぬ連続攻撃。

確かに、ミヤハが繰り出した拳の先には何もなかったはずだった。


しかし次の瞬間、二百番の顔が浮かび上がったかと思うと、そのまま二人の二百番が床に転がっていた。床で痙攣している二百番を放置し、あくまで視線はメーイルに向けているミヤハ。

その頬には、二本の赤い傷跡がつけられていた。


「なるほどです。何回も伸びる舌をもっているです。びっくりです。さっきの鳥人間もそうです。魔王教はびっくり人間大賞でもねらっているです? そう言えば、もう一人い――」


「まあ、そいつらは合成体の試作品ナンバーだからな。さすがに特別な日の勇者には歯が立たんか。だが、それなりにいい仕事はする。それに、正規品ではできない事もできるしな。おっと、正規品はそこに精霊が宿っているから手ごわいぜ。といっても、お前が相手することは無いだろうがな」

ほんの一瞬、ミヤハの意識が何かに向けられたのだろう。その瞬間をメーイルは見逃さなかった。


――剛腕がミヤハを襲っていた。


そこにある距離を無視して詰め寄った巨体。

圧縮された空気はそれだけで凶器となって暴れだす。生み出された衝撃波はまるで喜びに振るえるかのように、脆くなっていた入り口付近の壁を全て吹き飛ばしていた。


たったそれだけ。ただその瞬間に部屋が様変わりしていた。

しかし、それはあくまでも副産物に過ぎない。


完全に右横を取られたミヤハは、防御することもできていない。

ほんの一瞬、ミヤハの意識が別のものに移っただけで体の反応が遅れていた。

いや、遅れたというよりも、動けなかったという方がいいのかもしれない。


回避するには間に合わない。


ミヤハはそう判断したのだろう。そして中途半端な防御は意味をなさないことも分かっていたのだろう。

ミヤハはあえて左の拳をメーイル腕に向けてはなっていた。


ミヤハの動き。

それは左の拳で攻撃することにより、自然と体の位置とメーイルの照準を逸らすもの。そして、その反動は距離をとることにも成功していた。

しかし、それですらメーイルの攻撃を完全に防ぐことはできなかったようだった。


「ちっ、うまく逃がされたか。耐性も高いな」

忌々しそうにメーイルが見つめる先に、右腕を治療しているミヤハの姿があった。見れば右腕は力なくぶら下がっている。紫色に変色していることから、大きな損傷を負ったのだろう。


「なかなかの攻撃です。僕が戦闘中に治療するなんて珍しいです。伸びる舌のおまけにもびっくりです。でもやっぱり、びっくり大賞は角なし、毛なしのパーさんに決定です」

治療を瞬時に終えたミヤハ。

再び構えた後、突き出した左手の手のひらを天に向け、指先でメーイルを誘っていた。

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