#7-3


(少し風が出ているな…)


 夜の市内を歩きながら根岸は携帯を確認した。現在は20時半、繁華街はまだまだこれからという時間だが、郊外は段々に寝静まる頃。


 そして、連続放火発生と重なる時間帯でもある。


 管轄から外れたとはいえ、根岸はまだ事件のことを心の中でくすぶり続けていた。結果、勤務時間を終えても自主的にその足が、今もこうして事件を追わせている。

 無論、これは警察上層に対する命令違反だ。しかしたまたま犯人を見つけ、現行犯逮捕したのなら話は変わってくるだろう。

 しかし気になるのはやはり、先日見た『天狗』と呼ばれる存在だ。決して邪魔することの無いようにと再三に渡り釘を差され、実際にその目で見た根岸ではあったが、やはり信用ができないのであった。


(本物の天狗なら、邪魔をすれば祟りがあるか?)


 だが今の根岸にとって本当に怖いのは、天狗の祟りでなければ命令違反でもなく、自分が刑事あることへの存在意義を失うことだ。あの「天狗」がイヌカミの者なのかどうかは知らない。今回のような難解事件が再び発生した時、何かにつけて第三者の力に依存し続けるという事態こそ、この上なく恐ろしいものに思えたのだ。


(そしてさらなる真の恐怖は……、──ん、誰だ?)


 常時マナーモードの携帯がポケットの中で震えた。液晶を確認すると、部下からの呼び出しである。


「……どうした?」


──上祭地区の山林で火災が発生! いま消防車を向かわせたところです!


「山林? 人家ではないのか?」


──今のところ及んでません! ただ例の組織が向かっているのを目撃しました!


 上祭地区なら目と鼻の先。しかし妙だ、今まで火災は民家ばかりだったにも関わらず、ここに来て山林が焼けるとは。犯人が別とも考えられるが、イヌカミが向かっているならば何かあるに違いない。


「ご苦労、今度一杯奢ってやる」


 根岸同様、部下たちの中にも事件を引き摺っている者たちが居た。何度にも渡って首を突っ込むなと言ってはおいたものの、この上司あってのことだ。注意など無意味だったのかも知れない。


(ふっ……さてと)


 タクシーをつかまえ現場に向かおうとしたが、思うことがあり北東へと走り出す。現場は上祭地区の山林、走って行けない距離ではない。


 突然根岸へ走って行けと、そう告げたのだ。

 十年に渡り務めて手に入れた「刑事の勘」というやつが……。




 山林の火災現場では夏場の貴重な水を大量に消費しつつも、消防職員が消火活動へとあたっていた。到着は早かった筈だが想像以上に火は燃え広り、消火作業は難航を極める。夜間飛行経験者が見つからないため、消火ヘリの出動が遅れているからだ。


 そんなことはお構いなしとばかりに火を放った犯人──璃子は山林の中を木伝いに飛び回る。般若面の白装束も、その距離を保ちつつ後を追う。


(生意気、こいつ只の人間じゃないわ)


 璃子の初手の一撃をすんなりといなし、目眩ましを掛けても気配を消しても正確に追ってくる。まるで山中のいたる所に目玉があるかのように、すぐに璃子を見つけては苦無を正確に投げつけてくるのだ。


(……まぁいいわ、ついてらっしゃいよ)


 やがて二人は山林を抜け田畑の広がる郊外へと出る。そこで待ち受けていたのは、火事を見物に来た野次馬の人集りである。璃子は自らの姿は隠し、白装束だけを群衆に晒すことでパニックを起こさせようとした。しかし……。


(──? どういうこと?)


 人間たちは白装束に見向きもしないではないか。例えぶつかりそうになっても車のボンネットの上に乗られても、気にせず火災現場を見物しているだけだ。璃子同様、白装束の姿も人間には見えないようだ。

 これはいよいよをもって人間ではないと勘付いた璃子。逃げるのを止めて明かりの付いていない人家の屋根に飛び乗ると、動きを止めて振り返る。すぐ後を追ってきた白装束も屋根の上に乗り、二人は必然的に対峙し合った。


「まさか隠身ができるなんてね。あんた何なわけ? なんで人間の味方してるの?」


 先に沈黙を破ったのは、やはり璃子の方だった。


「巻き添えを出したくないなら、話し合いって手もあるんだけどなぁ」


「……」


 遠回しに休戦を持ちかけるも、やはり白装束は口を開かない。


「さっきから黙ってるけど、あんた喋れるの? 耳はついてますかー?」


 挑発しても全く声を出さない相手に、遂に苛立ちがピークに達した。


「あっそ! そっちがその気ならいいわ! 今から目に見える人間を一人残らず殺してってあげる! そこで黙って眺めてなさい! 手始めにこの家から丸焼きねっ!」


 そう言って手を大きく振り上げ、隙をつくってみせる。これは璃子の作戦だった。冷静さを失ったように見せかけ、出方を見極めた上で反撃に出ようとしたのである。近くまで距離を詰めてきたり飛び上がろうものなら、一気に業火を纏って消し炭にしてやろうと考えたのである。

 案の定、刀を構えて一歩踏みこむ足が見えた。いつでも来いとばかりに内心ニヤリとしたところ、不意に下方から第三者の声。


『──母さんっ!』


 踏み出そうとした白装束は声のした方を振り向き、その動きを止めた。璃子は好機を逃さずその一瞬を突き、目の前に炎の壁を作り上げると屋根から飛び降りた。


 あの子供が何故こちらの姿を見ることができたのかは知らない。しかし今、確かに「母さん」と叫んだ。つまりはそういうことなのだろう。

 だが重要なのはそこでない。子供を捕まえて脅せば、耳を貸そうともしない相手もこちらの言うことを聞かざるを得ないだろう。


 ……いや、人質などとらないほうが楽しめそうだ。


 皮を剥ぎ取ってやり、手足を切り刻んでやったらどんな声を上げる?

 目玉をくり抜いて口の中へ押し込んでやったら、どんな行動を見せてくれる?

 

 いやいや、そんな回りくどいことしなくていい。

 子供の首を切り落とし、あいつに投げ付けてやるのが一番面白いじゃないか。


 着地して人家を見上げると、まだ燃え盛る屋根の上で立ち往生する人影が見えた。立ち上がり正面を向くと、こちらを向いて驚いている少年の姿が。思わずニタリと笑みを浮かべ、目と爪をギラつかせながら璃子は一歩一歩近づく。



『早く逃げろーっ!』


 璃子と少年の間に、男が割って入った。

 根岸だ!


 本来ならば見える筈のない妖の姿。それを見せたのは、根岸の並々ならぬ犯人への執念に他ならない。少年を庇うようにして立ち塞がり、同時に拳銃を発砲したのだ。

 警察は必要性に応じ、警告なしでも発砲ができる。先日の不可思議な体験が生きたおかげか、根岸は瞬時に状況を見極め、目の前の保護対象を逃がそうとするお手本のような行動がとれた。


 だが璃子はこれに視線すら向けなかった。


 銃弾をたやすく避けると走り、邪魔だとばかりに根岸を突き飛ばしたのだ。人知を超えたその動きに反応できず、体を一部持っていかれたかと思うほどに、重い衝撃が根岸を襲った。


「ぐぁっ!」


 璃子の勢いは止まらない。そのまま右手を上げ、驚き動けずにいる少年の首元へと振り下ろす。御霊みたまをも切り裂く璃子の爪が、確実に少年の頭を切り跳ねた。


 さあとった、あいつはどうする?



 胴体から離れていく子供の頭を見ながら、璃子はこの時違和感を禁じ得なかった。人間を切ったにしては手応えがなさ過ぎたのである。そして次第に消えていく少年の姿、璃子の表情からも笑みが消えていく。煙のように消えていく少年の代わりに残ったのは、切り裂かれた人型の紙切れだった。


(──これは、式神?)


『!!?』


 想定外の出来事が一度に璃子を襲った。


 その中で一番強かったのは、全身を走る熱い痺れだった。自分の身体を見下ろせば長い刃が胸に貫いている。首だけ振り返ると刀を握った般若の面がそこにいた。


「こんな手に引っかかるなんて」


 ようやくきいた口は、璃子に対する蔑みだった。


「……あ、あん……」


「私の知っている妖怪は、こんなに弱くなかった」


 璃子が目を見開いた瞬間に、その首は宙へ飛んだ。そして赤黒い炎に包まれ、灰となって風に舞う。暫く火の粉が漂うも、やがて夏の夜空へと消えていくのだった。



…………


「大丈夫ですか」


 事の成り行きを見守っていた根岸だが、声を掛けられると肩口が切り裂かれた事を思い出し、途端激痛に襲われる。


「動かないで」

「──!」


 面をとって近づき、月明かりに照らされて現れたのは女の顔──宮内菖蒲だった。菖蒲は傷口を診ると、懐から薬を取り出し擦り付ける。痛みに悶える根岸に構わず服を破り、患部を縛った。


「放っておけば骨まで腐ります。すぐに病院へ行って下さい」


「……余計な真似を致しました」


 何を聞くとも尋ねるともなく、根岸の発したのは謝罪の言葉。刑事であるならば、然るべき当然の行動をとったつもりだった。

 しかしそれがどうだ。自分は何もできなかったばかりか、意地を貫き通して犯した命令違反の結果がこの様。余りの情けなさにすっかり意気消沈してしまっていた。


「……」


 そんな根岸の顔をじっと見ていた菖蒲だったが、紙を取り出し地に残った灰を指ですくう。眼を金色に光らせながら紙をなぞると、そこには文字が現れ始める。


 そして、書き終えた紙を根岸へと手渡した。


「これを預けます。今回の事件に関わった人間の名前と詳細、14歳未満の子供に関しては伏せてあります。不要なら火にべて燃やしても構いません」


「そ……! ……い、いやしかし!」

 

 驚いて根岸は菖蒲の顔を見る。こんな重要なものは自分ではなくて、もっと預けて然るべき場所があるのではないのか、と。


「何の証拠にもなりませんから。それに貴方ならこれを正しく使ってくれる気がしましたので……。生あるうちに過ちへ気付ければ、地獄の沙汰も変わるでしょう」


 立ち去っていく菖蒲の後ろ姿、それに根岸は深く頭を下げるのだった。



…………


「……終わったの?」

「ええ」


 菖蒲に声を掛け姿を現したのは、京だった。手には妖から姿を隠す、天狗の術符が握られている。今までずっと璃子と死合う菖蒲の姿を遠巻きから見ていたのだ。


「明日の朝早いけど、お友達の家に寄って行く?」


 菖蒲の問いに、京は首を振った。


「手紙書くからいいよ。すぐに町を出よう、母さん」


「……ええ」


 驚き返事をし、そしてホッとする。この子はまた母さんと呼んでいてくれている。今はこれ以上の喜びはない。



「さっきの人、刑事さんかな」

「うん」

「やられちゃったけど、カッコよかったね」

「そうね」

「もしかして惚れた?」

 

 繋ごうとした手をそのまま振り上げてひっぱたく。いててと頭にやった手を菖蒲は強引に掴み、京も今度はそれを握り返す。久しぶりに握った手は温かく感じられた。

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