#7-1


 市内にあるとある神社の周囲、黒塗りの車とパトカーが数台止まり厳戒令を敷いていた。入り口にはKEEP OUTの黄色テープが張られ、制服を着た警官が誰も入れぬように見張っている。

 

 境内ではスーツ姿の男たちが5、6人ほど集まっている。していたのは神社の掃除だった。


「……」


 この長身で仏頂面の男、沈黙の刑事長こと根岸もここにいた。いつもならば事件の資料を持っている手が箒を握り、境内を掃き掃除している。


ザッ…… ザッ……


「……」



 今朝のことである、根岸は署長に突然呼び出された。


『根岸君。君に緊急の任務があるんだが、午後から一緒に来てくれないかい?』

『可能ですが、何故私に?』

『いろいろ考えたが、やっぱり君が適任だと考えてね。絶対に他言無用で頼むよ』

『……はい』



ザッ……ザッ……


「……」


 今も市内の何処かで事件が起きているというのに、自分は一体ここで何をしているのだろう。もしかすると今回の事件の犯人を捕まえられなかった懲戒のため、署長が罰を与えたのだろうか? いや、いくら何でもそんなことはないとは思うが……。


(むしろこれで済むのならいいがな…)


 刑事という立場、人の命を預かる身でもある。こんな奉仕活動で責を免れるなら、世界はどんなに平穏なことだろうか。

 根岸はこの上ない屈辱の余り、今すぐこの場を放り出して職務に復帰したかった。だがそれをしないのがこの『沈黙の刑事長』たる所以ゆえんでもある。悔しく思う気持ちが自分への罰であるかのように、黙々と境内の掃除を続けた。


「やあ根岸君、作業は順調かね?」

「……」


 掃き掃除すること暫く、行方をくらましていた署長が現れた。


「署長、教えてください自分は」

「わかっとるよ、言わんでいい。そろそろ集合の時間だ、早く片付けよう」


 掃いたゴミをで集める。署長もそれを手伝いながら話し始めた。


「途中で投げ出して帰るようなら放っておいたさ。でも流石に君はしなかった」


「本来の職務ではありませんが、緊急任務と言われたので」

「ははは、そうだったね」


 署長は真顔になると、根岸の顔を見上げる。


「君には辛い役を与えてしまったと思ってるよ。連続で凶悪事件を起こされた挙句、我々は捜査から外されてしまい、犯人は未だ手掛かりすら掴めていないのだからね」


 そう。署長の言う通り、連続放火事件は警察の管轄から離れ、第三機関の手に委ねられていた。現に先日起こった放火事件、警察が到着して捜査しようとしたところ、見知らぬ者たちによって現場は押さえられてしまった。

 根岸もその場に居合わせたが、上層の命令で撤退を余儀なくされる。一般市民から不審に思われないためか、ご丁寧にも警官の様な格好をした「イヌカミ」の者たち。この時ばかりは恨めしそうに睨め、立ち去る他なかった。


犯人ホシは死体で見つかったと聞きましたが」


「あれはマスコミに流れたガセ情報だ。奴は今もどこかで犯行を重ねようとしている。犯人が許せんだろ? 事件を横取りされ悔しいだろう? 私だって……いや、我々警察はみんな同じ気持ちだ。そして常に一番前線で戦っていた君が一番悔しい筈だ。だからこうして連れてきたんだよ」


「と、仰いますと?」


「君は直接見てみたくはないかね? 我々警察の仕事を奪った第三者の姿を」

「第三者の姿? 第三機関というのは組織のことでは……?」


 思わず聞き返そうとした時、社の方からパンパンという手叩きの音がした。見るとスーツ姿の男たちが集まっている。神職らしき姿をした老人の姿も見受けられた。


(彼らの中には宮内庁や警察庁の有力者もいる。くれぐれも無礼の無いようにね)

(はい……)


 腑に落ちぬまま根岸は署長に連れられ、スーツ姿の男たちへ近づいていった。男らは一見、五、六十代のサラリーマン風に見える。その中でやはり際立つのが、禰宜ねぎ(神職者のこと)の格好をした老人だ。さっきの署長の話からするに、あれが宮内庁関係のお偉いさんなのだろうか。


「ご苦労だった。彼がそうかね?」


 二人が近づくと、白髪でスーツの男が署長に話しかけてきた。


「はい、許可頂きありがとうございます。彼が……」


「烏頭目宮警察署、刑事課担当の根岸昌也まさや警部であります」


 静かに、だが強い口調で沈黙の刑事長は名乗った。その長身で堂々とした態度に、白髪の男は目を細めて見上げる。


「そうかそうか、君か。……粗方は聞いているかもしれないが、確認の意味も含めて説明しよう。現在事件は君ら警察の手から離れ『イヌカミ』の管轄に置かれている。だが彼らは事件の捜査をしているわけではない、あくまでしているのは『調査』だ」


 調査? 第三機関「イヌカミ」は犯人拿捕のために動いているのではないのか?


「そこで事件発生阻止には然るべき存在へ直接依頼をする必要がある。我々が今日、ここへ訪れたのはその依頼を行うためだ。これから見ることは今後とも絶対に他言してはならない。相手方にも決して無礼の無いように、いいね?」


「はっ!」


 根岸と隣りにいた署長は揃って敬礼した。


 だが解せない。イヌカミが犯人を捕まえる組織ではないならば、一体何を調査しているのか? そして、これから会うという人物とは一体どんな立場の者なのか?

 目の前にいるこの男たち、自分にとって雲の上の存在なのは確か。そんな彼らすら一目置く存在とは何だ? 皇室関係者か? まさか内閣総理大臣ではあるまい?


 禰宜姿の老人に続いてスーツの男らは歩き出し、署長と根岸もそれに同行する。てっきり神社の本殿へ向かうとばかり思っていたが、そうではないようだ。


 本殿の横を通り抜け裏手にある小さな社の前に着く。禰宜は社のかんぬきを開け、皆に中へ入るよう促す。男たちは次々と履物を脱いでは狭い社の中へ吸い込まれていく。計七人の男らがすし詰め状態となると蝋燭ろうそくが灯され、再び扉は閉められた。


(こんな場所で何をすると?)


 蝋燭の灯りがなければ真っ暗な社内で、根岸は他の男同様、板張りの床の上に正座する。正面には御神体が祀られているとばかり思っていたが、燭台の上に蝋燭が乗っている以外は、小さな台が置いてあるだけで何もない。


 と、ここで一人の男が風呂敷を白髪の男に渡した。白髪の男は風呂敷包みを開け、台の上にうやうやしく置き一礼した。この時、置かれたものが明かりに照らされ、根岸の目にもはっきりと見えたのだ。


(──なっ!)


 金だ! 500万円以上はある!


 すると山積みされた札束を、神に捧げられた供物のように禰宜が御幣ごへいを振り始め、祈祷のような口上を述べ始める。それに伴って、座っていた男たちは正面に向かい頭を下げた。根岸が横を向くと頷く署長の顔、二人も習い頭を下げる。


「──我らの声を聞き届け給え。邪気を払い、清め給え…………」


 わさわさと御幣を振っていた禰宜の男。ボソボソと話し、内容まではよくわからなかった。


 が、次の言葉ははっきりと聞こえた。


「今、おいでになられました」


 それきり禰宜は何も喋らずに動かなくなった。

 社の中は静寂に包まれ、僅かな男たちの息遣いだけが耳に入ってくる。


 ……馬鹿馬鹿しい、大の大人が大勢集まり何をしているのだ。事件の犯人が捕まらず、挙げ句は神頼みか。現代社会の影ではこんな馬鹿げたことが今でも行われているのかと、根岸は呆れた。


(あの金、恐らくは税金だな)


 幼い赤子から年寄りまで、大勢の国民からかき集められた尊い血税。この後、胡散臭い禰宜の手に賄賂として渡り、碌な使い方がされないのだと思うと、正義感の強い根岸は吐き気を覚える。今度こそ大声で怒鳴り、ここから立ち去りたかった。



──その時だった。


 蝋燭の火が突然消え、辺りは闇となったのである。そして次に再び蝋燭は音を立てて燃え始めたのだ。誰の手も借りずに、ひとりでに。


(何だ? 何が起こったのだ?)


 根岸が恐る恐る顔を上げて前を見ると、思わず声を上げそうになる。

 誰も居なかった台の裏、灯りに照らされた白装束の人間が鎮座していたのだ。髪が長いという以外、顔はわからない。何故ならば能楽で使いそうな女の面を被っていたからである。


 と、横から小さな咳払いの声。


「……」

(─っ!)


 反応して横を向くと、鬼の形相で署長が根岸を睨んでいる。顔を上げるな、黙って頭を下げていろというのだろう。慌てて根岸は額を床へ付けた。


(……しかし何者だ? 先程まで人の隠れていた気配はなかった!)


 この建物の裏に隠し扉でもあるのだろうか? 蝋燭の火はトリックか?

 訝しげに思うも沈黙の刑事長は頭を下げ、成り行きに任せる事にしたのだった。


くだんの赤猫なりや?』


 「赤猫」とは古い言葉で火付け、不審火を指す。つまりは連続放火事件の事で用があるのか、と聞いてきたのである。更に驚いたことに声は女性のようだった。


「はい、仰せの通りに御座ります! 此度の人の手に余る所業、何卒、何卒天狗様のお力添えを頂きたく、お願い申し上げる次第で御座りまする!」


 白髪男の言葉、思わず耳を疑った。


(天狗だと? 今、天狗と言ったか?)


 これは驚いた。情報化したこの近代社会、よもや御伽噺おとぎばなしに登場する妖怪の名を聞くことになるとは夢にも思わなかった。

 あの面の下には鼻の高い真っ赤な顔があるのだろうか。しかし、先程の声を聞いた限りでは女。女の天狗の話など、今まで聞いたことも無い。

 いや、それとも「天狗」というのは何かの隠語、もしくはこの人物の通り名と解釈した方が自然か。「イヌカミ」の中で使われているコードネームか何かと思った方が良いのかも知れない。根岸は考える中で、そう結論付けた。


『受け賜り候』


 面の女が発した途端、狭い社の中は風が吹き荒れ、勢いよく扉が開かれた。


「あぁっ!」


 一同、堪らずに声を上げ、蹲る。


(──くっ!)


 強風に耐えながら、根岸は正面を睨みつけた。吹き荒れる風の中で、面をかぶった白装束の姿が徐々に消えていく──。


 やがて風は止み、静けさが戻るとそこには誰も居なかった。台の上に置かれていた札束も、一つ残らず無くなっていたのである。


「お帰りになられました! お受け下さったのです!」


 禰宜が声を張り上げる中、根岸は動けずに居た。見間違いではない、トリックでもない。今確かに自分は見たのだ、白装束の人物が煙のように消える、その様を。


「どうだ若造? 腰が抜けたか?」


 じっとりと汗をかき呆然としている根岸を前に、白髪の男が声を掛けた。


「納得できたなら職務へ復帰しなさい。一切他言は厳禁、いいね?」

「……はっ!」


 立ち上がり返事する根岸を見て、白髪の男は僅かに笑みを浮かべた。 

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