掌編小説集

或るコ

Amazing Grace

 森閑とした雨の中で耳を擽るソプラノボイス。しとしとと降る雨に打たれて、森は鮮やかさを増していた。

 その中にぽつりとある建物。緩やかな弧を描くそのドームは朽ち果て、無機質なコンクリートの壁の上には苔や蔦が彩りを添えていた。

 その廃墟の中から聞こえてくるのは、ここには不似合いなピアノの音と少年の歌声。


   Amazing grace how sweet the sound

   That saved a wretch like me.

   I once was lost but now am found,

   Was blind but now I see.


 少年は乞うように謳う。遠い昔、志半ばで散った己を慈しむように、愛すように。

 カツン、と足音が鳴った。ふっとピアノの音と少年の声が掻き消えて森は静寂を取り戻す。

 足音の主は古びてもう音の鳴らなくなったピアノの前に立った。ピアノを一撫ですると、涙を拭いて大きく息を吸い込む。


   Yes,when this heart and flesh shall fail,

   And mortal life shall cease,

   I shall possess within the vail,

   A life of joy and peace.


 雄々しいテノールボイスが力強く響く。目を閉じて歌う男には懐かしい光景が思い出されていた。共に聖歌隊で歌い、若くしてこの世を去った友人と過ごした日々。

その御魂に想いを込めて、願いを乗せて、男は謳う。

 少年はあの日、命と共に失ったはずの光に照らされようやく安らぎの時を手に入れた。壊れた筈のピアノが、ポーン、と最後に鳴った。


(お題「失ったはずの光に照らされ」「廃墟とピアノ」「感情的」「耳を擽るテノールボイス」「森閑とした雨の中で」)

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