第13話 戦場での経験の有無について

ずっと世界の指導者やその幹部を調べてました。


そもそも古代ギリシアの民主制の参政権は、軍人であることが必須でした。

これはソクラテスも同じで、ペロポネソス戦争に重装歩兵として参戦したことを、ソクラテスは生涯の誇りとしていました。

つまり、政治家も投票する市民も全員、戦争経験者だった。

だから、戦争の重さを知っていました。

一方、参政権のなかった女性や奴隷(この用語も現在とはかなりニュアンスが違います。鉱山奴隷は除きます)は、兵役の義務がなかった。ヒッポリュテ、ペンテレイシアなどアマゾネスなど神話もありますが、むしろ、なくて善かったとさえ説もあります。同時に、女性はかなり自由でした。この辺は省略します。


デモステネス、アレキサンダー大王、劉邦や項羽、曹操、劉備、カエサル、アウグストゥス、五賢帝、李淵、カール大帝、足利尊氏、朱元璋、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、ナポレオン、明治の元勲、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、東条英機、毛沢東など数多くの指導者は、すべて戦争経験者です。


結果の善し悪しは省略します。本題ではありません。


けれども、戦争を経験したことで、人の生死を現実に体験し、またその重さを知っていたと推測できます。

つまり戦争行為のもたらすものをリアルに感じていたのです。


同時に、戦前、戦中の日本国民も同様です。身近に戦争経験者がいて、或いは自身も戦争を経験したこともあったこともあるでしょう。

それ故に、戦争の悲惨さをリアルに想像し、実際に体験しました。歴史の通りです。


が、現在、私も含めた日本人の多くは、ご年配の方をのぞき、戦争を体験していません。


とくに現役の政治家の内、実際の戦場で、軍人として、人の生死を体験した人など皆無に近いはずです。

傭兵経験者や従軍記者、NGO団体で難民と向かい合った過去を持つ、政治家は別です。

そんな皆さんがいくら熱弁を振るおうとも、未経験でしかないので、戦争という言葉自体に重みが感じられないません。戦場記者や各種NGO団体の語る言葉の方がよほど信頼できます。

自衛権や集団的自衛権の是非やシビリアン・コントロールとは別問題ですので、誤解されなきようお願いいたします。


ただ私が言いたいことは一つ、いざ、日本が戦争状態になった場合、諸々の判断をするのは、戦争未経験者の政治家であるということ。


だからこそ、政治家の方々には外遊先に、紛争地域やその難民キャンプなどを訪れていただきたいと思っております。

現場の状況を体験し、その上で、諸々を語って欲しいと考えております。

そうなれば、PKOなどで派遣される自衛隊の皆様の重要性も隊員の皆様の苦労も、机上の理解を超えられるでしょう。


それともう一つ。

日本人が、平和ボケと揶揄されて25年以上経ちます。

今現在も尚、本当に日本人は平和ボケをしているのでしょうか?

ミサイル実験や領海侵犯などの対応に世論は危機感を持っていたと分析できます。

もう一度、平和ボケの再定義が必要だと思います。


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