第9話 グリフォンクロー
すぐにでも日記を読んで過去に何があったのか知りたかった。しかし突然、コンコンとノックの音が。シェリルが慌ててベッド下に隠れると同時に扉を開けて現れたのは、替えのシーツを持ったミーシャと白衣を着た中年医師だった。確かこの男はポットーと言って、ワシが過去を変える前も町で医者を営んでいた。
「ドルクさん、どうだい。体の具合は?」
「あ、ああ。今さっきも吐血してしまったんじゃが……」
「聞けば今日は量が少ないそうじゃないか。大丈夫だよ」
んん? 素人目には酷い病に思えるが、医者がそう言うからには案外、大丈夫なんじゃろうか?
ポットーは穏やかな笑顔を見せる。
「大丈夫、もう大丈夫。七十まで生きたもの。立派な寿命だ」
「!! いやそういう意味の大丈夫かい!?」
全然、大丈夫ではなかった。それどころか医者に匙を投げられている。
「な、何とか治らんのか、この病は?」
「知っての通り、ドルクさんの病は若い頃の無理がたたった結果ですからねえ。それで十年前から寝たきりになっちゃった訳でしょう」
「寝たきり……!」
通りでベッドから起きられん訳じゃ! ああ、何ということ……!
半ば形式的に脈を測り、心音を聞いたりした後でポットーは立ち上がる。
「それではお大事に」
薬も何も渡されず、笑顔だけ見せて往診は終わった。ポットーは、後ろで不安そうな顔で佇むミーシャに話し掛ける。
「ミーシャさん。ちょっといいかい? 出来れば息子さんのシューベル君も一緒に」
「はい……」
二人は扉を閉めて、部屋を出て行った。シェリルがベッドの下から這い出してくる。
「お前、かなりヤバい状態みたいだな。実際、顔色も悪いし、まさに死にかけジジイって感じだぜ」
「お前さんの悪口も今日はまるで笑えんわい。うう、体が鉛のように重い。胸も痛い……」
「ホント重症だな」
しばらくして足音が聞こえた。先程と同じようにシェリルがベッド下に潜ると、ミーシャとシューベルが現れる。ワシはベッドに寝そべった状態で顔だけ動かし、シューベルの付けていた黒い革手袋を見て吃驚した。
――薪割り用の手袋!! まさかまだ無職なのか!?
「しゅ、シューベル。お前、仕事は頑張っておるのか?」
するとシューベルはこくりと頷く。
「まぁボチボチだ。図書館は退屈だけどな」
「そ、そうか! 図書館での仕事か!」
過去を変える前のワシが定年まで勤めた職場も町の図書館であり、ワシの魔法理論の基礎はその時に読んだ大量の書物によるところが大きい。とにかくシューベルが前回のように無職ではないことに安堵した。よくよく見れば、無精ヒゲもなくサッパリとしている。
シューベルは何だか居心地の悪そうな顔をワシに見せた後、ミーシャの肩を叩く。するとミーシャは震える声を出した。
「あ、アナタ。今、お医者様が家の者から本人に直接、伝えて欲しい……と……」
シューベルがミーシャの肩を支える。泣きながら、それでもミーシャは気丈に言葉を紡いだ。
「アナタは……もって後、三日の命らしいのです……」
「!! ワシの命、たったの三日しかないの!?」
「ううううっ!!」
ミーシャが耐えられなくなったように顔を押さえ、部屋を飛び出した。呆然とするワシにシューベルが悲しげな目を向ける。
「親父。今まで言ったことは無かったが……俺はアンタを凄いと思ってる。その病だって、若い頃の名誉の負傷が原因だもんな」
名誉の負傷!? 一体、ワシの身に何があったんじゃ!?
「しゅ、シューベル。それはいつ頃の話じゃったかのう?」
「親父が魔法学校を卒業して、すぐのことだろ? ……そうか。もう、そんなことまで思い出せないのか……」
シューベルがズズッと鼻を啜った。
「お袋も落ち着いたら、また部屋に来ると思う。それまではゆっくり休んでくれ」
ワシに毛布を掛けると、シューベルは部屋を出て行った。シェリルがワシの枕の隣にひょいと現れる。
「ミーシャ、泣いてたな。シューベルも我慢してたけど、ちょっと泣きそうだったぜ」
「……本当に泣きたいのはワシの方じゃよ」
しかし泣いても何も始まらない。それよりも今、やるべきことは一つだ。
「シェリル。机から日記を取ってくれ」
「おう!」
小さなシェリルにとっては重いだろうが、それでも引きずるようにして分厚い日記をワシの枕元まで持ってきてくれた。腕はどうにか動くので、寝たままで流し読みする。
「……ふむ。魔法学校は無事に卒業出来たみたいじゃの。じゃが問題はどうやらその後らしい」
「就職した先で何かあったってことじゃねえか?」
「その可能性が高いのう」
日記によれば、帝国暦九百八十二年に魔法学校を卒業した、とある。卒業の喜びと未来への期待が書かれたページがしばらく続いた。しかし、翌年の日付の日記は打って変わって悲壮感の漂うものとなっていた。
『帝国暦九百八十三年 五月十二日 曇り。魔法学研究学会に就職が決まっていたが、内定取り消しになった。何でもテロゼアンが研究学会に申し出たらしい。いわく「あの有能な青年を机上の研究者で終わらせてはならない」と。テロゼアンが俺を高く買ってくれるのは嬉しいが例の如く、俺には彼女と戦ったという記憶が一切無い』
円闘で負けたテロゼアンがワシを高く評価し、違う仕事を斡旋してきたようである。
『「窮屈だ」という理由で査問官を辞めたというテロゼアンは現在、ギルド統括本部の部長をしている。俺はテロゼアン管轄下のモンスター討伐ギルドに入ることになった。テロゼアンが言うには、数年前から兆しはあったが現在、サフィアノにいる魔物達の邪気がより濃くなっているらしい。各地で今まで見たことのない強力なモンスターが出現しているようだ』
ワシの顔のすぐ横で一緒に日記を見ていたシェリルが叫ぶ。
「ドルク! 就職先は討伐ギルドだって!」
「うむ。段々と分かってきたのう。シューベルが言っていた『若い頃の名誉の負傷』――それはおそらくギルドにいる時に受けた傷じゃ」
ワシは更に日記をめくり……そして吃驚した。
『テロゼアンの推薦で、俺の配属先が決まった。【グリフォンクロー】。それが俺が入るギルドの名前だ』
「グリフォンクロー! 魔王軍討伐にも一役買った、精鋭揃いのギルドじゃ!」
「げっ!? 魔力のない若いドルクがそんな一流のギルドに入っちまったのかよ!?」
「と、とにかく続きを読もう……」
『ギルドに入って早々、俺に与えられた任務はウィル地方に現れた巨大サソリのモンスター、アークスコーピオの討伐だった。ギルド仲間が言うには、アークスコーピオの尾には人を簡単に死に至らしめる猛毒があるらしい。それを聞いて、怖くて震え上がってしまう。ギルドの皆がそんな俺を嘲笑った』
『俺には身に余る仕事だ、と断わったのだが、テロゼアンは「心配ない。君は相手が強いほど本領を発揮するタイプだ」と言っては聞かなかった。そして事あるごとに「ドルクは私が唯一負けた相手だ」と言ってくる。記憶はないが、もしそれが本当なら俺には切羽詰まった時に真の力が出る筈だ。それに賭けてみようと思う』
「ば、バカな! そんな都合良く力が出る筈があるまい!」
ワシは思わず叫んでしまう。予想通り、その次の日記には乱れた字でこう書かれていた。
『アークスコーピオの尾が俺の尻にブッ刺さった。激痛と共に身動きが取れなくなって俺は憐れに泣き叫んだ。仲間のヒーラーが治癒魔法を唱え、どうにか一命を取り留めたが、スコーピオの毒は完全に消すことは出来ないらしい。恐ろしいのは後遺症で、年を経るごとに体を冒していくようだ。もう最悪。泣きたい。お尻も痛い』
「ドルク! お前、サソリにケツ刺されたみてえだぞ!」
「色んな意味で本当に最悪じゃの。頭まで痛くなってきたわい……」
『その後、俺に多額の魔物障害給付金が出た。家で寝ているとクラインが見舞いに来てくれた。「結果として大金が貰えて良かったじゃないか」と笑うが……果たして本当に良かったのだろうか。今は無事だが数十年後が心配である』
そこまで読んで、ワシは日記をぱたりと閉じた。
「……これで全てがハッキリしたぞい。現在のワシが裕福なのは障害給付金のお陰。そして病の原因はアークスコーピオ討伐での負傷という訳じゃな」
シェリルがニカッと笑う。
「それじゃあ話は簡単だ! 過去に戻って、アークスコーピオ討伐を無事に乗り切るしかねえな!」
「うむ」
今回は迷っている暇など無い。ワシに残された時間は僅かなのだ。
「シェリル。不思議なキノコを採ってきてくれるか?」
「ああ分かった! アタシが帰るまで絶対、死ぬんじゃねえぞ!」
シェリルは開いている窓から脱兎の如く駆け出していった。するとまたもやノックの音がした。
「……失礼します」
ミーシャだった。泣いたせいで目は赤いが、今は随分と落ち着いているようだ。
「すいません。さっきは取り乱してしまいました」
「いや、気にせんでくれ」
「ポットー医師もアナタだったからこそ、あえて『死期を教えてやってくれ』と言われたのです。そう……かつてグリフォンクローで勇敢な活躍をされたアナタだから……」
――勇敢と言っても、ただ尻を刺されただけなんじゃろうがなあ。
言葉に詰まっていると、ミーシャは優しく微笑んだ。
「ポットー医師は三日の命だと言っていましたが、私は奇跡を信じています」
そして遠い目をして、部屋の隅を見る。
「アナタがかつて凄まじい魔力で、ドラゴンから私を救ってくれたように。そして円闘であのテロゼアン様すら打ち負かしたように。きっとまた奇跡は起こる筈です」
「そう……じゃな」
ワシは腕を伸ばして、シワの刻まれたミーシャの手を握った。その手にはワシと同じ銀の結婚指輪がはめられている。
「この現実を必ず変えて見せよう。ワシとお前、そしてシューベルが幸せに暮らせる未来にするんじゃ」
ワシは目に涙を滲ませるミーシャに、にっこりと微笑む。
「おや。少し眠くなってきたの。ひと眠りするとしよう」
「では何かあれば、いつでもお呼び下さい」
ミーシャがワシに呼び鈴を渡して部屋を出ると、すぐに窓際で音がした。大きなキノコを小さな体に担いで、シェリルが部屋に飛び込んでくる。
「まだ生きてっか、ドルク! キノコ、採ってきたぜ!」
「うむ。悪いが口まで運んでくれ。腕が痺れてきた」
「任せとけ!」
シェリルが遠慮無く、ワシの口にキノコを「ボン!」とブチ込む。食欲などまるでないが、ワシはそれでもモシャモシャとキノコを頬張ったのだった。
……薄れた意識が戻った後は、目前に見渡す限りの白い世界が広がっている。キノコが見せる幻覚の中でワシは大きく伸びをした。
「おお! 何処も痛くない! ふう、生き返ったわい!」
「まぁ、こりゃただの幻覚だ。現状は何も変わってねえけどな」
「うむ、変えるのはこれからじゃ! いや絶対に変えねばなるまいて!」
「おっ? いつになくやる気じゃねえか」
「ミーシャに約束したからのう」
ワシはすぐさま地面に時の魔法陣を描く。そして日記で読んだアークスコーピオ討伐の日時をそこに書き込んだ。
……眩い光が過ぎ去り、耳に聞こえてきたのは男達の野太い笑い声。目にはむせかえるような熱気の中で酒瓶を慌てて運ぶ薄着の女性が映る。テーブルにいるのは、赤ら顔の老若男女。傍を歩くのは千鳥足の戦士。ワシはどうやら何処かの町の酒場にいるらしい。
「良い匂いだな! アタシも酒が飲みたくなってくるよ!」
目の前をシェリルがふわふわと浮遊している。酒好きらしいが、意識体のシェリルにそれは不可能だ。
そしてワシは気付く。少し先に赤いローブをまとったテロゼアンが立っていて、ワシを訝しげに眺めていた。
「どうした、ドルク? 私の後をちゃんと付いてきてくれ。今からグリフォンクローのメンバーを紹介するのだからな」
「あ、ああ」
テロゼアンに続いて広い店内を歩く。辿り着いた端のテーブルには四人の男女が椅子にどっかと腰掛けて、肉料理をがつがつと食べていた。黒い鎧を着た筋骨隆々の男がワシとテロゼアンに気付く。
「おお、ギルド統括からテロゼアン様のご到着だぜ」
八つの目が一斉にワシとテロゼアンに突き刺さった。テロゼアンは空いている椅子に腰掛け、その隣をワシに勧めた。椅子に座るとテロゼアンは話し始める。
「この間、魔導士のメメットが怪我を負って脱退したろう? それで代わりの魔導士を連れてきた。アークスコーピオ討伐にはこのドルクを連れて行ってくれ」
「うーん。私らだけでも充分だけどねー」
露出の高い、軽量の鎧を着た女性がワシを一瞥してカラカラと笑った。肌が日に焼けた健康的な美人だが、彼女の体から出るオーラがただ者ではないことを告げている。
テロゼアンが自信ありげに言う。
「ドルクは見かけは若いが、マスタークラスの魔導士なのだよ」
すると狐目の男が、目を更に細めてワシを見詰めてきた。
「マスタークラス? コイツが、か?」
「苦労をしらねえ綺麗な顔してやがるけどなあ。こんな坊ちゃんで本当に大丈夫かよ?」
筋骨隆々の男と一緒に声を上げて笑うと、メンバー全員が釣られて笑った。テロゼアンが咳払いをする。
「一つ君達に言っておこう。ドルクは私が円闘で負けた唯一の相手だ」
途端、馬鹿笑いをしながら酒をあおっていた皆の手がぴたりと止まる。
「……テロゼアンが魔法で負けた?」
「おいおい。嘘だろ?」
「本当だ。ドルクの魔法の才能は私よりも上だ」
ワシを褒めちぎってから、テロゼアンは席から立ち上がった。
「メルキル地方でも凶悪な魔物の出現が確認されている。私は今からそちらに赴かねばならない。だが君達とドルクなら安心して任せられる。頼んだぞ」
ワシの肩に手をやった後、テロゼアンはウインクして酒場から去って行った。
残されたワシは奇異の視線の的になる。ワシの耳元で意識体のシェリルが囁く。
「しっかし、悪そうな顔ぶれが多いな。コレ、本当に世界を救ったギルドなのかよ?」
「まぁ元々は荒くれ者の集まりらしいからのう」
「……何をブツブツ、独り言を言ってやがる?」
巨躯の筋肉男がワシを睨め付ける。
「テロゼアンがああまで言うくらいだ。魔力は相当なのかも知れん。だがな、小僧。俺達グリフォンクローが受け持つ討伐は、上級ハンターも逃げ出すような凶悪なモンスターばかりなんだぜ?」
狐目の男も甲高い声で笑う。
「ケッケッ。グリフォンクローは少数精鋭。死んでも良い覚悟がないなら、とっとと消えちまいな」
実際のワシより三十も四十も年下の者達に、小僧と呼ばれたり、下に見られたりして、流石に少し腹が立ってきた。
「ふん。当然やるに決まっておろうが。その為に此処に来たんじゃからな」
ワシがきっぱりと答えると、二人は顔色を変えた。
「口だけは一丁前みたいだ」
「それから何だ、その妙な喋り方は。バカにしてんのか?」
しばらく剣呑な雰囲気が流れたが、
「あっはっは! いーねー!」
軽量の鎧を着た女が楽しそうに手を叩いた。
「けどアークスコーピオを舐めちゃあいけないよー。ブスッといかれたら一巻の終わりさ。どんな凄腕ヒーラーでも完全にはスコーピオの毒を治療できない。後遺症はずっと残るらしいからねー」
「うむ。それは身に沁みて分かっておる」
「そうか、うんうんー。その覚悟があれば良いんだよー。……あっ、そーいやちゃんと自己紹介してなかったねー」
そして鎧の男を指さす。
「このゴツイのがウォリアーのライオス。そっちの目付きの悪いのがアーチャーのヤン。背のちっちゃいのがヒーラーのエリエルだ」
「よろしくね」と挨拶してくれたのは十代と思しき、ヒーラーの女性エリエルだけだった。ワシは笑顔で会釈する。
「そして私がアサシンで、グリフォンクローのリーダー、イリアだよー。改めて……グリフォンクローへようこそ!」
伸ばされた手を握ると、女性とは思えない力で握ってきた。だが、ワシも負けじと握り返す。
「ふふっ、ドルク。アンタはなかなか肝が据わってるねー。ちなみにギルド戦闘の経験はー?」
「いや。今まで一度もないのう」
「なら準備が必要だねー。討伐期限は二日以内だから焦る必要はないよー」
「いや、早い方が良い。今すぐ出発しよう」
ワシが言うと、戦士ライオスが鼻をヒクつかせた。
「コイツ、完全に討伐戦闘を舐めてやがるぜ!」
「ケッケッ。どうせすぐに後悔することになるさ。初めてのギルド戦闘が人生最後の戦闘にならないと良いな」
「……さっきから、うるさい奴らじゃのう」
ワシは立ち上がると、ライオスとヤンの頭を軽く小突いてやった。
「ごちゃごちゃ言っとらんと行くぞ! さっさと用意せい!」
「て、てめえ!? 先輩に何しやがる!!」
エリエルは狼狽えていたが、イリアが男のように快活な笑い声を上げた。
「はっはっは! それでこそグリフォンクローの一員だよー! それにライオスとヤン、ドルクをバカにしたアンタらが悪い!」
「……チッ、ドルク! てめえ、足を引っ張ったらただじゃ置かねえからな!」
「それじゃあ早速アークスコーピオ狩りに行くよー!」
イリアの一言で周りのメンバーが顔を引き締め、ザッと一斉に席を立った。ワシも気合いを入れる為、ローブの襟元を正す。
「ほんじゃまあ、チャッチャと片付けるとするかのう。健康第一で」
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