第5話 新たな失態

「な、何じゃ、お前さんは? 物乞いか?」


 金を要求してきたので、物乞いや強盗のたぐいかと思ったのだが、


「誰が物乞いだ! ふざけるんじゃねえぞ!」


 巨躯の男はいきり立つ。何が何だか理解できないワシのもとにミーシャが飛んできた。


「すみません! 今日はこれで勘弁してください!」


 ミーシャが差し出したのは小袋だった。男は受け取り、中身を掌の上に出す。ジャラジャラと銀貨が数十枚……結構な額だが、それでも男は舌打ちする。


「全然足りねえな、ばあさん。いつの世もどんな世であっても借りた金はきちんと返す。これが当然だ。支払いはきちんとして貰わなきゃあな」


「すいません、すいません」と頭を下げ続けるミーシャ。ようやくワシにも状況が飲み込めてきた。どうやらワシの家は借金を、こさえているらしい。


 ペコペコと謝るミーシャが不憫で、ワシは男を睨んだ。


「わかった。ワシが払おう」

「おう? 払えるってのかよ?」

「ワシにだって蓄えはある。全部でいくらじゃ?」

「1000万ゴルドだ」

「うむ。今すぐ用意するから待っておれ……って、ええええええええええ1000万ゴルドぉぉぉ!?」


 腰が抜けるかと思った。帝国領に一軒家が買えるくらいの大金である。


「そ、そんな金、とても払えん!」

「ケッ。なら、今日も家にある物を貰っていくぜ」


 男はワシを押しのけると勝手に家の中に上がり込んできた。そして居間に飾られてある壺やら何やらを、持ってきたカバンに詰め始める。


 蒼白した顔で傍観していたミーシャだったが、男が一枚の絵を手にすると焦った様子を見せた。


「あ、あの、それは家族の思い出のある品で……」

「知らねえなあ」


 構わずに男は絵をカバンに詰める。するとミーシャは泣き崩れた。


「ううううう……。アナタと新婚旅行に行った時、買って貰った絵が……」


 申し訳ないことに、ワシにはその記憶は全然ない。だが、ミーシャに取っては大切なものだったのだろう。


 その後、台所の食器などもカバンに入れた後、


「次はちゃんと金を用意しておくんだぜ」


 ようやく男は帰っていった。ポツンと残されたのは、憔悴しきったミーシャとワシであった。


 その時、不意に玄関の扉が開かれる。また借金取りが戻ってきたのかと焦ったが、


「……やっと行ったか」


 家に入ってきたのはワシの息子のシューベルだった。


「しゅ、シューベル。お前さん、ひょっとして外におったのか?」

「ああ。奴に鉢合わせたらマズいと思ってよ。隠れてたんだ」


 親が酷い目に遭っているのに隠れているというのはどうなのだろう。しかし、シューベルは何の悪気も感じていない顔だ。


「それじゃあ、俺はもう一度、出掛けてくるぜ」


 するとミーシャがおずおずとシューベルに話し掛ける。


「ま、また賭け事なの?」

「ああ? だったら何だってんだよ」

「もう止めて、シューベル。借金がどんどん膨らんでいくのよ……」


 そのミーシャの言葉が切っ掛けだった。ワシは居間の壁をドンと叩く。老人になってそれなりに温厚になったつもりだったが、流石に我慢の限界だった。


「そんなことだろうと思ったわい!! やっぱりお前のせいか、シューベル!!」


 ワシはシューベルに詰め寄る。


「一体どんな賭け方をしたら1000万ゴルドも負けるんじゃ!!」

「う、うるせえ!! 全部が全部、俺のせいじゃねえや!! とにかく溜まった借金を今日こそ取り返してやろうってんだよ!!」

「そんなにうまくいく筈がなかろう!」


 信じられん! これがワシの息子じゃと? まったく何てダメ息子じゃ!


「賭け事などに興じる暇があれば、まともに働け! ワシは父親として情けないぞ!」


 叫ぶと、シューベルは顔を真っ赤に染めた。


「まともに働け、だと!? 一体どの口が言えるんだ!! 親父だってロクな仕事してなかったじゃねえか!!」

「な、何じゃと?」


 一体、何を言っているんじゃ! ワシはドラゴンを倒して魔法学校に推薦で入った! 卒業後は収入の良い職に就いたに決まっておる!


 しかしシューベルは衝撃的な事実を口に出す。


「親父なんて三十年以上、道具屋の薬草に『薬草』って書くだけの仕事してたくせによ!」

「!! そんな仕事してたの、ワシ!?」


 あまりにやり甲斐のない仕事を三十年続けていたことを聞いて驚愕するワシを尻目に、シューベルは吐き捨てるように言葉を続ける。


「親父だって知ってるだろ! 『あのドルクの息子』ってことで俺にも良い仕事が回ってこねえんだよ!」

「シューベル! お父さんの悪口はよして! お父さんは国立魔法学校に特待生で招かれたすごい人なのよ!」

「何言ってやがる!! 鳴り物入りで入学したものの全然パッとしなかったんだろうが!! 挙げ句の果てに講師との魔法試験で、ビビッて小便漏らしちまったくせによ!!」

「ああ、シューベル……! お前、何てことを……!」


 ミーシャが手で顔を覆う。そして、ワシも同じように顔を覆い、その上、遠くに逃げ去りたい気分だった。


 ――う、嘘じゃろ!! 結局また小便、漏らしたのかワシは……!!


「その噂は帝国中を駆けめぐった。以来、アンタは町の笑われ者さ。『お漏らしドルク』って言やあ、小さなガキでも知ってるぜ。どうせドラゴンを倒したのだって何かの間違いだったんだろう」


 いや、その仇名また付けられとるんかい! し、しかし何故じゃ!? ワシの魔力なら魔法科の講師だろうが何だろうが対等以上に渡り合える筈!! 怖じ気づいて失禁するなど考えられん!!


 シューベルは溜め息を吐いた後、ワシからミーシャへ目線を移す。


「全く。お袋もなんでこんな甲斐性無しと結婚したんだか。若い頃、王様に誘われてたんだろ? 町を出て、王様と結婚してりゃあ今頃、超の付く金持ちになってただろうによ」


 ――そ、そんなことがあったのか!?


 驚愕の事実が次々と明かされ、ワシは愕然とする。


『王様に誘われていた』じゃと――そうか! だからミーシャはあの時、引っ越したんじゃ!


 ワシと結婚しなかった元の現実で、ミーシャがドラゴン襲来の後、遠くの町に引っ越した理由が今、分かった。しかし結局、ミーシャが王族になることはなかった。外遊の際に愛らしいミーシャを見た、単なる王の気の迷いだったのだろう。


「……とにかく俺はこんな生活はゴメンだ。今日こそ終わりにしてやる。この種銭たねせんを膨らませてな」


 シューベルが金の入った小袋をかざすと、それはチャラッと頼りない音を立てた。


 懲りずに賭け事に行くシューベルをワシもミーシャもただ無言で見送るしかなかったのだった。

 



 ……色々あって落ち込み、頭を下げるミーシャにワシはそっと話し掛ける。


「ミーシャ。一つ聞いて良いか? 魔法学校時代のことじゃが……何でそんなことがあったのに、その……ワシと結婚してくれたんじゃ?」


 するとミーシャは少し照れ笑った。


「その時はもうお付き合いしておりましたし、ほっとけない人だなと思って」

「そうか」

「それにアナタの実力は本物ですから。ドラゴンから私を救ってくれた勇姿。今でも目に焼き付いております」


 改めて良い妻だと思った。そしてワシにミーシャとの結婚生活の記憶がないのが余計に悔しく思えた。


「だけど、あの子の言うことも分からなくはないのです。もし仮に、アナタの体調がよろしくて魔法試験が上手くいっていれば、今頃は帝国のお抱え魔導士になっていたかも知れません……」


 不意にミーシャはハッと気付いたように口をつぐんだ。


「す、すみません! 今更こんなことを言っても、どうしようもないのに!」

「いや、良いんじゃ」


 ワシが失態をおかしたという魔法試験についてもっと詳しく聞きたかったが、止めておくことにした。またミーシャにワシの頭がどうかしたのではないかと疑われてしまう。


 ミーシャが取り繕うように微笑む。


「でも最近、アナタの魔力が認められてきていますよ。ほら先日、教会の土砂崩れを救ったことで町の皆さんが見直して……」

「そうか。うむ。それは良かった」


 その後、ミーシャと他愛のない話をしてからワシは部屋に戻ったのだった。





 部屋には既にシェリルがいて、開けてあった窓際にちょこんと腰掛けていた。


「よう、ドルク」

「シェリル。お前さんの周りはどうじゃった?」

「特に変わった様子はねえよ。ノームの仲間達もいつものまんまだったぜ」

「やはりワシの環境以外、世界は特に変わっていないようじゃな」

「そりゃまぁアンタみたいなくたびれたジジイが、どこぞのババアとくっついたって世界の情勢は変わんねえよな」

「口が悪いにも程があるじゃろ……!」

「へへっ。まぁ結果、良かったじゃねえか」

「何が良いものか。ワシの人生は散々じゃよ」

「え? 何があったんだよ?」


 ワシはシェリルに今し方、起こったことを全て伝えた。


「おいおい。せっかく結婚できたと思ったら今度は借金苦かよ。ついてねえな、ドルク」

「本当じゃ。一難去ってまた一難じゃ」

「とにかくその魔法学校時代に何があったのか知りてえなあ。けど、ミーシャに聞くと怪しまれるって訳か……」

「いや。ミーシャに聞かずとも、過去に何があったか知る方法はある」


 ワシは乱雑に散らかった机から、分厚い一冊の本を取り出した。

 

「何だよ、その古くさい本は?」

「日記じゃよ。若い頃からのワシの癖でな。毎日ではないが、大事な日には付けるようにしておる」

「なるほど! つまり、それを見れば魔法学校で何があったか分かるって訳か!」

「そんな大失態をしでかした日なら、若い頃のワシが日記に書いてある可能性が高いからのう」

「じゃあ早速見てみようぜ!」


 ワシは茶色く風化したページを最初からパラパラとめくる。


「……おっ。これは」

「あったのか! 小便漏らした日の恥ずかしい日記!」

「い、いや。どうやら入学した日のことが書いてあるようじゃ。なになに……」




 『帝国暦九百七十八年 四月一日 晴れ。この俺が魔法学校の特級クラス! 周りの生徒も俺を褒め称えてくれる! 希望に満ちた素晴らしい学園生活が今日から始まるんだ!』




 そこには十八歳で魔法学校に特待生として招かれた若き日のワシの喜びが記されてあった。


「すげえ嬉しそうだな。特級クラスって、そんなにすげえのか?」

「国が運営する魔法学校は大陸に一つしかない。故に全土から沢山の生徒が集まってくる。じゃが、その中で特級クラスに入れるのは僅か数十人なんじゃ」

「ふーん。……あれ? 続きが書いてあるぜ」


 喜びの後、日記にはこう記されていた。




『しかし、俺が上級魔導士から特級クラスに推薦された理由がいまいちハッキリしない。皆は、俺がドラゴンから町を救ったのだというが、そんな記憶はない。ミーシャは「あの時のアナタはきっと我を忘れるほど必死だったのよ」と笑うが……それにしても全く覚えていないのは不思議だ。まぁ、それでもこれは間違いない僥倖ぎょうこう。天がくれたチャンスを活かして、これから頑張ろうと思う』




「……な、な、何ということじゃ! そうじゃったのか! 魔力があるのはワシが過去に戻った時だけだったんじゃ!」

「それにアンタに過去の記憶がないように、若いドルクもアンタと入れ替わってた時の記憶がないようだな」


 つまり、有能な者ばかりが集まる特級クラスに、若い頃のワシのみすぼらしい魔力のままで入ってしまったのだ。無論、恥をかくに決まっている。活躍できる筈もない。


 予想通り、その後の日記は酷いものだった。




『委員長に「君はこのクラスに不相応だ」と言われた』



『クラスの皆が俺をバカにする。つらい』



『俺の代わりにクラインの株がどんどん上がっている』




 日記には、クラインに関することも書いてあった。これは過去を変える前の元の現実でもあったことだが、ワシの旧友クラインは実力で国立魔法学校の特級クラスに入っていた。魔法の才能に溢れるクラインが特級クラスに推薦されるのは、どんな未来になろうが起こり得ることなのだろう。


 その後、三ヶ月空いた次の日記には小さな字でこう書いてあった。




『明日、ゴリンガ先生が俺の実力を見に来るらしい。それでダメなら俺は特級クラスから落とされてしまう。何としてでも頑張らなければ!』




「……なぁドルク。ゴリンガって誰だ? いかつい名前だな」

「最底辺クラスにいた時、聞いたことがある気がするのう。特級クラスには鬼のように厳しい魔法講師がいる、と。確かその講師の名がゴリンガじゃったような」


 そして、次のページをめくった時、ワシは絶句した。ページ一面に、ワシの字でこう記されていたからだ。





『失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した失禁した……』





「ハッハハ!! すげえ日記だな!! 漏らした後の後悔の念がヤベえ!!」

「!? 笑い事かあっ!!」 

「いや、悪りぃ。けど、進む道は違っても運命は似たような経過を辿るんだな。ドルク。お前、小便漏らす運命から逃げられねえんじゃねえか?」

「そんなことないじゃろ! どんな運命じゃ、それ!」

「まぁ結局、ゴリンガって先公にやられて、小便漏らしてクラスも落ちた。そして、その汚名を被ったまま現在に至る――って訳だな」

「まったく何て人生じゃ……」


 溜め息を吐いたワシの手を、シェリルが小さな足で蹴った。


「痛っ!? お前さん、老人に何をするんじゃ!?」

「しょぼくれた顔してんなよ、ドルク! お前には解決策があるじゃねえか!」

「解決策? ま、まさか、また過去に戻れと言うのか!?」

「借金塗れのまんまで良いのかよ?」

「むむ……」

「借金塗れ、それからあと小便塗れだぜ」

「!? うまいこと言うな!!」

「とにかくもう一度、過去に戻るんだよ! 魔法試験でゴリンガって先公ブッ飛ばして帰ってくりゃあ、将来、良い職にも就けて大金持ちだろ!」

「そ、そんなにうまくいくかのう。第一、あまり過去を変えてはまた現実に影響が……」

「良い影響なら問題ないだろ。このままじゃあジリ貧だぜ。ミーシャだって可哀想じゃねえか」


 ミーシャのことを言われて感情が揺さぶられる。多額の借金を背負う生活――それが今のワシの現実だった。そして借金を返そうにもワシは老年で、息子は働き口がない。何とかするにはシェリルの言うように過去に戻るしかないような気がしてきた。


「さぁ、ドルク! キノコ採りに行くぞ!」

「はぁ……そうするしかないかのう」


 こうしてワシは時空魔法発動に必要な『不思議なキノコ』を再び採りに行くことにしたのだった。

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