第4話 改変された日常

 このままでは医者を呼ばれてしまう。とにもかくにも、ワシはミーシャと話を合わせることにした。


「い、いやすまん。少し寝ぼけてしまったようじゃ」

「そう……でしたか」


 額にシワを寄せて、ミーシャはまだ不安そうな顔をしている。


「本当に大丈夫でしょうか?」

「さっきはバカなことを言ったものじゃ。お前を忘れるなど、ありはせんよ。ワシの……つ、妻……なんじゃからのう?」


 するとミーシャの顔は和らいだ。踵を返しながら言う。


「目覚ましの紅茶を淹れてきますね。お着替えなさったら、台所にいらしてください」

「うむ。分かった」


 ワシの部屋を出て行くミーシャを笑顔で見送る。ドアがパタンと閉まった後、ワシの胸元から隠れていたシェリルが飛び出してきた。血相を変えているが、それはワシも同じだった。


「い、今のは一体どういうことだよ、ドルク!?」

「ど、ど、ど、ドラゴンを倒し、ミーシャを救ったことで現在が変わってしまったようじゃ!! ワシはどうやらミーシャと結婚しておるらしい!! ああ、何ということじゃ!!」


 震える手で顔を覆った時、ワシの左手の薬指に銀の指輪がはめられていることに気付く。


「ふおっ!? 結婚指輪じゃあっ!!」


 何だか恐ろしい物を見た気がして、怖くなって叫んでしまう。シェリルがそんなワシに真剣な眼差しを向けていた。


「ドルク……ヤベえよ、コレ……! 考え無しに過去なんか変えっから、こんなことになるんだよ!」

「!? いや、お前さんが『問題ない』って言ったんじゃろうが!!」

「あ、あれ? そうだったっけ? あははは……」


 まるで他人事のように笑うと、シェリルは小さな手でワシの胸を叩いた。


「ま、まぁ良いじゃねえか! 初恋の女と結ばれたんだ! 結果オーライ! 幸せだろ!」

「何が幸せなものか! ワシの記憶にはミーシャとの思い出は全く無いのじゃ!」

「えええっ!? そうなのか!?」


 今の様子だと、ワシはミーシャと結婚して数十年は一緒に暮らしている筈。それでも、ワシにはミーシャと共に過ごした記憶は一切無かった。


「過去が変わってもワシにはその記憶がない。結婚したという現実はあっても、結婚したという記憶はないのじゃ」

「何だか虚しいな、それ」


 ワシは溜め息を吐いて、自分の部屋を見渡す。相変わらず机の上には乱雑に魔術研究書が散らかっており、壁には父親の書も飾られている。


「普段のワシの部屋のままじゃの。結婚しても趣味などは変わらんかったようじゃ。家具の配置も、ほとんど同じじゃし……」


 いやいや、こうしてのんびりしている訳にはいかない。そろそろ行かないと、またミーシャに疑われてしまう。


「シェリル。お前さんはワシの胸元に隠れておれ。見つかると更に話がややこしくなるからの」

「わ、分かったよ」


 ……自分の家なのに、そろりと扉を開ける。歩き慣れている廊下が長く伸びている感じがした。そしてそれは気のせいではなかった。


 辿り着いた台所も、ワシが知っているより広かった。質素な感じはそのままなのだが、真ん中に置いてあるテーブルは普段使っていたのより大きい。いや、それより何より、ワシが驚いたのはテーブルの周りに座っている者達だった。


 一人は年老いたミーシャ。そして……無精ヒゲを生やした中年の男が椅子に腰掛けている。


――ま、まさか、この男は!! いやそんな……!!


 ワシは酒瓶を持ったやさぐれた男に話し掛ける。


「お、お前さんはひょっとして、もしかして、その、あの、」

「何言ってんだ、親父」

「!! ヒイッ!? やっぱりワシの息子じゃったあ!!」


 平静を装おうとしていたのに、知らない嫁に続いて知らない息子の出現。ワシは驚きすぎて叫んでしまった。二人が怪訝そうな目をワシに向けてくる。


「おい、親父。大丈夫かよ?」

「お父さんたら、まだ寝ぼけているのよ」

「寝ぼけてるだけなら良いけどよー」


 ミーシャはワシに紅茶の入ったティーカップを渡してきた。震える手で受け取りながら、育てた覚えのない息子をちらりと見る。


 無精ヒゲを生やした三十……いや四十過ぎに見える息子は、干し肉をかじりながら瓶に入った酒をあおっていた。背格好など、どことなくワシの若い頃に似ている気がする。そして目元はミーシャにそっくりだった。両手には何故か黒い革手袋を付けている。


 おずおずとミーシャが、ワシの息子らしい男に話し掛けた。


「ねえ、シューベル。お仕事は決まったの?」

「いや。まだだ」

「そろそろ定職に就いたらどうかしら?」


 ワシとミーシャの息子はどうやら『シューベル』というらしい。いい年なのに職に就いていない様子のシューベルは、ミーシャの言葉にあからさまに機嫌を悪くした。


「ちゃんと薪割りだって、やってるだろ!」


 そう言って手袋を付けた手を見せる。ああ、だから革手袋を付けておるのか。


「でも、そろそろ結婚だってしないと……」

「ああもう、いちいちうるせえな! 俺の人生だ! 俺の勝手だろ!」


 そう言って、酒瓶を持ったまま、部屋を出て行ってしまう。ミーシャが切ない顔で呟く。


「本当にあの子ったら。今年でもう四十になるのに」


 いい年をして定職に就かずに日中、酒を喰らうダメ男らしい。まったく嘆かわしいのう。育てた親の顔が見たいわい……ってワシじゃったか……。


 シューベルが出て行ってから、ワシは過去に何があったかミーシャからさりげなく聞き出すことにした。単刀直入に聞くとまた病気かと怪しまれる。とりあえずシューベルを引き合いに出して、話を広げることにした。


「全くシューベルときたら、仕様のない奴じゃのう」

「ええ。本人にやる気がなくて。アナタに似て、魔法の才能はあるのに……」

「ワシの若い頃はあんなではなかったじゃろう? 覚えておるか。その、ワシがドラゴンを退治した時のことを?」

「あら。ずいぶんと昔の話をなさるのね」


 少し話の持って行き方が強引だったろうか。しかし、ミーシャは遠い過去を懐かしむように目を細めた。


「あの時のアナタは本当に格好良かったわ。ドラゴンを強力な魔法で倒して私を救ってくれた。それが切っ掛けで私達、お付き合いを始めたのですよね」

「う、うむ。そうじゃ。懐かしいのう」


 実は全く懐かしくない。ワシにとってはつい先程の出来事である。


 その後、あえて聞かずとも老人のさがか。ミーシャは昔話を懇々とワシに語り始めた。


「町の上級魔導士の推薦を受けて、アナタはクラインさんと一緒に国立魔法学校に特待生として入学。『十年に一人の才能』として特級クラスに迎えられました……」


 ――特級クラス……! ワシが……!


 密かに感激する。過去に戻る前のワシは、ドラゴンに怯えて小便を漏らした後も魔法研究を諦めきれず、どうにか国立魔法学校の最底辺クラスに入学した。だが学校は生徒達の階級差が激しく、最底辺クラスのワシは特級クラスの蝶に憧れる芋虫のような存在だった。


「二つ下のクラスだった私も鼻が高かったですわ」


 ミーシャが楽しそうに話す。どうやらミーシャもワシと一緒に魔法学校に入学していたらしい。ワシの知っている現実だと、ドラゴン襲来よりしばらくしてミーシャは遠くの町に引っ越してしまった。だが、ワシと付き合ったことでミーシャの未来も変わってしまったのだろう。それにしても……


「ワシが特待生! 何と名誉なことじゃ! 卓越した魔力で、さぞや活躍したことじゃろうな!」


 つい、そう漏らしてしまう。するとミーシャが眉をひそめた。


「活躍? あのことをお忘れなのですか?」

「え。あのことって何じゃ?」

「アナタ……やはり大丈夫でしょうか? 具合が悪いのなら、お医者様を、」

「い、いや! 大丈夫! ちょっと昔話がしたかっただけじゃ! わはははは! さ、散歩でもしてくるわい!」


 ワシは逃げるようにして、家を飛び出した。


 ――どういうことじゃ!? 魔法学校で何かあったのか!? いや、それにしても、ミーシャはすぐに医者を呼ぼうとしすぎじゃろ!!



 ワシは外に出て、改めて自分の家を振り返る。元の家と同じように、ワシの母親が死んでから建てたのだろう。立地も町外れで一緒だが、慣れ親しんだ元の家より、少し大きくなっているようだ。それでも世間から見れば、つつましやかな家に違いないが。


「……ふう。ようやく一人になってくれたな、ドルク」


 シェリルが、ひょいと胸から出てくる。


「おお。すまんかったな」

「ホントだよ! せまっくるしいんだからな、お前の胸元!」

「それで話は聞いたか?」

「ああ。全部聞いたぜ」


 ワシは晴れた空を眺めながら呟く。


「時空魔法を使うのも、過去を変えるのも、全てが初めてのことじゃった。しかし……過去に戻って何かをするのは想像以上に現在に影響を及ぼすようじゃ。ひょっとしたら人は過去に戻るべきではないのかも知れんのう」


 真剣な顔で言うと、シェリルはこくりと頷いた。


「ドルク。アタシ、気になることがあってさ。一つ聞いていいか?」

「ああ。何でも言うが良い。ワシに分かることなら答えよう」


 ワシと同じように少なからず不安を感じているのだろう。そう思い、優しく応えると、シェリルはカラカラと笑った。


「お前さあ、童貞なのに結婚して子供がいるんだな!! フッハハ!! すっげえな!! 奇跡の童貞だな!!」

「!? いらんことは言わんでいい!!」


 ワシが怒鳴るとシェリルはチロリと小さな赤い舌を出す。


「それじゃあ、アタシも自分の生活に何か変化がないか見てくるよ。夜、また家に来るから窓、開けといてくれよ」


 言うや、草むらに素早く身を隠し、あっと言う間にいなくなった。小ささに加えて、あの敏捷さ。ノームがなかなか人間に姿を見られない訳である。


 シェリルが消えた後、ワシは町中に向かった。ミーシャに『散歩に行く』と言ったのはその場凌ぎだったのだが、町の様子が変わっていないか気になったのだ。




 教会の土砂をどける為、町長と待ち合わせした広場に辿り着く。ワシは設置されてある長椅子に腰掛けた。


 遊び回る子供達に、笑顔で行き交う人々。あの時のように、平和なサフィアノの光景が広がっている。


 ……しかし、その時。ふと違和感を感じた。何かが足りないような気がしたのだ。それが一体何なのか思い出そうとしたのだが、


「おや。ドルク様」


 そんな声が聞こえて振り向く。今日は待ち合わせはしていない筈……それでも、ワシの隣には小太りの町長が佇んでいた。


「昨日の土砂崩れの際は助かりました」

「ああ。別にたいしたことはしておらんよ」


 笑いながら言う。ワシが土砂崩れを魔法で解決したことは、どうやらこちらの現実でもあったことらしい。


 ワシは町長に尋ねてみた。


「町は変わりないかの?」

「ええ。全く」

「平和……なんじゃよな?」

「はい。教会も無事でしたし、至って平和ですよ」


 町長は満面の笑みを浮かべて言う。


「この町はクライン様が守ってくれていますから」


 ワシの旧友かつ、帝国選定魔導士であるクラインも健在。普段通りの日常である。どうやら変わったのはワシの身の回りだけらしい。それを知って、ワシはひとまず安心したのだった。





 しばらく町を散策した後、家に戻るとおいしそうな香りが漂っていた。台所に行くと、ミーシャがシチューの入った皿を運んでいる。


「夕飯が出来ましたよ」

「ほう。夕飯か」

「あの子、今日も帰りが遅いみたいで。二人で先にいただきましょう」

「うむ」


 椅子に座り、木のスプーンを持ち、おそるおそるシチューを口に運ぶ。煮込んだ野菜の旨みが口の中に広がった。


「……うまいのう」

「いやですわ。いつも食べてるじゃありませんか」


 正直な感想を言うと、ミーシャは照れ笑った。


「なぁ、ミーシャ。お前さん、幸せか?」

「何ですか、いきなり」


 ミーシャはニコリと微笑む。


「ええ、とっても幸せですよ。こうして無事に生きていられるのですから」


 その一言にどきりとした。ミーシャにしては、何気なく言った言葉だろう。だがワシのいた現実ではミーシャは土砂崩れに遭って死んでしまっている。『生きていられて幸せ』――その言葉はワシの胸を抉った。


「……おかわりを貰ってもよいか?」

「今日はよくお食べになられるのね。すぐに用意しますわ」


 ワシは老年のミーシャの丸まった後ろ姿を見ながら思う。ミーシャと過ごした生活の記憶はワシにはない。それでもミーシャが死なずに生きていて、傍にいてくれる。ワシは過去を変える前より幸せになったのかも知れない。


 ――ふむ。シェリルの言うように、結果としてはこれで良かったのかも知れんのう。


 そう思った時だった。『ドンドン』と玄関の扉が激しく何度も叩かれた。ミーシャが顔を青くさせる。


「な、何事じゃ!?」


 まるで扉を壊すように、ひっきりなしに叩いている。ワシは居ても立ってもいられなくなり、席を立って扉を開け……そして驚く。


 目の前には長身で筋骨隆々、いかにもガラの悪そうな男が突っ立っていた。


「よう、じいさん。金は用意できたか?」

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